「円山応挙から近代京都画壇へ」 東京藝術大学大学美術館

東京藝術大学大学美術館
「円山応挙から近代京都画壇へ」 
2019/8/3~9/29



東京藝術大学大学美術館で開催中の「円山応挙から近代京都画壇へ」の報道内覧会に参加してきました。

18世紀の京都では、写生画で名を馳せた円山応挙による円山派とともに、蕪村や応挙に師事した呉春によって四条派が結成されると、以降、円山・四条派として、近代へ至った京都画壇の中心的な位置を占めました。

その円山・四条派の系譜を辿るのが「円山応挙から近代京都画壇へ」展で、応挙、呉春をはじめに、長沢芦雪、岸駒、松村景文らの江戸の絵師から、竹内栖鳳、上村松園など昭和の画家の作品、約123点が一堂に会しました。(展示替えあり)


大乗寺襖絵 立体展示

冒頭、会場入口からして目を引くのが、ハイライトでもある大乗寺の襖絵の立体展示でした。大乗寺は、日本海に面した、兵庫県北部の香住町にある高野山真言宗の寺で、応挙を筆頭に門人13人の絵師が、合計13の部屋に165面もの障壁画を描きました。現在は全ての障壁画が重要文化財に指定され、同寺も応挙寺と称されています。


円山応挙「松に孔雀図」 寛政7(1795)年 兵庫・大乗寺 重要文化財

うち今回出展されたのは、応挙の「松に孔雀図」や呉春の「四季耕作図」など6点の障壁画で、ちょうど正面に応挙の「松に孔雀図」が左右に4面ずつ、計8面広がっていて、その裏に呉春の「四季耕作図」と山本守礼の「少年行図」、さらに亀岡規礼の「採蓮図」と呉春の「群山露頂図」が展示されていました。ちょうど十字を描くような形の設えと言って良いかもしれません。


円山応挙「松に孔雀図」(部分) 寛政7(1795)年 兵庫・大乗寺 重要文化財

応挙の「松に孔雀図」は、墨一色で松や孔雀を金地へほぼ原寸大で描いていて、粒子の荒い墨と細かい墨を重ねては、緑がかった松葉などを表現していました。また孔雀の羽は、光の当たり方によっては、僅かに青みを帯びているようにも思えました。応挙の手にかかると、墨も実に多様な表情を見せることに改めて感心させられました。


呉春「群山露頂図」 天明7(1787)年 兵庫・大乗寺 重要文化財

呉春の「群山露頂図」も魅惑的でした。山の頂の部分のみを、まるで空を飛ぶ鳥の視点から俯瞰するように描いていて、霧に包まれた深山幽谷の景色を幻想的に表していました。また筆触は時に点描のように細かく、師の蕪村の南画的な作風を思わせる面がありました。


長沢芦雪「花鳥図」(左) 天明年間後期(1785〜89) 株式会社千總

この一連の障壁画を囲んだ、円山・四条派にも引かれる作品が少なくありません。一例が長沢芦雪の「花鳥図」で、左右の画面へ岩や藤、あるいは水流などを表し、その中に妙に人懐っこい雀や燕などを描いていました。左の藤の枝ぶりは応挙の「藤花図屏風」を連想させるものの、突然に屈曲する姿や、右の岩の奇態な様からは、芦雪の強い個性を伺えました。


国井応文・望月玉泉「花卉鳥獣図巻」 江戸時代後期〜明治時代 京都国立博物館

円山派の5代目の国井応文と4代目望月派の望月玉泉の合作である「花卉鳥獣図巻」も見逃せませんでした。鶏に孔雀、鹿や山羊、それに犬や兎などの動物と、水仙や紅葉といった植物を、上下巻とも実に10メートルを超える長さに表していて、1つ1つの動植物はさながら博物図鑑を開くかのように写実的でした。

さて必ずしも時系列に円山・四条派の系譜を追っていないのも、展覧会の特徴かもしれません。むしろ近世と近代の絵師、ないし画家の作品を合わせ並べることで、双方の個性が浮かび上がるような内容にもなっていました。


右:長沢芦雪「薔薇蝶狗子図」 寛政後期頃(1794〜99) 愛知県美術館(木村定三コレクション)
左:竹内栖鳳「春暖」 昭和5(1930)年 愛知県美術館(木村定三コレクション)

その1つが長沢芦雪の「薔薇蝶狗子図」と竹内栖鳳の「春暖」で、前者では丸っこく可愛らしい応挙犬に倣いながらも、より人の赤ん坊のように無邪気で楽しげに戯れる5匹の子犬を描いていました。一方の栖鳳も、同じ犬をモチーフとしていて、より写実を追求しつつも、モダンな雰囲気を醸し出していました。何やら怪訝に人を見据える仕草もリアルかもしれません。


岸竹堂「猛虎図」 明治23(1890)年 株式会社千總

岸竹堂の「猛虎図」が並々ならぬ迫力を見せていました。六曲一双の中央に水の落ちる渓流を表し、右隻に3頭、左隻に1頭の虎を配していて、うち右の1頭は吠え立てているのか、大きな口を開けては威嚇していました。岸竹堂は、虎を得意とした岸駒に連なる岸派の画家で、明治19年にイタリアから来日したサーカス団で実際の虎を観察した後、この作品を描きました。

動植物を写実的に捉えた円山・四条派の絵師らは、風景においても実際の場所を描くことを重視し、その場に立った時の臨場感を写そうと試みました。それは山水画と言うよりも風景画的で、後の近代絵画へと続いていきました。


塩川文麟「嵐山春景平等院雪景図」 文久3(1863)年 京都国立博物館

塩川文麟の「嵐山春景平等院雪景図」は、右に雪の平等院、左に桜の咲く嵐山を描いていて、とりわけ後者では応挙の「嵐山春暁図」を思わせるなど、応挙、つまりは円山派より写生を受け継ぎました。


岸竹堂「大津唐崎図」 明治9(1876)年 株式会社千總

また先の岸竹堂も「大津唐崎図」において、実景のスケッチを基に琵琶湖畔の唐崎を表していて、家々の立ち並ぶ大津の浜や四方へ枝を伸ばした唐崎の松などを、金銀泥を用いてやや幻想的に描いていました。奥行きのある空間表現などは、西洋画的とも呼べるかもしれません。


左:円山応挙「江口君図」 寛政6(1794)年 静嘉堂文庫美術館

人物画にも優品が少なくありませんでした。応挙の「江口君図」は、謡曲の「江口」から、遊女が境涯を嘆きつつ、世の無常を悟り、菩薩と化して消えゆく場面を表していて、白象に乗った普賢菩薩として姿を暗示していました。それにしても遊女は実に気品があり、泰然としてはいないでしょうか。また着物の柄なども細かに描かれていて、晩年の作とは言えども筆に衰えは感じられませんでした。


右:上村松園「羅浮仙女図」 大正時代末期

上村松園の「羅浮仙女図」も忘れられません。唐の時代の物語の仙女をモデルとしていて、月明かりの下、白い花をつけた梅の木を背に、目を伏してはやや笑みをたたえて立つ唐美人を描いていました。松園は大正の後半より昭和の初めにかけ唐美人を多く描きましたが、一部には円山派の描いた画を参照したとも指摘されています。


円山応挙「写生図巻(乙巻)」 明和7(1770)〜安永元(1772)年 株式会社千總 重要文化財

最後に展示替えの情報です。会期中、前後期を挟み、作品の大半が入れ替わります。

「円山応挙から近代京都画壇へ」出品リスト(PDF)
前期:2019年8月3日(土)~9月1日(日)
後期:2019年9月3日(火)~9月29日(日)

総出展数123件のうち、通期で公開されるのは、大乗寺の襖絵6面と森寛斎の「魚介尽くし」、それに川合玉堂の「鵜飼」のみに過ぎません。よって前後期の2つで1つの展覧会として捉えて差し支えありません。 *国井応文・望月玉泉の「花卉鳥獣図巻」、野村文挙の「近江八景図」、松村景文の「景文画帖」は、それぞれ通期展示ながらも前後期で巻替え、及び場面替え。


亀居山大乗寺(通称:応挙寺)と香美町香住地区の展望 *プロジェクターによるパノラマ映像展示

また本展は藝大美術館での会期を終えると、京都国立近代美術館へと巡回(2019/11/2~12/15)しますが、大乗寺の襖絵は全点入れ替わります。つまり大乗寺の襖絵を全て見るには、東京と京都の両方の展示を見る必要があります。


「円山応挙から近代京都画壇へ」会場風景

応挙の作品を見る機会は必ずしも少なくありませんが、これほど円山・四条派を網羅的に紹介した展覧会はなかったのではないでしょうか。作品は粒ぞろいで、見応えがありました。


9月29日まで開催されています。おすすめします。

「円山応挙から近代京都画壇へ」@okyokindai2019) 東京藝術大学大学美術館
会期:2019年8月3日(土)~9月29日(日)
 *前期:2019年8月3日(土)~9月1日(日)、後期:2019年9月3日(火)~9月29日(日)
休館:月曜日。但し月曜日が祝日または振替休日の場合は開館、翌日休館。
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1500(1200)円、高校・大学生1000(700)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園12-8
交通:JR線上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ千代田線根津駅より徒歩10分。京成上野駅、東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅より徒歩15分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「メスキータ」 東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリー
「メスキータ」 
2019/6/29~8/18



東京ステーションギャラリーで開催中の「メスキータ」展の報道内覧会に参加して来ました。

1868年にアムステルダムにユダヤ人として生まれたサミュエル・イェスルン・デ・メスキータは、エッシャーらに影響を与えながら、画家や版画家として旺盛に活動したものの、ナチス・ドイツの迫害を受け、アウシュビッツで無念の死を遂げました。

そのメスキータの作品がヨーロッパから海を越えて日本へとやって来ました。いずれもドイツ人蒐集家ヴォルタース夫妻の個人コレクションで、約240点にも及び、初期から晩年までの作品を網羅していました。

初期のメスキータは、油彩や水彩、ドローイングを制作していましたが、1890年以降になると、エッチングやリトグラフ、木版画など様々な技法で版画を手がけるようになりました。うちモチーフの1つとして取り上げられたのは、自画像や家族などの身近な人物を象った肖像でした。


右:「小さな自画像」 1896年

「小さな自画像」はメスキータが最初に手がけた木版画で、アーチ状の枠の中に、鏡を見やる自身の横顔を表していました。画面の上下には、太さも長さもまちまちな多くの彫り跡が残されていて、いわゆる試し刷りながら、装飾的な効果を生み出していました。


「ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像」 1922年

チラシ表紙を飾る「ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像」は、メスキータの息子のポートレートで、眼鏡をかけ、強い視線で前を見据える姿を力強く描いていました。全体としては写実的に表情を捉えているものの、髭などは規則的な線で示されていて、やはり装飾的に見えなくもありません。

1902年、ハールレムの応用美術学校の教師になったメスキータは、当初、ドローイングを教えるも、のちに装飾美術や版画を担当するようになりました。多くの教え子を抱えた中、特に有名だったのがM.C.エッシャーで、実際に初期はメスキータの作風に影響されました。

またメスキータの単純化された平面性は、日本の浮世絵を連想させる一方、明暗のコントラストや細かな装飾的な要素は、アール・デコやモダン・デザインを反映していると言われています。


「ユリ」(全5ステートのうち第1から第4ステート) 1916〜1917年

メスキータは版画の制作に際し、刷る途中の段階で筆を加え、表現を変えることを好みました。例えば「ユリ」では、第1ステートにおいて黒い背景の中、一人の人物とユリを描いているものの、第2ステートではもう一人の人物が加えられ、第3ステートでは右側の人物の肌を白く変化させました。またユリの花の中央にも、同心円状の模様に放射状の線を描くなど、ステートが進むごとに描写を変えていることが見て取れました。


「歌う女」 1931年

装飾性とモチーフを融合させたことも、メスキータの特徴の1つかもしれません。上を見やりながら、歌う女性を描いた「歌う女」では、縦の規則的な垂直線を巧みに用い、背後の上をパイプオルガン、両翼にハープを表していました。まるでステージから音楽が聞こえるかのような臨場感もあるのではないでしょうか。

人と並び、メスキータが多く取り上げたのは、動物や植物など自然のモチーフでした。その多くをアムステルダムのアルティス動物園に取材し、熱帯の植物やエキゾチックな動物などを木版画に表しました。


