私の住んでいる「高松市屋島」は、源平合戦の舞台として有名。
もっとも古戦場址は、屋島の東山麓がほとんどです。
私の自宅があるのは西山麓、元「塩田」だった埋立地です。
は、2万5千分の1地図から。
以前書いたとおり、屋島は狭い水路(汐入川・相引川)に隔てられた「島」で、
必ず「橋」を渡らないと来られません。
私自身、何本橋が架かっているか知らなかったので、調べてみようと思い立ちました。
ただバイクで走って数えるだけでは「能がない」、デジカメで写しながら…ということに。
今回はその一回目、順番は自宅に近い汐入川の河口から南へ…
①浜北橋
左側が屋島、右側が旧塩田の埋立地で、川はこのすぐ先で右(南)に曲がります。
橋の上から川口方向を。
橋のたもとには、波切不動の祠があります。
3/24付の写真は、左奥の茶色い建物のそばの遊歩道から。
②新浜五番橋
ずっと前には、左岸わきに小さな「児童公園」がありましたが、いつの間にか宅地になって
しまいました。
③浜北橋’
なぜか①と同名…?
私の自宅から一番近い橋で、配達で毎日通ります。
この橋と3つ先の橋がもっとも川幅が狭い(5mくらい)かな?
このあたり左岸の民家が、一昨年の台風の高潮で何軒も「床上浸水」の被害を受け、
建て替えられた家がかなりあります。
④?(手前、向こう側は⑤)
右岸のわずか数軒のためだけの橋、車は通れますが、もちろん「行き止まり」。
⑤浜北2号橋
この橋のすぐ向こう左岸に「塩釜神社」という神社があります。
祀られているのは、製塩技術を伝えられた神様だそうです。
…つづく
このページ「トップ」へ
「汐入川編(2)」へ
もっとも古戦場址は、屋島の東山麓がほとんどです。
私の自宅があるのは西山麓、元「塩田」だった埋立地です。
は、2万5千分の1地図から。
以前書いたとおり、屋島は狭い水路(汐入川・相引川)に隔てられた「島」で、
必ず「橋」を渡らないと来られません。
私自身、何本橋が架かっているか知らなかったので、調べてみようと思い立ちました。
ただバイクで走って数えるだけでは「能がない」、デジカメで写しながら…ということに。
今回はその一回目、順番は自宅に近い汐入川の河口から南へ…
①浜北橋
左側が屋島、右側が旧塩田の埋立地で、川はこのすぐ先で右(南)に曲がります。
橋の上から川口方向を。
橋のたもとには、波切不動の祠があります。
3/24付の写真は、左奥の茶色い建物のそばの遊歩道から。
②新浜五番橋
ずっと前には、左岸わきに小さな「児童公園」がありましたが、いつの間にか宅地になって
しまいました。
③浜北橋’
なぜか①と同名…?
私の自宅から一番近い橋で、配達で毎日通ります。
この橋と3つ先の橋がもっとも川幅が狭い(5mくらい)かな?
このあたり左岸の民家が、一昨年の台風の高潮で何軒も「床上浸水」の被害を受け、
建て替えられた家がかなりあります。
④?(手前、向こう側は⑤)
右岸のわずか数軒のためだけの橋、車は通れますが、もちろん「行き止まり」。
⑤浜北2号橋
この橋のすぐ向こう左岸に「塩釜神社」という神社があります。
祀られているのは、製塩技術を伝えられた神様だそうです。
…つづく
このページ「トップ」へ
「汐入川編(2)」へ