昨日紹介した北之神社のすぐ下にある広場奥に小堂が祀られており、この地は天明3年(1783)の絵図では称明庵とあり、天保13年(1842)の厳島図会には北薬師堂と称明庵の絵図が掲載されている。
称明庵の詳細については明らかでないが、昭和49年(1974)の住宅個別地図には無量院(称明庵)と記されており、この頃まで存続していたものとみられる。
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