「青木繁展」 ブリヂストン美術館

ブリヂストン美術館
「没後100年 青木繁展 - よみがえる神話と芸術」
7/17-9/4



没後100年を迎えた青木繁の全貌を詳らかにします。ブリヂストン美術館で開催中の「没後100年 青木繁展 - よみがえる神話と芸術」へ行ってきました。

ともかくあまりにも有名な「海の幸」と「わだつみのいろこの宮」の印象ばかりが残る青木繁ですが、今回はそうした代表作はもちろん、画業最初期から晩年までに数多く残した素描や水彩、また彼の認めた手紙など、総計200点超にも及ぶ作品と資料が展示されています。

端的に言ってしまうと、おそらくこのスケール以上の青木繁の回顧展はほぼあり得ません。そもそもブリヂストン美術館の創設者、石橋正二郎は青木繁から作品のコレクションをはじめたそうですが、そうした縁にも頷かされる面の多い展覧会でした。

構成は以下の通りです。

第1章 画壇への登場:丹青によって男子たらん 1903年まで
第2章 豊饒の海:「海の幸」を中心に 1904年
第3章 描かれた神話:「わだつみのいろこの宮」まで 1904-07年
第4章 九州放浪、そして死 1907-11年
第5章 没後、伝説の形成から今日まで


青木の画業を時系列に追った上にて、最後に彼の作品を後世に伝えた人物の業績を俯瞰する内容となっていました。

青木の生誕はそれこそ石橋正二郎と同じ、福岡の久留米です。1882年に旧久留米藩士の子として生まれた彼は1899年に上京、翌年には東京美術学校の西洋画科に入学します。

この時期の東京美術学校の教官には黒田清輝や藤島武二らがいましたが、青木はどちらかと言えば両者の影響を必ずしも受けることなく、早い段階から独自の画風を展開していきます。

最初期の「自画像」における朱色の輪郭線などからは、それこそ代表作の「海の幸」を連想させる面がないでしょうか。


「黄泉比良坂」1903年 東京藝術大学

また「黄泉比良坂」における繊細で淡い色彩感、そして後に頻出する神話モチーフも、ロマンティズム精神にとんだ青木ならではの一枚と言えるかもしれません。

青木と密接に関わり合ったのは画家の坂本繁二郎です。青木と坂本は例えば信州へ写生旅行などをするなどして親交を深めていきます。展示では当時、二人して旅館に泊まった際の宿帳のサインなども出ています。そこでは青木が職業欄に画伯と記し、何故か年齢を実際よりも上に書いたことなどのエピソードも披露されていました。

そしてここで青木の半ば宿命の女性の登場します。それはいうまでもなく福田たねですが、1904年に青木は彼女と坂本繁二郎、それに森田恒友と房州の布良、つまりは千葉の館山を旅し、結果的にかの傑作、「海の幸」を生み出しました。


「海の幸」(部分)1904年 石橋美術館

「海の幸」の中で唯一、こちらを向いているのが福田たねの写しであるというのはあまりにも有名ですが、ともかくも大きなサメを抱えて歩く10名の裸の漁師たちの姿からは、どこか人間の持つ原初的な強い生命力を感じさせてなりません。

またこの時期の青木で印象深いのは海をモチーフとした作品です。岩場に打ち寄せる海原を捉えた「海景(布良の海)」のタッチは力強く、またざわめいた波における色の用い方は、どこか初期のモネを思わせるものすらありました。


「わだつみのいろこの宮」1907年 石橋美術館

文学や歴史物語を愛した青木は神話主題の作品をいくつも描いていきます。そしてその一つの頂点が「わだつみのいろこの宮」です。縦長の画面に山幸彦や豊玉姫などを二等辺三角形を描くように配し、やや青みがかった透明感のある色味でまとめあげたこの作品は、例えばラファエル前派の作風に似通った部分もあるのではないでしょうか。


