平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2011年6月12日 教会の始まりの物語

2012-02-10 10:50:26 | 2011年
使徒言行録2章1~13節
      教会の始まりの物語

 本日は、ペンテコステ(聖霊降臨祭)の礼拝を守っています。イエス様が、復活されて40日の間、弟子たちに現れ、神様の国について話されたあと、天に挙げられました。それから、10日して、聖霊が降ったことになります。復活されたイエス様は、天に挙げられる前に、弟子たちに「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」と命じられました。
 前に聞いたということですが、それはルカによる福音書において、24章の49節で、復活のイエス様が、弟子たちに同じように、「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」と言われたことを指しておりました。ちなみに、ルカによる福音書を書いたのは、ルカですが、使徒言行録もまた同じく、このルカが書いたとされています。それで、この日も弟子たちは、ある家の二階の一室で、婦人たちやイエス様の母マリア、イエス様の兄弟たちと心を合わせて祈っていたと思われます。
 そのようすは、使徒言行録の1章13節から14節に書かれています。「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」。また、2章の1節にはこのようにあります。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると」。彼らは、この日も一同で集まっていました。イエス様が言われたように、神様の約束されたものを待っておりました。熱心に祈りつつ、待っていたと思われます。この神様の約束されたものというのが、聖霊であったということです。
 そうしましたら、この出来事が起こったのでした。突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響きました。それから、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上に止まりました。台風などのときに、すごい風の音を、聞いたことがあるかもしれませんが、炎のような舌は私も見たことはありませんし、皆さんも見たことはないでしょう。
 しかし、このような現象が、聖霊を受けたときに現れる現象だとすれば、後には、誰もそのような体験を集団でしたということは、なかったに違いありません。否、実は、4章の31節に同じようなことがあったことは記されています。「祈りが終ると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした」これは、ペトロとヨハネが捕えられて釈放されたとき、彼らが、他の弟子たちに事の一部始終を話したときのことでした。
 彼らは、そのときには「主よ、今こそ、彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と祈っています。しかし、このときは、炎の舌というようなものが見えなかったようです。共通していることは、聖霊の力を得て、大胆に神様の御業を、神様の言葉を語り出したということです。
 ただし、パウロは、コリントの信徒への手紙一の12章3節の後半で、「聖霊によらなければ、だれも、イエスは主である、とは言えないのです」と述べています。そうだとすれば、信仰告白をしてキリスト者になった者たちは、このような現象を体験せずとも、すべての人々が聖霊を受けたのだと、理解できるでしょう。私たちも聖霊を受けたということになります。
 この聖霊を受けるといった出来事は、そこにいた一人一人に起こったのですが、これは何か個人的になされたのではなく、彼ら集まっているその集団に与えられたものでした。そして、このとき、聖霊を受けた一人一人は、五旬祭ということであったのか、或いは、もうエルサレムに永住しようとしてかはわかりませんが、あちこちの国から都エルサレムに帰ってきたユダヤ人たち(これは、イスラエルの国がアッシリアやバビロンに滅ぼされて、彼らは捕囚としてバビロンやアッシリアに連れていかれましたが、そのときに、ユダヤ人たちは、ちりぢりになりました。
 捕囚として連行されていった人々も、捕囚から解放されてエルサレムへ帰って来た者たちもおりましたが、そうしなかった者たちもいたようです。離散したユダヤ人をデアスポラといいますが、そのような人々が大勢出たのです。しかし、彼らは、離散していった場所場所で、イスラエルの神を信仰していきましたから、いわゆるユダヤ教を守るという形で、ユダヤ人たちは、世界に存続していきました)でした。
 そして、弟子たちは、それぞれの国の言葉で、神様の大いなる御業を語ったのでした。「だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話しているのを聞いて、あっけにとられてしまった」とあります。いろいろな国からやってきたユダヤ人たちでしたが、他に、ユダヤ教への改宗者、クレタ、アラビアから来た者たちもいたとあります。しかし、すべての人々が、自分たちの国の言葉で、神様の偉大な御業を聞くことになったのでした。
 ペンテコスは、教会の誕生日だと言われます。それは、どうしてなのでしょうか。教会が誕生したのは、イエス様が弟子たちを集めたときからではないのでしょうか。そうでなければ、イエス様の復活のときからではないのでしょうか。しかし、復活されたイエス様は、神様が約束されたものをエルサレムを離れず、待つように言われました。
 彼らは、それで、イエス様が天に挙げられたあと、エルサレムにと留まって待っていました。エルサレムは、イエス様が十字架につけられたところであり、当然、弟子たちもまた、ユダヤ当局、ローマ帝国から、捕えられる危険性がありました。それなのに、その場所で待っているように言われました。
 彼らは、満を持して待っておりました。ひたすらに祈ってそのときを待っていたかもしれません。1章の14節には「心を合わせて、熱心に祈っていた」とありますから、このときもそうしていたに違いありません。それは、内側にじっとたたずむ姿勢でしかありませんでした。
 しかし、実際、彼らは、この聖霊を受けたときから、神様の大いなる御業を大胆に語り始めたのでした。このときのペトロの説教などはまさにそうです。それまでのペトロとは、思えないほどの大胆さがあります。教会が第一にしなければならない使命が、ここには語られております。神様の御業、神様の御言葉を大胆に語る、これが、イエス・キリストの教会の第一の仕事です。
