宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

坂口安吾(1906-1955)『風博士』(1931、25歳):風博士は自殺した!遺書が発見されたが、風博士自体は杳(ヨウ)として紛失した!諸君、偉大なる博士は「風」となったのである!

2022-12-07 13:22:52 | Weblog
(1)風博士は蛸博士を憎んでいた!
風博士は自殺した。遺書が発見されたが、風博士自体は杳(ヨウ)として紛失した。風博士は蛸(タコ)博士を憎んでいた。僕は偉大なる風博士の愛弟子(マナデシ)であった。警察は「風博士が僕と共謀の上、遺書を捏造して自殺を装い、かくてかの憎むべき蛸博士の名誉棄損をたくらんだに相違あるまい」と睨んだ。

(2)風博士の遺書(その1)!
蛸博士は禿頭(ハゲアタマ)で、鬘(カツラ)を以て之の隠蔽をなしおる。彼の禿頭は蛸のような無毛赤色の突起体だ。彼は余の憎むべき論敵である。南欧の小部落バスクは、蒙古の成吉思汗(ジンギスカン)となって欧州侵略をした源義経の隠棲(インセイ)の地だ。ところが無礼なる蛸博士は、欧州侵略は成吉思汗の後継者太宗の事績で、それは成吉思汗の死後十年の後に当ると主張する。
(2)-2  風博士の遺書(その2):蛸博士の悪徳!
①蛸博士は余(風博士)の戸口にBananaの皮を撒布し余の殺害を企てた。余は蛸博士を告訴したが世人は挙げて余を罵倒した。②蛸博士は余の妻を寝取った。余の妻はバスク生まれの女性であった。彼女は余の研究を助けた。蛸博士はこの点に深く目をつけ、彼女を籠絡(ロウラク)した。
(2)-3  風博士の遺書(その3):蛸博士は秘かに別の鬘(カツラ)を貯蔵していた!
打倒蛸!蛸博士を葬れ!余(風博士)は夜陰に乗じて彼の邸宅に忍び入った。余はかの憎むべき鬘を余の掌中に収めた。明日の夜明けを期して、蛸博士は鬘のない無毛赤色の怪物を曝露するに至るであろう!しかるに余は敗北した。彼は秘かに別の鬘を貯蔵していた。余は負けた!刀折れ矢尽きた!諸君よ、誰人(タレビト)かよく蛸を懲(コラ)す勇士はなきや。ああ止むを得ん次第である。しからば余の方より消え去ることにきめた。

(3)風博士の自殺の方法(その1):僕は偉大なる風博士の臨終の唯一の目撃者だった!
風博士はかくて自殺した。偉大なる風博士は死んだ。極めて不可解な方法によって、そして死体を残さない方法によって、それは行われた。風博士は僕の恩師であり、僕は偉大なる風博士の臨終の唯一の目撃者だった。
(3)-2 風博士の自殺の方法(その2):風博士は甚だ周章て者(アワテモノ)であった!
☆風博士は①部屋の西南端に腰かけて一冊の書に読み耽っているとして、《次の瞬間》に東北端の肘掛け椅子で頁を繰っている。②水を飲む場合に、《突如》コップを呑み込んでいる。かくも風博士は甚だ周章て者(アワテモノ)であった。
☆このようなあわただしい風潮がこの部屋にある全ての「物質」を感化した。(a)時計はいそがしく13時を打つ。(b)来客が遠慮してもじもじし腰を下そうとしないと椅子は劇(ハゲ)しい癇癪を鳴らした。(c)物体の描く陰影が突如太陽に向かって走り出す。
☆全てこれらの「狼狽」は極めて直線的な突風を描いて交錯するため、部屋の中には何本もの飛ぶ矢に似た「真空」が閃光を散らして騒いでいる習慣であった。
☆時には部屋の中央に一陣の「竜巻」が彼自身もまた周章(アワ)てふためいて湧き起ることもあった。その刹那偉大なる博士(風博士)は屡々(シバシバ)この竜巻に巻きこまれて、拳をふりながら忙しく宙返りを打つのであった。
(3)-3 風博士の自殺の方法(その3):偉大なる博士は深く結婚式を期待し、同時に深く結婚式を失念し!
さて風博士が、「余の方より消え去る」と記した「遺書」を書いて後、事件の起こった日は、丁度偉大なる博士の結婚式に相当していた。花嫁は当年17歳の大変美しい少女であった。僕は牧師の役をつとめる約束で、僕の書斎に祭壇をつくり、花嫁と向き合わせに端座して、偉大なる博士の来場を待ち構えていた。ところが夜が明けても風博士はやってこない。僕は花嫁に理由を言い、恩師・風博士の書斎へ駆けつけた。「先生、約束の時間が過ぎました」と僕が言うと、一書を貪り読んでいた。博士は燕尾服を身にまとい、膝頭にはシルクハットを載せ、チューリップを胸のボタンに挟んでいた。偉大なる博士は深く結婚式を期待し、同時に深く結婚式を失念したのだった。
(3)-4 風博士の自殺の方法(その4):諸君、偉大なる博士は「風」となったのである!
「POPOPO!」偉大なる博士はシルクハットを被り直した。失念していたもの(結婚式)をありありと思い出した深い感動が表れた。「TATATATATAH!」僕は鋭い叫び声をきいたのみで、偉大なる博士の姿は蹴飛ばされた扉の向こう側に見失っていた。僕はびっくりして追跡した。この瞬間、奇蹟が起こった。偉大なる博士の姿は突然消え失せたのである。僕はただ一陣の「突風」が階段の下に舞い狂うのを見た。諸君、偉大なる博士は「風」となったのである。この日、かの憎むべき蛸博士は、インフルエンザに犯された。

《感想1》風博士が蛸博士を憎んだのは学説上の相違である。欧州侵略は、風博士の説では蒙古の成吉思汗(ジンギスカン)となった源義経による。これに対し蛸博士の説では、欧州侵略は成吉思汗の後継者太宗の事績で、それは成吉思汗の死後十年の後に当るとされた。風博士が蛸博士を憎んだのは、蛸博士が禿頭を鬘で隠していたからではない。
《感想2》風博士が「風」となりえた理由は「甚だ周章て者(アワテモノ)であった」からだ。風博士は①部屋の西南端から《瞬間》的に東北端に移動する。②水を飲む場合に《突如》コップを呑む。このようなあわただしい風潮がこの部屋にある全ての「物質」を感化した。(a)時計は13時を打つ。(b)椅子が劇(ハゲ)しい癇癪を鳴らす。(c)物体の陰影が太陽に向かって走り出す。 部屋の中で、これらの物質の「狼狽」が直線的な突風を描いて交錯し、何本もの飛ぶ矢に似た「真空」が閃光を散らして騒ぐ。そして彼自身が周章(アワ)てふためいて時には部屋の中央に一陣の「竜巻」が湧き起ることもあった。
《感想2-2》こうして結婚式の失念の「狼狽」が風博士を「竜巻」にし、彼は「風」となり消失した。
《感想3》風博士はテレキネシス(念力)的超能力者だ。彼の「周章(アワ)て者」の性格が、彼の部屋にある「物質」を感化した。(Cf.  テレキネシスは意思の力で物体に物理的な変化を与えることである。)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする