イザヤ書37章1~7節
危機に直面してもなお
今日の聖書の内容は、紀元前701年頃のお話です。ソロモンが死んだあと、紀元前922年に、イスラエル王国は、北イスラエルと南ユダの二つに分裂してしまいました。そして、紀元前722年に北イスラエルはアッシリアに滅ぼされてしまいます。なぜ、北イスラエルが、滅ぼされるに至ったのかということをイスラエルの人々はのちに考えました。もちろん、国と国の利害関係や周辺の国々との力関係など、政治的な要因は多々あったでしょうが、イスラエルの民は、そのことを信仰的に、次のように考えたのです。
「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイエスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである」。
それから、20年たって、今度は、南ユダもアッシリアの脅威にさらされることになりました。アッシリアは、ユダの国に攻め上り、砦をおいてある町々を占領し、ついには、エルサレムを包囲するに至りました。南ユダは、このときエジプトに助けを求めようとしたようですが、それはなりませんでした。36章でアッシリアの副司令官ラブ・シャケは、このように言っています。
「今、お前たちは、エジプトというあの折れかけの葦の杖を頼みにしているが、それはだれでも寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは、自分を頼みとするすべての者にとってそのようになる」と言いました。ラブ・シャケのこのときの発言は、聞いている南ユダの人々にとっては、実に、屈辱に耐えないようなひどいものでした。
このとき、南ユダのヒゼキヤ王は、三人の者を使いとしてラブ・シャケのもとに遣わしたのでした。三人の使者たちは、内容がひどいので、他のユダの人々に聞かせたくはありませんでした。それで、「僕どもはアラム語がわかります。どうぞアラム語でお話ください。城壁の上にいる民が聞いているところで、わたしどもにユダの言葉で話さないでください」と頼みました。ところが、ラブ・シャケは、城壁の上で、ようすを見守っていたユダの人々に向かって大声で、屈辱的な話をしたのでした。
「わが主君がこれらのことを告げるためにわたしを遣わしたのは、お前の主君やお前のためだけだとでもいうのか。城壁の上に座っている者たちのためにも遣わしたのではないか。彼らもお前たちと共に自分の糞尿を飲み食いするようになるのだから」。
そして、彼は続けて、「大王、アッシリアの王の言葉を聞け。王は言われる『ヒゼキヤにだまされるな。彼はお前たちを救い出すことはできない』」。ヒゼキヤ王は、イスラエルの歴史の中でも、なかなか優れた王でした。旧約聖書の列王記下18章の3節からのところにこのように書かれています。「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き(偶像の神々を祭っていた)、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセが造った青銅の蛇(偶像とみなされる)を打ち砕いた」5節「彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。
その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また、彼の前にもなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した。彼はアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった。」とあります。
このとき、まさに、南ユダは、絶体絶命の危機にありました。エルサレムは包囲され、このまま兵糧攻めに遭えば、ラブ・シャケが言ったような事態にもなりかねません。ラブ・シャケは、アッシリアの王が、「わたしと和を結び、降伏せよ」と促していると述べました。また、これまで諸国の神々は、アッシリア王の手から救い出すことができたか、と問うたのです。また、北イスラエルの首都サマリアについてもこう言いました。
「サマリアをわたしの手から救い出した神があっただろうか。これらの国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国をわたしの手から救い出したか。それでも、主は、エルサレムをわたしの手から救い出すというのか」。これらの使いの者たちは、ラブ・シャケの言葉を聞いておりましたが、ヒゼキヤ王から、応答してはならないと言われていましたので、だまっていました。
そして、帰ってきて、一部始終をヒゼキヤに伝えたのでした。ヒゼキヤは、これらの話を聞くと、衣を裂き、粗布を身にまとって主の神殿に行ったとあります。衣を裂き、粗布を身にまとうというのは、懺悔のしるしであったと言われていますが、神様を冒涜するそこまでのことを敵に言わせたということ、不甲斐ない自分の力の弱さ、そのようなものが、懺悔の中身だったのかもしれません。そして、イザヤのもとに人を遣わし言うのでした。「今日は、苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを生み出す力がない」。ヒゼキヤにとって、実につらい、屈辱的な日だったことでしょう。
