「ゴーギャン展」 東京国立近代美術館(Vol.2レクチャー)

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「ゴーギャン展」
7/3-9/23



プレビュー当日、内覧に合わせて開催された、東京国立近代美術館学芸員の鈴木勝雄氏のレクチャーを聞いてきました。少し遅くなりましたが、その様子を以下にまとめます。鑑賞の際の参考にしていただければ幸いです。

【ゴーギャン展概略~一点一点が見るべき作品であること~】(近美館長の冒頭挨拶)

・東京国立近代美術館で開催されるゴーギャン展は今回で2回目である。
・87年の回顧展は全150点と、今回の53点の約3倍近くあったが、一つ一つの作品の見応えという点に関しては遜色ないものだと考えている。
・05年にゴッホ展を開催したが、彼とゴーギャンは何かと対比的に受け止められることが多い。そのゴッホ展を終えてからのゴーギャン展というのも何かの縁ではないだろうか。

【「我々~」との出会いについて~畢竟の大作「我々」~】(以下、学芸員鈴木勝雄氏のレクチャー)

・「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を東京で展示出来たことに私自身興奮している。
・以前、ボストン美術館でも作品を見たことがあったが、その際は意外と小さいという印象を受けた。しかしながら今回、梱包より「我々」を取り出した際、その大きさとともに、これが壁画としての意識を持って描かれた作品であること、また紛れもない畢竟の大作であることを直感的に確信した。

【展示の構成と見所】

・展示は画業初期より独自のスタイルを確立して、タヒチより「我々」、さらにはそれ以降最晩年の作品までを追えるような流れとなっている。
・出品作53点を時代別に辿った。そのためテーマ別の展示を行っていない。

『第一章/野性の開放~タヒチ以前のゴーギャンにも存在したゴーギャン的なもの~』

・1882~83年、まだゴーギャンが株式仲買人として生計をたてていた頃の作品から展示は始まる。ゴーギャンは当初、ピサロなど、印象派の影響を強く受けていた。そこから徐々に独自のスタイルを確立していく過程を追う。



・「純潔の喪失」(1890-91):第一章のハイライトを飾る作品。鮮やかな色の帯を順に重ねてブリュターニュの風景を描く。裸体の少女の横たわる様、右手の花、左の狐など、ゴーギャンが一生をかけて追求した性、誘惑、死のテーマを先取りした作品ではなかろうか。
・ゴーギャンというとタヒチのイメージが強いが、決してタヒチへ行ってから「ゴーギャンはゴーギャンになった」わけではない。「純潔」にも見られるように、ゴーギャンはタヒチ以前でも自らの描く方向性を確立していたのではないかとも考えられる。

『第二章/タヒチへ~対比的な作品、モチーフの変奏と反復~』

・1891年の第一次タヒチ訪問。ノアノアの制作などで一時パリへと戻るが、ゴーギャンが現地の文化、風物をどのようにして発見していたのかを問うような内容にまとめた。

 

・「異国のエヴァ」(1890/94年)と「かぐわしき大地」(1892):モチーフの変奏
 前者はタヒチ以前に描かれたタヒチ的なイメージを呼び込む作品。女性の優美なポーズが印象的である。それがタヒチを経由すると同一モチーフにも関わらず、「かぐわしき大地」のように圧倒的で肉感的な女性の姿へと変化した。
 エヴァの原罪というキリスト教的視点を、タヒチの女性の力を借りて移植していく。同じモチーフの変奏的な発展。以前の絵画をタヒチの経験をもとに咀嚼、新たなイメージを作り上げることに成功した。

 

・「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」(1892)と「オヴィリ」(1894-95):モチーフの反復
 逞しい女性像と石膏の彫像。ポーズに共通点。ともに女性の手には犬らしき動物が抱えられている。タヒチの経験を元に、パリで制作された。
・同一のモチーフを反復させ、それに手を加えることで新たなる世界を作り出す。=ゴーギャンの創作。

