串戸港の満潮時と干潮時の画像で干潮時は干潟となる港でありプレジャーボート港となっている。江戸期の地誌によると干潟になるので他国との交易船は入港していなかったようであるが、当国浦々、隣国浦などと小船での薪材木類交易は行われていたようである。明治後期頃の様子は汽船、客船の定期発着はなかったが材木、薪炭、穀物、肥料等の積卸で和船の出入りがあったようである。現在の港は大正13年(1924)1月に第一期工事が完了しており続いても築港工事が行われたようである。
串戸港の満潮時と干潮時の画像で干潮時は干潟となる港でありプレジャーボート港となっている。江戸期の地誌によると干潟になるので他国との交易船は入港していなかったようであるが、当国浦々、隣国浦などと小船での薪材木類交易は行われていたようである。明治後期頃の様子は汽船、客船の定期発着はなかったが材木、薪炭、穀物、肥料等の積卸で和船の出入りがあったようである。現在の港は大正13年(1924)1月に第一期工事が完了しており続いても築港工事が行われたようである。