そして、胎児は産道に達したが、生み出す力がないというのは、非常な危機的な状況にみまわれているという意味でありました。ヒゼキヤは、イザヤに言います。ラブ・シャケは、生ける神をののしるために、アッシリアの王に遣わされてきたが、神様は、彼の言葉を聞いて、とがめられないのだろうか、そして、エルサレムの城壁の内側に残っている者たち、私たちのために祈ってほしい、と。
そのとき、イザヤは、神様の言葉を伝えました。「あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。見よ、わたしは彼の中に霊を送り、彼がうわさを聞いて自分の地に引き返すようにする。彼はその地で剣にかけられて倒される」。
結末は、イザヤの予言のとおりでした。37章の36節からのところに書かれていますが、「主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で18万5千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた。彼が自分の神ニスロクの神殿で礼拝しているときに、二人の息子アドラメクとサルツェルが彼を剣にかけて殺した」。こうして、神様は、南ユダの危機を回避させられたのでした。
人が、危機的な状況に追い込まれたとき、いろいろな誘惑が私たちにはやってきます。イエス様が、神の国を宣教されるその前に、サタンの誘惑に遭われたことが福音書には記されています。あのときは、40日間の断食の後に、サタンはやってきたのでした。
生死にかかわる極みで、サタンは誘惑しました。石をパンに変えたらどうだ、サタンを拝め、すべての国の繁栄をやるぞ、神を試してみたらどうだ、そのように誘惑しました。これらの行為は、よくよく考えてみると神様をないがしろにする行為だったと言えるでしょう。そのように、サタンは、たくみに神様に背くことを唆したのでした。
ここでも、ラブ・シャケは、南ユダの人々にヒゼキヤにだまされるな、と言いました。また、ヒゼキヤが「主は我々を救い出してくださる」と言っているが、惑わされるな、とも言いました。いろいろな国々に神がいたが、アッシリアの手から救い出すことのできた神などいなかった、北イスラエルだってそうだ、都サマリアを救った神などいなかった、それでもお前たちは、ヒゼキヤを、またお前たちの神を信じるのか、ということを言ったのでした。そして、アッシリアの王と和を結び、降伏せよ。そうすれば、お前たちは皆、自分のぶどうといちじくの実を食べ、自分の井戸の水を飲むことができる」と言って、降伏を迫ったのでした。
南ユダの人々は、大いに動揺したことでしょう。ラブ・シャケの言葉は、納得させるだけの事実材料を十分に提供しておりました。アッシリアに負けた諸国には、それぞれに神々がいましたが、確かにすべての国々が負けてしまったのでした。自分たちのユダの国もまた、滅ぼされ、自分たちは殺されるかもしれない、そう思った人々も少なからずいたことでしょう。しかし、そのとき、ユダの民衆の中から、そうだ、アッシリアに降伏しようという者はおりませんでした。
ヒゼキヤにもまた、直接に、アッシリアの王は、使いの者をやって、自分の手紙をその者に読ませました。「お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはない、と思ってはならない」。
ヒゼキヤは、その手紙を使者から受け取り、主の神殿に上り、それを主の前に広げ、祈ったのでした。16節からの部分ですが、「万軍の主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてご覧ください。生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケリブのすべての言葉を聞いてください」。ここには、神様に対するヒゼキヤの信仰告白が綴られています。まず、あなただけが神であり、あなたが、この天地を創造された方であり、あなたは生ける神である、という告白です。
また、そのあとで、「アッシリアの王たちはすべての王国とその国土を荒し、その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません」、つまり、ヒゼキヤは、他の国々の神々は偶像の神々であったという認識をもっていました。
そして、彼は、祈りました。「わたしたちの神、主よ、どうか今、わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主であることを知るに至らせてください」。ヒゼキヤは、神様に救いを願い、そして、そのことで、神様のご栄光が示されるようにと、祈ったのでした。
