都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「横山大観 - 新たなる伝説へ - 」 国立新美術館
国立新美術館(港区六本木7-22-2)
「没後50年 横山大観 - 新たなる伝説へ - 」
1/23-3/3
仰々しい副題のついた展覧会です。初期より晩年の作、全75点にて大観の画業を概観します。国立新美術館での大観展へ行ってきました。
近代日本画の展示では必ず目にする大観ですが、このようなまとまった形で見るのは今回が初めてです。大観のコレクションでは聖地とも言える足立美術館をはじめ、東京藝大、東博、京博、その他、企業コレクションまで、全国各地より様々な作品が集まっています。そして大観が1904年、岡倉天心とともに訪れたアメリカでの作品(4点)が、史上初めて東京に『里帰り』していました。また昨年の東近美での特集展も記憶に新しい「生々流転」だけでなく、同じような長大な巻物形式(全長27メートル)をとる「四時山水」や、大倉集古館でもあまり出品されない「夜桜」などの大作群も紹介されています。一大回顧展に相応しいラインナップであるのは事実のようです。
作風、または画題も膨大な大観を一括りにするのは非常に困難ですが、私が一つ、彼の強い魅力として挙げたいのが水、または海の卓越した表現です。『大観ブルー』とも『海の大観』とでも称せるかもしれませんが、ともかく川や海が大観の手にかかると、実に瑞々しい美しさをたたえ、しかもそれが場面によって多様な表情を見せていきます。竹橋の常設展でもお馴染みの「南溟の夜」は傑作です。深い藍色をたたえて深淵に広がる海が、全てをのみ込むかのようにして陸地を洗っています。仄かに瞬く星屑と、海と一体となった大空も、どこか夢幻的なイメージを醸し出していました。
『海の大観』の美しさを見るには、「海潮四題」(1940)シリーズがベストかもしれません。これらの連作は、海景のみで四季を表すという、とても意欲的なものですが、例えば「冬」では凍り付く雪原のような寒々しい波を、また一変する「夏」では、岩場を襲いながら砕け散っていく波の様子が力強く示されています。そしてとりわけ充実しているのが、霞に包まれる大海原が広がる「春」です。清涼たる水色の海が光を浴び、その上にはあたかも春の到来を喜ぶかのような海鳥が舞っています。里帰り作品の一つ、初期の「月夜の波図」(1904)における透明感溢れる波の描写を見ても、大観が元々、海景に長けていたことが良く分かりますが、ともかく感心するのは、その染み渡るような水の色、そしてうねる波の美しさでした。
さて、展示で特に興味深いのは、先人たちとの対比という観点において、例えば光琳の「槇楓図屏風」と大観の「秋色」を一緒に紹介したセクションです。実際、大観はこの光琳作を見たのちに「秋色」を仕上げたということですが、私の目を通す限りにおいては、あまり両者に関連性があるようには感じられませんでした。光琳には木々にのびやかな動きのある、形態の面白さと型にはまらない奔放な構図の様子が見て取れますが、大観のそれは「夜桜」や「紅葉」などのような、画面をモチーフで埋め尽くす迫力の方が優先しています。また鹿の様子が描かれた左隻も、その余白の用い方においては光琳というよりも宗達に近いのではないでしょうか。この二点に関しては、大変失礼ながらも光琳作の方が『新しく』見えました。
大観と言えば富士ですが、やや食傷気味にも見えてしまうそれらの中で、ただ一点、とても惹かれた作品がありました。それがこの「霊峰十趣・夜」(1920)です。ここに描かれた富士は、有りがちな神々しさや威圧感を見るものとは異なり、どこか夜に微睡んで佇んでいるかのような、幻想を思う、優し気な表情をたたえています。スラッとした稜線を横にのばし、可愛らしくも照る三日月とあたかも話し合うかのような姿を見せてもいました。このような富士なら抵抗感はありません。
サブタイトルの『伝説』を汲み取るには、ただ展示作を眺めているだけでは足りないのかもしれません。作品には詳細なキャプションもなく、その謂れ等々に接するには、音声ガイド、または分厚い図録にあたるしかありませんでした。『伝説』を作るにしては、随分と構成が大味です。
集客は好調のようです。会場は相当混雑していました。3月3日まで開催されています。
「没後50年 横山大観 - 新たなる伝説へ - 」
1/23-3/3
仰々しい副題のついた展覧会です。初期より晩年の作、全75点にて大観の画業を概観します。国立新美術館での大観展へ行ってきました。
近代日本画の展示では必ず目にする大観ですが、このようなまとまった形で見るのは今回が初めてです。大観のコレクションでは聖地とも言える足立美術館をはじめ、東京藝大、東博、京博、その他、企業コレクションまで、全国各地より様々な作品が集まっています。そして大観が1904年、岡倉天心とともに訪れたアメリカでの作品(4点)が、史上初めて東京に『里帰り』していました。また昨年の東近美での特集展も記憶に新しい「生々流転」だけでなく、同じような長大な巻物形式(全長27メートル)をとる「四時山水」や、大倉集古館でもあまり出品されない「夜桜」などの大作群も紹介されています。一大回顧展に相応しいラインナップであるのは事実のようです。
