「法」や「きまり」は世の中の進化と共に変わらねばなりません。最近、気になった「きまり」のいくつかを挙げましょうか。
将棋界、スマホ持ち込み&外出禁止に…違反の場合は除名相当処分〔2016年10月6日 スポーツ報知〕
将棋ソフトが「使い物にならない代物」だった時代には考えられないことですが
将棋ソフトが近年になって、棋士に勝つことが多くなってきて、棋士という人間の存在を脅かしつつあります。ひょっとすると50年後には、今よりも人数が減るかも知れません。
そんなおり、東京・大阪の将棋会館で行なわれるプロ棋士同士による対局時に、「端末器を持込むことが禁止」になるようです。
個人的な使用までを常時監視できませんから、昼食や夕食時に館外へ外出することも禁止されることでしょう。
また対局中に中座して「対抗策を講じるため将棋ソフトを参考にする」可能性もあるため、会館入口での端末器預け入れが義務化されることでしょう。
2ヶ月後の 2016/12/14 からこの決まりが実施されると、いままで外出して昼食をとっていたのができなくなるでしょう。まさか館内に食事を用意する場所ができるとは思えませんので、弁当持参か出前を取ることになり、後者が多くなるでしょうから、結局飲食業者だけが潤うことになるのでしょうか(笑)。
将棋会館以外で行なわれるタイトル戦での扱いは、主催社(主に新聞社)側に一任されるようですが
第一人者であるタイトル保持者や挑戦者がそんなカンニング行為をするはずがない
という考え方は過去の遺物になるはずで、何らかの規制ができそうです。
さらに言えば
「封じ手」で翌日に備える二日制の対局制度にも影響を与えることでしょう。「封じ手」制度そのものは大変すばらしいとは思いますが、「時代にそぐわなくなった」のではないか、ということですね。
公平さを考えると、やむを得ないと思うので、私は「除名も視野に入れたこの対応策」に、大いに賛成する次第です。
Paralympic でも気になったことがあります。
選手の障害が、自分の種目に関係する度合いにもよるでしょうが、場合によって障害者の記録が健常者よりも上になる事はあり得ることです。
しかし、踏み切りを義足にする幅跳びや、陸上競走では、スキージャンプ板のように、製造する材質会社の創意工夫がありそうで、規制がどんどん強化されるに違いないと思うと、ちょっといやな気がします。
これは、障害者であろうと健常者であろうと、変わりがないはずの「スポーツでの薬物規制」に関係しそうです。
通常のトレーニングで堂々と薬物を使用して筋肉を増強させておき、大会直前に「それまで使っていた薬物の痕跡を消す別の薬物」を使用するのが通常のようです。そういった「消し去る薬物」の発見がドーピング違反につながるようであり、まさに検査を逃れようとする側と発見しようとする側との、醜い闘い。
また薬物を使用する前に、自分の血液を大量に抜き出して保管しておき、その後、薬物を使用して筋肉を増強させ、大会直前になって「保管しておいた自分の血液と入れ替えて薬物検査を逃れる」手法も、常態化しているようです。
堂々と薬物違反を否定する背景には、このような時代の事情があったのです。
やがて
直接DNAなどを改造する手法も編み出されることとなり、一体どこまでがその選手の能力なのか、区別がつかなくなりそうです。
このように「発達」した薬物違反の証拠をつかむ側もまた、大変でしょう。一体どうすれば薬物違反をなくせるのでしょうね。
そもそも
「スポーツが金になる」ことに問題があるとするならば、オリンピック競技などのスポーツ試合をなくすしかなさそうです。
人間の汚さが表面化して、スポーツの意義が失われ、スポーツ上位の人間に金銭的な価値がなくなる時代が来るならば、放映権料なども低下するでしょうし、高額な薬物を使うと元が取れなくなり「魅力が低下」するため、やがてスポーツは衰退するでしょうが、そのほうが健康的なのでしょうか(笑)。
世界的な叡智が出てくることを期待するだけです。
そういえば、野球でもいろんなことがありました。
- 圧縮バットなるものを使って遠くへ飛ばそうとする競争がバット製造会社にあり、これを採用する側との癒着さえ指摘されました。
- 飛ぶボールなども、話題になりましたね。
いずれも、バット製造会社やボール製造会社の、競争範囲内だと見られていたのが、そうとも言えない時代になってきたのです。
そういえば、世にもまれな打者個人に依存するストライク・ボールの判定というルールもありましたね。せめて「個人に依存しないはずの、横のストライクゾーン」くらいは電子化できないものでしょうか。あまりにもひどい判定が多すぎるからです。
サッカーでもそうです。
世界のトップを争う試合では、ゴールの自動判定装置も使われるようになりました。
しかし数が多い予選などでは高価な装置を配置するわけにもいかず、リプレイ機能がだけが進んだため、誰が見てもゴールであることが明かなのに主審だけがゴールを認めないという「浅野の幻のゴール」事件もありました。卓球の「エッジ」事件同様に、それで勝った場合は不問とし、負けた場合には遺恨が残る、という状況は好ましくないでしょう。
また本当に体が接触したのかどうか怪しい「審判を欺く行為」もひんぱんに見られました。顔をひきつらせて倒れ込むのですが、審判がファウルを取らないとわかるや否や、何事もなかったかのようにすくっと立ち上がってプレーを続ける姿をみていると、「わざとらしさ」を越えて嫌悪感さえ生まれ、これがこのスポーツの限界なのか、とさえ感じる次第です。
一方では、ボールの取り合いに関連して、選手同士がぶつかって一方が倒れ込んで明らかにファウルと思われるのに、続行させるということもしばしば見られます。
オフサイドルールが必要になったきっかけもよく理解できますが、オフサイドの判定も最終的に主審が決めるとは言え副審の判断に大きく依存することが多く、これまた決して公正とは言えません。
たとえオフサイドトラップのいやらしさがあったとしても、オフサイドがない場合のつまらなさのほうが大きい、という人がいますが、オフサイドそのものについても再び検討すべきかと思います。何か別の制約でもっとおもしろくできないものでしょうか。
審判を絶対視するのはある程度やむを得ませんが、改善する余地がまだまだあるように思うのです。
さてさて、皆様はどう思われますか。