「テロ等準備罪」の審議ですが、すでに衆議院を通過し、参議院での審議が残されているようで 、2週間後の2017/06/18 ごろまでに通過させたい意向のようです。
「テロ等準備罪」に対する賛否
▲賛成している人たち
- 日本の与党
- 国連事務総長(グテーレス)
- その他の国の首脳
▲反対している人たち
- 日本の野党
- 日本の記者や評論家たち
- 国連特別報告者ケイやケナタッチ(Cannataci マルタ国籍「カナタッチ」とも)
つまり
賛成する人は、反対する人を「世界情勢を理解していない」と非難
反対する人は、「テロを口実に一般人を取り締まるものだ」と非難
私の意見ですが・・・・・・
賛成・反対のいずれも、ほとんど北朝鮮や中国の脅威を話題にできないようで、これが致命的な欠点のように思われます。
実際のところ
- 賛成派は東京オリンピックを控えてのテロ対策を強調
- 反対派はテロ対策と称して言論を弾圧しようとしていると強調
しているようで、いずれの言い分も正しそうです。
制裁されても何も中国に言えない「あの口汚い韓国人」のような人たちが日本には数多く存在しているのでしょうか。
意地悪な見方をすれば
- 国連人権委員会が何かを述べて「テロ等準備罪」に反対しているようですが、その通りにすれば欧米並みの不穏な国家になりかねないのに、それを利用しようと「テロ等準備罪」に反対する人たちもいるようです。
- また「日本が国際的基準を達成するためには、日本でもイスラム過激派のテロが起らねばならない」とし、それを利用しようとする人たちが「テロ等準備罪」に賛成しているようにも見られます。
- こうみてくると、賛成反対の両方とも、異なる国連の見方など、それぞれ海外の都合のいい主張を利用しようとしています。
- 規制をきびしくすればするほどその国民がとげとげしくなる例は、しばしば歴史に見られますね。
- 国連の総意が必ずしも国連組織の勧告とは一致しないことは、米紙の社説と一般記事に乖離が見られるのと同じで、それこそ意見の多様性と言えそうです。意見が一致することが珍しい貴重なことだと思うほうが正しいのかも知れません。
少数意見は「尊重されるべきですが、死守しないこと」も大切でしょうか。
- というのは「死守」のかげに「自分だけがいつも正しい」という中国・朝鮮半島風味の独善が見られるのです。
- もし反対ならば、次の選挙でそんな人を落とせばいいのです。歴史上総選挙が存在せず今でも存在しない中国の大声を利用する前に、「なぜ日本で自公勢力にこれだけ支持が集まったか」を考えるほうがよさそうです。トランプと同じで、自分に有利な選挙結果でなければ「認めません」か(大笑)。
- 残念ながら「死守」しようとする人から見えてくるのは、全体主義・権威主義・序列主義なんですね。いかにも「正論」を述べているように見える人にこのような薄汚さを見るのは、たえられません。
- 「死守」は民主国家・法治国家にふさわしくないので、やめませんか。それでも中国に近い「死守」を守りますか(笑)。
いずれにしても、行きすぎがあってはいけませんが、いま日本で必要なのは
- 中国による不穏なアジア情勢、北朝鮮による喫緊の問題を考慮し
- なぜ民主党政権が短命で終わり(その後分裂し名称も『民進党』へ変えた)
- なぜ保守政権の支持率が下がらないか、を考える必要がありそうで
- またなぜ沖縄の翁長が中国の法律無視の横暴について触れないのか、も考える必要がありそうです。
- ちなみに私は日本の「保守勢力・左翼勢力・宗教政党」のいいずれにも疑惑をもっているのです(笑)。
しかし私は
多様性を認めず「自分の意見のみが善である」と信じて疑わず、これに反する主張には耳をも傾けずに無謀な行動に走る「中国人韓国人そっくり」日本人にさえ、幸あれと祈らずにはいられません。
実際はどうなのかは別として「賢そう」に振る舞う人たちが、あの無法な中国・韓国の支持を得ながら「日本の保守政権に反対」することに立派さがあるとする姿をみて、情けなく感じてしまうのです。
さてさて、皆様はどう思われますか。