森を歩いていました。
所々に雲のある青空の下、木漏れ日がこぼれ落ちる森の小道を。
色とりどりの落葉が舞い降りて、カサリ。
森いっぱいの、秋の香り。
落葉を彩るように、可愛らしいドングリが、ここにも、そこにも。
ポトリ、ポトリ。
音楽のよう。
ちょっと太めのドングリ。
まんまるいドングリ。
細長いドングリ。
ちっちゃなちっちゃなドングリ。
ふと、わたしの足元に、ポトリ。
森が、かみさまが、与えてくれたかのようなタイミング。
嬉しくなって、拾い上げました。
それは、ちょっと小さめの、形のきれいなドングリ。
両手に包んでみました。
片手に握りしめてみました。
なんて嬉しいんでしょう。
なんてワクワクするんでしょう。
以前、知人から尋ねられたことがありました。
「ドングリ拾って、どうするの?」
わたしがあんまりドングリが好きで、たくさん拾ってしまう、という話をした時でした。
わたしは、不意に、言葉が見つかりませんでした。
「ドングリがある、というだけで、嬉しいの。」
そんな風にこたえたでしょうか。
でも、そのこたえが、今日、わかった気がしました。
落ちてくるドングリを拾い上げたその時に、わたしは、何やら原始的な幸せを感じたのです。
古代の人々にとって、ドングリは大切な食料でした。
秋を待って、大喜びで、甕いっぱいに拾い集めたことでしょう。
それは、子どもや女性たちの仕事だったでしょうね。
わたしには、その原始的な衝動や喜びが、残っているように思えたのです。
食料にするわけではないけど、
ああ、ドングリだわ、
こんなに、こんなに・・・。
と、ただただ、拾い上げ、しげしげと見つめることが、嬉しいのです。
幼に子どもたちと同じように。
帰り道、わたしのポケットには、いくつかのドングリが、コロコロ、コロコロ。
しばらく飾り、眺めたら、そっと森へ返しましょう。
ありがとう、と返しましょう。