※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)
(71)百田氏の誤り①:ミッドウェー海戦の敗因を、百田氏は実証困難な「言霊主義」で説明し、「実証」的な諸「要因」を挙げて説明していない! (279-283頁)
L 百田尚樹『日本国紀』は「1942年6月聯合艦隊はミッドウェー海戦で主力空母を4隻失うという大敗を喫する。・・・・私はここに『言霊(コトダマ)主義』の悪しき面を見る。「悪い結果は口にしないし、想定もしない」で「いいことだけを言う」というものだ。この後も、日本軍は『言霊主義』に囚われ、太平洋の各戦場でひとりよがりの作戦を立てて敗北を重ねていく」(百田393頁)と述べる。
L-2 百田氏の誤り①:ミッドウェー海戦の敗因を、百田氏は実証困難な「言霊主義」で説明し、「実証」的な諸「要因」を挙げて説明していない。敗因としては(ア)「索敵の失敗」、(イ)「暗号の解読」、(ウ)「米軍のレーダー使用」、(エ)「司令官の判断ミス」があげられる。(浮世280頁)
(71)-2 百田氏の誤り②:ミッドウェー海戦の「図上演習」のエピソードが不正確で誤りだ!「ミッドウェー海戦」の図上演習と「真珠湾攻撃」の図上演習が混同・誤認されている!
L-3 「言霊主義」の例として、百田氏は「ミッドウェー海戦」前の図上演習の エピソードをあげる。「日本の空母に爆弾が命中して沈没するという事態になった時、参謀の一人が『今のはやり直し』ということで、被害ゼロのシミュレーションにして図上演習を続けている。」(百田393頁)
L-3-2 百田氏の誤り②:参謀はおそらく宇垣纏(マトメ)だが、この「図上演習」のエピソードは不正確で誤りだ。(a)「空母の沈没」は「ミッドウェー海戦」の図上演習でなく「真珠湾攻撃」の図上演習のものだ。百田氏は取り違えている。また(b) 「真珠湾攻撃」の図上演習の時、「空母の沈没」は図上演習の「判定」であって、宇垣は「判定」を「取り消した」。だが図上演習の「やり直し」や「演習を続け」させてはいない。(浮世280-281頁)
(71)-3 百田氏の誤り③:「ミッドウェー海戦」をめぐる「鎧袖(ガイシュウ)一触(イッショク)」の「逸話」は「言霊主義」の例にならない!
L-4 さらに「言霊主義」の例として、百田氏は「ミッドウェー海戦」をめぐる「鎧袖(ガイシュウ)一触(イッショク)」(相手に対して刀を抜くまでもなく、鎧の袖を当てただけで倒してしまう)の「逸話」も挙げている。「『もし敵空母がやってきたら』と問われた航空参謀は『鎧袖(ガイシュウ)一触』ですとこともなげに答えている。」(百田393頁)
L-4-2 百田氏の誤り③:これは山本五十六と源田実(ミノル)の「逸話」(1942/5/25)と思われるが、(ア)そもそも「実話かどうか不明」なのに百田氏が「実話」(事実)として紹介している点が誤り。
L-4-3 さらに(イ)この「逸話」には続きがあり「言霊主義」(「悪い結果は口にしないし、想定もしない」)の例にならない。「言霊主義」の例として百田氏が紹介するのは誤りだ。
L-4-3-2 宇垣参謀長が「ミッドウェー基地に空襲をかけている時、敵基地空軍が不意に襲ってくるかもしれない。その時の対策は?」と問う。航空参謀源田実は「わが戦闘機をもってすれば鎧袖一触である」と答えた。これに対し、山本五十六が「鎧袖一触などという言葉は不用心きわまる。・・・・だから攻撃機の半分に魚雷をつけて待機さすように」と批判している。(『太平洋戦争海戦全史』新人物往来社)
L-4-4 ただし(ウ) この「逸話」では源田実が過度に無能に描かれ過ぎだ。宇垣が「ミッドウェー海戦」について「敵に先制攻撃を受けたる場合、あるいは陸上攻撃の際、敵海上部隊より側面をたたかれる場合如何にする」と質問した時、源田は「航続距離を伸ばした偵察機を用意し、これと零式水上偵察機を使って側面哨戒させる」と的確な対策を披露している。(『戦史叢書43 ミッドウェー海戦』)つまり「『もし敵空母がやってきたら』と問われた航空参謀(※源田)は『鎧袖(ガイシュウ)一触』ですとこともなげに答えている」との百田の記述(※航空参謀源田実は無能)が事実かどうか問題だ。
(71)百田氏の誤り①:ミッドウェー海戦の敗因を、百田氏は実証困難な「言霊主義」で説明し、「実証」的な諸「要因」を挙げて説明していない! (279-283頁)
L 百田尚樹『日本国紀』は「1942年6月聯合艦隊はミッドウェー海戦で主力空母を4隻失うという大敗を喫する。・・・・私はここに『言霊(コトダマ)主義』の悪しき面を見る。「悪い結果は口にしないし、想定もしない」で「いいことだけを言う」というものだ。この後も、日本軍は『言霊主義』に囚われ、太平洋の各戦場でひとりよがりの作戦を立てて敗北を重ねていく」(百田393頁)と述べる。
L-2 百田氏の誤り①:ミッドウェー海戦の敗因を、百田氏は実証困難な「言霊主義」で説明し、「実証」的な諸「要因」を挙げて説明していない。敗因としては(ア)「索敵の失敗」、(イ)「暗号の解読」、(ウ)「米軍のレーダー使用」、(エ)「司令官の判断ミス」があげられる。(浮世280頁)
(71)-2 百田氏の誤り②:ミッドウェー海戦の「図上演習」のエピソードが不正確で誤りだ!「ミッドウェー海戦」の図上演習と「真珠湾攻撃」の図上演習が混同・誤認されている!
