「没後90年記念 岸田劉生展」 東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリー
「没後90年記念 岸田劉生展」 
2019/8/31~10/20



東京ステーションギャラリーで開催中の「没後90年記念 岸田劉生展」を見て来ました。

今年没後90年を迎えた画家、岸田劉生は、西洋の北方ルネサンス絵画や中国の宋元画などに影響を受けつつも、常に「新たな道」(解説より)を探求しながら、独自の画業を築き上げました。

その劉生の初期より晩年へ至る約150点(展示替えあり)の作品が、東京ステーションギャラリーへまとめてやって来ました。会場では第1章「第二の誕生まで」から第6章の「新しい余の道へ」まで、ほぼ年代順に作品が並んでいて、劉生の変化する画風を辿ることが出来ました。

冒頭は若き劉生が身近な戸外を描いた風景画で、「銀座数寄屋橋」では、雨に濡れた銀座の街角などを落ち着いた筆触で表していました。そもそも東京で実業家の父を持つ劉生は銀座の生まれで、牧師を志そうとキリスト教に入る一方、17歳にして黒田清輝の主宰する白馬会にて学びながら、洋画を習得しました。

しかし20歳を過ぎるとキリスト教を離れ、画家としての道を歩みはじめるようになりました。その頃、影響を与えたのが、雑誌「白樺」が紹介したゴッホやゴーギャンらの後期印象派で、劉生もオレンジ色の色面が鮮やかな「虎ノ門風景」など、印象派を思わせる作品を描きました。



後期印象派へのシンパシーは長く続きませんでした。「虎ノ門風景」を表した翌年の1913年には、デューラーやファン・エイクらの北方ルネサンスの画家へ傾倒し、自らの画風を確立すべく細密でかつ写実的な表現に勤しみました。「画家の妻」は、文字通り妻の蓁(しげる)をモデルとした一枚で、アーチ状のフレームの中に、横を向く妻の肖像を描いていました。タイトルもサインも英文で示され、構図しかり、明らかに西洋の古典絵画の影響が見受けられました。

そして「劉生の首狩り」とも称された劉生は、妻のみならず、白樺派の武者小路実篤や、草土社を結成した画家の椿貞雄など、数多くの肖像画を描きました。確かに会場でも目立っていて、自画像や麗子像しかり、これほど肖像画の多い画家の回顧展も珍しいかもしれません。


岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」 重要文化財 1915年11月5日 東京国立近代美術館

1913年、代々木へ転居した劉生は戸外で写生を行うと、風景画を制作し、1915年には劉生画でも特に有名な「道路と土手と塀(切通之写生)」を描きました。まさに代々木を舞台とした作品で、赤土が露出し、左手に真新しい白い壁の連なる坂道を、まるで人間の皮膚のように生々しいまでの色彩と細かな筆致で表しました。

ここで面白いのが「道路と土手と塀(切通之写生)」と、20日前に描いた「代々木附近」が隣り合わせに展示されていたことでした。前者は坂道を下から見上げるように描いているのに対し、後者では同じ地点を横から俯瞰した構図で捉えていて、手前には人物の姿も見ることが出来ました。また「道路と土手と塀(切通之写生)」では2本の影としてしか示されていない電柱も描きこまれていました。この2点を見比べることで、作品の舞台なり、位置関係がよりリアルに感じられるかもしれません。


岸田劉生「壺の上に林檎が載って在る」 1916年11月3日 東京国立近代美術館

1916年に肺病を患った劉生は戸外で写生することが叶わず、屋内で静物画描くようになりました。「壺の上に林檎が載って在る」は、バーナード・リーチの所有していた壺を描いた一枚で、やや光沢感を伴った壺の陶の質感を丹念に表現していました。

同じく静物画では「静物(手を描き入れし静物)」も興味深い作品ではないでしょうか。右に青、左に赤いカーテンの吊るされた空間の中、白い杯の上などには林檎が置かれる光景を表していて、まるで宗教画のような静謐な趣きをたたえていました。なお本作は当初、右から手を添える姿を描いていたものの、「悪趣味」と称されたことから、手の部分を消してしまったそうです。どことなくシュールにも感じられました。


