平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2017年9月3日 主が哀れに思われたから

2018-03-03 16:24:38 | 2017年
ヨシュアとその時代の長老たちの存命中は、イスラエルの民は神様に仕えましたが、ヨシュアが死に、その時代の長老たちも死に絶え、その世代のものたちもすべて死んで、別の世代の時代になると、イスラエルの人々は、神様の目に悪とされることを行いました。その具体的な内容は、バアルに仕え、自分たちをエジプトから導き出した神様を捨て、他の神々、周囲の神々に従い、これにひれ伏したのでした。その結果、神様は怒りに燃え「彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡され」ました。そして、イスラエルの民は、もはや、敵に立ち向かうことができなくなりました。「出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされ」苦境に立たされることになりました。しかし、それでも神様は、士師たちを立てて、彼らを略奪者の手から救い出されたのです。ところが、イスラエルの民は、その士師たちにも耳を傾けず、他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏しました。彼らは、先祖が神様の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、同じように歩もうとはしなかったのです。それでも、神様は、彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださいました。それは、圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、神様が哀れに思われたからでした。そして、その時代の士師が死ぬと、彼らは先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏すという行為を繰り返しました。そういうことで、神様は、イスラエルの周りの国々、諸民族を追い払うことをなさいませんでした。その理由として、「彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうか見るためである」と書かれています。神様は、ご自身を裏切る民に対して忍耐され、懲らしめと同時に、助け、見捨てることをなさいません。 . . . 本文を読む