霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

高の嶺山頂

2007-01-16 15:48:46 | 歴史/古文書
 初日の出を見に行った山です。高の嶺城は弘治3年(1551)大内義長が毛利氏の攻め入ってくるのに対応して築いた城であるが毛利勢の増大でもちこたえられず下関方面へ退却したのであるが同年4月に長福寺(現功山寺)にて自刃した。大内氏を滅亡させた後毛利氏はこの城を改修し城番に市川経好をおいて守らせた。

 永禄14年(1569)大内輝弘の乱では毛利氏は守り固めて寄せ付けなかったといわれている。

 元和の改革で元和元年(1617)一国一城令が出され、この高の嶺城、長府の串崎城、岩国の横山城が破却とすることに決まった。

 この城は寛永15年(1638)には廃城となり今日に至っています。今でも古瓦や礎石が見られます。築城から87年間の城であった。

 今日登った主郭は一番の頂上で標高338mあります。

 この城は主郭を中心に四方に曲輪群をめぐらせています。

 史跡大内氏遺跡一部となっています。史跡大内氏遺跡はこの高の嶺城跡、大内館跡、築山館跡、凌雲寺跡の4跡をいいます。