宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『路地裏の資本主義』平川克美(1950生まれ)、角川SSC新書、2014年

2016-08-14 12:55:51 | Weblog
はじめに
A ソ連邦の崩壊以後、資本主義は弱肉強食のダーウィニズムに似る。(4頁)
A-2 金融資本主義は、リーマンショックのような、詐欺まがいの事件まで引き起こした。(4頁)
A-3 資本主義は、今や、格差を拡大しながら地球規模で迷走し始めた暴力的な収奪システム。(4-5頁)
B 人間は、資本主義的生産方式、市場原理主義、自由主義経済とは、原理の異なる社会システムを作り上げる必要がある。(5頁)

第1章 資本主義のまぼろし
(1)労働(身体性)を伴わない商品が貨幣である(14頁)
C 資本主義は、産業資本主義から、消費資本主義、金融資本主義、カジノ資本主義、強欲資本主義へと変貌し、今やグローバル資本主義として世界を覆いつくす。(25頁)
《評者の感想》:民主主義によって、資本主義を制限・修正することはできるのでないか?

D もう誰も、「心がすべてだ」など言わない。現代は、お金の万能性信仰の時代。(27頁)
E アメリカでは、一般の社員と社長の給与格差は、500倍。しかし社長たちは、500倍働いていない。(29頁)
F 普通の商品は、使用価値と交換価値をもつ。しかし貨幣は使用価値を持たない。貨幣は、純粋な交換価値。労働(身体性)を伴わない商品が、貨幣である。(32-33頁)

(2)身体性(「自然の慎み深さ」)を失った貨幣市場(金融市場)(33頁)
G 貨幣は、身体的「限界」から自由である。人間は、時間・空間・身体に縛られた存在。しかし貨幣は、身体性を持たない。(34-35頁)
G-2 身体性を失った貨幣市場(金融市場)。身体という限界が教えてくれる「自然の慎み深さ」が忘れ去られた。(38-39頁)

(3)市場で交換されるものは商品となるという倒錯:サブプライムローン債権(39頁)
H リーマンショック。サブプライムローン債権を資本と思い込ませ転売。その債権の破綻で、金融機関がババをつかまされ大損。2008年の日経平均株価、9/12終値12214円、10/28一時6994円まで下落。(39-41頁)
H-2 金融ビジネスは、賭博に近い。(43頁)
H-3 商品が交換される場が市場である。その考え方の倒錯。市場で交換されるものは商品。(44頁)
H-4 商品は、労働の結果生まれた価値の担い手だが、サブプライムローン債権は、労働の対象化としての価値を持たない。(44-5頁)

(4)後ろ向きでいいじゃないか:自然と折り合いをつける(⇔自然をコントロールする)システムへ(45頁)
I 貨幣の起源については、「商品が貨幣に変化した」という商品説と、「共同体や国家が制度として貨幣を定めた」という法制説がある。(45頁)
I-2 貨幣の出現以後は、①「贈与・互酬的な交換システム」と②「契約による等価交換の商品経済システム」という二つの交換システム、そのアマルガムの上に、人間社会は築かれてきた。(46頁)
I-3 ①脅威である自然と折り合いをつけるための共同体的な生存システムから、②自然をコントロールし、個が共同体から離れても生存可能なシステムに、人間社会は移行した。(46-7頁)


