都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「今、美術の力で 被災地美術館所蔵作品から」 東京藝術大学大学美術館
東京藝術大学大学美術館
「今、美術の力で 被災地美術館所蔵作品から」
8/2-8/21
東京藝術大学大学美術館で開催中の「今、美術の力で 被災地美術館所蔵作品から」へ行ってきました。
ともかく人知をこえた巨大災害だったこともあり、未だ次の展望すら見出しにくい東日本大震災ですが、今回は震災によって被害を受けた東北・関東の博物館などの現状を知る一つの大きな機会と言えるのではないでしょうか。
本展に出品の美術館・博物館は以下の通りです。
茨城大学、茨城県近代美術館、茨城県天心記念五浦美術館、いわき市立美術館、岩手県立美術館、郡山市立美術館、水戸芸術館、水戸市立博物館、宮城県美術館
当然ながら単なる作品の寄せ集めの展示ではありません。3つのテーマの元、今回の震災の様々な影響や未来への視座を伺う構成となっていました。(出品は約30点)
1.「復興期の精神」:地元にゆかりの作家による代表的作品
2.「岡倉天心 日本美術の再興者」:五浦地域の被災に関連して岡倉天心ゆかりの作家、作品
3.「美術の力」:チェルノブイリ原発事故以降の世相を反映した現代美術
冒頭の「合掌」(1986年/郡山市美術館)が胸を打ちます。僧形の木彫の連作で知られる佐藤静司が象ったのは、まさにそうした僧の合掌の様子そのものでした。起立して前に手を合わせる祈りこそ、震災によって亡くなられた方へ向けるものではないでしょうか。思わず目頭が熱くなりました。
祈りからすればもう一点、荘司福の「祈」(1964年/宮城県美術館)も忘れられない一枚です。荘司はここで東北の風景と和装の女性の祈る姿を、言わばキュビズム的画面の中へと収めています。数珠を持ち、目を閉じる女性の向こうに広がるのは、とても長閑な東北の雪景色でした。その景色とともに培われてきた文化や生活を奪った今回の震災のことを思うと、実に居たたまれない気持ちにさせられてなりません。
中盤は今回の津波で甚大な被害を受けた五浦の六角堂に関する展示です。既に報道等でも知られている通り、岡倉天心ゆかりの茨城・五浦の六角堂は、津波によって流出、破壊されてしまいましたが、会場ではその状況を写真やパネルで丹念に紹介しています。
塩出英雄の「五浦」(1970年/茨城大学)に目が止まりました。在りし日の六角堂はもちろん、五浦から広がる澄み切った青い海などが、大和絵的な手法をとって描かれています。その牧歌的な田園の光景を見れば見るほど、逆にそれらを根こそぎさらった津波の恐ろしさを心から感じてなりませんでした。
大観の「朝霧」(1934年/茨城県立近代美術館)が優れています。大画面の屏風には松林から海へ至る自然の風景が墨一色のモノクロームで表されていました。朧げな霧や水面のざわめきなど、本来的には自然の持つ繊細な表情を楽しめる作品と言えるかもしれません。
ラストはコンテンポラリーです。中でも印象深いのは河口龍夫の一連の鉛を用いた作品です。言うまでもなく河口はチェルノブイリ原発事故以来、放射線被害を意識して鉛を作品へ取り込んでいきましたが、「関係 - 叡智・鉛の百科事典」(1997年/いわき市立美術館)では人類への知性への告発が、一方で「関係 - 再生・ひまわりの種子とマムサスの歯」(1998年/水戸芸術館)においてはそうしたものを乗り越えての未来への僅かな希望が示されています。
一方でアバカノヴィッチの「ベンチの上の立像」(1989年/水戸芸術館)は無慈悲です。首を失い、全身がまるで化石となったかのような人体の彫像は、まさに惨たらしく死を迎えてしまった死者の姿そのものです。直視出来ませんでした。
最後は永遠の時を刻む宮島達男のデジタルカウンターが登場します。絶え間なく進み、一方で反転もする時間は、あたかも万物の輪廻転生を描いているかのようでした。
さて作品とあわせて重要なのが、今回出品の各美術館の被災に関する情報です。美術館毎にパネルが設けられ、そこには震災の被害や現在の状況がかなり細かく記されています。
非常に制約の多い現状においても、いわゆる復興へ向けて一歩でも前へ進もうとする美術館も存在しています。この展覧会を通して、そうしたことを少しでも多くの方が認識することになればと思いました。
8月21日まで開催されています。
「今、美術の力で 被災地美術館所蔵作品から」 東京藝術大学大学美術館
会期:8月2日(火)~8月21日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~17:00
住所:台東区上野公園12-8
