※カフカ(1883-1924)「夜に」(1920)『カフカ短編集』岩波文庫(池内紀編訳)
(1)精神or魂が「夜」に満たされている(「沈んでいる」)!
「夜に沈んでいる。」「首うなだれ思いに沈むように。」まさにそのように「夜に沈んでいる。」
《感想1》精神or魂の事態についてカフカは語る。精神or魂が「夜に沈んでいる。」この事態は《身体》の事態ではない。
《感想1-2》精神or魂の「夜」、精神or魂が「夜」に満たされている(「沈んでいる」)。
2)精神or魂に「安全」などない!
「安全なベッドの中」にいるとしても、それは「たわいのない見せかけ」、「無邪気な自己欺瞞」だ。
《感想2》精神or魂の「安全」などないのだとカフカは言う。
《感想2-2》「見せかけ」とは《真》でないこと。「自己欺瞞」とは《真》の自己に目を向けないこと。
《感想2-3》では《真》はいかなる事態か?精神or魂の《真》の姿についてカフカは、以下で述べる。
(3)精神or魂の《真》の姿①:精神or魂は、荒涼とした野にあって、軍団(同族)のメンバーだ!
「実際」は、「はるか昔」も「その後」も「荒涼とした野」にいる。「粗末なテント」にいる。そして「みわたすかぎり人また人、軍団であり、同族である。」
《感想3》精神or魂は、同族の軍団として他の人々(他の多数の精神or魂)とともにいる。そこは「荒涼とした野」であり、「粗末なテント」にいる。
《感想3-2》》精神or魂は戦士だ。しかも同族の共同体の戦士だ。
(4)精神or魂の《真》の姿②:精神or魂の置かれる状況は繰り返す(同型性)!
「荒涼とした野」、そこは「かつていた所」だ。
《感想4》カフカは、精神or魂の繰り返しを信じる。精神or魂が今いる所は、いつも「かつていた所」だ。精神or魂の置かれる状況は、いつも同型的だ。
《感想4-2》ニーチェの「永劫回帰」は、生(精神or魂)の一回性の肯定。一回性は、繰り返しを超えた永遠(永劫回帰)だ。カフカは精神or魂の置かれる状況の繰り返し(同型性)に注目する。
(5)精神or魂の《真》の姿③:精神or魂は、「すやすやと眠っている」!
「荒涼とした野」の「粗末なテント」にいる精神or魂は、しかし「すやすやと眠っている」。
《感想5》カフカの精神or魂は「夜に沈んでいる」が、孤独でない。それは、「みわたすかぎり人また人、軍団であり、同族である」という状況の内に住む。かくて精神or魂は「すやすやと眠っている」ことができる。
(6)精神or魂の《真》の姿④:誰かが目覚めていなくてはならない!誰かがここにいなくてはならない!
「だがお前は目覚めている。」「おまえは見張りの一人。」そして「次の見張りを探している。」「誰かが目覚めていなくてはならない。」「誰かがここにいなくてはならない。」
《感想6》カフカの精神or魂は「首うなだれ思いに沈むように」、まさにそのように「夜に沈んでいる。」しかしそれは軍団の戦士であり、孤独でなく「すやすやと眠っている」こともできる。だが必ず「誰かが目覚めていなくてはならない」、《敵》の襲来に対する「見張り」が必要だ。
《感想6-2》カフカの精神or魂の《敵》は誰か。カフカはユダヤ人だから、ユダヤ人へのポグロム(集団的・計画的虐殺)を恐れていたろう。この小説が発表された13年後、1933年、ヒトラー政権がドイツで成立する。(カフカは1924年死去。)
(1)精神or魂が「夜」に満たされている(「沈んでいる」)!
「夜に沈んでいる。」「首うなだれ思いに沈むように。」まさにそのように「夜に沈んでいる。」
《感想1》精神or魂の事態についてカフカは語る。精神or魂が「夜に沈んでいる。」この事態は《身体》の事態ではない。
《感想1-2》精神or魂の「夜」、精神or魂が「夜」に満たされている(「沈んでいる」)。
2)精神or魂に「安全」などない!
「安全なベッドの中」にいるとしても、それは「たわいのない見せかけ」、「無邪気な自己欺瞞」だ。
《感想2》精神or魂の「安全」などないのだとカフカは言う。
《感想2-2》「見せかけ」とは《真》でないこと。「自己欺瞞」とは《真》の自己に目を向けないこと。
《感想2-3》では《真》はいかなる事態か?精神or魂の《真》の姿についてカフカは、以下で述べる。
(3)精神or魂の《真》の姿①:精神or魂は、荒涼とした野にあって、軍団(同族)のメンバーだ!
「実際」は、「はるか昔」も「その後」も「荒涼とした野」にいる。「粗末なテント」にいる。そして「みわたすかぎり人また人、軍団であり、同族である。」
《感想3》精神or魂は、同族の軍団として他の人々(他の多数の精神or魂)とともにいる。そこは「荒涼とした野」であり、「粗末なテント」にいる。
《感想3-2》》精神or魂は戦士だ。しかも同族の共同体の戦士だ。
(4)精神or魂の《真》の姿②:精神or魂の置かれる状況は繰り返す(同型性)!
「荒涼とした野」、そこは「かつていた所」だ。
《感想4》カフカは、精神or魂の繰り返しを信じる。精神or魂が今いる所は、いつも「かつていた所」だ。精神or魂の置かれる状況は、いつも同型的だ。
《感想4-2》ニーチェの「永劫回帰」は、生(精神or魂)の一回性の肯定。一回性は、繰り返しを超えた永遠(永劫回帰)だ。カフカは精神or魂の置かれる状況の繰り返し(同型性)に注目する。
(5)精神or魂の《真》の姿③:精神or魂は、「すやすやと眠っている」!
「荒涼とした野」の「粗末なテント」にいる精神or魂は、しかし「すやすやと眠っている」。
《感想5》カフカの精神or魂は「夜に沈んでいる」が、孤独でない。それは、「みわたすかぎり人また人、軍団であり、同族である」という状況の内に住む。かくて精神or魂は「すやすやと眠っている」ことができる。
(6)精神or魂の《真》の姿④:誰かが目覚めていなくてはならない!誰かがここにいなくてはならない!
「だがお前は目覚めている。」「おまえは見張りの一人。」そして「次の見張りを探している。」「誰かが目覚めていなくてはならない。」「誰かがここにいなくてはならない。」
《感想6》カフカの精神or魂は「首うなだれ思いに沈むように」、まさにそのように「夜に沈んでいる。」しかしそれは軍団の戦士であり、孤独でなく「すやすやと眠っている」こともできる。だが必ず「誰かが目覚めていなくてはならない」、《敵》の襲来に対する「見張り」が必要だ。
《感想6-2》カフカの精神or魂の《敵》は誰か。カフカはユダヤ人だから、ユダヤ人へのポグロム(集団的・計画的虐殺)を恐れていたろう。この小説が発表された13年後、1933年、ヒトラー政権がドイツで成立する。(カフカは1924年死去。)