作風、または画題も膨大な大観を一括りにするのは非常に困難ですが、私が一つ、彼の強い魅力として挙げたいのが水、または海の卓越した表現です。『大観ブルー』とも『海の大観』とでも称せるかもしれませんが、ともかく川や海が大観の手にかかると、実に瑞々しい美しさをたたえ、しかもそれが場面によって多様な表情を見せていきます。竹橋の常設展でもお馴染みの「南溟の夜」は傑作です。深い藍色をたたえて深淵に広がる海が、全てをのみ込むかのようにして陸地を洗っています。仄かに瞬く星屑と、海と一体となった大空も、どこか夢幻的なイメージを醸し出していました。
『海の大観』の美しさを見るには、「海潮四題」(1940)シリーズがベストかもしれません。これらの連作は、海景のみで四季を表すという、とても意欲的なものですが、例えば「冬」では凍り付く雪原のような寒々しい波を、また一変する「夏」では、岩場を襲いながら砕け散っていく波の様子が力強く示されています。そしてとりわけ充実しているのが、霞に包まれる大海原が広がる「春」です。清涼たる水色の海が光を浴び、その上にはあたかも春の到来を喜ぶかのような海鳥が舞っています。里帰り作品の一つ、初期の「月夜の波図」(1904)における透明感溢れる波の描写を見ても、大観が元々、海景に長けていたことが良く分かりますが、ともかく感心するのは、その染み渡るような水の色、そしてうねる波の美しさでした。
さて、展示で特に興味深いのは、先人たちとの対比という観点において、例えば光琳の「槇楓図屏風」と大観の「秋色」を一緒に紹介したセクションです。実際、大観はこの光琳作を見たのちに「秋色」を仕上げたということですが、私の目を通す限りにおいては、あまり両者に関連性があるようには感じられませんでした。光琳には木々にのびやかな動きのある、形態の面白さと型にはまらない奔放な構図の様子が見て取れますが、大観のそれは「夜桜」や「紅葉」などのような、画面をモチーフで埋め尽くす迫力の方が優先しています。また鹿の様子が描かれた左隻も、その余白の用い方においては光琳というよりも宗達に近いのではないでしょうか。この二点に関しては、大変失礼ながらも光琳作の方が『新しく』見えました。
大観と言えば富士ですが、やや食傷気味にも見えてしまうそれらの中で、ただ一点、とても惹かれた作品がありました。それがこの「霊峰十趣・夜」(1920)です。ここに描かれた富士は、有りがちな神々しさや威圧感を見るものとは異なり、どこか夜に微睡んで佇んでいるかのような、幻想を思う、優し気な表情をたたえています。スラッとした稜線を横にのばし、可愛らしくも照る三日月とあたかも話し合うかのような姿を見せてもいました。このような富士なら抵抗感はありません。
サブタイトルの『伝説』を汲み取るには、ただ展示作を眺めているだけでは足りないのかもしれません。作品には詳細なキャプションもなく、その謂れ等々に接するには、音声ガイド、または分厚い図録にあたるしかありませんでした。『伝説』を作るにしては、随分と構成が大味です。
集客は好調のようです。会場は相当混雑していました。3月3日まで開催されています。
コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )
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はろるどさんは「水」に目がいったのですね。
確かに仰る通り、水にテーマ絞って観てみると
観えなかったものも見えてくるかもしれません。
今回は水の表現がとても良いなあと思いました。
大観はどこか仰々し過ぎて近寄り難い部分もあるのですが、(もちろん素晴らしい絵はたくさんありますが。)
このような水なら素直に惹かれますね。
混んでいました。知名度=集客力です。
展示替えがあって、「夜桜」なんかは後期には見られなくなってしまうのでしたよね。
おっしゃられるように展示解説が全くないのは不適切きわまる、僕は仕方ないから音声ガイド借りましたよ。
それでいて「生々流転」のところだけは、ここにはどこそこの印象が反映されているとか解説がついていてなんだかなあとー。
「水」について、はっと思いました。
なるほど「海潮四題」春と冬 波の色
空気の違い 際立つ夏の海 後期も行く
ことにしてるので、よく見てきます。
「南溟の夜」の緑がかった波と空も
すてきでした。
こんばんは。
>おっしゃられるように展示解説が全くないのは不適切きわまる、僕は仕方ないから音声ガイド借りましたよ。
そうですね。ともかく「伝説」とあるので、どんな意気込んだ解説が事細かについているものかと思って行きましたが、むしろ拍子抜けするほどあっさりしていました。意外です。
>「生々流転」のところだけは、ここにはどこそこの印象が反映されているとか解説
ここはさすがに充実していましたね。大変な人だかりでしたが、前もって近美でじっくり拝見しておいて良かったなとも思いました。
@すぴかさん
こんばんは。
四季折々の空気感とでも言うのか、それが海景の作品に良く出ていましたよね。海潮四題をまとめて見ることで、尚更そう感じました。
>「南溟の夜」の緑がかった波と空も
すてきでした。
大観の海の絵でどれが一番好きかと言われれば、多分これを挙げると思います。いつ見ても素晴らしい作品ですよね。
墨絵>彩色画、水>山、月>太陽
好みなのかも知れませんが、大分差が有るような気がします。
九州に行っていたのでコメントが遅れました。
太陽や富士は少し記号化してしまっているのかもしれませんね。
水の表現は見事だなと思います。
>九州に行っていたのでコメントが遅れました。
いえいえご丁寧にありがとうございます。
福岡県美の高島は素晴らしいですね。一度、私も現地で拝見したいです。