 公の前で話しをするなど、それまでの彼らには、考えられなかったことです。しかも、ペトロは、イエス様を知らないと三度も述べて、つまり、完全にイエス様を裏切った人間でした。恐ろしさのあまり、彼は、イエス様を裏切ってしまいました。イエス様の仲間だ、と認めれば捕えられかねない状況がありました。復活のイエス様が表れたときも、ある者の家で、弟子たちは隠れるようにしていたのでした。
 しかし、あれから、2ケ月もたってはいないのです。それなのに、聖霊を受けたペトロは、そうした恐怖はどこへいったやらと思うほどに、堂々とイエス様がメシア、キリスト、救い主であるかを宣べ、それから、集まっていた人々に悔い改めを迫ったのでした。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」。
 このことは、当局に敵対し、ローマに敵対することになるかもしれないのです。弟子たちは、死も恐れぬほどに強められていました。聖霊の力をいただいたときに、彼らは、変えられたのでした。そして、この日に、洗礼、バプテスマを受けて彼らの仲間に加わった人々が、3000人ほどいたと記されています。
 ドイツに教会の成長を研究している団体がありまして、そこがまとめたデータがあります。そこには、成長している教会に共通の8つの特質が記されておりました。いつかまた、皆さんに紹介したいと思いますが、その中の一つに、「霊的な熱心さ」というのがありました。
 霊的な熱心さのある教会は、成長しているということです。霊的な熱心さとはどういうことかといいますと、一つの例としては、「教会員が周囲に影響を与えるほどの熱心さを持って信仰生活を送っている」また「信仰生活でもってイエス様を証ししている」というのもありました。また、「イエス・キリストと真実な関係に生きる信仰生活である」ともありました。
 ただし、決して、硬直した熱狂主義をいうのではない、とも書いてありました。ただ、他に具体的なこととして、祈りを大切にしているということがありました。それは祈りの時間の長さではなく、熱心な祈りということです。また、教会のことに熱心である、そういう姿勢も「霊的な熱心さ」に該当する場合が多いと述べてありました。
 しかし、これらのことは、至極当然のこととして、私たちには理解できます。霊的な熱心さとは、具体的には、キリスト者として本気で生きているかということです。私も反省させられます。イエス・キリストとの真実な関係に生きる信仰生活、このことに異論は誰もないはずです。私たちは、バプテスマを受けたとき、聖霊に満たされて、イエス・キリストとの真実な関係に生きることを宣言したのではなかったでしょうか。そのような姿勢を多くのキリスト者が持続して持っている教会が、霊的に熱心な教会としての雰囲気をかもしだしていくのだと思われます。
 それは、まさに、初代教会の信徒たちの姿でありました。ペトロの説教のあと、信者の生活について述べてありますが、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を讃美していたので、民衆から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」とあります。これは、キリスト者の信仰生活の一つの姿でしょうが、基本的には今も理想として保持しておきたいものです。
 さて、聖霊を受けるということは、命をいただいたということでもあるでしょう。それは、創世記の2章の7節に「主なる神は、土の塵で、人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とあります。土の塵で造られた人は、それだけでは、生きる者にはならなかったのです。
 神様が、命の息を吹き入れたときに、初めて、それは生きる者となりました。ペトロたちの集団も、そのとき、120名ほどいたと1章の15節にはあります。ちなみに、私たちの現在の教会員の数とほぼ同じです。弟子たちの集団は、ある意味では、教会の器はできていたとも言えるでしょう。
 しかし、それだけでは、生きた教会ではありませんでした。神様からの聖霊が降ったときに、初めて、その集団は、生きた教会となり、イエス様のことを大胆に告げ知らせていくことになったのでした。神様の命の息が教会に吹き入れられたときでした。聖霊降臨日が、教会の始まりとなったと言われるとおりです。
 今日の招きの詞、招詞のローマの信徒への手紙8章15節から16節ですが、「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって、わたしたちは、『アッバ、父よ』との呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが、神の子どもであることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます」。
 このような文章を読みますと、私たちが神様に対して祈ることができるということ自体、すでに聖霊の働きが臨んでいると言えるでしょう。つまり、父なる神様、と呼びかけることができること自体、すでにその方には、聖霊が臨んでいるということです。聖霊の働きが臨まないときには、私たちには、神様という呼びかけの一言が、なかなか言えないのです。
 アッバというのは、父親を幼子が呼ぶときの呼び方で、「お父ちゃん」といったくらいのものです。それくらいに近くに神様を感じてよい、というのが、イエス様が私たちに教えてくださったことでした。そのことができるようになる、それが聖霊のお力だと、いうことです。
 神様というと遠く離れている存在と思われていたお方を、イエス様は、そうではない、実に近いお方、否、あなたと共にいてくださるお方、そのように教えてくださいました。否、むしろ、イエス様が、私たちのために十字架におつきになって、そのようにしてくださったとも言えるのでしょう。
 聖霊が臨むというのは、教会というレベルの話しから、個々人への臨み方もありますが、今日は、教会に臨んだときのお話であり、このとき、ペトロたちの弟子集団は、命をいただき、それ以降、大胆にイエス様のこと、神様の大いなる御業のことを語っていったということです。
 その聖霊の働きは今もなお続いていて、否、永続しいくわけです。そして、私たちの教会を、教会に連なる一人一人を豊かにいつも共にいてくださって、導いていってくださるのです。その聖霊のお力に、支えられて、私たちは、今週も大胆に主を証してまいりましょう。


平良師

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