「二頭のガゼル」(上:習作、下:木版) 1926年

しかし人物画における装飾性と同様、端的に動物をそっくりそのままに写したわけではありませんでした。「二頭のガゼル」では、対象を有り体に捉えた習作スケッチに対し、木版ではそもそも体の色を白くしていて、本来的に馬のような毛並みであるのにも関わらず、まるで羊のようなふさふさした毛を持つ姿に変えていました。もはや別の動物と呼んで良いかもしれません。


「ウェンディンゲン」第1巻10号(特集:建築) 1918年

メスキータは、生涯に3冊の複製画集と2冊の版画集を出すなど、出版活動にも積極的に取り組んでいました。またアムステルダムで刊行された、建築、絵画、彫刻、演劇などの総合芸術雑誌、「ウェンディンゲン」でも数多くの表紙を手がけ、自作の特集も組まれました。


「ウェンディンゲン」第12巻1号(特集:S.イェスルン・デ・メスキータ) 1931年

うち第12巻1号はメスキータの2回目の特集を飾ったもので、円と直線で構成された抽象的なフクロウの表紙も自身が担当しました。中には21点の木版と6点の水彩画が掲載されています。


左:「ファンタジー:少女と死との会話」 制作年不詳
右:「ファンタジー:男と小さな頭部」 制作年不詳

さてともかく版画の印象の強いメスキータですが、もう1つ、版画と並んで描き続けた作品がありました。それはドローイングで、モチーフは版画とは一転し、エジプトなどの異国風や、ユダヤ人社会、さらには何物とも捉えがたい幻想的なヴィジョンや歪んだ人体などを表しました。一連のドローイングをメスキータ本人は、「全く意図していない無意識の表れ」とも語り、自由にイメージを展開させ、結果的に1000〜2000点ほどの作品を残しました。


左:「ファンタジー:さまざまな人々(黒い背景)」 1921年
右:「ファンタジー:三人の人物」 1922年

一連の「ファンタジー」と題した作品の人物表現などは、どこかカリカチュアを見るかのようでもあり、アンソールやルドンの作品を思わせるような幻視的な雰囲気も感じられました。実のところ、どこまで「無意識」に描いたかどうかは明らかではありませんが、その手法はシュルレアリスムのオートマティスムの先駆けとして位置付ける考えもあるそうです。


メスキータ展会場風景

メスキータの人生の結末はあまりにも惨たらしいものでした。1940年5月、ナチス・ドイツはオランダを占領すると、ユダヤ人を迫害し、メスキータも自由に活動出来なくなりました。そして1944年1月末から2月にかけての深夜、メスキータは一家とともに連行され、強制収容所に送られました。そしてメスキータ本人と妻のエリザベトとはアウシュビッツで殺害され、子のヤープも後日、エンシュタットで没しました。実にメスキータ75歳のことでした。


メスキータ展会場風景

しかしメスキータの作品は損なわれることはありませんでした。のちにメスキータのアトリエを訪問した教え子のエッシャーなどの友人は、いわば命懸けで作品を回収し、秘密裏に保管することに成功します。そして戦後、エッシャーらの尽力により、アムステルダムの市立博物館で回顧展が開催され、再び世に作品が公開されました。

メスキータはエッシャー関連の展示などで紹介されたことはあったものの、今回のように単独でかつ大規模に画業が振り返られたことは国内で一度もありません。近年、ヨーロッパでも再評価が進む画家の全貌を、日本で知る貴重な機会と言えそうです。



一目見て頭に焼きつくような強いビジュアルの版画だけでなく、幻想的なドローイングなど、思いのほかに作品の振り幅が広い画家であるのかもしれません。また版画を細かに刻む線を見ていると、どこか職人魂とでも呼べるような、創作への飽くなき探究心も感じられました。


8月18日まで開催されています。おすすめします。

「メスキータ」 東京ステーションギャラリー
会期:2019年6月29日(土)~8月18日(日)
休館:月曜日。但し7月15日、8月12日は開館。7月16日(火)。
料金:一般1100(800)円、高校・大学生900(600)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *7月20日(土)〜7月31日(水)は「学生無料ウィーク」のため学生は無料。(要証明書)
時間:10:00~18:00。
 *毎週金曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
住所:千代田区丸の内1-9-1
交通:JR線東京駅丸の内北口改札前。(東京駅丸の内駅舎内)

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「没後50年 坂本繁二郎展」 練馬区立美術館

練馬区立美術館
「没後50年 坂本繁二郎展」
2019/7/14~9/16



練馬区立美術館で開催中の「没後50年 坂本繁二郎展」の特別鑑賞会に参加してきました。

1882年に福岡県の久留米で生まれた画家、坂本繁二郎は、牛や馬、静物、さらに月とモチーフを変化させながら、1969年に没するまで旺盛に絵画を制作しました。

坂本の没後50年を期して開催されたのが、今回の回顧展で、先行して開かれた生地、久留米市美術館での展示(会期:2019/4/6~6/9)の巡回展でもあります。


右:坂本繁二郎「夏野」 1898年

少年期から絵が好きだった坂本は、10歳の頃に森三美の画塾に入ると、遅れて入ってきた同郷の青木繁らとともに洋画を学びました。「夏野」は画塾時代、16歳の時の作品で、夕立が明けて虹のかかる空の下、川の流れる田園地帯を細かに表しました。空と近景の対比的な構図などから、おそらくは西洋画の手本を模したと考えられていて、坂本は画塾において模写を中心に絵画を修得しました。


左:坂本繁二郎「町裏」 1904年

1902年、青木に一足遅れて上京した坂本は、青木の紹介で画塾不同舎に入門すると、太平洋洋画研究所に学びました。「町裏」は、1904年の第3回太平洋画会に出展したデビュー作で、薪を運ぶ人を厚塗りの油彩で表現しました。


青木繁「海景(布良の海)」 1904年 石橋財団アーティゾン美術館

この年、青木が制作したのが「海景」で、坂本や森田恒友らと出かけた千葉県館山の布良海岸を描きました。エメラルドグリーンに染まる海が、白い飛沫を立てながら岩を洗う光景が広がっていて、揺れ動く波を力強いタッチで表現しました。小品ながらも迫力があるのではないでしょうか。


右:坂本繁二郎「張り物」 1910年

坂本の妻の薫をモデルにした「張り物」は、1910年の第4回文展にて褒状を受けた作品でした。初期の坂本としてはかなり明るく、光に満ちていて、赤い布が妻の腕や顔に反射する様子を細かに描きました。


坂本繁二郎「うすれ日」 1912年 三菱一号館美術館寄託

坂本の絵を象徴付ける牛を描いたのが「うすれ日」で、一頭の牛が横を向いて立つ光景を、揺らぎの伴うような筆触で表しました。千葉県の御宿海岸を舞台としていて、第6回文展にて夏目漱石が注目したことから、坂本の出世作としても知られています。そして坂本は「うすれ日」で自信を得ると、同じく房総の海を背にした「海岸の牛」など、牛をモチーフとした作品を多く制作しました。


右:坂本繁二郎「帽子を持てる女」 1923年 石橋財団アーティゾン美術館

1914年、二科会に発表の場を移した坂本は、1921年にパリへ渡ると、日本人留学生と交流しながら、画家のシャルル・ゲランに師事しました。しかしながら半年でやめると、パリの郊外やブルターニュに出かけては写生するなどして活動しました。ブルターニュではゴーギャンに惹かれたとされ、「帽子を持てる女」などのポーズには、コローの影響も受けたと言われています。

3年後に故郷の久留米に戻った坂本は、1931年に八女へと居を移し、近隣にアトリエを構えて絵画を制作するようになりました。この時の坂本の関心はやはり馬にあり、雲仙や阿蘇の放牧場などへ出かけては、馬を描きました。友人らは東京での制作を薦めたものの、坂本は画壇に縛られず、自然豊かな九州の地をあえて選びました。


坂本繁二郎「馬」 1925年

帰国後最初に描いた馬の絵の「馬」は、第12回二科展へ出品した一枚で、ただ一頭、立つ馬を表しました。ここでは馬も地面も、言わば境界の曖昧な色面のみで示されていて、空は淡い水色で満たされていました。


左:坂本繁二郎「放牧三馬」 1932年 石橋財団アーティゾン美術館

この水色の空の下、3頭の馬をモチーフにしたのが「放牧三馬」で、中央の堂々とした馬などを、やはり色の面を重ねては広げるように描いていました。坂本は馬を時に複数組み合わせ、草原であったり、松や林の中にいる姿などを、様々なバリエーションにて表しました。当時、あまりにも馬の絵ばかりが出展されたため、批判的に捉えられることもありましたが、よほど信念を持っていたのか、坂本は馬を描くことをやめませんでした。


左:坂本繁二郎「能面」 1949年 メナード美術館

坂本が馬と並んで頻繁に描いたのが、野菜や果物、さらに水指や能面、煉瓦などの静物でした。特に能面は、1944年から1963年の間に30点あまり制作していて、モデルとなる能面を探すべく、夫人とともに骨董屋を巡り歩いたエピソードも残されています。


左:坂本繁二郎「壁」 1954年 三菱一号館美術館寄託

「能面」を表した一枚の「壁」に目を引かれました。手前には布の入った箱が置かれていて、奥の壁の上の方に、能面が1つ掛けられていました。手前の箱との遠近感ゆえか、能面は壁にあるというよりも、もはや宙に浮いているかのようで、まるで人格を得たかのようににこやかに微笑んでいました。どこかシュールにも映るかもしれません。


坂本繁二郎「暁明の根子岳」 1953年 小杉放庵記念日光美術館

驚くほどに美しい水色に染まった風景画を目にすることが出来ました。それが「暁明の根子岳」で、ギザギザした山容が特徴的な阿蘇山の山の1つを、色のシルエットで表していました。白い雲を浮かべた水色の空は、もはや山を包み込むかのように広がっていて、うっすらとピンク色を帯びた夜明けの光を、実に瑞々しく描いていました。ともかくキャンバスへ染み込むような色味が素晴らしく、しばらく絵の前から離れられませんでした。


坂本繁二郎「達磨」 1964年

口をへの字に結んだ達磨をモチーフとした「達磨」も可愛らしいかもしれません。飲食店の主人を励ますために描かれた一枚で、背景の雲のようなものは、七転び八起きの「起」の文字を表していました。ここでも印象深いのは色彩で、達磨の朱や手前の紫、そして水色や緑を伴う「起」の部分など面が、互いにせめぎ合うように広がっていました。


左:坂本繁二郎「月」 1964年

1964年、82歳になった坂本が最後に選んだモチーフは月雲でした。既に視力が衰え、アトリエに出かけることもなかった坂本は、主に自宅から眺めた月雲を絵に表していきました。坂本は月を描くことになった経緯について、「池面に映った満月の姿、深夜、小窓からふとながめた月の静けさのなかに秘めたあふれるような充実感に打たれてのことですが、老いの心境が月にモチーフを求めたのかもしれません。」と語っています。月に自らの心の有り様を投影していたようです。


坂本繁二郎「月」 1966年 無量寿院(福岡県立美術館寄託)
 
坂本の菩提寺である無量寿院に献納された「月」は、一連の月の中でも最大の作品で、中央で天高く黄色の光を照らす満月を描いていました。その明かりはいささかの曇りもなく、まるで見る者を祝福するかのように輝いていました。神々しさすら感じられないでしょうか。

生前の制作を捉えた映像で、坂本が「悪気を感じたことない、呑気なんだよね。」と楽しそうにインタビューに答える様子が印象に残りました。一概に結び付けられませんが、大らかで温かみのある作風には、坂本の人となりも反映されていたのかもしれません。


坂本繁二郎「雲仙の春」 1934〜57年 株式会社福岡銀行

展示は基本的に坂本の画業を時系列で紹介していて、渡欧前後などで変化する作風を追うことも出来ました。また墨画や水彩、それに大画面に有明海を望む雄大な景色を表した「雲仙の春」などの大作も出展されていて、点数も資料などを含め約140点と不足もありません。見応えは十分でした。

展示替えの情報です。前後期で約20点の作品が入れ替わります。

前期:7月14日(日)~8月18日(日)
後期:8月20日(火)~9月16日(月・祝)