第2章 路地裏の資本主義
(1)借金まみれの資本主義(50頁)
A 零細企業経営者としての著者の経験からすれば、経済活動の胴体は「実物経済」であり、「実物経済」は、緩やかにしか動かない。(52頁)
B クレジットカードは、飲み屋の「つけ」と同じ。(55頁)
Bー2 「つけ」は信用で成り立つ。(56頁)
(2)厚顔無恥な人々(59頁)
C 2014年2/12の国会中継で、安倍首相は「俺が一番偉い」と言った。(65頁)
(3)喫茶店が消えた理由と、働く理由(68頁)
D 1980年、ドトール1号店が原宿駅前にできた。1980年終わり頃、街から喫茶店が消え始めた。(69ー70頁)
Dー2 80年代中頃、土地バブルで、土地所有者が、喫茶店からコインパーキングでの資産運用に転換。(71頁)
Dー3 日本人のライフスタイルが変化し、「無為の時間」が大切と思われなくなり、喫茶店なくなる。(72頁)
(4)コンビニの少ない町(74頁)
E 岡山県では、「小商いの店」が今も健在。町の機能が充実している。(77頁)
Eー2 戦後日本を大きく変えたもの。①週休2日制、②労働者派遣法の改正、③コンビニの出現。(77頁)
E-3 コンビニは、友人の助け、家族の協力、地域の人々の支援を不要とした。必要なものはお金だけ。(78頁)
(5)まぼろしの楼閣(「洲崎パラダイス」)跡で、尊厳死法案を考える(79頁)
F 映画『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)の一杯飲み屋「千草」。(81ー82頁)
Fー2 歴史の上に、私たちの現在はある。現在は、自己決定できない。(83頁)
Fー3 「死」は死ねないし、自己決定できない。「死」を自己決定可能とする尊厳死法案に反対。(86頁)
(6)知恵の掟としての贈与(86頁)
G 「人は誰も、自分で思っているほど、自分のために生きているのではない。」(88頁)
Gー2 マルセル・モース『贈与論』:なにかを贈られた者は、相手に返礼するのでなく、第3者に贈るという掟が、マオリにあった。贈与された物を、退蔵してはいけない。(89ー90頁)
Gー3 社会が存続していくための、人類史的な知恵の掟。(90頁)
(7)顔のない消費者(92頁)
H 「金さえ払えばよい存在」としての消費者=顔のない消費者。これに対し、近所の商店街では、顔がある。(94ー95頁)
(8)ネットに飛び交う剣呑な言葉と、貨幣の関係(96頁)
I インターネットに飛び交う悪意に満ちた言葉。(96頁)
Iー2 匿名で言われた言葉は、「生の身体」を持たない。(99頁)
Iー3 「貨幣の無身体性」に似る。徳ある者の1万円も、詐欺師の1万円も区別がない。(99ー100頁)
Iー4 貨幣が市場を離れたら紙屑であるように、ネットの言葉もネットを離れたら無意味なノイズにすぎない。(104頁)
(9)教育と正義(104頁)
J 政治家・財界人は、日教組・ゆとり教育が、日本人の教育を劣化させたと言う。(106頁)
Jー2 「考える」という営みは、「既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑う」という点において、本質的に反時代的・反社会的な行為だ。(立教大吉岡知也総長)(108頁)
Jー3 「礼節をわきまえた、親孝行で愛国心に富んだ若者」、「英語ができ、自己利益に敏感で、他人を出し抜く技に長けた人間」など、「画一化した人材」を大量に産み出すことが、教育ではない。(110頁)
K 禁煙は、表現の自由の上位にあるわけでない。映画『風立ちぬ』への「日本禁煙学会」の抗議。(113頁)
Kー2 ファアシズムは、個人の自由を謳う個人主義、さらに多文化主義、平等主義を嫌う。(119頁)
(10)パンとサーカスに踊る人々(120頁)
L オリンピック大政翼賛の「空気」。批判すれば、「なんで素直に喜べないんだよ」「変わり者」「きもい」、さらに「非国民」「日本を出て行け」「死ねば」と攻撃される。(120ー121頁)
Lー2 多様性を認めようとしない空気。(123頁)
M 今の日本の世相は、パン(経済)とサーカス(娯楽)のみが関心事。それ以外のことを考える異分子を、排除する。(124頁)
Mー2 祝祭は、熱狂を提供し、一体感や団結をもたらす国民統治のための装置。(125頁)
(11)時間をめぐる考察(126頁)
N お金とは、自分が汗水たらして差し出した労働時間と引き替えに受けとる「商品引換券」である。(133頁)
《評者の感想》:この労働時間は、他者にとって役立つ使用価値を産み出さねばならない。そうでないと他者が受け取らない。単なる労働時間は、徒労、つまり無価値である。

Nー2 「効率」とは「時間の短縮」である。時間の短縮により、ビジネスのサイクルが早まり、資本が高速回転し、収益が高くなる。(136頁)
N-3 労働時間が凝固しない商品。お金が、商品になった場合。(137頁)
(12)飼い犬の遺言(140頁)
O 人間は「成長」へ向かい、あくせく働き続けている。(141頁)
O-2 しかし犬・猫・鳥の生活のリズムは「繰り返し」である。(141頁)
P “征服欲、上昇志向がないため「臆病」と呼ばれる者”は、「優しさ」をもつ。(148頁)


第3章 国民国家の終わりと、株式会社の終わり
(1)グローバリズム
A 日本は、成熟した資本主義国家として、市場が飽和し、人口が減少し、かくて自然過程としての経済成長は望めない。それでも経済成長するために、①大企業優遇、②非効率分野の切り捨てが、なされる。(150頁)
A-2 株式会社というシステムを成り立たせる、「右肩上がりの経済」の喪失。(152頁)
A-3 グローバリズムとは、まだ成長している国を収奪するためのイデオロギーである。関税障壁など自国産業を守る慣習・規制の破壊。(152頁)
A-4 WIN-WIN関係などありえない。ハイチ、チリの大打撃。南米が反米となる。(153頁)