私たちは、こうしたヒゼキヤの信仰に教えられます。
南ユダは、絶体絶命の非常に厳しい状況の中にありました。アッシリア王センナケリブは、民には、ヒゼキヤにだまされるなと言い、ヒゼキヤには、神にだまされるな、と言いました。この危機的状況を回避できる道は、降伏する以外にはないことを伝えました。エジプトに助けを求めても無駄であることも伝えられました。
しかし、イザヤは、このとき、神の言葉をヒゼキヤに伝えました。その内容は、「彼(センナケリブ)がこの都に入場することはない。また、そこに矢を射ることも、盾を持って向かってくることも、都に対して土塁を築くこともない。彼は来た道を引き返し、この都に入場することはない、と主は言われる。わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕タビデのために」というものでした。そして、実際、そのとおりになりました。
ヒゼキヤには、このとき、いくつかの選択の道がありました。一つは、アッシリアに降伏することでした。もう一つは、周辺の国(特にはエジプト)に助けを求めることでした。もう一つは、周辺の国々の神々により頼むことでした。そして、さらにもう一つは、主なる創造主なる唯一絶対の生ける神様を信頼し続けることでした。そして、ヒゼキヤは、最後の主なる真の神様を信頼し続ける道を選びました。この最後の選び取りが一番難しいかもしれません。危機的な状況の中では、目に見えるものの方が強いからです。
私たちの人生には、いろいろなことが起こります。頼みとしていたことが次々に崩れていき、ついには、周りは敵だらけといったことになってしまう、そして、その敵から自分の破滅を宣告される、そのような危機的な絶望的な状況が起こるのです。それでもなお、見えない神様を信頼することができるでしょうか。それが信仰であることを私たちは知らされます。否、それこそが信仰なのです。信仰によって、私たちはいかなる逆境の中でも立つ続けることができるのです。
6節でイザヤは「主なる神はこう言われる。あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない」と告げました。「恐れてはならない」、その根拠は、神様が、ことを成されるからだ、というのです。私たちは、主なる神様の力を頼みとする者たちです。私たちを取り囲む、厳しい、悪しき状況におののいてはなりません。神様を頼みとする、そのことに喜びすら感じる者が、キリスト者ではありませんか。
平良師
危機に直面してもなお
今日の聖書の内容は、紀元前701年頃のお話です。ソロモンが死んだあと、紀元前922年に、イスラエル王国は、北イスラエルと南ユダの二つに分裂してしまいました。そして、紀元前722年に北イスラエルはアッシリアに滅ぼされてしまいます。なぜ、北イスラエルが、滅ぼされるに至ったのかということをイスラエルの人々はのちに考えました。もちろん、国と国の利害関係や周辺の国々との力関係など、政治的な要因は多々あったでしょうが、イスラエルの民は、そのことを信仰的に、次のように考えたのです。
「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイエスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである」。
それから、20年たって、今度は、南ユダもアッシリアの脅威にさらされることになりました。アッシリアは、ユダの国に攻め上り、砦をおいてある町々を占領し、ついには、エルサレムを包囲するに至りました。南ユダは、このときエジプトに助けを求めようとしたようですが、それはなりませんでした。36章でアッシリアの副司令官ラブ・シャケは、このように言っています。
「今、お前たちは、エジプトというあの折れかけの葦の杖を頼みにしているが、それはだれでも寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは、自分を頼みとするすべての者にとってそのようになる」と言いました。ラブ・シャケのこのときの発言は、聞いている南ユダの人々にとっては、実に、屈辱に耐えないようなひどいものでした。
このとき、南ユダのヒゼキヤ王は、三人の者を使いとしてラブ・シャケのもとに遣わしたのでした。三人の使者たちは、内容がひどいので、他のユダの人々に聞かせたくはありませんでした。それで、「僕どもはアラム語がわかります。どうぞアラム語でお話ください。城壁の上にいる民が聞いているところで、わたしどもにユダの言葉で話さないでください」と頼みました。ところが、ラブ・シャケは、城壁の上で、ようすを見守っていたユダの人々に向かって大声で、屈辱的な話をしたのでした。
「わが主君がこれらのことを告げるためにわたしを遣わしたのは、お前の主君やお前のためだけだとでもいうのか。城壁の上に座っている者たちのためにも遣わしたのではないか。彼らもお前たちと共に自分の糞尿を飲み食いするようになるのだから」。