気がつけば坂本繁二郎の作品にまとめて接したのは、2006年に当時のブリヂストン美術館で行われた回顧展以来のことでした。そして今回と同様に、坂本の命への温かい眼差しも感じられる動物の絵画から、やや神秘的な雰囲気さえ漂う静物画、さらに滑りを伴うような画肌に強く魅せられたことを覚えています。


「没後50年 坂本繁二郎展」会場入口

それから約13年、再び坂本繁二郎の画業に触れられる絶好の機会がやって来ました。お見逃しなきようにおすすめします。

9月16日まで開催されています。

「没後50年 坂本繁二郎展」 練馬区立美術館@nerima_museum
会期:2019年7月14日(日)~9月16日(月)
休館:月曜日。但し7月15 日(月・祝)、8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)は開館。7月16日(火)、8月13日(火)は休館。
時間:10:00~18:00 *入館は閉館の30分前まで
料金:大人1000(800)円、大・高校生・65~74歳800(700)円、中学生以下・75歳以上無料
 *( )は20名以上の団体料金。
 *ぐるっとパス利用で500円。
住所:練馬区貫井1-36-16
交通:西武池袋線中村橋駅より徒歩3分。

注)写真は特別鑑賞会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project」 原美術館

原美術館
「The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project」
2019/4/13~7/28



原美術館で開催中の「The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project」のプレスプレビューに参加してきました。

韓国と北朝鮮の間に横たわる「38度線」こと非武装地帯(DMZ)は、1953年の朝鮮戦争終結後、南北の緩衝地帯として人の立ち入りが一切禁止されてきました。

しかし長らく無人であったことから、自然の楽園と化し、今では101種の絶滅危惧種を含む5000種以上の生き物が育まれています。そして38度線の生態系を守り、全ての生き物の共生をアートの観点から考えようとするアーティストがいました。

それが韓国の崔在銀で、作家は自らの理想とする自然の治める国、すなわち「自然国家」を築くべく、2014年から「大地の夢プロジェクト(Dreaming of Earth Project)」を立ち上げました。以来、韓国のみならず、世界の20組のアーティストや建築家らが賛同してきたそうです。

その「大地の夢プロジェクト」が日本で初めて可視化されました。会場では、それぞれのアーティストが、プロジェクトの実現のために提案した方法を、作品や図面、また映像などによって紹介していました。


坂茂「竹のパサージュ」 2019年

建築家の坂茂も崔の思想に共鳴した人物の1人でした。坂は、非武装地帯内に全長20キロにも及ぶ空中庭園を構想し、そのために築かれる回廊、すなわち「竹のパサージュ」の2分の1スケールのモデルを美術館の庭園に設置しました。


坂茂「竹のパサージュ」 2019年

坂は自然環境に馴染むよう、パサージュの主構造に竹を採用し、地面から離すことで、人の自然への介入を防ぐと考えました。さらに地雷から身を守る意味も持ち得ています。


スタジオムンバイ「Tazia」 2019年

また空中庭園に点在する12の東屋を、川俣正やイ・ブル、李禹煥、それにスタジオムンバイらが模型や素描で提案しました。中でも、細い竹と糸を組み上げ、聖人を祝福するための記念碑として築き上げる、スタジオムンバイ「Tazia」が目をひくのではないでしょうか。


スン・ヒョサン「鳥の修道院」 2017年

韓国の建築家のスン・ヒョサンは、非武装地帯に生きる鳥が羽を休めるためのスペースとして、「鳥の修道院」を提案しました。自然に覆われた同地域には、植物だけでなく、鳥を含めた多様な動物が生息しています。


チョウ・ミンスク「DMZ 生命と知識の地下貯蔵庫」 2019年

ヴェネチア・ビエンナーレで共同キュレーターを務め、国際建築展の金獅子賞を受賞をした経験もあるチョウ・ミンスクも、「大地の夢プロジェクト」のために大規模なプランを構想しました。それが「DMZ生命と知識の貯蔵庫」で、南北にまたがる鉄原(チョルウォン)で発見されたトンネルを再利用して築く、種子や知識を保存するための貯蔵庫、いわばシードバンクでした。なおトンネルは長さ3.5キロに及んでいます。


崔在銀「To Call by Name」 2019年

もちろん崔在銀もプロジェクトに関した作品を出展していました。うち「To Call by Name」は、非武装地帯の101種の絶滅危惧種の名を記したインスタレーションで、上には瓶が吊られ、中には展覧会の4日前に入れられたという豆が芽を吹いていました。なおその後、庭に植え替えられ、今では花を咲かせたそうです。


崔在銀「hatred melts like snow」 2019年

一面の床に置かれた「hatred melts like snow」も崔の手によるもので、素材は非武装地帯に敷設された鉄条網を鋳潰した鉄でした。崔は現実の境界線を打ち破るべく、まずは鉄条網を溶かすことを考えたそうです。会場内では誰もが自由に上に乗って行き来することも可能でした。


崔在銀「hatred melts like snow」 2019年

実際のところ、今も非武装地帯には300万個とも言われる地雷が埋設されている上、南北間における政治的隔たりは大きく、すぐさま実現に向けて動くとは思えません。そもそも崔自身も「今すぐに実現するかどうかは問題ではない。」と語っていました。


スタジオアザースペシーズ:オラファー・エリアソン アンド セバスチャン・ベーマン「水滴のパビリオン」 2017年(着想)/2019年(模型制作)

しかし非武装地帯の自然を守り、ひいては南北の境界を打ち払おうとする崔の意思は揺らぐことありません。崔の平和への強い希求と、各アーティストの提案した壮大なビジョンに心を揺さぶられるものを感じました。


7月28日まで開催されています。

「The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project」 原美術館@haramuseum
会期:2019年4月13日(土)~7月28日(日)
休館:月曜日。但し4月29日、5月6日、7月15日を除く。5月7日、7月16日は休館。
時間:11:00~17:00。
 *水曜は20時まで。入館は閉館の30分前まで
料金: 一般1100円、大高生700円、小中生500円
 *原美術館メンバーは無料、学期中の土曜日は小中高生の入館無料。
 *20名以上の団体は1人100円引。
住所:品川区北品川4-7-25
交通:JR線品川駅高輪口より徒歩15分。都営バス反96系統御殿山下車徒歩3分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「PIXARのひみつ展 いのちを生みだすサイエンス」 六本木ヒルズ展望台東京シティビュー

六本木ヒルズ展望台東京シティビュー
「PIXARのひみつ展 いのちを生みだすサイエンス」
2019/4/13~9/16



六本木ヒルズ展望台東京シティビューで開催中の「PIXARのひみつ展 いのちを生みだすサイエンス」のプレス内覧会に参加してきました。

1986年にアメリカで設立され、主にCGアニメーションを制作するピクサー・アニメーション・スタジオは、これまでに「トイ・ストーリー」などの作品で世界的な人気を集めてきました。



そのピクサーのアニメーションの作り方について学べるのが、「PIXARのひみつ展 いのちを生みだすサイエンス」で、中でも重要な8つの制作プロセスをインタラクティブな仕掛けで展示していました。



冒頭、「トイ・ストーリー」のバズ・ライトイヤーが待ち構える中、ぐるりと一周、並ぶように展開したのが「パイプライン」のコーナーで、ここでは3Dモデルでキャラクターを作る「モデリング」からキャラクターの動きを設計する「リギング」、さらにはデータを最終的な2Dイメージに変換する「レンダリング」などを、パネルや音声の解説、ないし映像で紹介していました。全体のガイド的な内容と言えるかもしれません。



先のバズしかり、ピクサーのキャラクターが数多く登場するのもポイントです。例えば「Mr.インクレディブル」のエドナがいる「アニメーション」では、手前のハンドルを回転させるとムービークリップが再生され、キャラクターの表情の変化を細かに見ることが出来ました。



昼や夜の明かりを調整する「ライティング」では、「ファインディング・ニモ」などでお馴染みのドリーがモデルをしていて、スイッチやスライダーにより、ドリーの泳ぐサンゴ礁の色や光などを自由に操れました。青、ないし紫色を強くすると、より水深が深く感じられるのも興味深いかもしれません。背景の魚群の演出の速度も変えられました。



最も面白いのが、ピクサーのオープニングに登場するランプを用いた「ストップモーション アニメーション」でした。ここではランプを何度か前後に動かして撮影を繰り返すことで、コマ撮りのアニメーションを作ることが可能でした。ランプの可動距離はおそらく1メートルもありませんが、細かに操作すると、かなり凝った動きを伴うアニメーションが作れるかもしれません。



そのほか、「バグズ・ライフ」のアント・アイランドを舞台にした「セット&カメラ」も目立っていました。ちょうど手前のスイッチでカメラを操作すると、樹木を模したセットの中を、さも虫の視点から覗き込むかのような体験をすることが出来ました。



各コーナーには展示装置がおおむね2台ほどあり、複数でも使えるようになっていました。また会場内は撮影が可能です。キャラクターとの記念撮影も自由に出来ます。



インタラクティブな装置は意外とシンプルな仕掛けでしたが、一連の操作を通して、ピクサーの映像制作のエッセンスを学べるような展覧会だったのではないでしょうか。なお本展は、2015年のボストンサイエンスミュージアムを皮切りに、アメリカやカナダで開催され、ここ東京がアジアで初めての開催地となる国際巡回展でもあります。



7月には「トイ・ストーリー4」の公開も控えています。今後、ますますピクサーへの注目が高まりそうです。



「ピクサーで働く人たち」と題したインタビュー映像が随所で紹介されていました。制作現場の生の声を聞くことが出来ます。


会期中のお休みはありません。9月16日まで開催されています。

「PIXARのひみつ展 いのちを生みだすサイエンス」 六本木ヒルズ展望台東京シティビュー(@tokyo_cityview
会期:2019年4月13日(土)~9月16日(月・祝)
休館:会期中無休。
時間:10:00~22:00
 *入場は閉館の30分前まで。
料金:一般1800円、高校・大学生1200円、4歳〜中学生600円、65歳以上1500円。
住所:港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー52階
交通:東京メトロ日比谷線六本木駅1C出口徒歩5分(コンコースにて直結)。都営地下鉄大江戸線六本木駅3出口徒歩7分。
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「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」 東京国立博物館・平成館

東京国立博物館・平成館
「特別展 国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」
2019/3/26~6/2



東京国立博物館・平成館で開催中の「特別展 国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」の報道内覧会に参加してきました。

平城京遷都により建立され、823年に空海が嵯峨天皇より賜った東寺は、以来、真言密教の根本道場として多くの人々の信仰を集めてきました。

その東寺に長らく伝わって来た文化財、ないし寺宝が、約110件ほどやって来ました。中でも空海が密教の真髄を世に知らしめるべく、講堂に築き上げた立体曼荼羅のうち、史上最多の15体の仏像ほど出品されました。


「後七日御修法」の道場の再現展示

空海によってはじめられ、真言宗で最も重要の儀式、後七日御修法の道場が再現されました。元は宮中の真言院で行われていて、国家の安泰などが祈願され、現在は東寺にて開かれているものの、修法そのものは秘密のため、内容は明らかにされていません。しかしながら今回の展覧会のため、一部にレプリカを用いつつ、特別に設えが再現されていて、臨場感のある形で道場内の様子を知ることが出来ました。


重要文化財「金銅舎利塔」 平安時代・12世紀 東寺

うち「金銅舎利塔」は、本尊的な役割を果たした塔で、実際の修法では、隔年で金剛界と胎蔵界の曼荼羅の前に置かれました。なお修法は、両曼荼羅を年毎の交代で儀式の中心としていて、曼荼羅の前に壇が築かれ、周囲に五大尊像や十二天像などが掛けられました。


国宝「五大尊像」 平安時代・大治2年(1127) 東寺

その「五大尊像」が並々ならぬ迫力を見せていました。いずれも赤々とした火炎に包まれた明王を表していて、かつての像が1127年の火災で焼失したことから、鳥羽院の命によって描き直されました。いわゆる多面多臂の醜怪な姿ながらも、限りなく優美に描こうとした、当時の貴族の美意識も反映されているそうです。


国宝「十二天像」 平安時代・大治2年(1127) 京都国立博物館

「十二天像」も同様に火災で失われた後に描き直された作品で、截金や彩色が鮮やかに残っていました。平安仏画の優品として知られています。(五大尊像、十二天像ともに展示替えあり。)


国宝「金銅密教法具」 中国 唐時代・9世紀 東寺

また修法関連では、空海が唐より持ち帰ったとされる「密教法具」も見逃せません。金剛盤の上に五鈷鈴と五鈷杵が乗ったセットで、9世紀の品にも関わらず、金色の目映いばかりの光を放っていました。


