都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「気仙沼と、東日本大震災の記憶」 目黒区美術館
目黒区美術館
「気仙沼と、東日本大震災の記憶 リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」
2/13-3/21
目黒区美術館で開催中の「気仙沼と、東日本大震災の記憶 リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」を見てきました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。発生の直後から気仙沼や南三陸町の被災状況を記録していた美術館がありました。
それがリアス・アーク美術館です。元々は気仙沼の生涯学習施設です。地域の人々の創作活動の発表の場であるとともに、所縁の美術作家の作品を展示。あわせて同地を含む東北・北海道エリアの「芸術・文化を継続的に調査、研究する」(同館サイトより)拠点として活動していました。
震災の被害を記録したのは2年あまり。学芸係が中心となったそうです。結果得られた資料は膨大です。収集した被災物は250点、撮影した写真は30000点にも及びます。
その震災の調査記録の一部が目黒区美術館へとやって来ました。
はじまりは震災当日です。一連の大災害を捉えた写真が並んでいます。津波の凄まじい破壊力。全てを飲み込み、根こそぎ壊し、尊い命を奪っていきます。重油が漏れて火災が起きました。夜は真っ暗闇。電気もありません。明けて見れば何とも無残な光景が広がっています。船は陸上でひっくり返り、車は宙吊り。しかも3階ほどの高さの場所です。家は原型を留めず、鉄骨は折重なり、ぺしゃんこになっていました。筆舌に尽くしがたい。何をもって表せば良いのでしょうか。一言恐ろしい。今をもって信じられません。目を背けたくなってしまいます。
テキストが非常に重要です。というのも被災写真には、一枚一枚、撮影者自らが記したレポートが付いているのです。そこにあったのは、現場に立った者でなくては発せられない言葉でした。ヘリの飛び交う音や、充満した悪臭についても触れています。被災の状況は写真のみならず、テキストの力を借りてはより臨場感のある形で伝わってきました。
意外な表現があることに気がつきました。例えば「巨人のいたずら」という一節。壮絶な光景を前にして思わず出た言葉だそうです。また津波を受けた店舗ビルに付着した漁具を「クリスマスツリー」のようだとも述べています。さらに破壊尽くされ水浸しになった路地を「ヴェネツィアのような光景」とも表現していました。まさにこれこそがかの被害を経験したゆえの生の感覚、言葉ということかもしれません。
これらのテキストがより強いメッセージと化したのが、被災物、ないしそれを捉えた写真でした。なぜなら被災物には収集場所などの客観的事実だけでなく、いわば創作された物語が添えられているのです。
例えば炊飯器です。波に泥をかぶったのかドロドロになっています。そこへ物語が挿入されます。「裏の竹やぶで炊飯器見つけて、フタを開けてみたら、真っ黒いヘドロが詰まってたの。それ捨てられたらね、一緒に真っ白いご飯が出てきたのね、(略)涙出たよ。」とありました。語り部が加わります。おそらく実際には持ち主すら分からない炊飯器なのでしょう。ただこうした創作が交わることで、震災の状況がより心情に訴える形で浮かび上がってきます。
もちろん賛否あるやもしれません。率直なところ私も戸惑いました。ただやがて無意識的に物語を追っていた自分に気がつきました。単に震災の事実を記録として伝えているだけではありません。あえて被災地の「想像を補助」(キャプションより)するために創作を付けているわけです。
キーワードパネルもポイントです。不安、トラウマ、そして瓦礫など。全部で108個あります。いずれも震災を通して浮かび上がった課題なりが事細かに記されています。ちなみにこの展示では一般的に瓦礫として扱われるものを被災物として呼んでいます。どのようなモノであれ、価値のないガレキではなく、本来的に人の生活や記憶を伝える家財であり家であった。そうした意味が込められているそうです。
ちょうど今年で東日本大震災から5年が経ちました。この3月11日は発生した年と同じく金曜日でした。
例のキーワードパネルに、「絆」という言葉は既に使い古され、また被災地に注目が集まるほど、震災という非日常は続き、いわゆる日常の生活を取り戻せないといった内容のテキストが記されていました。率直に重いメッセージだと思います。一方で、当事者と第三者、つまり被災者とそうでない人の立ち位置を区別することは、必ずしも有意義でないとの指摘もありました。
5年経ち、何が変わり、また何が変わらないのか。そして今、何かできるのか。月並みな言葉で恐縮ですが、美術館の活動を通して震災を振り返り、さらに次を見据えるためにも触れておくべき展示と言えそうです。
過去に三陸を襲った津波の歴史のほか、「方舟日記ー海と山を生きるリアスな暮らし」と題し、気仙沼の民俗資料をまとめたコーナーもあります。そもそもリアス・アークのアークとは「方舟」を意味する言葉です。海にまつわる気仙沼から南三陸の生活文化を見知ることも出来ました。
テキストは膨大です。一つ一つ追うのにはかなり時間がかかります。余裕をもってお出かけください。
入場は無料です。3月21日まで開催されています。
「気仙沼と、東日本大震災の記憶 リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」 目黒区美術館(@mmatinside)
会期:2月13日(土)~3月21日(月)
休館:月曜日。但し3月21日(休)は開館。
時間:10:00~18:00
料金:無料。
住所:目黒区目黒2-4-36
交通:JR線、東京メトロ南北線、都営三田線、東急目黒線目黒駅より徒歩10分。
