幼なじみからいただいた サクランボ
ひょっこり小学校時代の友人が訪ねてきた。
車の窓から手をのばして、真っ赤なさくらんぼの箱入りをさしだしている。
「一人じゃ食べ切らんけん、あっちこっちに配っとるタイ」
「うわ~い、さくらんんぼ!きれいねぇ 家のさくらんぼ?」
「う~ん、ばあ~さんが太くなりすぎたけん、切らんねというので今は1本だけになったばってんね」
「ばあさん?って誰のことね?」
「うちのやつたい!」
「うちのやつって奥さんでしょ、亡くなられた奥さんのことでしょ?
ばあさんとは、かわいそうやんね。なら わたしもばあさんよ」
「わはは~ それは失礼しました! 俺もじいさんやったたいね」」
サクランボをダシにしていっとき会話が弾んだ。
「一人になったら、ほんなこて寂しかば~い。 旦那さんば大切にしとかんねよ」
「う~ん、わかっとるって!」
たわいない話がつづく
「俺、なぁ~んもすることなかけん、いまから温泉でもってくるたい、じゃまたねぇ」
気楽な小学校時代の同級生は、車でさ~っと帰って行った。
でも、ホントにさみしげだった。男やもめだもんね。
私の周辺にもやもめさん後家さんだらけです・・・
後家さんはまだ自分の身の回りの事は心配ないけれど
やもめさんは問題アリの人が多いですね^^;
連れあいさんを亡くしていつ達観できるようになるのでしょうか
もっぱらの私の関心事です・・・( ̄~ ̄;)
おたがいどちらが先か?わからぬままにいろいろ思うこと多くなっているこの頃です。
でも、男の人が残るのはかわいそうに思います。
昼間は何とか気がまぎれると言われます
夜がたまらなく寂しい 特に冬が駄目
夜が長いもんね
今は文句ばかり言っている私です
こんなお話しを聞くと「大事にしなくては」 思うだけですけどね
言っても改善されず、帰って気持ちの収まりがつきません。
なので、まだまだ達観は無理、、
里の母は後家でしたが、実家で母と叔母とが居りました。
その母親が亡くなったときより、その後、叔母が亡くなった時、
寂しく感じたといっていました。
数年間、夫を看護して見送ってから、見違えるように元気になって、若くなって
「後家友」同士でテニスや旅行にも溌剌たる女性をよく見かけますよ。
「夫の残してくれた年金で悠々自適」、これが妻の理想像??
どちらが先かわからんけど・・・
いつ、そうなってもいいように普段の躾が重要性ありと
おもいます。
やはり、まず食生活でしょうからねぇ。垢は食い殺さないともいいますし・・・