そのすぐちかくの元やっちゃば通りという所を歩いた
やっちゃばとは東京の青果市場の事であろうか。
そこには古い看板ばかりが並んでいた。
で今のやっちゃ場はどこにあるのだろうか。
どうも台東区
のほうにあるようだけれど
次の課題としておこう
東京には平安の昔から、村々の人々の暮らしがあり、地場産の青果がいろいろあったようだ。
徳川家康が江戸に遷都してからの世界しかイメージがわかないのですが、その前の時代がきになります。
そのすぐちかくの元やっちゃば通りという所を歩いた
やっちゃばとは東京の青果市場の事であろうか。
そこには古い看板ばかりが並んでいた。
で今のやっちゃ場はどこにあるのだろうか。
どうも台東区
のほうにあるようだけれど
次の課題としておこう
東京には平安の昔から、村々の人々の暮らしがあり、地場産の青果がいろいろあったようだ。
徳川家康が江戸に遷都してからの世界しかイメージがわかないのですが、その前の時代がきになります。
昨日午前中先住をさんぽ
先住は依然浦和パルコのとんかつ屋さんで働いていた時、けいれつのお店の材料が不足して、料理長に言われて、とんかつ80gを何枚かを届けに行ったことがある。
その時、新越谷経由でまだスカイツリー線という前の、東武線で行った
そんな経路で、北先住より常磐線に乗り換えて、南先住でおりる。ここに「こづかっぱら」の延命寺があり。隣に回向院がある。俳句の友人が、蝉の抜け殻、空蝉がここの墓に切なくついての空気感を痛々しく詠んでいたのを思い出す。
その空気感をと思っていた。
今朝朝9時30分に荒川ふるさと文化館のかたより電話で解答ありました
読み方→「おおね」詳しくは「おほね」と書く「文語体では俳句でも、そうかきます」
時代:古代からあった野菜でとくに平安時代
江戸時代になって 大きな根ということで、「大根」と呼ばれるようになった。
つい2日ほど前、小松菜が徳川吉宗が小松に行かれた際にでた野菜のおひたしに、たいへん美味しくて地場産のただの菜っ葉を「小松菜」と命名した話を聞いて、それはチンゲンサイの仲間だということでしたけど。
そのことを 知人に言うと 江東区の小松 というところに営業の担当区で行って、地場のかたとそういう話をしたことを
この地区は少し歩くと、見返り柳 もあり、吉原の木曜時代劇も先日のNHKで今週始まったばかりで、とても興味を持って接していました。
こづかっぱら(小塚原)の処刑場のことについても2月ごろ 落語の講演で詳しく、浦和のかたから聞いたばかりで
あるくと何かにぶつかって楽しい限りです。