A 「死について」の説法で、寂聴氏が紹介した「自分の死期を予感した釈尊(お釈迦様)」の言葉が印象的だ。
A-2 釈尊が弟子のアーナンダに向かってしみじみと言う。「アーナンダよ、私はもう老いさらばえて、年をとり、老衰し、人生の旅路も終わりに来て、八十になってしまった。車でいえばまるでポンコツだ。ようやっと革紐にささえられて、私のがたがたの車は保っているのだよ。」
B その釈尊がその後ですぐ、「この世は美しい。人間のいのちは甘美なものだ」と言った。
《感想1》仏としてのお釈迦様でなく、説法の旅で体が疲れる老人としてのお釈迦様の気持ちが、率直に表されている。
《感想2》そして、この世についてのお釈迦様の感想は驚くべきものだ。それは人生の無条件の賛歌だ。《無常》を説いたお釈迦様でなく、心持ちにおいて《幸福》な人生を送ったお釈迦様が、ここにいる。
《感想3》心が通い合ったときの喜び。美しい自然への感嘆。小さな子供の可愛さ。愛する者同士が示す幸せの表情。また美味しいものを食べた時の喜び。これらを思えば、「この世は美しい。人間のいのちは甘美なものだ」と言える。人生には、多くの喜びもある。(ただし、欲張ってはいけない!)
A-2 釈尊が弟子のアーナンダに向かってしみじみと言う。「アーナンダよ、私はもう老いさらばえて、年をとり、老衰し、人生の旅路も終わりに来て、八十になってしまった。車でいえばまるでポンコツだ。ようやっと革紐にささえられて、私のがたがたの車は保っているのだよ。」
B その釈尊がその後ですぐ、「この世は美しい。人間のいのちは甘美なものだ」と言った。
《感想1》仏としてのお釈迦様でなく、説法の旅で体が疲れる老人としてのお釈迦様の気持ちが、率直に表されている。
《感想2》そして、この世についてのお釈迦様の感想は驚くべきものだ。それは人生の無条件の賛歌だ。《無常》を説いたお釈迦様でなく、心持ちにおいて《幸福》な人生を送ったお釈迦様が、ここにいる。
《感想3》心が通い合ったときの喜び。美しい自然への感嘆。小さな子供の可愛さ。愛する者同士が示す幸せの表情。また美味しいものを食べた時の喜び。これらを思えば、「この世は美しい。人間のいのちは甘美なものだ」と言える。人生には、多くの喜びもある。(ただし、欲張ってはいけない!)