岸田劉生「麗子坐像」 1919年8月23日 ポーラ美術館

やはりハイライトは、最愛の娘、麗子を描いた一連の肖像画にあるのかもしれません。「麗子坐像」は赤と黄色の絞りの着物をまとい、やや不安そうな面持ちで目を落としながら座る麗子の姿を捉えていて、絞りの細かな紋様などを執拗とまで言えるほど精緻に表していました。また「麗子八歳洋装之図」はタータンチェックのワンピース姿の麗子を描いていて、リラックスしているのか、楽しげににっこりと笑っていました。

東洋美術との関係も劉生の画業を語る上で見過ごせません。東洋美術にも開眼した劉生は、美術品を収集しては、中国の宋元画にも倣うような日本画の制作をはじめるようになりました。とはいえ、後に鎌倉へと移住すると洋画も描き、また1929年には満州に赴くと、さも初期に影響されたゴーギャンとも思えるような色彩に鮮やかな風景画などを制作しました。

「満鉄総裁邸の庭」は劉生の新たな境地を指し示すような作品と言えはしないでしょうか。青い空を藍色の海を望み、樹木などが朱や黄色などの秋色に染まった満鉄総裁の庭を表したもので、初期のポスト印象派風を思わせながらも、色や筆触はより大胆で、どこか表現主義を伺うような傾向も見えなくはありません。そして劉生は満州から帰国した同年、滞在先の山口で病に倒れ、38歳で若さで世を去りました。

劉生が移り住んだ鵠沼での風景画、とりわけ「麦二三寸」に魅せられました。広く澄み渡るような青空の下、麦畑の傍らで赤い着物姿の麗子が立つ光景を表していて、全ては穏やかでかつ長閑で、まさに何気ない日常で得られるような喜びが満ちているかのようでした。決して派手な作品ではないかもしれませんが、劉生の麗子に対する愛情も感じられるかもしれません。

タイミング良く平日の夕方に観覧して来ましたが、館内は思いの外に賑わっていました。なお会期中の展示替えが9月24日を挟んで行われました。以降、会期末までの作品の入れ替えはありません。

[没後90年記念 岸田劉生展 巡回スケジュール]
山口県立美術館:2019年11月2日(土)~12月22日(日)
名古屋市美術館:2020年1月8日(水)~3月1日(日)

解説に「天才」とありましたが、常に次を見据え、同じ地点に留まろうとしない劉生の画業を追っていくと、むしろ新たな表現に対して貪欲に向かっていくような努力家という印象を受けました。

それこそ名作の「道路と土手と塀(切通之写生)」や「麗子坐像」など、劉生の作品自体を見る機会は必ずしも少なくはありません。ただ今回ほどのスケールでかつ網羅的に劉生を回顧した展覧会は、少なくとも東京ではあまりなかったのではないでしょうか。

公式サイトに「今後しばらく出会えないような、珠玉の劉生展を目指しました」と記載されていましたが、あながち誇張とは思えません。質量ともに申し分ありませんでした。



10月20日まで開催されています。おすすめします。

「没後90年記念 岸田劉生展」 東京ステーションギャラリー
会期:2019年8月31日(土)~10月20日(日)
休館:月曜日。但し9月16日、9月23日、10月14日は開館。9月17日(火)、9月24日(火)。
料金:一般1100(800)円、高校・大学生900(600)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
時間:10:00~18:00。
 *毎週金曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
住所:千代田区丸の内1-9-1
交通:JR線東京駅丸の内北口改札前。(東京駅丸の内駅舎内)
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (pinewood)
2019-10-17 18:45:51
代々木風景の展示はロケーションが判別する二点が並び電柱の影等がハッキリと分かって興味を惹きました。生命の宿る盛り上がる大地の様な坂道と版画や裸婦像との関係も考えてみたくなりました。岸田劉生の宗教観・自然観とも切り離せないような
 
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