国宝「山水屛風」 平安時代・11世紀 京都国立博物館 展示期間:3/26~4/21

寺宝にも見逃せない作品が少なくありません。一例が「山水屏風」で、密教の灌頂の儀礼に用いられ、平安期に制作された、現存最古の山水屏風として伝えられています。


国宝「天蓋」 平安時代・9世紀 東寺

また空海の住居跡の西院に安置された、不動明王坐像の上の「天蓋」も見事で、周縁に蓮華の花弁と、中心に菩薩が舞うように描かれていました。写真では色が失われているように見えるかもしれませんが、実際に前にすると、菩薩の衣などが実に流麗に表現されていることが分かりました。


重要文化財「八部衆面(迦楼羅、摩睺羅、夜叉、緊那羅、阿修羅)」 鎌倉時代・13世紀 東寺

インドで釈迦を護衛するための神々である「八部衆面」も、どことなくコミカルな表情を見せていて、東寺では舎利会の行列にて、僧侶の乗る輿を担ぐ人がつけていました。また同じく仮面で、灌頂会の行列に用いられたとされる、「十二天面」の穏やかな様子にも魅せられました。


国宝「後宇多天皇宸翰東寺興隆条々事書」 後宇多天皇筆 鎌倉時代・徳治3年(1308) 東寺 展示期間:3/26~4/30

書では真言密教に帰依した後宇多天皇による「宸翰東寺興隆条々事書」も目をひくのではないでしょうか。そのほか、展示は前後しますが、冒頭には空海の名筆、「風信帖」も出展されていました。ともかく優品に次ぐ優品で、見て飛ばすことは出来ません。


「特別展 国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」第4章「曼荼羅の世界」会場風景

目玉の立体曼荼羅は第2会場のラストに公開されていました。講堂にある21体のうち、国宝11体、重要文化財4体からなる計15体が一堂に会していて、全てがケースなしの露出で展示されていました。また国宝11体の仏像に関しては、360度の全方位から鑑賞することも出来ました。やや強めの照明ゆえか、仏像の細部が際立って見えるのも特徴で、あるべき場所の東寺で見る姿も趣深いものがありますが、現地よりも仏像の姿形が良く分かるかもしれません。


国宝「帝釈天騎象像」 平安時代・承和6年(839)  東寺

立体曼荼羅の配置は東寺とは大きく異なりました。東寺では中央に如来、右に菩薩、そして左に菩薩の諸像が並び、周囲を四天王が囲んでいますが、博物館では手前に四天王、右に菩薩、左に明王が並び、奥に如来像が並んでいました。そして一番手前の帝釈天のみ、ほかの諸像と反対を向いていました。なお本像は、一般会期期間中においても撮影が可能です。


国宝「金剛薩埵菩薩坐像」 平安時代・承和6年(839)  東寺

歯を剥き出しにしつつ、凄まじい表情で立つ「増長天」をはじめ、重々しい水牛に跨っては異形を見せる「大威徳明王騎牛像」など、思わず後ずさりするほどに迫力がある像ばかりでしたが、私としては温和な笑みを浮かべているようにも見える「金剛薩埵菩薩坐像」など、一連の菩薩像の端正な姿に心を奪われました。

最後に館内の状況です。報道内覧会に加え、再度、会期早々の平日の昼間に観覧して来ました。


国宝「大威徳明王騎牛像」 平安時代・承和6年(839) 東寺

入館のための待ち時間もなく、場内も一部の書の展示のみ、若干混雑していましたが、どの作品も並ぶことなくスムーズに見られました。


国宝「増長天立像」 平安時代・承和6年(839) 東寺

既に会期もあと一週間ほどで一ヶ月を迎えようとしていますが、現段階において、土日を含めても入場規制は行われていません。とはいえ、今年は改元に伴う10連休が控えるなど、GWには大変な人出となることも予想されます。金曜と土曜日の夜間開館も有用となりそうです。



それにしても、まさかこれほどのスケールで東寺の寺宝を目の当たりに出来るとは思いませんでした。東京における東寺展としては決定版と捉えて間違いありません。


現存最古の彩色の両界曼荼羅で知られる、国宝の「西院曼荼羅」が、4月23日より5月6日までの限定で出品されます。そのタイミングで私も改めて見てくるつもりです。


「特別展 国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」会場入口

6月2日まで開催されています。おすすめします。

「特別展 国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」@toji2019) 東京国立博物館・平成館(@TNM_PR
会期:2019年3月26日(火)〜6月2日(日)
時間:9:30~17:00。
 *毎週金・土曜は21時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
休館:月曜日。5月7日(火)。但し4月29日(月・祝)、5月6日(月・休)は開館。
料金:一般1600(1300)円、大学生1200(900)円、高校生900(600)円。中学生以下無料
 *( )は20名以上の団体料金。
 *本展観覧券で、会期中観覧日当日1回に限り、総合文化展(平常展)も観覧可。
住所:台東区上野公園13-9
交通:JR上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、京成電鉄上野駅より徒歩15分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「ソフィ カル ─限局性激痛 原美術館コレクションより」 原美術館

原美術館
「ソフィ カル ─限局性激痛 原美術館コレクションより」
2019/1/5~3/28


Sophie Calle
Exquisite Pain, 1984-2003
© Sophie Calle / ADAGP, Paris 2018 and JASPAR, Tokyo, 2018


原美術館で開催中の「ソフィ カル ─限局性激痛 原美術館コレクションより」のガイドツアーに参加して来ました。

フランスの現代美術家のソフィ・カル(1958〜)は、かねてより写真や言葉で構成した、自伝的とも言える物語を紡いでは、作品を制作してきました。

そして1999年から2000年にかけ、自らの失恋の体験を素材とした「限局性激痛」を原美術館で発表し、大きな反響を呼びました。

その「限局性激痛」がフルスケールで再現されました。作品は前後編、つまり第一部と第二部に分かれていて、前半は失恋の体験を綴り、後半はその体験を他者に語って、代わりに相手の辛い体験を聞いては、心の傷を治癒していくプロセスを提示していました。


「ソフィ カル 限局性激痛」原美術館コレクションより 展示風景
©Sophie Calle / ADAGP Paris and JASPAR Tokyo, 2018 Photo by Keizo Kioku


はじまりは、ソフィが「人生最悪の日」とした、失恋の日の92日前でした。1984年、海外に3ヶ月滞在可能な奨学金を得たソフィは、あえて自らの文化とは異なった日本を選択し、フランスを出発すると、シベリア鉄道、中国から香港を経由して日本へと渡りました。日本へ至るまでに各地を転々としていて、最終的に日本に来たのは、20日以上も経ってからことでした。

日本での滞在中、ソフィは各地を旅し、目にした光景、あるいは日々の生活を写真に記録しつつも、パリにいた恋人と手紙をやり取りしていました。

第一部では、そうした写真や手紙がずらりと並んでいて、例えば新宿のバーや成人式、あるいはテレビでの相撲、はたまた旅館の朝食、さらには宿泊したホテルのキーなどが写されていました。そして全ての記録や恋人との手紙は、失恋の「人生最悪の日」に向けて、カウンドダウンするように構成されていて、ソフィの失恋の日へ至るプロセスを追体験出来るようになっていました。

3ヶ月の海外滞在を終えようとしたソフィは、インドのニューデリーで恋人と落ち合うように連絡を取りました。しかしニューデリーに出向くも、恋人はやって来ず、ここではじめてソフィは、愛する人に捨てられた、すなわち失恋したことを知るわけでした。

1985年、失意の中、フランスへ帰国したソフィは、「厄払い」(解説より)のために、自身の苦しみを人に語ることを決めました。そしてソフィは、「自分の苦しみを人に語れないことが一番辛い」として、代わりに話し相手にも、個々に辛い体験を語ってもらうことにしました。


「ソフィ カル 限局性激痛」原美術館コレクションより 展示風景
©Sophie Calle / ADAGP Paris and JASPAR Tokyo, 2018 Photo by Keizo Kioku


そのやりとりを記録したのが、後半の第二部で、ソフィの失恋の体験と、話し相手の辛い体験を、今度は写真と刺繍で示していました。この相手の体験が、想像を絶するほどに深刻な状況で、中には恋人の自殺を語る人もいました。結果的にソフィは、痛みが癒されるまで、おおよそ3ヶ月間、他者と語り合いました。


「ソフィ カル―限局性激痛」1999-2000年 原美術館での展示風景
© Sophie Calle / ADAGP, Paris 2018 and JASPAR, Tokyo, 2018


ここで興味深いのは、ソフィの刺繍によるテキストで、はじめは長々と細かに失恋の状況を記しているものの、日を追うごとに短くなり、最終的には「惨めな、ありふれた物語である。くどくどと繰り返すには値しない。」のような、どこか失恋の経験と決別を表すような、簡潔な言葉のみになっていました。また刺繍糸の色も変わり、黒い布地と一体化して、読めなくなりました。

ともかく第一部、第二部とも、赤裸々に心理が表現されていて、まさにソフィの長大なモノローグを聞いているようでした。と同時に、自らの痛みをさらけ出しつつ、他者の痛みを相対化するプロセスにおいても、多くのドラマが生みだされていました。ともかくひたすらに読ませる展開で、まるで複数の小説を同時に追っているかのようでした。


なお「限局性激痛」とは医学用語で、身体部位を襲う、狭い範囲の痛みを意味しているそうです。また日本滞在が切っ掛けとなって生まれた「限局性激痛」は、ソフィ自身が日本で最初で発表したいと考え、1999年の原美術館での展覧会のため、まず日本語版で制作されました。そしてのちに、フランス語版や英語版が発表されました。

3月28日まで開催されています。

「ソフィ カル ─限局性激痛 原美術館コレクションより」 原美術館@haramuseum
会期:2019年1月5日(土)~3月28日(木)
休館:月曜日。但し1月14日、2月11日は開館。1月15日、2月12日は休館。
時間:11:00~17:00。
 *水曜は20時まで。入館は閉館の30分前まで
料金: 一般1100円、大高生700円、小中生500円
 *原美術館メンバーは無料、学期中の土曜日は小中高生の入館無料。
 *20名以上の団体は1人100円引。
住所:品川区北品川4-7-25
交通:JR線品川駅高輪口より徒歩15分。都営バス反96系統御殿山下車徒歩3分。

注)写真は美術館より頂戴した広報用の図版を使用しています。館内の撮影は出来ません。
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「国宝 雪松図と動物アート」 三井記念美術館

三井記念美術館
「国宝 雪松図と動物アート」 
2018/12/13~2019/1/31



三井記念美術館で開催中の「国宝 雪松図と動物アート」の特別内覧会に参加してきました。

江戸時代後期の絵師、円山応挙の必竟の名作、国宝「雪松図屏風」が、東京・日本橋の三井記念美術館にて公開されています。


国宝「雪松図屏風」 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 北三井家旧蔵

金色に染まる雪原の中、さも寒さに耐えるかのように起立した松は、どこか神々しいまでに美しい姿を見せていますが、何度接しても、まるで3Dのような視覚効果に目を見張ってなりません。老松と若松が左右だけではなく、屏風の手前と奥、つまり前後へ行き来するように伸びていて、さも無限でかつ深遠な空間を前にしたかのようでした。


国宝「雪松図屏風」(部分) 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 北三井家旧蔵

また塗り残しを用いた雪の表現をはじめ、素早い筆の動きも効果的ではないでしょうか。少し離れて眺めると、いつしかピタリと形が収まるような構図感も魅惑的でした。

さて今回の展覧会は、「雪松図」に加えて、「動物アート」の二本立てでした。よって、主に館蔵の動物に因んだ、日本と東洋の絵画や工芸、それに茶道具が一堂に展示されていました。また動物を広く定義し、哺乳類に留まらず、想像上の龍や獅子、鳳凰のほか、鳥類、魚貝類、昆虫などを網羅しているのも特徴でした。


「白象黒牛図屏風」 長沢芦雪筆 江戸時代・18世紀 個人蔵

新出の「白象黒牛図屏風」が初めてお目見えしました。長沢芦雪による作品で、有名なエツコ&ジョー・プライスコレクションとほぼ同じ図柄を見せていました。同種の作品は、ほかにも島根県立美術館に所蔵されていて、現在、3種類確認されていることから、おそらくは複数の注文に応えて描いたと考えられています。


