伯父さんと伯母さんところではカイコさんも飼っていました。二人は仲がよく働き者でした。二人はカイコのことをカイコさんと言っていました。
カイコは牛小屋の上で飼っていました。桑の葉を敷いてあってその上にカイコはいました。食べている様、動いている様にびっくりしたものです。
それが繭になるのはわたしにはよく理解できませんでした。
もちろんそれから糸が取れるのもわかりませんでした。
わたしたちが疎開をした昭和20年ごろにはカイコよりもカライモ(甘藷)が喜ばれるようになっていたのでしょう。食糧難でしたからね。桑畑が少なくなり、多くはイモ畑になっていました。
わたしが桑の実を食べた桑畑もありましたが、もう養蚕はしていなかったようです。
伯母さんたちの集落では、戦後もカイコさんを飼う農家はなかったようです。
カイコは牛小屋の上で飼っていました。桑の葉を敷いてあってその上にカイコはいました。食べている様、動いている様にびっくりしたものです。
それが繭になるのはわたしにはよく理解できませんでした。
もちろんそれから糸が取れるのもわかりませんでした。
わたしたちが疎開をした昭和20年ごろにはカイコよりもカライモ(甘藷)が喜ばれるようになっていたのでしょう。食糧難でしたからね。桑畑が少なくなり、多くはイモ畑になっていました。
わたしが桑の実を食べた桑畑もありましたが、もう養蚕はしていなかったようです。
伯母さんたちの集落では、戦後もカイコさんを飼う農家はなかったようです。
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