子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

37. 義兄の助言

2013年01月31日 | 小学生時代
小学生のころにはわかりませんでしたが、義兄は尊敬に足る人でした。
義兄は高等小学校を出て、会社勤めをしながら夜間中学に通い、勉強しました。
小学生のころにはなにもわかりませんでしたが、だんだんその偉さがわかり、社会人になってすばらしい義兄と思うようになりました。

わたしの進路に大きく影響する助言が3回ありました。
記憶にある1回目が昭和20年正月ころです。国民学校初等科5年生でした。

「これから空襲がひどくなる。今のうちに疎開したほうがよいです。ぜひ疎開してください。わが家も疎開します」

とうちゃんとかあちゃんに、義兄はそう勧めました。

昭和19年11月にわが市は第1回の空襲を受けています。それをわたしはあまり実感していません。ブログ「空襲対策」に書いたとおりです。

幸い、かあちゃんの姉さん夫婦がわが家から直線で10キロ余り離れているでしょうか、山一つ向こうの田舎に住んでありました。

5年生の終業式の日がクラスのみんなと別れる日でした。
このとき、5人が転校しました。大通りの煙草屋のとんちゃんもその一人でした。彼は建物疎開で転校しました。建物疎開というのは道路を拡張するとか、工場に近いからとかの理由で強制的に建物を壊されるのです。かあちゃんは強制疎開と言っていました。
ほかの4人は縁故疎開でした。

このあと1年間の疎開生活になります。わたしには未経験のことばかりが待っていました。

小学5年生までのことを思い出したら、また書きますが、そうでなければ疎開生活を書いていきます。


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