『第三章/漂泊のさだめ~「我々~」とそれ以降の作品における青、黄、赤の色遣いの対比について。ゴーギャンの青とは何か~』

・1895年から1903年に死を迎えるまでの晩年のゴーギャンを振り返る。二度目のタヒチ訪問。



・代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(1897-98)について。
 展示のスタイルをどうするのか悩んだ。
 先入観を持つことなく作品の前に立ってもらうことも重要だが、モチーフの反復や変奏がどこまで現れていることも知って欲しい。
 そのため、最近の展示のトレンドでもある映像を補助的に用いることにした。そこで登場人物、テーマ、意味ないようを簡単にまとめてある。とは言え、解釈を押し付けるのではなく、あくまでもキーワードを散りばめただけのつもりだ。観客の想像力は大切にしたい。
 右の赤ん坊、中央の果物をとる人物、右奥の話し込む二人の人物から左端のこちらをじっと見つめる老婆など、生から死のイメージが画面に沿って流れるように描かれている。ポリネシアの月の神ヒナの存在などの意味は、展示後方のパネルでも少し解説した。
・最晩年までに至る6点をまとめて展観。「我々~」以降の展開を追う。



 「ファア・イヘイヘ(タヒチ牧歌)」(1898)
 横長のフォーマットからして「我々~」との関連性を伺わせる作品。「我々~」は青を基調としているが、この作品は黄色が基調となっている。
 また「我々~」のモチーフの一部分(寄り添って座る二人の人物)を見出せる「テ・パペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)」(1898)の基調となる色は赤である。
 「我々~」の青、「ファア~」の黄、「テ・パペ」の赤とその色の対比にも注意してみてほしい。
 なおゴーギャンはタヒチの女性に黄金色の肌の黄色を求めたが、「我々~」ではその補色関係にある青が使われている点も興味深い。ゴーギャン自身、黄色や赤を用いた作品は多いが、青を使用したものは少ないので、構想段階より「我々~」は青を使おうという意図があったのではないだろうか。セザンヌは青の美術史にも位置づけられる画家だが、ゴーギャンも色の観点からそう捉えるとまたこれまでに見えなかった世界が開けるはずだ。青の生み出す空間の深さを「我々~」で巧みに用いられたことに関心を持った。

【Q&A~作品数、ゴーギャンの宗教性、最近のゴーギャン研究とは~】

Q 87年の回顧展と比べると作品数が少ないのは何故なのか。

A かつての回顧展の時と同様、国内外を問わずに、数多くの美術館に貸出のお願いをした。今回は少ないという印象を受けられるかもしれないが、主要作を集めたという自信を持っている。またそもそもここ20年で海外館の作品の貸出に関する状況が一変した。(作品の保険料がとてつもない額に跳ね上がっている。)

Q ゴーギャンを宗教画家、キリスト教画家として見る視点はあるのか。

A ゴーギャン自身がキリスト教を意識していたのは事実だが、必ずしもキリスト教の観点からだけ彼を語るのは如何なものかと考えている。キリスト教的文化とタヒチの文化の混合、また野性的な人物としてありたいのかいわゆる文明的でありたいのかという問い、そしてそもそも自分は西洋人でしかありえないのではないかという葛藤などが複雑に絡み合って作品に反映されている。「我々~」においてもリンゴをとる人物を必ずしも私はエヴァと捉えていない。

Q ゴーギャンというとタヒチ時代のイメージが強いが、最近の研究ではどのようなゴーギャン像が見出されているのか。

A ゴーギャン研究の動向を詳しく承知しているわけではないが、最近は何かと付きまとうゴーギャンの「神話」を解体する方向にあることだけは間違いない。繰り返しになるが、タヒチの文化と必ずしも同化しえなかったゴーギャン自身の葛藤などを丹念に見ていくのが主流ではないだろうか。ゴーギャンも植民地支配に対して文章で噛み付いたことなどあったが、タヒチはもとより、最晩年間際に移住したマルキーズ諸島もフランスの植民地に過ぎなかった。またもう一点興味深いのは、絵画の中に登場する何やら不確かな描写だ。例えば「我々~」においてもその画面右上は青みを帯びた部分、もしくはヒナ像近くの小さな水浴図など、いくつか謎めいた表現がとられていることがわかる。こうした混沌としたイメージは他の作品にもいくつか登場するが、何か潜在的なものを画面に組み込み、絵画からさらなる想像力を引き出そうとするのもゴーギャンの一つの試みであった。作品は極めて暗示的だ。

以上です。同じモチーフを使っての反復と変奏というキーワードをはじめ、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とそれに類似する作品の色の関係など、興味深い話を聞くことが出来ました。

なお展覧会の概要、会場の構成、展示の模様については、先日アップした以下の記事を参照下さい。

「ゴーギャン展」 東京国立近代美術館(Vol.1プレビュー):展示の風景など。

また感想は別途に書くつもりです。展覧会は9月23日まで開催されています。
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