都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「冨安由真展|漂泊する幻影」 KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場
「冨安由真展|漂泊する幻影」
2021/1/14~2021/1/31
KAAT神奈川芸術劇場で開催中の「冨安由真展|漂泊する幻影」を見てきました。
1983年に生まれた現代美術家の冨安由真は、絵画やインスタレーションを通して、「不可視なものに対する知覚を鑑賞者に疑似的に体験させる作品」(公式サイトより)を制作してきました。
その冨安の新作個展が「漂泊する幻影」で、同劇場のスタジオを廃墟に置き換え、現実と非現実の交錯した「無限迷宮」(解説より)を築いていました。
さてスタジオへの鉄製の扉を開け、もう1つのアンティーク調の木製のドアを開けると、目の前に細く長い廊下が伸びていました。
それは先の木製のドアと同様、年代を感じさせるように古びていて、天井には照明がついていました。そして正面を見据えると突き当たりに人影が見えましたが、すぐに自分の姿であることが分かりました。つまり廊下の正面の壁に鏡が設置されていました。
奥の鏡へ向かって進むと左側に扉があり、開けて中へ入ると、暗く大きな空間が広がっていました。しばらく目が慣れるまでは一体、何が置かれているか判然としませんでしたが、天井から点滅を繰り返すスポットライトにより、カビの生えたようなテーブルやひっくり返った椅子、それに壊れたピアノなどが舞台装置(セット)のように並んでいることが見て取れました。
そうした家具の周囲には、狸や鹿、それにアルマジロやワニなどの動物の剥製が点在していて、何やら我が物顔に闊歩するような様子を見せていました。
さらに朽ち果てたバーカウンターやボロボロのソファーも並んでいて、ホテルの廃墟のような空間が作られていることがわかりました。ただそれぞれのセットは断片的にしかライトで照らされない上、時に視界を遮るかのように暗幕がたなびき、全てを明るい状態で俯瞰することはできませんでした。
ライトの点滅に誘われながら壊れた家具の合間を動いていると、ホテルの廃墟の中を彷徨っているような気持ちにさせられるかもしれません。またあちこちに置かれた動物の剥製は、人間がいなくなった廃墟へ代わりにやって来た住人のようにも思えました。
こうした一連の廃墟のセットと同時に、暗室にて展開するのが、一方の壁のスクリーンへ投影された映像でした。
そこには同じように朽ちたバーカウンターや廊下、ソファーや椅子の並ぶ廃墟の室内が広がっていて、動物の剥製が置かれた様子も映されていました。
ただし映像は途切れ途切れに映されるため、展示室内のセットを一度に見るのが難しいのと同じく、全ての状況を把握するにはしばらく時間がかかりました。また映像とスポットライトが同時に映されることもありませんでした。
ともに断片的に視界が開けるセットと映像を見比べていくと、互いに共通する廃墟のイメージが頭の中で緩やかに繋がっていきました。展示室に広がるインスタレーションは、映像のホテルの一部を取り出して再構成したようにも見えるかもしれません。
この他にもノイズを立てるラジオや時を刻む時計も置かれていて、椅子の下の古ぼけたモニターにはスクリーンと同じような廃墟空間が映されていました。
何度かスクリーンを見ていると、映像の室内の壁に絵画が飾られていることに気がつきました。ただ特にクローズアップされることもなく、まさに忘れられた存在のようにさり気なく映っていました。そして改めて暗室のセットをライトとともに確認すると、映像と同じような椅子や家具こそ置かれているものの、絵画だけは1つもありませんでした。
入って来た扉とは別のドアから部屋を出ると、再び廊下が姿を表しました。廊下には車椅子や灰皿が捨てられたように置かれていて、最初と同じように奥には鏡が設置されていました。ちょうど合わせ鏡のようになっていて、また自分の姿が映り込みました。
廊下の右手にある扉を抜けると暗く小さな部屋が広がっていて、右側の壁には何枚もの絵画が掛けられていました。それらはスポットライトによって交互に照らされていて、今度は同時に全てが明るく映されることもありました。
その絵画には古く壊れた家具が散乱する廃墟化した室内が描かれていて、先ほど見た映像の中の光景と重なり合いました。但し映像と同時に見比べることは物理的に不可能なため、あくまでも記憶の中で擦り合わせることしかできませんでした。
