瀬戸内寂聴『寂庵説法』の13の説法のうち、興味深かった説法「むなしさについて」をまとめた。
A 「人生なんてどうせ、生れて死ぬだけじゃないか、努力して何かになったところでしれてる。ああつまんない。」こういう「投げやりな虚無的な考え方」が若い人に時々ある。これは「しらける」と呼ばれる。
《感想1》まさしく、これが今の老年の君だ。君は若くなく「虚無的」だ。だが、もちろん真面目に生きている。日常生活は普通に滞りなく処理するし、他者とも何とか付き合う。だが、君は「どうせ、生れて死ぬだけじゃないか」と秘かに思う。
《感想2》ところで、この『説法』が書かれたのは1985年で、まだ非正規雇用が広がっていないし、正規雇用者の終身雇用制度も壊れていない。今(2018年)は、非正規雇用が広がり、終身雇用制度も壊れた。かくて若い人はしばしば「しらける」余裕がない。ともかく食べていかねばならない。若い人に、厳しい時代になった。将来の人生設計・見通しが大変だ。非正規雇用では「努力して何かになる」のが、まず大変だ。今は、「搾取」の時代だ。
B 若い人たちが、何かあるとお決まりのように、「自分は生れたくて生まれたんじゃない、両親が勝手に好きなことして生まれたんだから、責任とってくれよ。」と言う。これに対し、今東光師(寂聴氏の師)なら、「じゃ手めえたち、すぐ、死んじまえ。」「生きてることを有り難がらないでべんべんと生きてる野郎は、ゴクつぶしというんだ。もったいないから死んでしまえ。」と怒鳴るだろう。そう寂聴氏が言う。
《感想1》今東光師の言葉は、至極もっともだ。生きたくないなら「すぐ、死んじまえ」ばいい。これが、甘えた若者の言葉なら、その通りだ。
《関雄2》だが自殺する若者が多い。2017年、15~39歳の各年代の死因の第1位は「自殺」。特に高いは20~24歳が48.1%、25~29歳が47.0%でほぼ5割だ。15~34歳で死因の第1位が自殺となっているのは主要7先進国では日本のみだ。
《感想3》もちろん《死ぬのが怖い》ので、あるいは《生きたい》ので、自分から死なない人が多い。
C 寂聴氏が言う。「私は自分の才能の可能性を試したいばっかりに、家庭を破壊し、子供を捨て、自分の欲望に生き」た。そしてついに私は、めざす「小説家」になった。ほしいものがすべて手に入り、私は「むなしさになげこまれている自分を発見した」。
C-2 名声とか、お金とか、地位とか、「人間の欲望は果てしもなく、それを満たすためには手段を選ばない。」
C-3 私は欲望の「鬼」だった。あるいは「餓鬼」だった。また全力を傾けたつもりだった仕事も、満足できなかった。マンネリズムで、このまま書き続けてもしょうがない。私は「虚無の淵」を見た。(この時、寂聴氏は51歳。)
《感想》寂聴氏と異なり、他方、残念ながら君の場合は、「ほしいものがすべて手に入る」など全くなかった。今や君は、欲望の鬼であり続ける元気もなくなり、諦め絶望して、「虚無の淵」を見る。
D 「むなしさ」に陥った寂聴氏は、本気で自殺を考えた。だが「ある日突然、死ぬ気なら何だって出来るという心の底の誰かの声を聞」く。そして幾日かが過ぎた時、不意に「出家という道がある」と「何か」が囁く。
D-2 この「誰か」あるいは「何か」とは、「超越者」の声、つまり「仏」の声だった。
D-2 寂聴氏は、今東光師に出家を許され、中尊寺で得度の式をあげた。「私は、中尊寺の仏の前で、それまで51年生きてきた瀬戸内晴美という女を殺し、寂聴という尼僧として、この世にもう一度再生したのでした。」
《感想1》寂聴氏の次の言葉が印象的だ。「死ぬまで私には悟りなど得られないことでしょう。それでいいのです。私はもう、すべてを仏の御心のままにゆだねきっているので、実に楽で平安な気持ちでいます。有り難いことだと感謝せずにはいられません。」
《感想2》彼女のこの平安さは、小説家として「自分の生活くらいまかなえるだろう」との経済的保障への確信が秘かな前提だ。
