2018年は、マルコによる福音書から始まります。マルコがとらえているイエス様のお姿があります。それは、他の福音書記者であるマタイ、ルカ、ヨハネとは違います。少なくとも、マタイやルカと違い、イエス様のご降誕に際しての物語には、関心がないように見えます。マルコにとっての福音の中身は、イエス様の十字架と復活がその中心であることに変わりませんが、それだけに限定されません。ガリラヤでの生き生きとされた活動や語られた話の内容もまた、福音の中身だとも言えるでしょう。イエス様の公的な活動は、荒野から始まります。荒野で悔い改めのバプテスマ(洗礼)を授けていたヨハネから、イエス様ご自身がバプテスマを受けます。そのとき、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」との声がしたとあり、このときからイエス様は、完全なる神の子として、神様から全権を委託されて、神の福音を宣べ伝える働きをされていくのです。その冒頭で、イエス様は、これまた荒野でサタンの誘惑を受けます。そもそも荒野という場所は、神様の敵対する諸力の住む場所、人間の命を脅威にさらす混沌とした場所、と同時に、神様のおられる場所、そのようなところでした。また、40日という数自体も誘惑と試練に満ちたときを意味しています。マタイやルカと違い、そこでサタンに勝利したという記述はなく、野獣と一緒におられ、天使たちも仕えていたとあるだけです。つまり、マルコでは、この世にあって、イエス様は、神様に反する、あるいは、神様不在のこの荒野のような現実の世で、サタンと戦い続けていき、そしてまた、その戦いは常に勝利し続けるものであることを伝えているのです。イエス様は、ガリラヤに行かれ、そこで活動をされます。それは、神様の救いからほど遠いと思われていた人々へ「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と呼びかけるためでした。 . . . 本文を読む