映像、インスタレーション、それに絵画の3つの要素から、1つのホテルの廃墟が「無限迷宮」のように築かれているようで、一体どれが現実で非現実であるのか分からなりました。またそれぞれ同じような廃墟でありながらも、朽ちた程度がわずかに異なっているようにも感じられて、あたかも別の時間が流れているかのようでした。
一見、リアルなように思える映像の廃墟も、ともすれば展示室内のセットや絵画に描かれた室内を再現した架空の空間なのかもしれません。まさに冨安の「曖昧なもの・不確かなもの」(解説より)を表現した場に投げ込まれ、何が幻影なのかも判然とせず、その中を永遠に漂泊しているような気持ちにさせられました。
劇場空間を活かして、スポットライトを用いた展示も効果的だったのではないでしょうか。映像や絵画には一切の人物は登場しませんが、鑑賞者の動きや足音までも演出の一部として取り込んでいるかのようでした。
会場は一方通行でした。扉から廊下、暗室の展示室、そして廊下を経て絵画の部屋へと順路が続いていました。また全て見終えた後に二巡以上することも可能ですが、混雑時はこの限りではありません。
近年、人気を高めている冨安の個展ゆえか、土日を中心に多くの来場者を集め、既に一部の時間帯において数十分待ちの入場規制が行われました。そもそもスペースの都合や作品の性格上、一度に多くの人が鑑賞できません。会期最終週にあたる次の土日は相当に混雑することが予想されます。実際に一昨年の資生堂ギャラリーでの個展も会期後半は長蛇の列となりました。
私は運よく平日の夕方に入場したために人も疎らでした。タイトなスケジュールだけに難しいかもしれませんが、なるべく平日の観覧をおすすめします。
予約は不要です。1月31日まで開催されています。*写真は「冨安由真展|漂泊する幻影」会場風景。撮影が可能です。
「冨安由真展|漂泊する幻影」 KAAT神奈川芸術劇場(@kaatjp)
会期:2021年1月14日(木)~2021年1月31日(日)
休館:会期中無休
時間:10:00~18:00
料金:一般800円、学生・65歳以上500円、高校生以下無料。
*10名以上の団体は100円引き無料。
住所:横浜市中区山下町281
交通:みなとみらい線日本大通り駅3番出口より徒歩約5分。JR線関内、石川町両駅より徒歩約15分。
「冨安由真展|漂泊する幻影」
2021/1/14~2021/1/31
KAAT神奈川芸術劇場で開催中の「冨安由真展|漂泊する幻影」を見てきました。
1983年に生まれた現代美術家の冨安由真は、絵画やインスタレーションを通して、「不可視なものに対する知覚を鑑賞者に疑似的に体験させる作品」(公式サイトより)を制作してきました。
その冨安の新作個展が「漂泊する幻影」で、同劇場のスタジオを廃墟に置き換え、現実と非現実の交錯した「無限迷宮」(解説より)を築いていました。
さてスタジオへの鉄製の扉を開け、もう1つのアンティーク調の木製のドアを開けると、目の前に細く長い廊下が伸びていました。
それは先の木製のドアと同様、年代を感じさせるように古びていて、天井には照明がついていました。そして正面を見据えると突き当たりに人影が見えましたが、すぐに自分の姿であることが分かりました。つまり廊下の正面の壁に鏡が設置されていました。
奥の鏡へ向かって進むと左側に扉があり、開けて中へ入ると、暗く大きな空間が広がっていました。しばらく目が慣れるまでは一体、何が置かれているか判然としませんでしたが、天井から点滅を繰り返すスポットライトにより、カビの生えたようなテーブルやひっくり返った椅子、それに壊れたピアノなどが舞台装置(セット)のように並んでいることが見て取れました。
そうした家具の周囲には、狸や鹿、それにアルマジロやワニなどの動物の剥製が点在していて、何やら我が物顔に闊歩するような様子を見せていました。
さらに朽ち果てたバーカウンターやボロボロのソファーも並んでいて、ホテルの廃墟のような空間が作られていることがわかりました。ただそれぞれのセットは断片的にしかライトで照らされない上、時に視界を遮るかのように暗幕がたなびき、全てを明るい状態で俯瞰することはできませんでした。
ライトの点滅に誘われながら壊れた家具の合間を動いていると、ホテルの廃墟の中を彷徨っているような気持ちにさせられるかもしれません。またあちこちに置かれた動物の剥製は、人間がいなくなった廃墟へ代わりにやって来た住人のようにも思えました。
こうした一連の廃墟のセットと同時に、暗室にて展開するのが、一方の壁のスクリーンへ投影された映像でした。
そこには同じように朽ちたバーカウンターや廊下、ソファーや椅子の並ぶ廃墟の室内が広がっていて、動物の剥製が置かれた様子も映されていました。
