昨日紹介した今市稲荷社の石段上り口の脇に置かれている樋門石で、表示板には「汐田排水樋門石」と表示してあり南蛮樋であったとある。
文政10年(1827)以降の地御前村絵図に大迫山から流れる今市川支流の稲荷社付近に樋門の絵と唐樋と記されているのでこの唐樋門の一部であったものとみられる。
唐樋門は汐の干満作用によって自然開閉する構造の招き扉と呼ばれる木製の扉が付けられたもののようである。
昨日紹介した今市稲荷社の石段上り口の脇に置かれている樋門石で、表示板には「汐田排水樋門石」と表示してあり南蛮樋であったとある。
文政10年(1827)以降の地御前村絵図に大迫山から流れる今市川支流の稲荷社付近に樋門の絵と唐樋と記されているのでこの唐樋門の一部であったものとみられる。
唐樋門は汐の干満作用によって自然開閉する構造の招き扉と呼ばれる木製の扉が付けられたもののようである。