(2)株式会社
B 株式会社の起源は、東インド会社ではない。それは、アジア地域の権益独占のための商社連結体。(154頁)
Bー2 17C後半、ロンドンの金融街で、遠隔地貿易の遠洋航海の資金集め。現代の株式会社の起源。(155頁)
Bー3 南海会社の汚職事件などで、株式会社は1720年禁止。(159頁)
Bー4 産業革命が始まり、設備資金を集めるため、株式会社システム復活。(159頁)
B-5 「始まったものは、必ず終わる」。株式会社、法人資本主義にも終わりが、やがてくる。(160ー1頁)

(3)国民国家・成熟した資本主義・グローバリズム
C 想像の共同体である国民国家。壮大なフィクション。(ベネディクト・アンダーソン)(162頁)
Cー2 国民国家は、1648年のウェストファリア講和体制で誕生。(164頁)
C-3 近代社会は、国民国家というフィクションと、株式会社というフィクションの上に、発展。(164頁)
D 株式会社は経済成長、つまり株主期待がないと、成立しない。(165頁)
D-2 ところが今や、成熟した資本主義国家では、右肩上がりの経済は、無理。(165頁)
Dー3 かくて株式会社が生き延びるため、国民国家の枠組みを破壊し、発展途上国の右肩上がりの要件を取り込む。グローバリズム!(165頁)

(4)家族形態と日本の会社の関係
E 日本の株式会社制度の転換。①年功序列から成果給へ、②終身雇用から契約制へ、③社員の非正規化。(165頁)
E-2 日本的システムは、合理性を欠く前近代の残滓か?グローバリストは、等価交換の合理性を主張。(166頁)
F エマニュエル・トッド『世界の多様性』によれば、社会主義化したロシア、中国、ベトナム、旧ユーゴ、キューバ、ハンガリーは、外婚制共同体家族。(①親子関係は権威主義、②兄弟関係は平等、③外婚制)(167ー8頁)
Fー2 共産主義国家のイデオロギーである権威主義と平等主義は、外婚制共同体家族に由来する。(168頁)。
G 家族形態は、歴史の古層に由来。生き延びる確率を高めるための家族形態。(169-171頁)
H 日本の家族形態は、①親子関係が権威主義、②兄弟関係は長子相続型で不平等。これは、アジア地域に多い。またドイツ、オーストリア、スウェーデン。(167頁)
Hー2 日本の会社制度は、「家制度」を模倣し成立。Ex.三井家、住友家。(171頁)
Hー3 日本的経営システムは、1980年代中頃に、根底的に否定される。(174頁)
Hー4 社長は父親、社員は子供、会社は家族。(175頁)

(4)ー2 会社の目的:存続か成長か?
I 日本の会社の第一の目的は、本来、「存続」であって、成長(家の拡大)ではない。(175頁)
I-2 これは、「株式会社が成長を不可欠とする」ことと、原理的に、異なる。(175頁)
I-3 成果主義、実力主義は、「存続」を旨とする家共同体的な会社を破壊する。(176頁)

(4)ー3 日本的株式会社の解体は英米への屈服
J 日本の家族は、長子相続型権威主義家族の形態から、核家族形態へ変化。家的共同体の価値観、衰退へ。(177頁)
K アメリカのビジネスセクターによる、日本的株式会社の解体。1980-90年代、日本からの輸出攻撃への対抗。(177頁)
Kー2 アメリカの構造改革要求で、護送船団方式(行政官庁、銀行、大企業、中小企業が一体となって産業を牽引)解体。(178頁)
L 英米は、絶対核家族。①親子関係が自由で互いに独立、②兄弟関係が平等。日本の本家、分家のような関係はない。個人は自己責任で生きる。(178ー9頁)
L-2 個人主義、自己責任制、成果主義という近代株式会社の価値観は、英米の絶対核家族と親和的。(179頁)
L-3 「権威主義的な日本型」、「平等主義的な中国型」、「個人主義的な英米型」は、本来ともにローカル。(179頁)
M ところが英米型がグローバル標準とされる。英米が、政治的、経済的ヘゲモニーを持つため。(179頁)

