印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

視点と感受性

2010-09-30 08:19:27 | 日記
視点:視線の注がれるところ。また、ものを見る立場。観点。(広辞苑)

 先導が何人かいて、動きがとれなくなる時がある。そういう時、動き始めなければ、時間が無くなる。たとえルートは違っていても、ゴールは同じで時間内につけばよい。、それまでを景色を、紅葉を、歩きを愉しむ。不協和音の優先順位もあるだろう。がほっておく。おれらは会のありかたを知っている。何回かのトラブルとその対応がどうなされたかを知っている。先頭をたって、創造的なことを駆使して、歩きだす。リーダーが追いついてくると、遅い人は、バスにのせられてしまうよ。何人かはこのことを身に沁みて、自明の理として知っている。市民マラソン大会と同じだ。時間は決まっているから。そこにこの会の視点がある。

 必ずAコースとBコースが用意してある。それは自分のハイキングレベルを考えて自分で決めて申請する。自己申請である。が暗示はある。状況判断して決める。以前足を骨折して、添え木をして、帰った時点で住居の近い病院へつれていった話を聞いた。後での通院は大変だから。それで山の中まで救急車を呼ばない。それに対応する処置の知識はリーダーにはある。エマージェンシー用薬はその小さなリュックに入っている。外科用薬もある。以前見せていただいたことがある。また去年は違うゴールへいってしまった人がいた。貰ったルートから外れて違うゴールへ行ってしまって、連絡が大変だった。筑波山は知っているといって、先頭をはやくも先にいって下山したようだった。その結果違う下山道をいったわけで、当然迷い人となったわけである。貸し切りバスを1時間かけて迎えにいき、遠回りとなってしまったことがある。まあそういうわけでオレは歩き出す。たまたま先頭になってしまったが。

 なぜなら、視点といった場合、その立場が固定的というか、その立場に立った以上そこを動けないというかそこにいる以上一定程度の責任を負わなければならないという感じがあるわけで、いちいち責任をとっていたら、疲れるし、嫌な気持ちになって、疲れる。既にもうその地図の指示してくる言葉にどっと疲れがでてきていた。反論の余地がないほど知ったかぶりに聴こえてきた。

 ポジティブに動けなくなる。始めの分かれ道でオレラ三人が歩き出した。道案内は頼むね!と、友人から頼まれていた。他の人は同調して後ろからついてくる。次の分かれ道に会う。決定権はオレで小滝をいく。すぐにステキな滝と橋と水に浸かって釣りをしている人がみれる。いい風景をもっと見れる。決めたらぶれない。絶対的信頼を得ていた。分かれ道でかならずオレニ聞く。どっちにする?即座に判断して、こっちといって、理由をつけたす。三度目の分かれ道になる。森の森林浴がいいよ。花の道はいつでもみられる。高峰高原なら2200mで高山植物もあるが、ここは森のふかふかの道がいいよ。海抜1480mだから。そう言ってふかふかの道hw行くことにした。感受性くらい自分で守る!

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