交通:JR上野駅公園口、東京メトロ千代田線根津駅より徒歩10分。
「今、美術の力で 被災地美術館所蔵作品から」
8/2-8/21
東京藝術大学大学美術館で開催中の「今、美術の力で 被災地美術館所蔵作品から」へ行ってきました。
ともかく人知をこえた巨大災害だったこともあり、未だ次の展望すら見出しにくい東日本大震災ですが、今回は震災によって被害を受けた東北・関東の博物館などの現状を知る一つの大きな機会と言えるのではないでしょうか。
本展に出品の美術館・博物館は以下の通りです。
茨城大学、茨城県近代美術館、茨城県天心記念五浦美術館、いわき市立美術館、岩手県立美術館、郡山市立美術館、水戸芸術館、水戸市立博物館、宮城県美術館
当然ながら単なる作品の寄せ集めの展示ではありません。3つのテーマの元、今回の震災の様々な影響や未来への視座を伺う構成となっていました。(出品は約30点)
1.「復興期の精神」:地元にゆかりの作家による代表的作品
2.「岡倉天心 日本美術の再興者」:五浦地域の被災に関連して岡倉天心ゆかりの作家、作品
3.「美術の力」:チェルノブイリ原発事故以降の世相を反映した現代美術
冒頭の「合掌」(1986年/郡山市美術館)が胸を打ちます。僧形の木彫の連作で知られる佐藤静司が象ったのは、まさにそうした僧の合掌の様子そのものでした。起立して前に手を合わせる祈りこそ、震災によって亡くなられた方へ向けるものではないでしょうか。思わず目頭が熱くなりました。
祈りからすればもう一点、荘司福の「祈」(1964年/宮城県美術館)も忘れられない一枚です。荘司はここで東北の風景と和装の女性の祈る姿を、言わばキュビズム的画面の中へと収めています。数珠を持ち、目を閉じる女性の向こうに広がるのは、とても長閑な東北の雪景色でした。その景色とともに培われてきた文化や生活を奪った今回の震災のことを思うと、実に居たたまれない気持ちにさせられてなりません。
中盤は今回の津波で甚大な被害を受けた五浦の六角堂に関する展示です。既に報道等でも知られている通り、岡倉天心ゆかりの茨城・五浦の六角堂は、津波によって流出、破壊されてしまいましたが、会場ではその状況を写真やパネルで丹念に紹介しています。
塩出英雄の「五浦」(1970年/茨城大学)に目が止まりました。在りし日の六角堂はもちろん、五浦から広がる澄み切った青い海などが、大和絵的な手法をとって描かれています。その牧歌的な田園の光景を見れば見るほど、逆にそれらを根こそぎさらった津波の恐ろしさを心から感じてなりませんでした。
大観の「朝霧」(1934年/茨城県立近代美術館)が優れています。大画面の屏風には松林から海へ至る自然の風景が墨一色のモノクロームで表されていました。朧げな霧や水面のざわめきなど、本来的には自然の持つ繊細な表情を楽しめる作品と言えるかもしれません。
ラストはコンテンポラリーです。中でも印象深いのは河口龍夫の一連の鉛を用いた作品です。言うまでもなく河口はチェルノブイリ原発事故以来、放射線被害を意識して鉛を作品へ取り込んでいきましたが、「関係 - 叡智・鉛の百科事典」(1997年/いわき市立美術館)では人類への知性への告発が、一方で「関係 - 再生・ひまわりの種子とマムサスの歯」(1998年/水戸芸術館)においてはそうしたものを乗り越えての未来への僅かな希望が示されています。
一方でアバカノヴィッチの「ベンチの上の立像」(1989年/水戸芸術館)は無慈悲です。首を失い、全身がまるで化石となったかのような人体の彫像は、まさに惨たらしく死を迎えてしまった死者の姿そのものです。直視出来ませんでした。
最後は永遠の時を刻む宮島達男のデジタルカウンターが登場します。絶え間なく進み、一方で反転もする時間は、あたかも万物の輪廻転生を描いているかのようでした。
さて作品とあわせて重要なのが、今回出品の各美術館の被災に関する情報です。美術館毎にパネルが設けられ、そこには震災の被害や現在の状況がかなり細かく記されています。
非常に制約の多い現状においても、いわゆる復興へ向けて一歩でも前へ進もうとする美術館も存在しています。この展覧会を通して、そうしたことを少しでも多くの方が認識することになればと思いました。
8月21日まで開催されています。
「今、美術の力で 被災地美術館所蔵作品から」 東京藝術大学大学美術館
会期:8月2日(火)~8月21日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~17:00
住所:台東区上野公園12-8
交通:JR上野駅公園口、東京メトロ千代田線根津駅より徒歩10分。
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