「旧約聖書物語挿絵より葦舟のモーゼ」1906年 ニューオーサカホテル

この「わだつみ」において青木は期待した評価を得られませんでしたが、それでも「大穴牟知命」はもちろんのこと、当時の画料100円で引き受けたという聖書主題の連作、「旧約聖書物語挿絵」など、青木の神話への関心は他の作品にも強く反映されていきました。

また彼が同郷の詩人へ贈ったという一枚、「女星」も忘れられません。羽子板に描かれた母と子の姿は、まるでキリスト教絵画に頻出する聖母子像のようでした。

父の危篤の知らせを受けた青木は1907年に久留米へと帰ります。以降は青木の画業のいわば後退期ともいえるかもしれません。たねとの子に関する問題などがこじれた彼は、九州の地でこれまでとはやや変わった画風の作品を展開していきます。


「温泉」1910年 個人蔵

まるでローマの浴室のような西洋風の温泉で裸体の女性が髪をすく「温泉」からは、色彩感やタッチとも平明な印象派絵画を連想させはしないでしょうか。また「白壁の家」では、一転してのどこか書きなぐったような荒々しい塗りが印象に残りました。


「白壁の家」1909年 個人蔵

確かに青木の晩期は「低迷」(同美術館サイトより引用)という一言でも語られるかもしれませんが、それでも様々な主題をとりこみながら、それこそ試行錯誤しても次へと進もうともしていたのかもしれません。


「朝日(絶筆)」1910年 小城高校同窓会黄城会(佐賀県立美術館寄託)

絶筆の「朝日」における海景は、まるで沈みゆく夕景のように儚き一枚でした。青木は終生、海を見ていた画家ともいえるのではないでしょうか。この陽の光の向こうにある彼岸へと旅立った青木は、28年というあまりにも早い生涯の終わりを迎えてしまいました。


「自画像」1904年 東京藝術大学大学美術館

随所に展示された「自画像」における青木の眼差しが忘れられません。そもそもこの会場の入口にも「自画像」が展示されていますが、その大きく見開いた瞳の優し気な様子には心打たれるものがありました。

最晩年の青木が母に送った事実上の遺書である手紙を見ると胸が詰まります。自身の不幸や不運を嘆きながら、自身の骨を郷里の山の松の下に埋めて欲しいと記した青木は、やはり最後の最後まで無念であったに違いありません。

大作の多くない青木ということもあって、大半は素描や小品の油彩でしたが、ともかく作品世界だけでなく、青木の人生にまで迫った構成は非常に秀逸でした。

「芸術新潮2011年7月号/青木繁/新潮社」

嬉しいことに会期後半の3週間は連日無休で開館するそうです。もちろんお見逃しなきようおすすめします。

9月4日まで開催されています。

「没後100年 青木繁展 - よみがえる神話と芸術」 ブリヂストン美術館
会期:7月17日(日)~9月4日(日)
休館:月曜日 :但し8/15・22・29は特別開館。
時間:10:00~18:00
住所:中央区京橋1-10-1
交通:JR線東京駅八重洲中央口より徒歩5分。東京メトロ銀座線京橋駅6番出口から徒歩5分。東京メトロ銀座線・東京メトロ東西線・都営浅草線日本橋駅B1出口から徒歩5分。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
はじめまして (棚倉 樽)
2011-08-28 01:22:09
はろるどさん、突然の訪問で失礼いたします。
私も「青木繁展」行ってまいりました。
はろるどさんの的確な視点に共感いたしました。
私もマイブログに本展の感想を書きましたので(ちょっと長いですが)お暇な時にご一読くださいませ。
ご意見違う点もあるかとは思いますが、コメントいただければ幸いです。
では、よろしくお願いします。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2011-09-11 19:56:33
@棚倉様

はじめまして。この度は拙ブログへのコメントをありがとうございました。

>マイブログ

ご案内ありがとうございます!後ほどじっくりと拝読させていただきますね。
 
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