印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

おそかりし由良の助

2010-12-07 07:17:08 | 日記
三、四年前、両国の吉良の屋敷から泉岳寺まで、討ち入り後に四十七士が歩いた道を歩いたことがある。昨日は永田町の国立劇場に歌舞伎を見にいった。出し物は『仮名手本忠臣蔵』=三・四・道行・七・十一段目=の五幕であった。その四段目が『通さんぼ』となる。緊迫した芝居で客がトイレにいくのを男士さんたちが通さないといったことからこの名がついたという。

塩冶判官(エンヤハンカン)(染め五郎)が舞台の上で黒長羽織の姿から、無紋の白の裃をつけた、白装束の姿となる。畳二枚は裏返しにされ、白い布がかぶせさられる。四隅に樒が立てられ、塩冶が切腹の芝居をゆっくりと始める。今か今かと大星由良之助(幸四郎)が来るのを待ちながら。塩で清めて、「もっとい(元結)」を鋏で切られる。三宝にのせられた『9寸5分』をとり、白紙でその切っ先を5分だして、巻く。そして三宝を体の後ろに回す。そして、切腹の姿勢となる。切腹にも作法があり、この時代のころには、出来上がっていたようだ。まだ由良之助はこない。腹をひとかきしたときに~

由良之助がくる 「待ちかねたわね~」 「いつか存念を晴らしておくれ」とまだのこっている無念をこめて、思いを託す塩冶。
「い~さあ~い(委細)」由良之助がゆっくりと噛みしめて約束するように応える。
そして切っ先を喉笛へとあてて、かき切り落ちいります。

おそかりし由良の助という言葉がすぐに思い出された。ここからでたのであろう。この場面をじっくりみたことで、今日は存分に心行くまで愉しめた。それから表参道のイルミネーションをみながら、クールダウンしながら原宿方面へと歩いていた。あたりはすっかり夕闇につつまれて、頬にあたる風は師走の冷たさであった。