「白象黒牛図屏風」(部分) 長沢芦雪筆 江戸時代・18世紀 個人蔵

プライスコレクション作と同様、黒牛の下でちょこんと座る仔犬の可愛らしさと言ったら、比類がありません。まるでゆるキャラのようでした。


「秋草に兎図襖」 酒井抱一筆 江戸時代・19世紀 北三井家旧蔵

絵画ではもう1点、酒井抱一の「秋草に兎図襖」に魅せられました。うっすら月のかかった秋のススキの野を舞台としていて、強い風が吹いているのか、ススキやクズが靡く様子が表現されていました。ともかく面白いのは、襖の地に斜めに張られたヘギで、その線が、風の向きを見事に示していました。


「秋草に兎図襖」(部分) 酒井抱一筆 江戸時代・19世紀 北三井家旧蔵

後ろ脚を強く蹴っては、風に向かって進む、躍動感のある兎の姿も良いかもしれません。


「昆虫自在置物」 高瀬好山製 明治〜昭和時代 北三井家旧蔵

一昨年の「驚異の超絶技巧!」で話題を集めた自在置物にも、動物はたくさん登場します。中でも精緻なのは、高瀬好山の「昆虫自在置物」で、チョウ、トンボ、ハチ、カブトムシ、クワガタなど12種類の昆虫を、金属でリアルに作り上げました。もちろん実際に動かすことは叶いませんが、羽や関節などは、まさに自在に動くように出来ています。


「染象牙貝尽置物」 安藤緑山作 明治〜昭和時代 北三井家旧蔵
 
俄かに人気の高まる高まる牙彫家、安藤緑山の「染象牙貝尽置物」も大変な力作でした。言うまでもなく、象牙で作られていますが、あまりにも写実的なため、もはや本物の貝のようにしか見えませんでした。


「信楽写兎耳付水指」 野々村仁清作 江戸時代・17世紀 北三井家旧蔵

茶道具にも動物のモチーフが少なくありません。一例が、野々村仁清の「信楽写兎耳付水指」で、筒状の胴の部分に、耳を広げた兎の耳が付いていました。円形の口を月、さらに全体の器形を臼に見立てれば、月に兎の意匠にもなるそうです。一見、シンプルな造形ながらも、風流な作品と言えるかもしれません。


「十二支文腰霰平丸釜」 大西浄林作 江戸時代・17世紀 北三井家旧蔵

「十二支文腰霰平丸釜」は、胴に子、丑、寅、卯、辰、巳、馬、羊、申、酉、戌、亥の12種類の干支を描いていて、京都の三条釜座の千家の釜師、大西家の初代浄林が制作しました。


「竹置筒花入 銘 白象」 惺斎直書・在判 大正時代 北三井家旧蔵

太い白竹を用いた「竹置筒花入 銘 白象」も興味深い作品でした。堂々たる重厚感の花入で、特段に動物が描かれているわけではありませんが、形自体が象の足を連想させることから、「白象」の銘が付けられました。確かに、根の部分が足のように見えなくはありません。


「唐三彩馬」 唐時代 室町三井家旧蔵

鮮やかな彩色を伴う「唐三彩馬」も目立っていたのではないでしょうか。ほかにも、切手に絵巻、仮面、能装束なども動物モチーフばかりです。右に左の動物を比べながら、お気に入りの作品を探して見るのも楽しいかもしれません。


「東都手遊図」 源き(おうへんに奇)筆 江戸時代・天明6年(1786) 浅野家旧蔵 ほか

年末年始のお休みも終わり、新年も1月4日より開館しました。例年、「雪松図」は年明けに公開されるだけに、お正月のイメージと重なる方も少なくないかもしれません。私も再度、見に行こうと思います。


「嶺」 池田勇八作 大正13年(1924) 北三井家旧蔵

気がつけば、エレベーター前のブロンズ彫刻、池田勇八の「嶺」も、夫婦鹿を象った作品です。一体全体、館内には何種類の動物が存在するのでしょうか。徹頭徹尾、まさしく動物でした。


国宝「志野茶碗 銘 卯花墻」 桃山時代・16〜17世紀 室町三井家旧蔵 *茶室「如庵」ケース展示風景

1月31日まで開催されています。

「国宝 雪松図と動物アート」 三井記念美術館
会期:2018年12月13日(木)~2019年1月31日(木)
休館:月曜日。1月27日(日)。年末年始(12/26~1/3)。
 *但し12月24日(月・休)、1月14日(月・祝)、1月28日(月)は開館。
時間:10:00~17:00  
 *入館は閉館の30分前まで。 
料金:一般1000(800)円、大学・高校生500(400)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *リピーター割引:会期中、一般券、学生券の半券を提示すると、2回目以降は団体料金を適用。
場所:中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階
交通:東京メトロ銀座線・半蔵門線三越前駅A7出口より徒歩1分。JR線新日本橋駅1番出口より徒歩5分。

注)写真は特別内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「ミリアム・ハスケル~渡辺マリコレクション」 アクセサリーミュージアム

アクセサリーミュージアム
「アメリカンドリーマー ミリアム・ハスケル~渡辺マリコレクション」
2018/11/13~2018/12/22、2019/1/17~2019/4/14



アクセサリーミュージアムで開催中の「アメリカンドリーマー ミリアム・ハスケル~渡辺マリコレクション」を特別鑑賞会に参加して来ました。

コスチューム・ジュエリーのトップブランドである「ミリアム・ハスケル」は、創設者のミリアム・ハスケルが、1924年にニューヨークで開いたセレクトショップにはじまりました。

そのミリアム・ハスケルのジュエリーを一堂に紹介したのが、「ミリアム・ハスケル~渡辺マリコレクション」で、ミリアム・ハスケルの研究で知られ、ジュエリーを30年近くに渡って収集し続けた渡辺マリ氏のコレクションが公開されていました。


「メタルリーフイエローデミパリュールセット」 1930年代

元々、ハスケルのショップでは、シャネルをはじめとしたフランスのジュエリーを輸入していましたが、次第に自身でもジュエリーを制作したいと考えるようになりました。


「ミリアム・ハスケル~渡辺マリコレクション」会場パネル

ハスケルのジュアリーは、1人のデザイナーとの協働によって生み出されました。名はフランク・ヘスで、1926年、ヘスのウィンドウディスプレイに惚れたハスケルは、デザイナーとしてスカウトし、自身はプロデューサーとして、ジュエリーを世に送り出しました。ハスケルは「人と同じものをつけさせない、つけない。」ことをモットーとしていて、一番美しいものを作るべく、手作業で、パーツの全てまでがオリジナルなジュエリーを作りました。


「スティックピン」 1940年代

ジュエリーの制作に際しては、極力、接着剤や溶接の技術を用いず、糸や針を、一つ一つ手で組み上げていて、修理やセミオーダー形式での手直しも可能としていました。それ故に、今も修理をすることが出来るそうです。


「メタルフラワーイエローネックレス」 1930年代

ハスケルの最大の魅力は、立体的なデザインを伴うことでした。ジュエリーは正面だけでなく、上下左右のどこから見ても、女性を引き立てるように作られました。またネックレスは複数の使い方が出来るようなっていて、その日の服装などに合わせ、ショートとロングの双方に対応するように工夫されました。


「黄金花束ブローチ」 1940年代

自分の名前を入れることに執着のなかったハスケルは、当初、ブランドサインを付けませんでした。ジュエリーは、主に植物をモチーフとしていて、木や貝などの自然の材料が多く使われました。またハスケルは、同じ作品を3つ作り、1つは見本、もう1つは店内ディスプレイ用、最後の1つは販売用とすることもありました。


「ソンメルソガラスネックレス」 1940年代

1930年頃から、客の求めによって、サインが入れられるようになりました。しかし人気の高まりゆえか、偽物も出回るようになったため、今度は名前の代わりに、亀や小鳥の金具を付けるようになりました。


「ウランガラス3連ネックレス」 1950年代

素材はベネツィアのガラスなども使われましたが、中にはガラスにウランを入れたネックレスもあり、照明を落として、ライトを当てると、緑色に光り出しました。


「シノワズリデミパリリュールセット」 1940年代〜1950年代

ハスケルの作品には、ランクに応じて、カジュアルのC、フォーマルのB、そしてスペシャルのAの3つのラインがありました。うちAラインは、パーティーなどの特別な場につけていくことを想定していて、ほかのラインに比べて、大ぶりで豪華でした。


「ターコイズパリュールセット」 1950年代

ハスケルは人気を博し、次々と店舗が増え、アメリカからヨーロッパへも拡大し、コスチュームジュエリーのクイーンと称されるほどになりました。しかし残念ながら、ハスケルの活躍は、必ずしも長く続きませんでした。1940年頃に鬱病を患うと、しばらくはフランクの助けもあって支えられるものの、1950年にはクリエイターとしての仕事が困難となり、会社を離れてしまいました。


「デザイン画」 ラリー・オースチン 1930年代〜1940年代

ジュエリー制作をやめたハスケルは、結果的に長い療養生活の末、1981年に亡くなりました。また現在も会社こそ存続しているものの、ハスケルの当時とは方針が変わり、大量生産方式を採用しているそうです。


「ドーム花パリュールセット」 1940年代〜1950年代

渡辺マリ氏のコレクションも、ハスケルとフランクの2人が制作したものにこだわっていて、主に1920年から50年代の作品でした。いずれのジュエリーもオリジナリティーに溢れていて、ハスケルが制作にかけた、創意工夫が感じられるのではないでしょうか。また単に美しい云々だけではなく、ハスケルとフランクの2人の作り手の熱意も伝わってくるかもしれません。


「グリーン花モチーフパリュール」 1940年代〜1950年代

最後に会期の情報です。年末年始を含む冬季休館日を挟み、前期と後期に分かれています。(一部に展示替えあり。)

「ミリアム・ハスケル~渡辺マリコレクション」
前期:2018年11月13日(火)~2018年12月22日(土)
後期:2019年1月17日(木)~2019年4月14日(日)

12月23日から1月16日までが冬季休館日です。年内は12月22日まで、年明けは1月17日からの開館となります。お出かけの際はご注意下さい。


「ミリアム・ハスケル~渡辺マリコレクション」会場風景

通常入館料で観覧可能です。ぐるっとパスにも対応しています。


「シルバーメタルチェーンラリエット」 1930年代

2019年4月14日まで開催されています。

「アメリカンドリーマー ミリアム・ハスケル~渡辺マリコレクション」 アクセサリーミュージアム@acce_museum
会期:2018年11月13日(火)~2018年12月22日(土)、2019年1月17日(木)~2019年4月14日(日)
休館:月曜・第4、5日曜日。
 *冬季休館(12月23日~1月16日)、及び8月休館(8/1~8/31)
時間:10:00~17:00
 *入館は16時半まで。
料金:一般1000円、学生(小学生以上)600円。ぐるっとパスでフリー。
住所:目黒区上目黒4-33-12
交通:東急東横線祐天寺駅中央改札口側西口1より徒歩7分。

注)写真は特別鑑賞会の際に美術館の許可を得て撮影しました。
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「吉村芳生 超絶技巧を超えて」 東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリー
「吉村芳生 超絶技巧を超えて」 
2018/11/23~2019/1/20



東京ステーションギャラリーで開催中の「吉村芳生 超絶技巧を超えて」のプレス内覧会に参加してきました。

1950年に山口県で生まれ、版画やドローイングの画家としてデビューした吉村芳生は、身の回りの日常を見据えては、主に鉛筆で細密に描き出しました。


奥:吉村芳生「ドローイング 金網」 1977年

その吉村の制作にとって重要だったのは、写しの行為でした。一例が「ドローイング 金網」で、金網の網目のみを、おおよそ1万8千個も写しとりました。


吉村芳生「ドローイング 金網」(部分) 1977年

いずれもケント紙と金網を重ねてプレス機にかけ、紙に写った痕跡を鉛筆でなぞったもので、長さは17メートルにも及んでいました。吉村は「機械文明が人間から奪った感覚を自らに取り戻す」として、1日5時間、約70日間かけて完成させました。


吉村芳生「ドローイング 新聞 ジャパンタイムズ」 1979年〜80年 ほか

同じく「ドローイング 新聞」も、写しを半ば極めた作品で、インクの乾ききっていない新聞紙面にアルミ板をあて、プレス機で圧着させたのち、また紙をあて、最終的に紙に転写した薄いインクを元に、鉛筆で文字や写真を写していました。ともかく精巧に出来ていて、近くに寄っても、単なる古い新聞紙と見間違えてしまうかもしれません。