そして、彼は続けて、「大王、アッシリアの王の言葉を聞け。王は言われる『ヒゼキヤにだまされるな。彼はお前たちを救い出すことはできない』」。ヒゼキヤ王は、イスラエルの歴史の中でも、なかなか優れた王でした。旧約聖書の列王記下18章の3節からのところにこのように書かれています。「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き(偶像の神々を祭っていた)、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセが造った青銅の蛇(偶像とみなされる)を打ち砕いた」5節「彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。
その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また、彼の前にもなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した。彼はアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった。」とあります。
このとき、まさに、南ユダは、絶体絶命の危機にありました。エルサレムは包囲され、このまま兵糧攻めに遭えば、ラブ・シャケが言ったような事態にもなりかねません。ラブ・シャケは、アッシリアの王が、「わたしと和を結び、降伏せよ」と促していると述べました。また、これまで諸国の神々は、アッシリア王の手から救い出すことができたか、と問うたのです。また、北イスラエルの首都サマリアについてもこう言いました。
「サマリアをわたしの手から救い出した神があっただろうか。これらの国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国をわたしの手から救い出したか。それでも、主は、エルサレムをわたしの手から救い出すというのか」。これらの使いの者たちは、ラブ・シャケの言葉を聞いておりましたが、ヒゼキヤ王から、応答してはならないと言われていましたので、だまっていました。
そして、帰ってきて、一部始終をヒゼキヤに伝えたのでした。ヒゼキヤは、これらの話を聞くと、衣を裂き、粗布を身にまとって主の神殿に行ったとあります。衣を裂き、粗布を身にまとうというのは、懺悔のしるしであったと言われていますが、神様を冒涜するそこまでのことを敵に言わせたということ、不甲斐ない自分の力の弱さ、そのようなものが、懺悔の中身だったのかもしれません。そして、イザヤのもとに人を遣わし言うのでした。「今日は、苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを生み出す力がない」。ヒゼキヤにとって、実につらい、屈辱的な日だったことでしょう。
そして、胎児は産道に達したが、生み出す力がないというのは、非常な危機的な状況にみまわれているという意味でありました。ヒゼキヤは、イザヤに言います。ラブ・シャケは、生ける神をののしるために、アッシリアの王に遣わされてきたが、神様は、彼の言葉を聞いて、とがめられないのだろうか、そして、エルサレムの城壁の内側に残っている者たち、私たちのために祈ってほしい、と。
そのとき、イザヤは、神様の言葉を伝えました。「あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。見よ、わたしは彼の中に霊を送り、彼がうわさを聞いて自分の地に引き返すようにする。彼はその地で剣にかけられて倒される」。
結末は、イザヤの予言のとおりでした。37章の36節からのところに書かれていますが、「主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で18万5千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた。彼が自分の神ニスロクの神殿で礼拝しているときに、二人の息子アドラメクとサルツェルが彼を剣にかけて殺した」。こうして、神様は、南ユダの危機を回避させられたのでした。
人が、危機的な状況に追い込まれたとき、いろいろな誘惑が私たちにはやってきます。イエス様が、神の国を宣教されるその前に、サタンの誘惑に遭われたことが福音書には記されています。あのときは、40日間の断食の後に、サタンはやってきたのでした。
生死にかかわる極みで、サタンは誘惑しました。石をパンに変えたらどうだ、サタンを拝め、すべての国の繁栄をやるぞ、神を試してみたらどうだ、そのように誘惑しました。これらの行為は、よくよく考えてみると神様をないがしろにする行為だったと言えるでしょう。そのように、サタンは、たくみに神様に背くことを唆したのでした。
