坂本龍一氏の訃報。
私は特別熱心なファンではなかったけれど
それでも大きな存在を喪ったという感じがある。
私にとって印象的だったのは
音楽に政治を持ち込むな、などと言われる風潮の中で
一貫して政治や社会の問題について発言してこられた姿勢。
📖『非戦』 坂本龍一監修 幻冬舎 2002
私がこの本を読んだのは
出版されてから10年くらい経った頃だったと思う。
当時、読書家の先輩から
その本はそんなにお薦めではない、というようなことを言われたけど、
音楽家であっても政治や社会について
きちんと考え、自分の言葉で話せるようになるべきだと
考え始めていた時の私が出会うべき本だったと思う。
昨日、ゼミの指導教官からのMLで
先生がこの本を20年前に読んだ話が書かれていて、
なんだかうれしくなった。
信頼する人が偶々同じ本を読んでいたと知るのは
いつもなんとなく心はずむ気がする。
読書録。
『なぜ戦争をえがくのか 戦争を知らない表現者たちの歴史実践』
2011年の震災以降、”当事者性”の問題について考えている。
東北の人間ではない私が
東北の唄をうたうことについて。
唄ってはいけないわけではない。
戦争を体験していなくても
戦争をテーマに表現をする人たちがいるように。
でも、向き合い方についてずっと考えているし
私にできる表現とは何なのかを考えている。
思うところあり
ヴィクトル・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』を読む。
なんというか
ほとんど救いがないというか
主要な登場人物のほとんどが死んでしまい
カタルシスとは無縁の結末。
クロードが狂気のストーカーであるのはともかくとして
彼が執着するエスメラルダに外見的な美しさ以上の魅力が感じられなかった。
彼女が恋するフェビュスも美男子である以外におよそ取り柄のない
不誠実で軽薄な男であるのに最後まで彼女はフェビュスにこだわり
醜いカジモドの献身は顧みない。
カジモドはとても哀れだった。
グランゴワールとヤギのエピソードだけが癒しだった。
これが、どのようにディズニー映画やミュージカルに
翻案されているのかも気になります。
『別冊東北学vol.5』で
東北からの出稼ぎと西成の話を読んだところだったので
思いがけない繋がりを感じながら…
福島から東京へ出稼ぎに行き
家族と共に過ごす時間もほとんど持つことがなかった男。
21歳の息子の突然の死。
やっと手に入れた、妻と二人での暮らしも
ある日突然終わってしまう。
そして、再び東京へ出た男はホームレスになり
故郷は大震災に見舞われる...
次々に不幸が訪れる人生が語られる。
とてもつらい重たい話。
でも、きっとそれは珍しい話ではない。
けれど、見えないように、見ないようにしていること。
こういう、今までなら多分手に取らなかった本を
読むきっかけも、全部 ”東北” がキーワードなのです。
特集は「壁を超える」
東北と被差別部落の問題が取り上げられている。
巻頭グラビアが大阪の太鼓集団「怒」。
昔、何度か演奏を聴いたことがあるチームが
いきなり出てきてびっくり。
「怒」は太鼓づくりの町・浪速で結成された。
太鼓づくりは皮革を扱うために
職人たちは差別されてきた。
作られた太鼓はあちこちで使われていても
自分たちの演奏するものではなかった。
それを取り戻すためにできたチームだ。
私はもう何年も聴いていないけれど、
いい演奏だったから何度か聴きに行ったのを覚えている。
(文中に出てきた残波大獅子太鼓もその頃に聴いてる。
ここも、いいチームだった。
その後、林英哲という名の沼に堕ちて今に至る…)
東北では、そういう皮革業への差別視はないという。
狩猟文化が根づいているせいもあるし、
また被差別部落そのものがない、あるいは、
あっても関西のような厳しい差別とは違った、のだそうだ。
私自身は大阪で育って、人権教育の中で
部落差別問題を学んだけれど、実感としてはない。
ただ、全国どこでも同じような問題があるのだとばかり思っていた。
とんだ思い込みである。
こうやって見ると、東北って遠いんだなぁーと思う。
大阪と東北がこんなふうに1冊の本の中で並べられるのは珍しい。
そして、並べられると、歴史も文化もまるで違って、
そもそも交流、接点が少なかったのだと、あらためて感じる。
たとえば、東北からの出稼ぎ先は東京が中心で
西成まで来る人はとても少ない、という事一つでも。
それなのに、なんでこんなに東北に惹かれるのか。
それでも、やっぱり東北はこんなにも遠いのか。
最近の読書。
毒婦と呼ばれた女たちが
何をしたのか
