『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

豊後路散策-臼杵城跡

2015年11月15日 | 旅行


臼杵城はかつての丹生島に築城された城で鐙坂と称する登城路は凝灰岩を掘り切った狭い通路で中世からのものが近世の城に残されているのは珍しいのではなかろうか。威厳のある城に見えるように岩崖面にタイル状の石を張って石垣に見せた個所もあるようである。
当時の城の建築遺構は画像右側に見える畳櫓と卯寅口門脇櫓が現存しており左側にみえる大門櫓は模擬復元されたようである。臼杵城跡を訪れるのは30数年ぶりであるがあまり記憶が残っていない。

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豊後路散策-佐伯城下町

2015年11月14日 | 旅行


佐伯城の現存建物遺構である櫓門、三の丸御殿(住吉御殿)を探訪して標高137mの城山から佐伯市街地を一望した。
櫓門から毛利家菩提寺の養賢寺まで続く山際通りは白壁が続き城下町の面影を残した街並みである。

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豊後路散策

2015年11月13日 | 旅行


昨日連れ添いを孫たちのところに降ろし足を延ばして臼杵、佐伯方面を徘徊したのでネタ不足を補うために所々を紹介します。慣れないタブレットで送信した画像は豊後二見ケ浦で夫婦岩を架け渡している注連縄は長さ65mで日本一の長さであるということである。
佐伯城跡の遺構を散策して宿泊したがここ佐伯地名は鎌倉時代頃からみられるようで、当佐伯郡も平安中期頃からみられる地名であり何らかの因縁を感ずるが定かなことは不明である。(再編集) 

                     

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こたつが!

2015年11月12日 | 「廿日市地区」ぶらり


川末地区の畑の隅に置いてあった懐かしいこたつが・・・左側2つは瓦器製の家型のこたつで中に瓦器製の灰箱がありその中に炭を入れていた。右側は下部分が失われているが土製の桶型こたつで下部分に灰を入れその中に炭を入れていた。
これらのこたつの上に直接布団を掛けることもあったが布団が焦げたりするので木製のやぐらの中にこたつを入れてその上に布団を掛けていた。

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佐賀路散策-モルチール砲

2015年11月11日 | 「廿日市地区」ぶらり


佐賀城本丸歴史館の御玄関脇に展示してある大砲で表示によると幕末期のモルチール砲(臼砲)といわれるもので、左側は佐賀藩で鋳造した大砲で右側はオランダ製のようである。
幕末期に広島藩で大砲鋳造をした鋳物師は海田鋳物師の植木氏、可部鋳物師、白市鋳物師、三原鋳物師などが関わっているようであるが、廿日市鋳物師も関わっていたのであろうか。

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鯛山稲荷社

2015年11月10日 | 「大野地区」ぶらり


大野原3丁目の山陽自動車道側道脇にある鯛山稲荷社で、鯛山とあるので大野西小学校の地にあったという鯛山に祀られていたものであろうか、由来など資料不足で明らかでない。
覆屋の中には2社の小祠が祀られており右側の祠が稲荷社のようで、左側は何が祀られているのであろうか。鳥居、覆屋、両小祠に架けられている注連縄は龍を表したような作風である。

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俵づくり-その1

2015年11月09日 | その他


今年も例年のごとく俵づくりを始めた。①稲藁の芯に近い部分を使用するためにアクタを取り除いて準備をする。②俵の胴体部のコモを編む機具で編み紐を準備する。③④編み紐の上に藁を3本位向きを交互にして順次編みあげて64目まで編む。
⑤俵の胴体部となるコモが出来上がり両端部分を胴体部分の半径より少し長めで切り揃える。⑥コモを筒状に編み残りの紐で結び付ける。⑦筒状のコモの中に筒型を入れて片方のコモ端を折り曲げていく。⑧⑨片方の端部を紐で編みあげていくが綺麗な文様にするには熟練を要する。続きは1週間後位に仕上げる予定である。

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佐賀路散策―鯨組主中尾家屋敷

2015年11月08日 | 旅行


呼子といえば「呼子の朝市」と「いかの活造り」が良く知られているが、かつては捕鯨が盛んであったようで多くの捕鯨史跡が残されている。町並みの中には江戸期の鯨組主であった中尾家の旧屋敷があり探訪してみた。
鯨組主の中尾家屋敷は明治以降に一部が酒造場になったようで、もみのき森林公園にある旧酒蔵(民俗資料館)の小屋裏にある巻き上げ機と同じものがあった。
呼子を訪れると土産にしている珍味の鯨蕪骨粕漬はかつて捕鯨基地としての歴史を偲ばせる鯨の食文化伝統の味である。

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佐賀路散策―嬉野宿跡

2015年11月07日 | 旅行


嬉野温泉で夕食前に例の如く徘徊癖が疼きだし長崎街道の嬉野宿跡を散策した。豊玉姫神社参道には3基の石鳥居があり三の鳥居は肥前鳥居の作風で笠木・島木・貫・柱が3本継となっており明神鳥居と肥前鳥居の折衷形態のようで、地方色豊かな本来の肥前鳥居をみたかったのであるが・・・
古刹の瑞光寺は看板表示によると98年間嬉野宿の本陣として使用されていたようである。伽藍は広大で境内の老樹が鬱蒼としており夕刻が迫ってうす暗く早々に参詣を済ませて宿泊温泉で汗を流した。

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佐賀路散策―佐賀城跡

2015年11月06日 | 旅行


当ブログ休止中に佐賀県方面を旅行しましたのでネタ切れを補うために所々を紹介します。
佐賀城跡を訪れるのは何十年ぶりかであったが団体旅行の悲しさ時間的な制約で駆け足見物となった。
佐賀城の建物遺構としては鯱の門、続櫓と御座間が残っており、他所に移築されていた御座間は復元された本丸歴史館の一部として元の位置に帰っている。

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二重原八幡神社が修築

2015年11月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


上平良地区にある二重原八幡神社に参詣してみると吹きさらしの部分で腐朽が進んだものとみられ本殿の高欄、廻縁、昇段、昇高欄などが修築されていた。

当神社に残されている棟札どおりであると本殿は寛政6年(1794)、幣殿は明治元年(1868)、拝殿は文政2年(1819)に建築されたようであるが・・・

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石積み塀の茶の木生垣

2015年11月03日 | 「廿日市地区」ぶらり


上平良地区にある民家敷地の周囲に巡らせてある石積みの塀で厚みは70~80cm位あり、その上部には茶の木の生垣としてある。
この石積みの塀は前所有者の時代に築造されたようであるが何時頃に築造されたものかは不明である。当初茶の木の生垣は観賞用に植えられていたものかお茶にするために植えられていたものだろうか。

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山陽自動車道橋脚の亀甲状ひび割れ

2015年11月02日 | 「廿日市地区」ぶらり


山陽自動車道の速谷高架橋橋脚で亀甲状のひび割れがみられ一部からは鉄筋の錆が流れ出ている。この橋脚は上部橋梁の継目のために雨水や冬季の凍結防止剤などが流れ落ちるために劣化が激しいようである。
この橋脚は昭和59年(1984)に築造されているが31年経過するとこのような状態になるのである。

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立善寺の鐘楼基壇

2015年11月01日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区にある立善寺の鐘楼基壇で明治42年(1909)3月に築造されたようである。
基壇の石積みには大きな石で算木積みとしてあり全体的に弓状に加工され変形した継目も綺麗に加工されている。上部葛石の持ち出し下面は繰型に加工され角の留め部分は45度に加工されており、これらをみると高度な技術を持った石工が関わって築造されたものと思われる。

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