紀州・有田で田舎暮らし

思いつくままに野菜や果実や漬物を作ったり、時には青春する心を求めてさ迷ったり、気ままに田舎暮らしを楽しんでいます。

不可解な自分? わからん?

2023年09月06日 | 青春クラブ・自治会・お寺

しょうもない自分自身の葛藤ですから、スルーされるのが時間の無駄にならないと思います・・・遠慮なく読み飛ばして下さい

 

・・・自分は「お年寄りではない?」・・・

後期高齢者であれば、れっきとした「年寄り」であり「老人」。それは自覚している。孫から「お爺ちゃん」と呼ばれることにも抵抗がない。

不可解なのは、脳裏のどこかに若いままの自分が残っているのか、潜在意識が反応するのかはわからないが、「老人」「お年寄り」という言葉に抵抗を感じることがある。

サムエル・ウルマンの「青春の詩」の一節、『青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ』に感化されているのかも知れない。

「お年寄り」「老人」に抵抗感があるうちは、心が「青春」しているのかも知れない。

 

・・・青春クラブと名付けたのも・・・

10年以上前、旧老人クラブが消滅し、当時、自治会役員として復活を要請されたときも、自分の中では老人クラブは遠い存在という意識だったので、復活には協力するとしても入会する気はなかった。が、復活に際して多くの人に協力依頼した関係上、「自分は入会しない」とは言えなくなってしまった。

でも「老人クラブ」という響きが嫌だった。イメージが嫌だった。

10人の発起人一同も、理由はそれぞれかも知れないが旧老人クラブに入会していなかった人達ばかりだった。

復活にあたっては旧老人クラブの慣習を一新しただけでなく、皆と相談してサミエル・ウルマンの「青春の詩」にあやかって名称も「青春クラブ」とした経緯がある。実態は老人福祉法の老人クラブであっても、今や我が地区内からは「老人クラブ」という呼び方は消えた。

 

・・・輪投げサークル・・・

前々から、公民館の押し入れに旧老人クラブが使っていた「輪投げセット」があるのは知っていた。

「輪投げ」には、昔から『お年寄りのお遊び』というイメージがこびりついている。今、自分がその「お年寄り」になっているにもかかわらず、なぜか「そんな年寄りじみた遊びなんて・・・」という潜在意識が働くのか敬遠してきた。

或る時、週1回の健康体操終了後、誰かが引っ張り出して輪投げを始めた。他の会員もやり始めた。つられて自分もやってみた。意外に難しかった。意地になって何回もチャレンジした。以来、毎週のように有志約10人に混じって輪投げを続けている。

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何はともあれ、輪投げを続けている有志会員が約10人もいるので、青春クラブの三役(会長・副会長・会計)・事務局で相談し、クラブの正規な活動と位置付けるのが適当と判断し「輪投げサークル」を設置することになった。これで他のサークル同様、クラブから飲料などの補助金も出せることになる。

先日、全会員にその旨を周知する文書を作成し、全世帯にポスト投函して回ってきた。加入希望者の申し込みがとりまとめできる10月から、「輪投げサークル」が発足することになった。

あれだけ「年寄じみたお遊び」と敬遠し続けてきた「輪投げ」なのに、ちょっとしたきっかけで心変わりした。今はなぜか自分も「輪投げサークル」に入会する気になっている。

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「お年寄りだと思いたくない」自分と、「素直にお年寄りを受け入れる」自分が同居し、しのぎをけずっているのかも知れない。