ヨブ19章では、ヨブが、自分自身が重い皮膚病を患って以後、周りの人間関係などが、どのようになっていったか、また、友人たちとの論争を通して、どのような心境に至ったのか、そして、そのなかでどう信仰を保ち得ているのかが描かれています。まず、「親族もわたしを見捨て、友だちもわたしを忘れた。わたしの家に身を寄せている男や女すら、わたしをよそ者と見なし、敵視する。僕を呼んでも答えず、わたしが彼に憐みを乞わねばならない。息は妻に嫌われ、子供にも憎まれる。幼子もわたしを拒み、わたしが立ち上がると背を向ける。親友のすべてに忌み嫌われ、愛していた人々にも背かれてしまった」。そして、見舞い慰めに来たはずの3人の友人たちも、ヨブの自分は何も悪いことをしていないという態度に少々不満をおぼえたようで、仕舞いには、お前が罪を犯したからだと公然と言う始末です。「どこまであなたたちはわたしの魂を苦しめ、言葉をもってわたしを打ち砕くのか。侮辱はもうこれで十分だ。わたしを虐げて恥ずかしくないのか。わたしが過ちを犯したのが事実だとしても、その過ちはわたしの個人にとどまるのみだ。ところが、あなたたちは、わたしの受けている辱めを誇張して、論難しようとする」。それに加え、ヨブは、「神がわたしに非道なふるまいをし、わたしの周囲に砦をめぐらしていることを。だから、不法だと叫んでも答えはなく、救いを求めても、裁いてもらえないのだ。神はわたしの道をふさいで通せず、行く手に暗黒を置かれた。・・神はわたしに向かって怒りを燃やし、わたしを敵とされる」といった、認識に至りました。しかし、ここからが、ヨブが、真に信仰者たる所以です。「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る。ほかならぬこの目で見る」。 . . . 本文を読む