吉村芳生「SCENE No.36(河原)」 1983年

吉村が初期に描いた題材は、川辺や通り、駐車場、ジーンズ、灰皿など、ごくありふれた風景でした。制作に際しては、対象を凝視して直接的に紙へ描くのではなく、撮影した写真を利用し、リトグラフやシルクスクリーンなどの版画の技法も取り入れました。そのために主観性は排除され、作業はより機械的なものになりました。


右:吉村芳生「ジーンズ」 1984年
左:吉村芳生「ジーンズ 下絵(数字)」 1984年


「ジーンズ」も写しにこだわった作品でした。まず本物のジーンズをモノクロで撮影し、引き伸ばしたうえ、今度は鉄筆で2.5ミリ四方のマス目を引き、濃度に応じて0から9までの数字をマス目に書きました。それが、上の写真左の「ジーンズ」で、目をこらすと、確かに細かな数字がマス目に書き込まれていることが分かりました。


右:吉村芳生「ジーンズ」(部分) 1984年

一方で、右の「ジーンズ」はどのように描かれたのでしょうか。今度は写真と同じサイズの方眼紙を用意し、先に2で書いた数字を写したのち、同じサイズの透明フィルムを上から重ね、左端の行から、数字の0に斜線1、数字の1に斜線2、数字の5に斜線6本のように、1つのルール対応した斜線をインクで引いていました。つまりこの「ジーンズ」は、全て斜線のみで描かれていて、色の濃度のみが示されているにも関わらず、写真のように見えるわけでした。


吉村芳生「SCENE 85-8」 1985年 東京ステーションギャラリー

何気ない路上の1コマを捉えた「SCENE 85-8」も、同じく写真のように見えるかもしれません。吉村は雨に濡れた路面を、鉛筆で表現していて、写真のブレまでも描ききっていました。

吉村は生涯を通して自画像を描き続けた画家でした。うち目立つのが新聞紙の上に自画像を描いたシリーズで、吉村は新聞を「社会の肖像であり、自画像と同じである。」と捉えていました。


右:吉村芳生「新聞と自画像 2008.8.9 読売新聞」 2008年
左:吉村芳生「新聞と自画像 2008.10.8 毎日新聞」 2008年


「新聞と自画像」に目を奪われました。ノーベル賞の受賞や、オリンピックの開幕を告げる新聞の一面に、吉村自身の顔が浮かび上がっていました。


吉村芳生「新聞と自画像 2008.8.9 読売新聞」(部分) 2008年

ここで驚くのは、新聞紙自体も鉛筆で描かれていることで、吉村は紙面をコピーしたうえ、カーボン紙で紙に転写したのち、文字や写真の全てを鉛筆や色鉛筆で漏らさずに写し取りました。何やら描く、写すことに対して、執念すら感じないでしょうか。


吉村芳生「新聞と自画像 2009年」 2009年

新聞と自画像のシリーズには2パターンあり、1つがともに描くタイプで、もう1つが既存の新聞紙の上に自画像を描くものでした。うち「新聞と自画像 2009年」では、1年分の新聞の1面に、毎日撮影した自画像を拡大して描いていて、休刊日の1月2日を除くと、全部で364日、つまり364枚にも及んでいました。顔の表情は、新聞の記事の内容に対応していると言われています。


吉村芳生「3.11から 新聞と自画像」 2011年

「3.11から 新聞と自画像」では、東日本大震災の発生と惨状を伝えた新聞を素材にしていて、3月12日から1ヶ月分の新聞に、「見」、「光」、「阿」、「吽」、「叫」などと言った、8種類の自画像をシルクスクリーンで刷り込みました。吉村は、震災の発生当初は描けなかったものの、1ヶ月経過して、やはり描くべきだと考え、新聞を取り寄せては、顔を加えたそうです。また作品を売却して、チャリティーにあてたこともありました。


吉村芳生「コスモス」 2000〜07年

吉村は何もモノクロームの作品だけ制作していたわけではありません。1990年頃にはじめて花を題材にして以降、次第に色鉛筆で描く花の作品に制作の重心を移していきました。その前に東京から山口に移住し、そこで目にした花、とりわけ休耕田のコスモスに出会い、色を発見したと指摘されています。この頃の吉村は、従来の鉛筆のモノクロにやや息苦しさ感じていて、スランプに陥っていましたが、花の絵を色鮮やかに描くことにより、新たな境地を切り開きました。


吉村芳生「無数の輝く生命に捧ぐ」 2011〜13年

フェンス越しの藤の木が一面に広がるのが、「無数の輝く生命に捧ぐ」で、吉村は東日本大震災を契機に、花の1つ1つに亡くなった人の魂を思って描きました。元にはやはり写真が参照されているものの、実際の光景とは異なっていて、背後には何も描かず、ただマス目だけが微かに記されているだけでした。


吉村芳生「無数の輝く生命に捧ぐ」(部分) 2011〜13年

また画面右手の花が消えるように描かれているのも、吉村の意図した表現でした。かつてはモチーフに意味を持たせなかった吉村ですが、特に2000年を過ぎると、何らかのメッセージを込めた作品を制作するようになりました。

1990年代以降、故郷の山口を中心に活動していた吉村ですが、2007年に東京の森美術館で開催された「六本木クロッシング」に出展すると、大きな話題を呼び、各地の美術館でも作品が展示されるようになりました。しかしながら2013年、病に倒れて亡くなってしまいました。時に63歳でした。


吉村芳生「コスモス(絶筆)」 2013年

絶筆も「コスモス」でした。やはり一面の花畑を表していて、ちょうど画面の4分の1を残して筆がとまっていました。ここで明らかなのは、吉村が最後に至るまでマス目にそって、1つずつ塗り進めていたことで、残りの白い画面には、一切の下書きもなく、ただ小さなマス目のみが残されているだけでした。


「吉村芳生 超絶技巧を超えて」会場風景

出展数は、62件、600点と不足はありません。モノクロとカラーの双方で、オリジナルの画風、ないし制作法を確立した吉村の作品は、ほかでは代え難い魅力が存在していました。


中国、四国地方以外の美術館では初めての個展でもあります。2019年1月20日まで開催されています。少し遅くなりましたが、おすすめします。

「吉村芳生 超絶技巧を超えて」 東京ステーションギャラリー
会期:2018年11月23日(金・祝)~2019年1月20日(日)
休館:月曜日。但し12月24日、1月14日は開館。12月25日(火)は休館。年末年始(12月29日~1月1日)。
料金:一般900(700)円、高校・大学生700(500)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
時間:10:00~18:00。
 *毎週金曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
住所:千代田区丸の内1-9-1
交通:JR線東京駅丸の内北口改札前。(東京駅丸の内駅舎内)

注)写真はプレス内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「ピエール・ボナール展」 国立新美術館

国立新美術館
「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」
9/26~12/17



国立新美術館で開催中の「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」のプレスプレビューに参加してきました。

フランスの画家、ピエール・ボナールは、日本の浮世絵にも影響を受けつつ、のちにフランス各地を転々としては、身近な風景や人物を鮮やかな色彩で描きました。

オルセー美術館より、ボナールのコレクションが多くやって来ました。油彩は全72点に及び、ほか素描17点、版画・挿絵本17点、写真30点も交え、ボナールの画業を様々な角度から紹介していました。


ピエール・ボナール「庭の女性たち」 1890-1891年 オルセー美術館

はじまりは日本との関係でした。1890年、国立美術学校で開催された「日本の版画展」で衝撃を受けたボナールは、浮世絵の輪郭線や遠近表現を取り込む作品を制作しました。その一例が、「庭の女性たち」で、掛軸を思わせる縦長のパネルに、女性と動物のモチーフを描いていました。見返り美人ならぬ、頭部のみが正面を向く姿勢や、遠近感のない画面に、浮世絵の画風を見ることが出来るかもしれません。


ピエール・ボナール「黄昏(クロッケーの試合)」 1892年 オルセー美術館

「黄昏(クロッケーの試合)」も、初期のボナールを代表する作品で、遠近感に統一性を持たず、画面には複数の視点が導入されていました。フランス南東部にあったボナールの別荘の庭を舞台としていて、当時、流行していたクロッケーを楽しむ人々や、走り回る犬などを、手前の樹木越しから見やるように描いていました。格子模様の服もボナールの好んで採用した模様で、いわば人物から立体感を取り払い、装飾性を高めていました。そもそも世紀末のパリは、アール・ヌーヴォーが隆盛し、至る所に装飾が溢れていて、ボナールなどのナビ派の画家も、絵画に装飾的なモチーフを取り入れていました。


左:ピエール・ボナール「男と女」 1900年 オルセー美術館

ミステリアスな人物関係を表したような、「男と女」も魅惑的ではないでしょうか。おそらくボナールと妻のマルトとされる男女は、中央の衝立を隔てていて、室内のベットという極めてプライベートな空間ながらも、どことなく心理的な距離感があるように思えてなりません。


左:ピエール・ボナール「大きな庭」 1895年 オルセー美術館

「大きな庭」は、ボナールの別荘にあった果樹園の光景を表していて、犬や鶏が遊ぶ中、果物を2人で収穫する子どもたちの様子を描いていました。ここで興味深いのは、画面右へ立ち去ろうとする女性の姿で、もう一人の子どもに至っては、画面からはみ出し、半身しかありませんでした。この空間の右側には、一体、どのような光景が広がっていたのでしょうか。


左:ピエール・ボナール「浴盤にしゃがむ裸婦」 1918年 オルセー美術館

ボナールは、一貫して女性の身体を主題とした画家でした。中でも興味深いのが「化粧台」で、室内の鏡の写った、マルトと思われる裸婦を描いていました。また「浴盤にしゃがむ裸婦」もマルトをモデルとしていて、ちょうど浴盤の上で盥に水を注ぐ姿を表していました。背景の床は無地で、黄色い光を反映していて、ここに装飾性云々ではない、ナビ派から脱却したボナールの一つのスタイルを見ることが出来ました。


右:ピエール・ボナール「猫と女性 あるいは 餌をねだる猫」 1912年頃 オルセー美術館

チラシ表紙を飾る「猫と女性 あるいは 餌をねだる猫」も、マルトがモデルで、食卓を前に、物静かな様子で座る姿を描いていました。そして白い猫が、マルトを注意深く横目で見据えながら、今にも皿の上の魚を奪わんとばかりに身を乗り出していました。また黄色を帯びた食卓とマルトの緑の服、そして背景の赤い壁の色彩も美しいコントラストを成していました。


右:ピエール・ボナール「桟敷席」 1908年 オルセー美術館

ボナールの絵画の最大の魅力をあげるとすれば、ニュアンスに富んだ色彩にあると言えるかもしれません。オペラ座での一場面を描いた「桟敷席」に魅せられました。ともかく間仕切りのワイン色が鮮やかで、その向こうでは劇場内の明かりが満ちているのか、オレンジ色に染まっていました。


ピエール・ボナール「ボート遊び」 1907年 オルセー美術館

一辺が3メートルにも及ぶ大作もお目見えしました。それが「ボート遊び」で、犬を連れた女性が、子どもたちとともにボートに乗り、川の上に浮かぶ光景を表していました。ちょうどボートの少し上から見下ろすような構図で、舟先も切り取られているからか、さもボートが手前へ進むような動きも感じられました。ただし後景の野山の形などは曖昧で、人の姿こそ見られるものの、全ては判然とせず、色彩は互いに溶け合うように広がっていました。


左:ピエール・ボナール「トルーヴィル、港の出口」 1936-1945年 オルセー美術館(ポンピドゥ・センター、国立近代美術館寄託)

風景画にも優品が少なくありません。「トルーヴィル、港の出口」では、港町を俯瞰した構図で描いていて、黄色の光に輝く空のゆえか、幻想的な光景にも映りました。ほか一面の水色に染まった海を捉えた「アルカションの海景」や、黄色い夕陽の光が川面を照らす「日没、川のほとり」なども印象に残りました。


左:ピエール・ボナール「南フランスの風景、ル・カネ」 1928年 オルセー美術館(ポンピドゥ・センター、国立近代美術館寄託)

