骨つきの鶏肉に塩麹で下味を漬けこんでおいた。
柔らかくなった鶏肉で、新じゃがと小粒だった玉ねぎを
いれて肉じゃがを作りました。
味付けは薄口しょうゆと味醂少々だけで
塩麹が生きています。
話はさかのぼりますが
今年の冬1月半ば、あの大雪の日。
http://blog.goo.ne.jp/himawari_008_may/e/6ad2547ffb512ca344e56950f88d37e4
断水騒動で大変だったあの日
小学校卒以来の交流が続いている友が倒れた。
脳梗塞だった。
さいわいに救急搬送で手当がはやくて、一命はとりとめたものの
やがて半年をむかえる頃になっても、まだ入院は続いている。
時々、ご主人に様子をきいているが、
「退院は予測がつかないです」と・・・心細いご主人の声だった。
「ほんの2~3分前に話したことをもう忘れていて・・・」と
ご主人の力ない声を聞いて、信じられん!と耳をうたがった。
つい先日のこと、思い切って友を見舞った。
我が家から車で25分ぐらいにあるM病院は、甘木山すそ野の静かなところにある。
甘木山から西側を眺めると、夕日に輝く有明海が
目下に見渡せるのだったが・・・・・・
いや、私が子供のころは、このあたりは海岸がすぐそばにあり
足元にひたひたと打ち寄せる波、貝殻をひろったり岩場を飛び回ったりで
夕方まで遊んだものであった。
遠浅の有明海が目の前にひろがっていた。
あらから数十年、いまは遥か遠くまで全てが埋め立てられて、海は遠くなった。
大きな道路や家並が続いている。
そんなことを懐かしく思い浮かべながら、入院病棟へ。
新しく増設された2階の一室に行きかけたとき
うん?「あ~ 芳江さん!」
ロビーにいた人影に声をかけてみた。
「あ~・・・ ・・・Kさん」 一瞬間をおいて、私を旧姓で呼んでくれた。
ちゃんと私の事がわかったらしい。 あ~来てよかった・・・
笑顔で「は~い、げんきやった?」とVサイン!
「な~に大丈夫!、ちゃんと私のことをKさんと呼んでくれたから
あら~、すこし痩せたかな? でもきっと大丈夫よ!!」と胸の奥で万歳!
現在は、歩行訓練と言語リハビリを受けていると聞いた。
記憶力がすこし落ちているものの、会話も普通にできるし
他に異常はみられないようだったのでホッ!とした。
週に一度の外泊許可もおりて、回復への道のりをゆっくりと歩きはじめた友。
「芳江さん、急がなくてもいいからね。長いあいだのミカン山耕作で
疲れがでたのよ。もうミカン山は無くなったし・・・
山から下りて、あたらしい住まいも出来たしね。これからはのんびり出来るよ。
すきな編み物や洋裁もいっぱいできるからね・・・」
にっこりしながら、頭をこくりして聞いている友が愛しかった。