ただし映像は途切れ途切れに映されるため、展示室内のセットを一度に見るのが難しいのと同じく、全ての状況を把握するにはしばらく時間がかかりました。また映像とスポットライトが同時に映されることもありませんでした。
ともに断片的に視界が開けるセットと映像を見比べていくと、互いに共通する廃墟のイメージが頭の中で緩やかに繋がっていきました。展示室に広がるインスタレーションは、映像のホテルの一部を取り出して再構成したようにも見えるかもしれません。
この他にもノイズを立てるラジオや時を刻む時計も置かれていて、椅子の下の古ぼけたモニターにはスクリーンと同じような廃墟空間が映されていました。
何度かスクリーンを見ていると、映像の室内の壁に絵画が飾られていることに気がつきました。ただ特にクローズアップされることもなく、まさに忘れられた存在のようにさり気なく映っていました。そして改めて暗室のセットをライトとともに確認すると、映像と同じような椅子や家具こそ置かれているものの、絵画だけは1つもありませんでした。
入って来た扉とは別のドアから部屋を出ると、再び廊下が姿を表しました。廊下には車椅子や灰皿が捨てられたように置かれていて、最初と同じように奥には鏡が設置されていました。ちょうど合わせ鏡のようになっていて、また自分の姿が映り込みました。
廊下の右手にある扉を抜けると暗く小さな部屋が広がっていて、右側の壁には何枚もの絵画が掛けられていました。それらはスポットライトによって交互に照らされていて、今度は同時に全てが明るく映されることもありました。
その絵画には古く壊れた家具が散乱する廃墟化した室内が描かれていて、先ほど見た映像の中の光景と重なり合いました。但し映像と同時に見比べることは物理的に不可能なため、あくまでも記憶の中で擦り合わせることしかできませんでした。
映像、インスタレーション、それに絵画の3つの要素から、1つのホテルの廃墟が「無限迷宮」のように築かれているようで、一体どれが現実で非現実であるのか分からなりました。またそれぞれ同じような廃墟でありながらも、朽ちた程度がわずかに異なっているようにも感じられて、あたかも別の時間が流れているかのようでした。
一見、リアルなように思える映像の廃墟も、ともすれば展示室内のセットや絵画に描かれた室内を再現した架空の空間なのかもしれません。まさに冨安の「曖昧なもの・不確かなもの」(解説より)を表現した場に投げ込まれ、何が幻影なのかも判然とせず、その中を永遠に漂泊しているような気持ちにさせられました。
劇場空間を活かして、スポットライトを用いた展示も効果的だったのではないでしょうか。映像や絵画には一切の人物は登場しませんが、鑑賞者の動きや足音までも演出の一部として取り込んでいるかのようでした。
会場は一方通行でした。扉から廊下、暗室の展示室、そして廊下を経て絵画の部屋へと順路が続いていました。また全て見終えた後に二巡以上することも可能ですが、混雑時はこの限りではありません。
近年、人気を高めている冨安の個展ゆえか、土日を中心に多くの来場者を集め、既に一部の時間帯において数十分待ちの入場規制が行われました。そもそもスペースの都合や作品の性格上、一度に多くの人が鑑賞できません。会期最終週にあたる次の土日は相当に混雑することが予想されます。実際に一昨年の資生堂ギャラリーでの個展も会期後半は長蛇の列となりました。
私は運よく平日の夕方に入場したために人も疎らでした。タイトなスケジュールだけに難しいかもしれませんが、なるべく平日の観覧をおすすめします。
【冨安展は平日がおすすめです】冨安展の会期も残り5日となりました。土日は混み合う可能性がございますので、平日のご来場をお勧めいたします。ご来場お待ちしております!時間:11:00~18:00(入場は閉場の30分前まで)開催期間:~1/31(日) 会期中無休https://t.co/nAG5GovSQB
— KAAT神奈川芸術劇場 (@kaatjp) January 26, 2021
予約は不要です。1月31日まで開催されています。*写真は「冨安由真展|漂泊する幻影」会場風景。撮影が可能です。
「冨安由真展|漂泊する幻影」 KAAT神奈川芸術劇場(@kaatjp)
会期:2021年1月14日(木)~2021年1月31日(日)
休館:会期中無休
時間:10:00~18:00
料金:一般800円、学生・65歳以上500円、高校生以下無料。
*10名以上の団体は100円引き無料。
住所:横浜市中区山下町281
交通:みなとみらい線日本大通り駅3番出口より徒歩約5分。JR線関内、石川町両駅より徒歩約15分。
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