《感想3》経済的にひどく難渋していれば、もしかしたら君は「仏」を恨むかもしれない。
A 「人生なんてどうせ、生れて死ぬだけじゃないか、努力して何かになったところでしれてる。ああつまんない。」こういう「投げやりな虚無的な考え方」が若い人に時々ある。これは「しらける」と呼ばれる。
《感想1》まさしく、これが今の老年の君だ。君は若くなく「虚無的」だ。だが、もちろん真面目に生きている。日常生活は普通に滞りなく処理するし、他者とも何とか付き合う。だが、君は「どうせ、生れて死ぬだけじゃないか」と秘かに思う。
《感想2》ところで、この『説法』が書かれたのは1985年で、まだ非正規雇用が広がっていないし、正規雇用者の終身雇用制度も壊れていない。今(2018年)は、非正規雇用が広がり、終身雇用制度も壊れた。かくて若い人はしばしば「しらける」余裕がない。ともかく食べていかねばならない。若い人に、厳しい時代になった。将来の人生設計・見通しが大変だ。非正規雇用では「努力して何かになる」のが、まず大変だ。今は、「搾取」の時代だ。
B 若い人たちが、何かあるとお決まりのように、「自分は生れたくて生まれたんじゃない、両親が勝手に好きなことして生まれたんだから、責任とってくれよ。」と言う。これに対し、今東光師(寂聴氏の師)なら、「じゃ手めえたち、すぐ、死んじまえ。」「生きてることを有り難がらないでべんべんと生きてる野郎は、ゴクつぶしというんだ。もったいないから死んでしまえ。」と怒鳴るだろう。そう寂聴氏が言う。
《感想1》今東光師の言葉は、至極もっともだ。生きたくないなら「すぐ、死んじまえ」ばいい。これが、甘えた若者の言葉なら、その通りだ。
《関雄2》だが自殺する若者が多い。2017年、15~39歳の各年代の死因の第1位は「自殺」。特に高いは20~24歳が48.1%、25~29歳が47.0%でほぼ5割だ。15~34歳で死因の第1位が自殺となっているのは主要7先進国では日本のみだ。
《感想3》もちろん《死ぬのが怖い》ので、あるいは《生きたい》ので、自分から死なない人が多い。
C 寂聴氏が言う。「私は自分の才能の可能性を試したいばっかりに、家庭を破壊し、子供を捨て、自分の欲望に生き」た。そしてついに私は、めざす「小説家」になった。ほしいものがすべて手に入り、私は「むなしさになげこまれている自分を発見した」。
C-2 名声とか、お金とか、地位とか、「人間の欲望は果てしもなく、それを満たすためには手段を選ばない。」
C-3 私は欲望の「鬼」だった。あるいは「餓鬼」だった。また全力を傾けたつもりだった仕事も、満足できなかった。マンネリズムで、このまま書き続けてもしょうがない。私は「虚無の淵」を見た。(この時、寂聴氏は51歳。)
《感想》寂聴氏と異なり、他方、残念ながら君の場合は、「ほしいものがすべて手に入る」など全くなかった。今や君は、欲望の鬼であり続ける元気もなくなり、諦め絶望して、「虚無の淵」を見る。
D 「むなしさ」に陥った寂聴氏は、本気で自殺を考えた。だが「ある日突然、死ぬ気なら何だって出来るという心の底の誰かの声を聞」く。そして幾日かが過ぎた時、不意に「出家という道がある」と「何か」が囁く。
D-2 この「誰か」あるいは「何か」とは、「超越者」の声、つまり「仏」の声だった。
D-2 寂聴氏は、今東光師に出家を許され、中尊寺で得度の式をあげた。「私は、中尊寺の仏の前で、それまで51年生きてきた瀬戸内晴美という女を殺し、寂聴という尼僧として、この世にもう一度再生したのでした。」
《感想1》寂聴氏の次の言葉が印象的だ。「死ぬまで私には悟りなど得られないことでしょう。それでいいのです。私はもう、すべてを仏の御心のままにゆだねきっているので、実に楽で平安な気持ちでいます。有り難いことだと感謝せずにはいられません。」
《感想2》彼女のこの平安さは、小説家として「自分の生活くらいまかなえるだろう」との経済的保障への確信が秘かな前提だ。
《感想3》経済的にひどく難渋していれば、もしかしたら君は「仏」を恨むかもしれない。