風が好きです。
気持ちよく、風が吹き抜けるところが。
できれば、その風は、森を渡ってきたものであってほしい。
森を渡ってきた風は、深くやわらかな香りがして、潤いに満ちていて、わたしの心を満たしてくれます。
先日、やっと時間ができて、わたしは森に行ってきました。
そこは、小高い丘になっていて、気持ちよく風が吹き抜けます。
ああ、うれしい。
なんて、うれしい。
言葉にならないような言葉を、繰り返していました。
帰り道、何気なく歩いていると、存在感のある一本の木。
親しみを感じ、近づいてみると、根元のところに「ボダイジュ」という小さな標識がありました。
ボダイジュ。
わたしの息子の誕生日の木です。
樹皮はごつごつと節くれ立っていますが、ビロードのように柔らかい。
見上げる葉っぱは黄色く色づき始めていました。
一緒にいた息子が、ボダイジュに、そうっと、触れてみました。
そして、「あっ!」と言いました。
「今、なにか、聴こえたよ。」
と言うのです。
それは、どんな風に?と尋ねると、
「ありがとう、って聴こえた。」
そう答えました。
とっても素敵ね・・・
そう言って、それ以外は何も言わないで、わたしたちはそこを去りました。
息子がボダイジュに会えたのも、触れたのも、今回が初めてでした。
何気ないことのようですが、わたしにとっては、胸がドキドキする、素晴らしい瞬間でした。
息子が体験したことは、不思議な体験や、神秘的な体験、というよりも、
いのちといのちが共鳴しあった、ごく自然な出来事、とわたしは感じます。
人にいのちがあり、想いがあるように、木にもいのちがあり、想いがあるでしょう。
ふと、隣にいる友だちの気持ちが伝わってくることがあるように、優しい気持ちでそばにいたら、木もまた、気持ちを伝えてくれるかもしれません。
ちいさな人たちは、大人たちよりも、遥かに敏感に、抵抗なく、そういうものを感じることができるように思います。
息子はまだまだ9才で、弱さや不得手はたくさんありますが、
その心や精神に、無垢で尊いものを見るたびに、まっすぐに憧れます。
ほんの少しだったけど、とっても豊かな時間でした。
ありがとう、森。
ありがとう、風。
ありがとう、ボダイジュ。