(5)反グローバリズム&棲み分けシステム
N 日本は、①対米関係におもね、②国益より企業益(多国籍企業益)を優先。(180頁)
N-2 拡大を求めず、持続的経営を目標とする「小商い」企業の価値観の重要性。(180頁)Ex. ドイツのライン川沿いの地域にも、日本的価値観に似た会社が、たくさん残る。(180頁)
N-3 会社形態の多様性、そしてローカルな国家運営こそ、自然である。英米の価値観を押しつけるグローバリズムこそ、不自然なフィクションである。(181頁)
O 世界の富を独占するヘゲモニー国家のグローバリズムによる、国民国家の解体。株式会社(多国籍企業)の利害の貫徹。(182頁)
O-2 「低廉な労働力の供給」、「市場の提供」のためだけに存在を許された非ヘゲモニー国家。(182頁)
P 資本主義は、民主主義と組み合わされなければ、弱肉強食のダーウィニズムとなる。(182ー3頁)
Q 世界が連鎖的な危機に陥ることを防ぐため、国民国家の分散が重要。世界の多様性の維持。反グローバリズム。(184頁)
Qー2 一極集中でなく、「分散型の棲み分け」こそ、生き延びる知恵。「効率重視の中央集権的システム」と、「生き延びるための棲み分けシステム」のせめぎあいの時代!(186頁)


第4章 ”猫町”から見た資本主義
A 経済成長とは、ゴミを出すこと。(196頁)
B 2005年を境に、日本の総人口減少。これから数十年間は、経済成長が不可能。(197頁)
Bー2 反論:①イノベーションによる発展が可能。②人口減少を食い止めることは可能。③グローバリゼーションを利用し発展途上国の果実を取り込む。④サイバー空間は無限。金融技術で勝ち組となる。(197頁)
C 株式会社は、右肩上がりでないと生きられない。なにが何でも経済成長を求める。そして国家は、株式会社にのっとられている。(200頁)
Cー2 成熟段階の資本主義経済の国家では、発展でなく、平安と安定こそ、目標とすべきである。(201頁)
Cー3 「商品交換」でなく、「贈与的交換」の社会を目指すべきだ。(204ー5頁)


第5章 銭湯は日本経済を癒せるのか
D 日本の60年代は、「家内工業と職人の町」が、徐々に「ホワイトカラーの住む町」へと変貌していく端境期だった。(209頁)
E かつて銭湯は、風呂桶、お湯や水など、みんなの共有物を長く大切に使っていこうという「節約の精神」で貫かれていた。(215頁)
F アダム・スミスやジョン・スチュワート・ミルは、経済発展の先には、「定常状態」がやってくると、予言。これ以上経済を発展させる必要がない状態。(213頁)
Fー2 経済発展を遂げ、人口減少で総需要の伸びが見込めないのに、日本は未だ「経済成長」を政治家もビジネスマンも願う。かくて、富裕層のみ資産膨張、中間層破壊、貧富の格差拡大。(214頁)
Fー3 株式会社は、利潤の拡大、したがって「経済成長」を、前提するシステムである。(215頁)
《評者の感想》
(a)株式会社が、「経済の定常状態」あるいは「縮小する経済」のもとでも、存続するにはどうしたらよいか?
(b)株式会社を、「小商い」的システム、すなわち、成長でなく「存続」を目指すシステムに、改変できないか?

G 家業のように、必要なときに必要な量だけを刈り取るような「定常的な経済」をめざせ。(217頁)
Gー2 成長が無理なのだから、「成長しなくてもやっていけるシステム」を構想すべきである。(221頁)
Gー3 経済成長を生命線とする株式会社の戦略。
①サイバー空間に新しいフロンティアを求める。
②国外にフロンティアを求める。
③国内に貧困層という成長市場をつくりだす。(221頁)
Gー4 ②について:グローバリゼーションによって発展途上国の成長の果実を取り込むにしても、これらの地域の市場も、やがて飽和するだろう。(222頁)
H 日本は、無理な経済成長を追うのでなく、世界に先駆けて「定常経済モデル」を確率すべきである。(222頁)
Hー2 経済が停滞してから生まれてきた若い人たちの中から、リアリティのない成長戦略でなく、「生き延びるための共生」に向かう人たちが、現れてきている。(223頁)
Hー3 「定常経済」を構想する。競争戦略、成長戦略、原発再稼働、集団的自衛権行使は誤り。(224頁)


終わりに
I 「昨日と今日がほとんど変わらない日々」でよい。非生産的でよい。(226頁)
I-2 西欧中心主義、アメリカニズム、立身出世主義、経済成長至上主義でなくてよい。(226頁)
I-3 本書は、グローバル資本主義への違和感をつづった。(227頁)
《評者の感想》
(c)定常経済のもとで、人々の野心、冒険心、成功欲を、どのように満たすのか?構想せよ!

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