『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

厳島社棚守寄進の石燈籠

2010年08月17日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮内天王社境内に建立されている石燈籠で享保6年(1721)に厳島社棚守の寄進により建立されたものである。
江戸期の地誌によると「往古者祭事厳島社家渡海執行有之由之処、何之頃より其儀退転仕年間難相分、」とあり、これらから天王社は厳島社との深い関わりがあったことが窺い知れるのである。

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シャッターアート

2010年08月16日 | 「廿日市地区」ぶらり


国道2号線(宮島街道)の宮内分かれ交差点角にあった商店は廃業されてから長らくシャッターが下されたままである。
ここを通っていたら何時描かれたのか殺風景なシャッターに小さな子供さんが振り向きそうな楽しい絵が描かれていた。信号待ちするドライバーの目も楽しませてくれそうである。

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宮島の花火遠望

2010年08月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨夜は宮島の花火大会が行われたが、直線距離で約8kmと遠く離れた上平良地区の遠望ポイントである河野原大歳神社境内から遠望した。
遠く離れているのと腕の悪さでうまくは撮れなかった。左側にはナタリー跡のマンションが写っているのが見える。

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津田八幡神社の奉納絵馬

2010年08月14日 | 「佐伯地区」ぶらり


津田八幡神社に奉納されている絵馬で図柄から琵琶の名手であった平経正を描いたものと思われる。
干支が丁丑とあるので明治10年(1877)に描かれたもののようで、絵師は龍山岸峻であるが龍山についての画歴などについては管見の限り定かではない。
ただ明治3年(1870)に奉納された宮島の千畳閣に掲げてある虎の図には龍山昇峻(厳島平成絵馬鑑)とあり、年代と名前が良く似ているので同一人ではなかろうか。津田八幡神社絵馬の字からみると昇峻とは読めず岸峻と読むべきではなかろうか。

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万古渓の孫渕

2010年08月13日 | 「佐伯地区」ぶらり


万古渓の孫渕といわれる大きな甌穴で万単位の年月で花崗岩が浸食されて出来た自然の造形である。
江戸期の地誌には「往古孫左衛門と申者此渕に入候由、夫より孫渕と号け申候」と記されており、その昔ここで入水してこの名が付いたということのようである。

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厳島神社宝蔵

2010年08月12日 | 「宮島地区」ぶらり


厳島神社裏手の御手洗川沿いにある国指定重要文化財の宝蔵で、全国で31棟(広島県内3棟)といわれる校倉造りである。校倉造りで著名なものは正倉院が良く知られている。
校倉造りで壁体を形成する横架材は校子(あぜこ)といわれ、この宝蔵には不等辺五角形のもので構成されている。

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弥山の大聖院梵鐘

2010年08月11日 | 「宮島地区」ぶらり


弥山本堂に移されている国重文の大聖院梵鐘で、治承元年(1177)に平宗盛が寄進している。
銘文には「治承元年丁酉二月日」とあるが、治承と改元したのは安元三年八月四日であるので治承元年二月は存在しておらず疑義点があるが、鐘の作風は時代相応のものとされている。
平宗盛は平清盛の三男であり清盛との関わりの深い厳島神社は再来年のNHK大河ドラマ「平清盛」が予定されているので賑わうのではなかろうか。

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弥山の鐘楼跡

2010年08月10日 | 「宮島地区」ぶらり


弥山本堂を過ぎて弥山山頂に向かっているとかつて鐘楼があった跡があり、基礎石と礎盤が残されている。
鐘楼に架けられていた梵鐘は国の重要文化財に指定されており、鐘楼が台風で倒壊したために梵鐘は弥山本堂に移されている。

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盆燈籠作り

2010年08月09日 | 「廿日市地区」ぶらり


世の中はもう盆休みとやらで高速道路の渋滞が報道されているが、やっと墓前に供える盆灯籠が出来上がった。竹の先を6つに割って朝顔型に組んで赤・青・黄・緑・紫・桃色の色紙を張り、角先に飾りを付けたもので、孫用の小さな燈籠も2本作った。
店に並んでいる燈籠は金紙を使用しているのできらびやかでありこちらのものは見劣りするが、伝統的な手作りであるので御先祖さんも喜んでくれるのではなかろうか。

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チョット涼を-夫婦滝

2010年08月08日 | 「佐伯地区」ぶらり


小瀬川の羅漢渓谷の最深部付近にある夫婦滝で、水量が多いと子滝もみられる岩の両側を流れ落ちている滝である。
小瀬川に沿って走っている国道186号線からかすかに見られるが、駐車スペースがなく川は下方を流れているので全貌を見ることは出来ない。
少し下流ヶ所から川の中を遡っていくと夫婦滝の全貌が現れるが、残念ながら後方の道路ブロック積みが景観を台無しにしている。江戸期の地誌絵図には夫婦滝が鬼ケ城山三ツ石方面に描かれているが誤りのようである。

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チョット涼を-瀧の口滝

2010年08月07日 | 「佐伯地区」ぶらり


飯の山ダムから流れている野田川は飯の山集落東部を流れており、集落東北部にこの瀧の口滝があって上の滝と下の滝がある。
江戸期には滝のすぐ下流に宇佐往還道が通っており長さ5間半(約10.8m)の板橋があって、旅人はここで一服しながらミニ絶景を眺めていたものであろう。

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チョット涼を-瀬戸谷沢登り

2010年08月06日 | 「吉和地区」ぶらり


瀬戸滝への遊歩道の途中、瀬戸谷に架かる三連橋で滝までの渓谷で一番険しいところで、両側には岩壁がそそり立っており橋下には小滝と渕があり絶景である。
ここ瀬戸谷で江田島市の子供たちが沢登りの体験をしており、指導者の指示を聞きながらライフジャケットを着た子供たちが次々と声をかけ渕を泳いで岩をよじ登っていた。真夏とはいえ樹木に覆われた瀬戸谷の水は冷たく見ていても寒気がするようであった。

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チョット涼を-瀬戸滝

2010年08月05日 | 「吉和地区」ぶらり


毎日うだるような暑さで、つかの間の涼を求めて瀬戸の滝を訪れた。
十方山系を源流として流れ落ちるこの滝は上段の滝と下段の滝があり、ここから落ちる水により天然のドライミスト装置のように涼風が真夏の暑さを忘れさせてくれる。

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紅葉谷の四宮神社

2010年08月04日 | 「宮島地区」ぶらり


紅葉谷にある四宮神社は厳島神社の末社で、江戸期の「芸州厳島図会」の絵図には草葺き屋根の四の宮が描かれている。
資料によると大正期に境外末社の秋葉神社を合祀しているようであるが、なぜか一の鳥居の神額には「四之宮神社 大国神社」とある。

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四宮神社の狛犬

2010年08月03日 | 「宮島地区」ぶらり


紅葉谷の四宮神社社殿前に建立されている狛犬一対で明治41年(1908)3月に奉納されたものである。
刻銘によると紅葉谷入口で旅館を営業していた岩惣の当主夫妻が寄進建立したもののようである。

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