「気仙沼と、東日本大震災の記憶 リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」
2/13-3/21
目黒区美術館で開催中の「気仙沼と、東日本大震災の記憶 リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」を見てきました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。発生の直後から気仙沼や南三陸町の被災状況を記録していた美術館がありました。
それがリアス・アーク美術館です。元々は気仙沼の生涯学習施設です。地域の人々の創作活動の発表の場であるとともに、所縁の美術作家の作品を展示。あわせて同地を含む東北・北海道エリアの「芸術・文化を継続的に調査、研究する」(同館サイトより)拠点として活動していました。
震災の被害を記録したのは2年あまり。学芸係が中心となったそうです。結果得られた資料は膨大です。収集した被災物は250点、撮影した写真は30000点にも及びます。
その震災の調査記録の一部が目黒区美術館へとやって来ました。
はじまりは震災当日です。一連の大災害を捉えた写真が並んでいます。津波の凄まじい破壊力。全てを飲み込み、根こそぎ壊し、尊い命を奪っていきます。重油が漏れて火災が起きました。夜は真っ暗闇。電気もありません。明けて見れば何とも無残な光景が広がっています。船は陸上でひっくり返り、車は宙吊り。しかも3階ほどの高さの場所です。家は原型を留めず、鉄骨は折重なり、ぺしゃんこになっていました。筆舌に尽くしがたい。何をもって表せば良いのでしょうか。一言恐ろしい。今をもって信じられません。目を背けたくなってしまいます。
テキストが非常に重要です。というのも被災写真には、一枚一枚、撮影者自らが記したレポートが付いているのです。そこにあったのは、現場に立った者でなくては発せられない言葉でした。ヘリの飛び交う音や、充満した悪臭についても触れています。被災の状況は写真のみならず、テキストの力を借りてはより臨場感のある形で伝わってきました。
意外な表現があることに気がつきました。例えば「巨人のいたずら」という一節。壮絶な光景を前にして思わず出た言葉だそうです。また津波を受けた店舗ビルに付着した漁具を「クリスマスツリー」のようだとも述べています。さらに破壊尽くされ水浸しになった路地を「ヴェネツィアのような光景」とも表現していました。まさにこれこそがかの被害を経験したゆえの生の感覚、言葉ということかもしれません。
これらのテキストがより強いメッセージと化したのが、被災物、ないしそれを捉えた写真でした。なぜなら被災物には収集場所などの客観的事実だけでなく、いわば創作された物語が添えられているのです。
例えば炊飯器です。波に泥をかぶったのかドロドロになっています。そこへ物語が挿入されます。「裏の竹やぶで炊飯器見つけて、フタを開けてみたら、真っ黒いヘドロが詰まってたの。それ捨てられたらね、一緒に真っ白いご飯が出てきたのね、(略)涙出たよ。」とありました。語り部が加わります。おそらく実際には持ち主すら分からない炊飯器なのでしょう。ただこうした創作が交わることで、震災の状況がより心情に訴える形で浮かび上がってきます。
もちろん賛否あるやもしれません。率直なところ私も戸惑いました。ただやがて無意識的に物語を追っていた自分に気がつきました。単に震災の事実を記録として伝えているだけではありません。あえて被災地の「想像を補助」(キャプションより)するために創作を付けているわけです。
キーワードパネルもポイントです。不安、トラウマ、そして瓦礫など。全部で108個あります。いずれも震災を通して浮かび上がった課題なりが事細かに記されています。ちなみにこの展示では一般的に瓦礫として扱われるものを被災物として呼んでいます。どのようなモノであれ、価値のないガレキではなく、本来的に人の生活や記憶を伝える家財であり家であった。そうした意味が込められているそうです。
ちょうど今年で東日本大震災から5年が経ちました。この3月11日は発生した年と同じく金曜日でした。
例のキーワードパネルに、「絆」という言葉は既に使い古され、また被災地に注目が集まるほど、震災という非日常は続き、いわゆる日常の生活を取り戻せないといった内容のテキストが記されていました。率直に重いメッセージだと思います。一方で、当事者と第三者、つまり被災者とそうでない人の立ち位置を区別することは、必ずしも有意義でないとの指摘もありました。
5年経ち、何が変わり、また何が変わらないのか。そして今、何かできるのか。月並みな言葉で恐縮ですが、美術館の活動を通して震災を振り返り、さらに次を見据えるためにも触れておくべき展示と言えそうです。
過去に三陸を襲った津波の歴史のほか、「方舟日記ー海と山を生きるリアスな暮らし」と題し、気仙沼の民俗資料をまとめたコーナーもあります。そもそもリアス・アークのアークとは「方舟」を意味する言葉です。海にまつわる気仙沼から南三陸の生活文化を見知ることも出来ました。
テキストは膨大です。一つ一つ追うのにはかなり時間がかかります。余裕をもってお出かけください。
入場は無料です。3月21日まで開催されています。
「気仙沼と、東日本大震災の記憶 リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」 目黒区美術館(@mmatinside)
会期:2月13日(土)~3月21日(月)
休館:月曜日。但し3月21日(休)は開館。
時間:10:00~18:00
料金:無料。
住所:目黒区目黒2-4-36
交通:JR線、東京メトロ南北線、都営三田線、東急目黒線目黒駅より徒歩10分。
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