昨日紹介した御床浦の開拓地跡には延々と続いた石積みの「ししがき」がみられる。江戸期の地誌に「島に、猴鹿多く・・・」とあり、宮島には猿と鹿は昔から多くいたようであるが猪は記されていない。
現在は各所で猪のヌタ場をみることができ島外から移住繁殖しているようである。開拓地跡にある石積みの「ししがき」は当初は鹿被害を防ぐために設けていたものが猪除けともなっていたのだろうか。
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