ボナールが最後に辿り着いたのは、南仏のカンヌに近い都市、ル・カネでした。「南フランスの風景、ル・カネ」は、同地に特徴的な起伏のある地形を描いていて、手前の坂道の向こうに野山が広がっていました。1926年にはル・カネに家を購入したボナールは、フランス各地を歩いては絵を制作していたものの、第二次世界大戦の戦火を避けるため、1939年以降はこの地に留まりました。結果的に戦後、数回パリに滞在したことを除いては、1947年に亡くなるまでル・カネに住み続けました。


右:ピエール・ボナール「花咲くアーモンドの木」 1946-1947年 オルセー美術館(ポンピドゥ・センター、国立近代美術館寄託)

ラストは絶筆の「花咲くアーモンドの木」でした。ル・カネの自宅の庭にあった木で、ボナールも何度か描いていて、1930年以降に制作した3点の作品が確認されています。

ともかくアーモンドの白い花が、空の青に引き立っていて、オレンジ色の地面しかり、全ての色彩は生命感に満ちていました。眩しいほどに美しく、ボナールの一つの到達点と捉えても差し支えないかもしれません。


右:ピエール・ボナール「地中海の庭」 1917-1918年 ポーラ美術館

さて会期も残すところ半月超となりました。初めはかなり空いていましたが、現在は土日を中心に、それなりの人出で賑わっています。西洋美術の大規模展としてはスローペースかもしれませんが、今月19日には、入場者数が10万人を突破しました。

これまでに入場規制は一切行われていません。おそらく会期末に向けても、比較的スムーズに観覧出来るのではないでしょうか。私もまた改めて出向きたいと思います。

ボナールの絵画を東京で見る機会は少ないわけではなく、国立西洋美術館の常設展にも充実したコレクションがあるほか、過去の西洋絵画の展覧会、例えば「オルセーのナビ派」(三菱一号館美術館)などでも複数の作品が出展されました。


右:「ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸うピエール・ボナール」 1906年頃 オルセー美術館

ただし今回ほどのスケールでボナールの作品を味わえる機会は滅多にありません。ともかくオルセーのコレクションが粒揃いで、ボナールの絵画、特に色彩の魅力を存分に堪能することが出来ました。主催者の「日本におけるピエール・ボナールの最も充実した展覧会のひとつ」の言葉に偽りはありません。


12月17日まで開催されています。遅れましたが、おすすめします。

「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」 国立新美術館@NACT_PR
会期:9月26日(水)~ 12月17日(月)
休館:火曜日。
時間:10:00~18:00
 *毎週金・土曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1600(1400)円、大学生1200(1000)円、高校生800(600)円。中学生以下無料。
 *11月14日(水)~11月26日(月)は高校生無料観覧日。要学生証。
住所:港区六本木7-22-2
交通:東京メトロ千代田線乃木坂駅出口6より直結。都営大江戸線六本木駅7出口から徒歩4分。東京メトロ日比谷線六本木駅4a出口から徒歩5分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「フィリップス・コレクション展」 三菱一号館美術館

三菱一号館美術館
「フィリップス・コレクション展」
2018/10/17~2019/2/11



三菱一号館美術館で開催中の「フィリップス・コレクション展」のプレスプレビューに参加してきました。

アメリカのペンシルベニア州の鉄鋼王を父に持ち、コレクターでもあったダンカン・フィリップス(1866~1966)は、印象派や当時のモダン・アートを収集し、膨大な西洋絵画コレクションを築き上げました。

1921年にはニューヨーク近代美術館よりも早く、アメリカで初めて近代美術を扱う美術館として開館し、今では全4000点以上もの作品を有する、世界でも名高いプライベートコレクションとして人気を集めています。

そのフィリップス・コレクションが一号館美術館へとやって来ました。出展作品は全部で75点で、一定数まとめて東京で公開されるのは、2005年に森アーツセンターギャラリーで開催された、「フィリップス・コレクション展 アートの教科書展」以来のことでもあります。


クロード・モネ「ヴェトゥイユへの道」 1879年

まず最初に出迎えていたのが、モネの「ヴェトゥイユへの道」でした。1878年に同地へ移住したモネは、同じ景観を異なった季節や時間帯で同じ景観を描くなどして、複数の作品を制作しました。水色の空の下に伸びるのが、サーモンピンクを帯びた道で、村のはずれにあったモネの旧居へと通じていました。ともかく美しい色彩が際立っていて、淡い光が一面を覆っていました。


アルフレッド・シスレー「ルーヴシエンヌの雪」 1874年

そしてドワクロワ、ドーミエ、クールベと続く中、シスレーの「ルーヴシエンヌの雪」にも目が留まりました。雪の降りしきる村の小道を捉えていて、強い風が吹いているのか、歩く人物は傘を斜めにして差していました。僅かなピンク色の混じる雪は、冷ややかというよりも、むしろ温かみがあり、雪の柔らかな質感が伝わってくるかのようでした。フィリップスは、シスレーを天才と捉え、「第一級の風景画家」であると考えていて、同作も最後まで手放すことはありませんでした。


オノレ・ドーミエ「蜂起」 1848年以降

作品の展示の順に一工夫ありました。キャプションの番号に注目です。というのも、左上に番号があり、右下に丸字の番号の2つがありますが、例えばドーミエの「蜂起」では、前者が11で後者が7と一致しません。一体、どういうわけなのでしょうか。

答えはコレクションの順番にありました。つまり左上の番号はカタログのナンバーで、端的に作品の制作年代順を表していますが、一方の丸字の番号は、フィリップスが購入した順を示しています。

よって「蜂起」に関しては、出展中、11番目に制作年代が古い作品であり、同じく出展中において、フィリップスが7番目に取得した作品を意味しているわけでした。そして会場では作品が丸字の番号順に並んでいるため、それを追っていくと、フィリップスのコレクションの形成過程の一端も伺い知ることが出来ました。


ダンカン・フィリップスの言葉 *解説パネル

またもう1点、「ダンカン・フィリップスの言葉」なるパネルも見逃せません。ここではフィリップスの残した言葉を幾つか紹介し、彼がどのように画家を評価していたのかが分かるようになっていました。


メイン・ギャラリー、1930年。左からドーミエ「蜂起」、シャルダン「プラムを盛った鉢と桃、水差し」、マネ「スペイン舞踏」。 *写真パネル

さらにあわせてフィリップスの時代のギャラリーの展示風景の写真もあり、当時、作品がどのように並んでいるのかについても知ることが出来ました。今回の「フィリップ・コレクション」は、単に作品を見せるだけでなく、フィリップス本人のコレクターとして活動にかなりフィーチャーしているのも、大きな特徴と言えそうです。


ピエール・ボナール「開かれた窓」 1921年

フィリップスはモダン・アートの良き理解者でもありました。当初は印象派以前の作品も購入していましたが、時代が下りにつれ、嗜好も変化し、ボナール、ブラック、スーティン、ココシュカ、モランディなどを購入し、アメリカの美術館として初めて公開しました。


ニコラ・ド・スタール「北」 1949年

ロシアに生まれ、フランスで移動したニコラ・ド・スタールも同様で、「北」は、アメリカの美術館に最初に入ったスタールの作品でした。1953年の終わりまでに6点のスタールを購入したフィリップスは、同年にアメリカにおけるスタールの初個展も開催しました。


ラウル・デュフィ「画家のアトリエ」 1935年

さらに時代は前後するものの、1926年にはボナールがフィリップス・コレクションを訪れたほか、デュフィも「画家のアトリエ」を描いた2年後の1937年、フィリップス家に招かれました。フィリップスは、同時代の美術家をサポートした最初のアメリカの美術館長の1人で、時に金銭を援助しては、画家の重要な買い手となりました。


ジャン・シメオン・シャルダン「プラムを盛った鉢と桃、水差し」 1728年頃

美術館を「実験場」と位置付けたフィリップスは、全ての時代の良きものをまとめて見せることが重要と考えていて、印象派と存命中の画家の作品を、同時に見られるように工夫していました。ロココの画家であるシャルダンの「プラムを盛った鉢と桃、水差し」を、セザンヌやブラックと並べて展示していたそうです。


ジョルジュ・ブラック「フィロデンドロン」 1952年

フィリップスが高く評価した画家の1人にブラックがいました。1927年にはじめてブラックを購入したフィリップスは、「フランス的センスにあふれて、論理的で、均整がとれている」(解説より)と評し、「ブドウとクラリネットのある静物」や「レモンとナプキン」、「円いテーブル」などを取得しました。そして今回の展覧会においても、実に出展中1割弱がブラックの作品で占められていて、もはやハイライトと捉えても差し支えありません。


ポール・ゴーガン「ハム」 1889年

一枚の肉厚なハムに出会いました。その名もまさに「ハム」で、コレクションが唯一、所有するブラックの絵画でした。フィリップスはゴーガンのプリミティヴィズムについては評価を保留し、タヒチの風景画を手放すこともありましたが、ロマン主義者としては称賛していました。それにしてもうっすらとワイン色を帯びたハムはジューシーで、美味しそうではないでしょうか。


フランツ・マルクの「森の中の鹿 I」 1913年

フランツ・マルクの「森の中の鹿 I」も魅惑的でした。断片的な色面で構成された森の中には、5頭の牝鹿が体を休めていて、マルクは牝鹿に無垢や、傷つきやすさ、それに優しさの暗喩として表していました。フィリップスは1953年、マルセル・デュシャンを通じて、コレクターであるキャサリン・ドライヤーの遺品の寄贈を受けていて、本作のほか、同じ青騎士のメンバーである「白い縁のある絵のための下絵」や、カンペンドングの「村の大通り」などをコレクションしました。


エドゥアール・マネ「スペイン舞踏」 1862年

マネにも見逃せない作品がありました。それが「スペイン舞踏」で、手を振り上げては踊る、マドリード王立劇場のダンサーたちが描かれていました。ダンサーは正面を向きながら、音楽に合わせるようにポーズをとっていて、まるで公演の最中のようにも見えますが、実際にはアトリエで構成された作品でした。また本作は、三菱一号館美術館のオープニングを飾った2010年の「マネとモダン・パリ」で出展の叶わなかった作品で、同館としてはゆうに8年越しに公開が実現しました。


エドガー・ドガ「稽古をする踊り子」 1880年代はじめ〜1900年頃

すでに定評があるとは言え、ともかく想像以上に充実した作品ばかりで感心させられました。プレビュー時に、三菱一号館美術館の高橋明也館長から、「世界で最も素晴らしい個人コレクション。」との発言がありましたが、あながち誇張ではないかもしれません。


ダンカン・フィリップスと妻マージョリー、ブラック「フィロデンドロン」 の前で、1954年。 *写真パネル

最後に会場内の状況です。プレビューに次いで、会期1週目の日曜日に改めて行って来ました。さすがにはじまったばかりから、入場規制等もなく、館内もスムーズで、どの作品も好きなペースで観覧することが出来ました。


しかし何かと混雑が後半に集中する一号館美術館のことです。年明け以降、入場待ちの列が発生することも考えられます。

会期も残すこと90日となりました。ロングランの展覧会ではありますが、早めに観覧されることをおすすめします。


「フィリップス・コレクション展」会場入口

2019年2月11日まで開催されています。おすすめします。

「フィリップス・コレクション展」 三菱一号館美術館@ichigokan_PR
会期:2018年10月17日(水)~2019年2月11日(月・祝)
休館:月曜日。
 *但し、祝日・振替休日の場合、会期最終週とトークフリーデーの10/29、11/26、1/28は開館。年末年始(12/31、1/1)。
時間:10:00~18:00。
 *祝日を除く金曜、第2水曜、会期最終週平日は21時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人1700円、高校・大学生1000円、小・中学生500円。
 *アフター5女子割:毎月第2水曜日17時以降/当日券一般(女性のみ)1000円。
住所:千代田区丸の内2-6-2
交通:東京メトロ千代田線二重橋前駅1番出口から徒歩3分。JR東京駅丸の内南口・JR有楽町駅国際フォーラム口から徒歩5分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。作品は全てフィリップス・コレクション。
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「日本画の挑戦者たち―大観・春草・古径・御舟―」 山種美術館

