子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

タバコ乾燥小屋

2014年10月18日 | 小学校入学前
時間の流れ順に書いて行けばいいのですが、思い出す順に書いていますので小学校入学前にさかのぼります。

ヒラクチを捕まえた伯母さんのうちではタバコも栽培していました。
今ごろかもう少し季節が進んだころに伯母さんのうちに行ったことがあります。

タバコを乾燥していました。そのころは栽培の検査もたいへんでタバコの葉1枚まできちんと届けていたようです。ほかに横流しなどできない仕組みがあったようです。

小学校にも行っていない子どもにはよくわかりませんが、検査する人の目が光っているような話をしていました。

タバコの乾燥は夜を徹して行われていました。母屋や牛小屋とは別に乾燥小屋が建てられていました。今はほとんど見られませんが、戦後しばらくは農家に残っていました。わたしにはこれはタバコ乾燥小屋の跡だとすぐにわかりました。規格の建物だったのでしょうか、どこでも同じでした。

乾燥小屋では火が真っ赤に熾っていました。堅木と言われる火持ちのよいものが多かったようです。
タバコはどこに吊るされていたか、記憶にありません。

火の番に伯父さんが座り、そのあぐらの中にわたしが座っていました。おとっつあんもそばにいますが、わたしは伯父さんのあぐらの中です。おとっつあんのあぐらの中ではないのです。そんな記憶しかありません。

火の熱で頬が熱く、灰の中で焼いたカライモ(甘藷)を食べた記憶は残っています。

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