L-3 「言霊主義」の例として、百田氏は「ミッドウェー海戦」前の図上演習の エピソードをあげる。「日本の空母に爆弾が命中して沈没するという事態になった時、参謀の一人が『今のはやり直し』ということで、被害ゼロのシミュレーションにして図上演習を続けている。」(百田393頁)
L-3-2 百田氏の誤り②:参謀はおそらく宇垣纏(マトメ)だが、この「図上演習」のエピソードは不正確で誤りだ。(a)「空母の沈没」は「ミッドウェー海戦」の図上演習でなく「真珠湾攻撃」の図上演習のものだ。百田氏は取り違えている。また(b) 「真珠湾攻撃」の図上演習の時、「空母の沈没」は図上演習の「判定」であって、宇垣は「判定」を「取り消した」。だが図上演習の「やり直し」や「演習を続け」させてはいない。(浮世280-281頁)
(71)-3 百田氏の誤り③:「ミッドウェー海戦」をめぐる「鎧袖(ガイシュウ)一触(イッショク)」の「逸話」は「言霊主義」の例にならない!
L-4 さらに「言霊主義」の例として、百田氏は「ミッドウェー海戦」をめぐる「鎧袖(ガイシュウ)一触(イッショク)」(相手に対して刀を抜くまでもなく、鎧の袖を当てただけで倒してしまう)の「逸話」も挙げている。「『もし敵空母がやってきたら』と問われた航空参謀は『鎧袖(ガイシュウ)一触』ですとこともなげに答えている。」(百田393頁)
L-4-2 百田氏の誤り③:これは山本五十六と源田実(ミノル)の「逸話」(1942/5/25)と思われるが、(ア)そもそも「実話かどうか不明」なのに百田氏が「実話」(事実)として紹介している点が誤り。
L-4-3 さらに(イ)この「逸話」には続きがあり「言霊主義」(「悪い結果は口にしないし、想定もしない」)の例にならない。「言霊主義」の例として百田氏が紹介するのは誤りだ。
L-4-3-2 宇垣参謀長が「ミッドウェー基地に空襲をかけている時、敵基地空軍が不意に襲ってくるかもしれない。その時の対策は?」と問う。航空参謀源田実は「わが戦闘機をもってすれば鎧袖一触である」と答えた。これに対し、山本五十六が「鎧袖一触などという言葉は不用心きわまる。・・・・だから攻撃機の半分に魚雷をつけて待機さすように」と批判している。(『太平洋戦争海戦全史』新人物往来社)
L-4-4 ただし(ウ) この「逸話」では源田実が過度に無能に描かれ過ぎだ。宇垣が「ミッドウェー海戦」について「敵に先制攻撃を受けたる場合、あるいは陸上攻撃の際、敵海上部隊より側面をたたかれる場合如何にする」と質問した時、源田は「航続距離を伸ばした偵察機を用意し、これと零式水上偵察機を使って側面哨戒させる」と的確な対策を披露している。(『戦史叢書43 ミッドウェー海戦』)つまり「『もし敵空母がやってきたら』と問われた航空参謀(※源田)は『鎧袖(ガイシュウ)一触』ですとこともなげに答えている」との百田の記述(※航空参謀源田実は無能)が事実かどうか問題だ。