ここでも、ラブ・シャケは、南ユダの人々にヒゼキヤにだまされるな、と言いました。また、ヒゼキヤが「主は我々を救い出してくださる」と言っているが、惑わされるな、とも言いました。いろいろな国々に神がいたが、アッシリアの手から救い出すことのできた神などいなかった、北イスラエルだってそうだ、都サマリアを救った神などいなかった、それでもお前たちは、ヒゼキヤを、またお前たちの神を信じるのか、ということを言ったのでした。そして、アッシリアの王と和を結び、降伏せよ。そうすれば、お前たちは皆、自分のぶどうといちじくの実を食べ、自分の井戸の水を飲むことができる」と言って、降伏を迫ったのでした。
南ユダの人々は、大いに動揺したことでしょう。ラブ・シャケの言葉は、納得させるだけの事実材料を十分に提供しておりました。アッシリアに負けた諸国には、それぞれに神々がいましたが、確かにすべての国々が負けてしまったのでした。自分たちのユダの国もまた、滅ぼされ、自分たちは殺されるかもしれない、そう思った人々も少なからずいたことでしょう。しかし、そのとき、ユダの民衆の中から、そうだ、アッシリアに降伏しようという者はおりませんでした。
ヒゼキヤにもまた、直接に、アッシリアの王は、使いの者をやって、自分の手紙をその者に読ませました。「お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはない、と思ってはならない」。
ヒゼキヤは、その手紙を使者から受け取り、主の神殿に上り、それを主の前に広げ、祈ったのでした。16節からの部分ですが、「万軍の主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてご覧ください。生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケリブのすべての言葉を聞いてください」。ここには、神様に対するヒゼキヤの信仰告白が綴られています。まず、あなただけが神であり、あなたが、この天地を創造された方であり、あなたは生ける神である、という告白です。
また、そのあとで、「アッシリアの王たちはすべての王国とその国土を荒し、その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません」、つまり、ヒゼキヤは、他の国々の神々は偶像の神々であったという認識をもっていました。
そして、彼は、祈りました。「わたしたちの神、主よ、どうか今、わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主であることを知るに至らせてください」。ヒゼキヤは、神様に救いを願い、そして、そのことで、神様のご栄光が示されるようにと、祈ったのでした。
私たちは、こうしたヒゼキヤの信仰に教えられます。
南ユダは、絶体絶命の非常に厳しい状況の中にありました。アッシリア王センナケリブは、民には、ヒゼキヤにだまされるなと言い、ヒゼキヤには、神にだまされるな、と言いました。この危機的状況を回避できる道は、降伏する以外にはないことを伝えました。エジプトに助けを求めても無駄であることも伝えられました。
しかし、イザヤは、このとき、神の言葉をヒゼキヤに伝えました。その内容は、「彼(センナケリブ)がこの都に入場することはない。また、そこに矢を射ることも、盾を持って向かってくることも、都に対して土塁を築くこともない。彼は来た道を引き返し、この都に入場することはない、と主は言われる。わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕タビデのために」というものでした。そして、実際、そのとおりになりました。
ヒゼキヤには、このとき、いくつかの選択の道がありました。一つは、アッシリアに降伏することでした。もう一つは、周辺の国(特にはエジプト)に助けを求めることでした。もう一つは、周辺の国々の神々により頼むことでした。そして、さらにもう一つは、主なる創造主なる唯一絶対の生ける神様を信頼し続けることでした。そして、ヒゼキヤは、最後の主なる真の神様を信頼し続ける道を選びました。この最後の選び取りが一番難しいかもしれません。危機的な状況の中では、目に見えるものの方が強いからです。
私たちの人生には、いろいろなことが起こります。頼みとしていたことが次々に崩れていき、ついには、周りは敵だらけといったことになってしまう、そして、その敵から自分の破滅を宣告される、そのような危機的な絶望的な状況が起こるのです。それでもなお、見えない神様を信頼することができるでしょうか。それが信仰であることを私たちは知らされます。否、それこそが信仰なのです。信仰によって、私たちはいかなる逆境の中でも立つ続けることができるのです。
6節でイザヤは「主なる神はこう言われる。あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない」と告げました。「恐れてはならない」、その根拠は、神様が、ことを成されるからだ、というのです。私たちは、主なる神様の力を頼みとする者たちです。私たちを取り囲む、厳しい、悪しき状況におののいてはなりません。神様を頼みとする、そのことに喜びすら感じる者が、キリスト者ではありませんか。
平良師