どんな人生を送ったのか
ということよりも
彼女たちが生きた時代の出来事、風潮と
重ね合わせ、照らし合わせることで
なぜ彼女たちが殊更に毒婦と呼ばれるようになったのか
という分析に重点が置かれていたのが特徴的。
私としては
阿部定の恋に狂った感じがとてもツボでした。
そういえば、前に「悪女」をテーマに作品を考えてた時、
このあたりにたどり着かなかったんだなぁ…
最近、読んだ本から。
著者のジェラルド・グローマー氏は
前に津軽三味線に関する論文なども書いておられましたが、
最近は瞽女研究に取り組んでおられるようで
もっと大部の本なども出版されています。
瞽女と津軽三味線…
どこかで繋がっていそうで
現在においては完全にわかれてしまった芸。
『はなれ瞽女おりん』は小説ですが、
瞽女といえば、これをまず思い浮かべる人も多いのでは。
岩下志麻様主演で映画にもなっています。
この映画もいずれ観たいなぁ。
11/1 華継会 第二部 いよいよ「はなれ瞽女おりん」新作初演です。音楽にいろいろな仕掛けを施して作りました。踊りもお芝居も、演者さんたちそれぞれも皆、素敵です♡ 於:国立劇場小劇場 第一部は17時、第二部は19時開演です。「はなれ瞽女おりん」浄瑠璃:竹本越孝 三味線:鶴澤三寿々・鶴澤賀寿 pic.twitter.com/CYEjVBi7Nv
— 鶴澤三寿々 Sansuzu Tsuruzawa (@sanchan821twit1) October 31, 2022
最近、こんな舞台もあったらしい。
こういうの、なかなか大阪では観れないんだよね。
いつか。いつか、私も自分の作品で義太夫三味線使ったり
できるようになるといいな。。
瞽女(ごぜ)とは
盲目の女性の旅芸人のこと。
数人のグループで旅をし、
三味線を弾いて唄をうたった。
盲目の旅芸人、といえば
津軽三味線のルーツであるボサマも同じであるし、
津軽三味線には瞽女の芸の影響があるという説もある。
瞽女はかなりしっかりした組織を持っていたし
旅の仕方も師弟関係も、津軽のボサマとはずいぶん違うが、
口説もののレパートリーなど共通するものもある。
何にしても、盲人と三味線とは
深いつながりがあった。
津軽三味線は盲人の手を離れて
音楽もすっかり変わって、現代に生きている。
瞽女の芸は、今も僅かに継承している人も
いることはいるけれど、瞽女自体は消えてしまった。
人の生活が変化すれば
生業も芸能も娯楽も変わっていく。
新しく生まれるものもあれば
消えていくものもあるだろう。
淘汰されていくというのは
ある意味では必然で自然なこと。
形だけ残したとしても
もっと奥底にあった何かは再現できなくなっていく。
あらゆる芸能において、そうなんだろう。
それでも、知っておくこと。それだけは。
今なんとなく気になってるテーマ。
日本の芸能における芸能者差別、盲人芸能者の存在、障害者差別。
そういうものの関わり、重なり、絡まり。
赤坂憲雄は東北学で出会ってから色々読んできているのだけど、
この本に収録された論のなかでは
廣瀬浩二郎「近代日本の「厄介な人」、「気になる人」、「変な人」 : 麻原彰晃への旅、麻原彰晃からの旅 」が
今の私の気になるワードに引っかかってきて
とても興味深かった。
なかなかに難しい問題で
軽々に語ることはできないけれど、
いろんな視点から考えたいと思うのです。
福島第一原発事故以後を舞台とした短編集『象は忘れない』。
各章のタイトルが謡曲から採られているのが興味深い。
全体に救いのない物語である。
多分、今まで無意識のうちに
どこかに微かな光が見えそうな作品を選んで
私は読んできたのだろうと思う。
現実はそうではないからこそ。
中でも、東京に避難した母子を描いた「卒塔婆小町」 は
ラストの急展開に背筋が寒くなる思いだった。
それは正しいことではない、けれど
あぁそういうこともあるだろうと思わされる。
象はとても記憶力が良くて
自分が受けた仕打ちは決して忘れないという。
それにひきかえ人間は忘れっぽすぎる。
忘れやすいと自覚するからこそ
こうして読み続けている。
思い出して、考え続けるために。
絶対的インドア派につき
連休中もライブと稽古以外は基本、外出せず。
ちょっと集中して読書も。
山川登美子と高村智恵子。
同時代に、芸術と恋に生きた二人。
登美子と鉄幹、智恵子と光太郎、
なんとなく共通項のある二組だなと思う。
同じ道を志す男と女、男の方が師のような立場にあり、
実際に出会う前から女は憧れと尊敬を抱いている。
世間の評判以上に男の才能を信じて疑わない女の賞讃が
男を支え、突き進ませていく。
