『シアトル→パリ 田中保とその時代』 埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館
『シアトル→パリ 田中保とその時代』
2022/7/16~10/2



埼玉県立近代美術館で開催中の『シアトル→パリ 田中保とその時代』を見てきました。

埼玉県の岩槻に生まれた田中保(1886〜1941年)は、18歳にてシアトルへ渡ると画家としての地位を築き、パリへと移り住んで生涯を過ごしました。

その田中の画業をたどるのが『シアトル→パリ 田中保とその時代』で、田中の絵画とパリで同時代に活動した画家の作品、約100点が公開されていました。


田中保『自画像』 1915年頃

はじまりは画家を志した初期の作品が並んでいて、自ら絵筆を持ちながらポーズを構えるすがたを木炭で描いた『自画像』が印象に残りました。


左から田中保『キュピストA』、『キュピストB』 ともに1915年

シアトルへ移った田中は、裸婦像や風景画などを手がけていて、一時は前衛美術の関心から『キュピストA』などに見られるような抽象絵画的な作品を描きました。そして1915年にはパナマ・パシフィック万博 に出品すると、1917年には美術批評家のルイーズ・ゲブハード・カンと国籍の違いを越えて結婚しました。

1920年、ルイーズとともにパリへと移住した田中は、個展を開いたり、サロンへ出展するなどして活動し、画家としての名声を高めました。


田中保『黄色のドレス』 1925〜30年

この頃の田中の作品で目立つのは比較的サイズの大きな肖像画で、『黄色のドレス』では黄色いドレスに身をまとい、大きな椅子に腰掛けた女性をやや厚塗りのタッチにて描いていました。


田中保『窓辺の婦人』 1925〜30年

また『窓辺の婦人』は、海を望む窓辺にて、花柄のドレスを着た女性がソファに腰掛けつつ、本を持つすがたを描いていて、背後には花の飾られた花瓶とともに日本を思わせるような屏風が置かれていました。


田中保『花』 1926年頃

パリで画家として地位を確立した田中は、日本での成功を志すも、日本人美術家との間にあった溝は埋まることがなく、日本の画壇にも受け入れられることはありませんでした。


田中保『黒いドレスの腰かけている女』 1925〜30年

結果的に日本へと渡ることのなかった田中は、一連の肖像画はもとより、フランス各地の風景や装飾美術への関心を伺わせる作品を描き続けていて、1941年に同国にて生涯を閉じました。


田中保『水辺の裸婦』 1920〜25年

『水辺の裸婦』や『泉のほとりの裸婦』といった、裸婦をモチーフとした作品も魅力的といえるのではないでしょうか。いずれも裸婦が水辺などにて寛いだりする光景を濃厚なタッチにて描いていて、どこか官能的であるとともに、リアルな風景というよりも神話の中の世界を覗き込むような雰囲気も感じられました。


田中保『泉のほとりの裸婦』 1920〜30年

一連の絵画とともに、新出の書簡や入国記録といった資料も公開されていて、知られざる田中の足跡を丹念に追いかけていました。埼玉県立近代美術館での田中の回顧展は実に25年ぶりのこととなります。


10月2日まで開催されています。おすすめします。*一部の作品の撮影が可能でした。

『シアトル→パリ 田中保とその時代』 埼玉県立近代美術館@momas_kouhou
会期:2022年7月16日(土) ~10月2日(日)
休館:月曜日。(7月18日、8月15日、9月19日は開館)
時間:10:00~17:30 
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般900(720)円 、大高生720(580)円、中学生以下は無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *MOMASコレクション(常設展)も観覧可。
住所:さいたま市浦和区常盤9-30-1
交通:JR線北浦和駅西口より徒歩5分。北浦和公園内。
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