きっと男は彼女を本当に愛したつもりなのだろうけれど
女は何かを諦めていて、そして男を残して死ぬ。
『智恵子抄』は、いつかやってみたい作品です。
智恵子抄を反対から見てみたい。
高村光太郎と出会ってしまったことで
智恵子が得た幸せと、
何よりも大事にしたかった自分の芸術を見失ったことと。
そういうのを描いてみたい。
三味線と盲人とは深いつながりがある。
とくに地歌・箏曲は長い間、盲人の生業であり
津軽三味線も初めは盲人の門付芸だった。
というようなことで
『盲人の歴史』を読んだ。
もちろん、これは芸能史に限った本ではなく、
近現代の盲人の自伝を集めた後半などは
知らないことが沢山あって、
一般的な知名度は高くないけれど
立派な人たちがいて今につながるのだなと思う。
初めて知ったことといえば、
歴史の教科書にも載っていた「群書類従」の塙保己一も
盲人の学者で、検校位を持っていたというのには驚いた。
そして、私ずっと、塙保・己一だと思ってたよね…
塙・保己一が正解なんですね。
そして、保己一は検校名だから一がついてるわけなんですね。。
さて、そんな塙保己一も登場する本をもう一冊、続けて読む。
井上ひさしの戯曲『藪原検校』。
きれいごとだけではない座頭の暮らし。
中でも非道を重ねる杉の市。
彼は確かに極悪人、でも貪欲に生き抜くそのエネルギーは
圧倒的な輝きを放って見える。
ここから芋づる式読書でいくと
次は『不知火検校』になるのかな
また読書録、
というか今回は付属CDがメインで。
読んでいる本の中で参考文献として挙げられているものを
次に読んでいったりしていると、
同じ名前に何度も出会うことも多い。
そんな一人が
奄美の唄者、盲目で竪琴を弾きながら
大道で唄っていたという、里国隆。
ようやく音源に出会ったのですが、
竪琴の音色がまず耳馴れない、
そして竪琴を弾きながら何か別の打楽器的なもので
アクセントを付けているらしいのが何とも不思議な感じ。
そして、”黒声(くるぐい)”と称される声。
やはり、こういうのは別次元の声だ。
とても面白かったのが、
河内音頭の鳴門家寿美若「一本刀土俵入り」。
ヤンレー節という民謡を取り込んだ、
ちょっとマイナー調の独特の節。
途中、セリフが入るところの声の使い分け、
唄のレンジの広さ、
これはほんとに上手いなぁと思って聴き入ってしまった。
私は大阪人だけど、河内音頭文化圏ではないから
実はあまりちゃんと聴いたことがなかったな…。
もっと色んなものに触れていきたいよね。
最近の読書録。
北原かな子・浪川健治[編著]
『近代移行期における地域形成と音楽:創られる伝統と異文化接触』
いちばん気になったトピックは
「第5章 三味線の近世──「津軽三味線」以前(浪川健治)」 。
ジャンルの歴史自体の長さはもちろん、
先行研究や史料の量もまったく違うとはいえ
やっぱり津軽三味線に関することは気になって仕方なくて
いろいろ読んだり聴いたり、積極的に勉強してるけど
地歌や義太夫にはなかなか手が出ません...。
最近思うのは、津軽三味線は三味線音楽の異端児扱いされがちだけど
実は先行芸能との繋がりがちゃんとある、
そういうのを掘り下げてみたいなとか。思うんですよ。
分かりやすい例でいえば「壺阪霊験記」を
義太夫節と津軽民謡とで聴き比べたりできるよね、みたいなことを。
いちばんおもしろく読んだのは
最終章の「交差する邦楽調査と唱歌編纂──明治四〇年代の東京音楽学校に着目して(鈴木啓孝) 」。
現代に直接つながるものとして
明治以降の邦楽のありかたや洋楽受容に興味があるのだけど、
その中心にあった東京音楽学校に
津軽出身の館山漸之進とその甥・楠美恩三郎が同時期にいて、
一方は平曲保護に生涯をかけ
一方は尋常小学唱歌の編集という新事業に関わった、というのは
なんだか運命の偶然を感じてしまいます。
なんだか不穏なタイトルだけど吃驚しないで。
引き続き鷲田清一『語りきれないこと』について。
じぶんが迷いのなかにあるとき、本当は亡くなってもういない人に、すがるように「助けて」と言ったり、「どうしたらいいんだろう」とつぶやくように声をかけてみたり、「こんなんでいいか」と同意を求めたりする。そういう対話の相手になったときにはじめて、じぶんにとって重要な意味を持った人の死をわたしが受け入れ、納得して認めたことになる。
こんな文章を読んだからなのか
おい岩さん(@oiwate)のツイートが沁みたからなのか
いつも、いつでも応援してくれた人のことを思い出して
お風呂で泣いてしまった。
なんだかとてもナーバスになっている本番前夜です。
明日は頑張るから
北の空から見てて。