山種美術館
「日本美術院創立120年記念 日本画の挑戦者たち―大観・春草・古径・御舟―」
9/15~11/11



山種美術館で開催中の「日本画の挑戦者たち―大観・春草・古径・御舟―」の特別内覧会に参加してきました。

1898年、東京美術学校を辞職した岡倉天心は、新たな時代の日本画を探求すべく、大観をはじめとした画家とともに、日本美術院を創立しました。

その日本美術院の120年を祝して行われているのが、「日本画の挑戦者たち」で、草創期の横山大観、菱田春草、小林古径、速水御舟をはじめ、戦後の小倉遊亀や片岡球子、それに現代の田渕俊夫や宮𢌞正明などの作品を網羅し、同院の長きに渡る制作の歴史を辿っていました。


小林古径「猫」 昭和21年 山種美術館

冒頭は猫がお出迎えです。それが古径の「猫」で、やや畏まった様子で座る猫を、真正面から描いていました。白く身体は美しく、気品があり、確かに「仏画のような荘厳さ」(解説より)が感じられるかもしれません。古径は、大正後期に渡欧した際、エジプトのバステト神の猫を写生しましたが、四肢を揃えて座る姿が、この作品と共通するとも指摘されています。


横山大観「燕山の巻」(部分) 明治43年 山種美術館

大観の画巻に力作がありました。横へ長く連なるのが「燕山の巻」で、明治43年の中国旅行の体験をもとに、同地の風景を「燕山・楚水の巻」の2巻1組に表しました。「燕山の巻」は、北京の城壁や万里の長城などを描いていて、瑞々しい水墨によって、中国の山々や樹々、そして建物の並ぶ風景を、牧歌的に表現していました。


下村観山「不動明王」 明治37年頃 山種美術館

下村観山の「不動明王」も興味深い作品でした。ちょうど明王が直線上に飛来する様子を表していますが、よく目を凝らすと、隆々とした筋肉で、陰影があり、西洋絵画の描法を思わせるものがありました。


菱田春草「雨後」 明治40年頃 山種美術館

春草の「雨後」に魅せられました。山の裾から下方で落ちる滝の光景を表していて、全てはぼんやりとしていて、全体を捉えきれません。いわゆる朦朧体による作品で、水の冷ややかな質感や、湿潤に満ちた大気などを表していました。また山の際が、樹木の連なる様子を示すためか、細かい斑点のような筆触で描かれているのも、目を引くかもしれません。


小林古径「清姫」(一部) 昭和5年 山種美術館

古径の「清姫」が1つのハイライトかもしれません。紀州の道明寺伝説に取材した連作で、物語を8面にして表しました。全8点が一度に公開されるのは、約5年ぶりのことでもあります。


速水御舟「牡丹花(墨牡丹)」 昭和9年 山種美術館

御舟では「牡丹花(墨牡丹)」が絶品でした。黒い花弁を幾重にも重ねた牡丹を、たっぷりと墨を含んだ筆で描いていて、花の柔らかい質感までが伝わってくるかのようでした。また蕊は金で描き込まれていて、仄かに輝いていました。これほどはかなく見える花の絵も、そう滅多にないかもしれません。


小茂田青樹「春庭」 大正7年 山種美術館

小茂田青樹の「春庭」も美しい作品でした。縦長の画面の左右に、桜と椿を描いていて、その合間に小道が奥へと続いていました。桜は既に見頃を終えたのか、花びらを落とし、小道に積もっていました。何気ない戸外の景色ながらも、幻想的な雰囲気も漂っていて、フランスの画家、シダネルを風景画を思い起こしました。


田渕俊夫「輪中の村」 昭和54年 山種美術館

この風景画に思いがけないほど引かれた作品がありました。それが、現在、日本美術院の代表理事を務める田渕俊夫の「輪中の村」で、木曽川と長良川に囲まれた輪中の農村を描きました。

家々や田畑、それに高圧線の鉄塔などは、ほぼ一面のモノトーンで覆われている一方、中央の白いビニールハウスと、その周囲のエメラルドグリーンの田畑のみ、色彩を伴って描かれていました。いずれも写実的でありながら、何やら白昼夢を前にしているかのようで、不思議と風景にのまれるような感覚に陥りました。なお空は、くしゃくしゃにしたアルミ箔を紙に貼って表しているそうです。


岩橋英遠「瑛」 昭和52年 山種美術館

まばゆい陽の光が大地に降り注ぐ、岩橋英遠の「瑛」も魅惑的ではないでしょうか。一羽の鳥が横切っていて、朱色に染まる棚田は、神々しいほどに輝いていました。


速水御舟「名樹散椿」 昭和4年 山種美術館

さて会期も中盤を過ぎました。10月16日に御舟の一部の作品が入れ替わり、重要文化財の「名樹散椿」の公開がはじまりました。私も改めて見てきました。


速水御舟「名樹散椿」(部分) 昭和4年 山種美術館

「名樹散椿」は、当時で樹齢400年に達した、京都の昆陽山地蔵院の椿を金地に描いた作品で、枝の屈曲を強調し、図像的に表した葉などは、琳派的なデザインを思わせるものがありました。とはいえ、花はかなり写実的で、一時、質感表現を追求した、御舟の1つの到達点としても知られています。昭和52年には、昭和以降の日本画として初めて重要文化財に指定されました。



映画「散り椿」@chiritsubaki928
http://chiritsubaki.jp

最近、改めて「名樹散椿」が注目される機会がありました。それが、9月28日より公開中の映画、「散り椿」(木村大作監督)で、葉室麟の原作の表紙に、「名樹散椿」が使われました。

「散り椿/葉室麟/角川文庫」

実際のところ、本作も、映画「散り椿」の公開に合わせ、特別に出品されました。またこの「名樹散椿」のみ、一般会期中も撮影が出来ます。(動画、フラッシュ、自撮り棒や三脚は不可。)


11月11日まで開催されています。

「企画展 日本美術院創立120年記念 日本画の挑戦者たち ―大観・春草・古径・御舟―」 山種美術館@yamatanemuseum
会期:9月15日(土)~11月11日(日)
休館:月曜日。但し9/17(月)、24(月)、10/8(月)は開館。9/18(火)、25(火)、10/9(火)は休館。
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1000(800)円、大・高生800(700)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *きもの割引:きもので来館すると団体割引料金を適用。
 *リピーター割:使用済み有料入場券を提示すると団体割引料金を適用。
住所:渋谷区広尾3-12-36
交通:JR恵比寿駅西口・東京メトロ日比谷線恵比寿駅2番出口より徒歩約10分。恵比寿駅前より都バス学06番「日赤医療センター前」行きに乗車、「広尾高校前」下車。渋谷駅東口より都バス学03番「日赤医療センター前」行きに乗車、「東4丁目」下車、徒歩2分。

注)写真は特別内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」 サントリー美術館

サントリー美術館
「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」
9/19〜11/11



サントリー美術館で開催中の「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」の報道内覧会に参加してきました。

花見の名所として知られる、京都・伏見の醍醐寺には、真言密教の聖地として、密教に関する数多くの美術品が伝わってきました。


重要文化財「如意輪観音坐像」 平安時代・10世紀 *全期間展示

思わず一目惚れしてしまいました。冒頭にあるのは、醍醐寺を開いた聖宝が草庵を結んで祀った「如意輪観音坐像」で、長らく特別な信仰を集めてきました。頭を僅かに右へ傾け、右手を頬に添えては、思惟の相を示していて、実に優美に座っていました。まるで全身から力を抜いてリラックスしているようで、どこか寛いでいるような姿に見えるかもしれません。


国宝「五大尊像」 鎌倉時代・12~13世紀 *展示期間:9/19~10/15

驚くほど迫力のある仏画が待ち構えていました。それが不動明王を中心に、東西南北の四天王を加えた「五大尊像」で、いずれも赤々と燃え上がる炎の光背を従え、忿怒の形相を表していました。火炎の赤や、着衣の截金の紋様が、かなり良く残っていて、おおよそ鎌倉時代の古い作品とは思えませんでした。


国宝「五大尊像」 鎌倉時代・12~13世紀 *展示期間:9/19~10/15

鮮やかな細部の色彩はもとより、手足を振り上げながら、四方へと伸ばす四天王の動きのある表現も見どころで、実在感もあり、その力感に思わず後ずさりしてしまうかのようでした。


重要文化財「五大明王像」 平安時代・10世紀 *全期間展示

この五大明王を立体化した、木彫の「五大明王像」も力作でした。やはり手足の豊かな動勢表現を特徴としていて、特に「軍荼利明王」などは、それこそ見る者を威嚇するように、前へ飛びかかるようなポーズを見せていました。なお、当初の5躯が揃う五大明王としては、京都の当時講堂像に次ぐ古作とされています。


重要文化財「不動明王坐像」 快慶作 鎌倉時代・建仁3(1203)年 *全期間展示

快慶の「不動明王坐像」も優れた仏像で、真に迫る忿怒の相でありながら、どことなく高い気位を漂わせていました。快慶は醍醐寺と関係も深く、三宝院本尊の弥勒菩薩坐像のほか、記録では下醍醐の五道大臣などを造仏したと伝えられています。

さらに仏像の優品はこれだけに留まりません。上醍醐薬師堂の本尊である「薬師如来および両脇侍像」もハイライトの1つでした。醍醐寺を創建した聖宝によって造り始められた作品で、堂々たる体躯をした中尊は、端正でかつ重厚感がありました。また両脇の像は、奈良時代の作品を意識したとも言われていて、ともに10世紀を代表する仏像として知られています。


国宝「薬師如来および両脇侍像」 平安時代・10世紀 *全期間展示

「薬師如来および両脇侍像」は、ちょうど4階から3階へと至る階段の吹き抜けに展示されていて、仏像の上から見下ろすように鑑賞出来るのも、興味深く感じられるかもしれません。下に降りて見上げると、像高約1メートル70センチよりも大きく映り、その威容に改めて感服するものがありました。少なくとも私自身、サントリー美術館でこれほど大きな仏像を見たのは、初めてだったかもしれません。


重要文化財「三宝院障壁画 竹林花鳥図(勅使の間)」 *展示期間:9/19~10/15

障壁画や屏風絵にも見応えがある作品が少なくありません。うち三宝院の「竹林花鳥図」は、右に太い竹を配し、左に鳥がいる水辺の光景を描いた障壁画で、長谷川派の特色が見られると指摘されています。また同じく障壁画の「柳草花図」は、一面に柳と葉が広がっていて、枝は曲がり、葉も左へとなびいていました。緩やかに吹く、風の気配を感じ取れるのではないでしょうか。


「松桜幔幕図屏風」 生駒等寿筆 江戸時代・17世紀 *全期間展示

生駒等寿の「松桜幔幕図屏風」は、秀吉の家紋である五七桐紋の幔幕が横へ連なっていて、左手には上から花をつけた桜の木が枝を伸ばしていました。言うまでもなく、秀吉の「醍醐の花見」を意識して描いたことは間違いありません。


「金天目および金天目台」 安土桃山時代・16世紀 *全期間展示

その秀吉が、醍醐寺第80代座主の義演に送った、黄金の天目茶碗も目を引きました。義演が秀吉の病気平癒のために、加持祈祷を行った褒美とされていて、秀吉の黄金趣味の一端を伺うことも出来ました。なお義演は、戦乱で荒廃した醍醐寺の復興に尽力した人物で、同寺に伝わる古文書類などを書写して整理しました。

最後に展示替えの情報です。会期に8つに分かれていますが、主に前後期を境にして作品が入れ替わります。

「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」(出品リスト
前期:9月19日(水)〜10月15日(月)
後期:10月17日(水)〜11月11日(日)

リストを見ても明らかなように、入れ替えが多く、ほぼ前後期を合わせて1つの展覧会と言っても良いかもしれません。


またこの後、巡回予定の九州国立博物館のみに公開される作品も存在します。その一方で、サントリー美術館のみの出展作品もあります。*九州国立博物館の会期:2019年1月29日(火)〜3月24日(日)


「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」会場風景(サントリー美術館)

ケースなしの露出展示も少なくなく、より臨場感のある形で鑑賞することが出来ました。これほど醍醐寺の諸仏を近くで見られる機会など、現地に出向いても叶わないかもしれません。


11月11日まで開催されています。おすすめします。

「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」 サントリー美術館@sun_SMA
会期:9月19日(水)〜11月11日(日)
休館:火曜日。但し11月6日は開館。
時間:10:00~18:00
 *金・土および9月23日(日・祝)、10月7日(日)は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1500円、大学・高校生1000円、中学生以下無料。
 *アクセスクーポン、及び携帯割(携帯/スマホサイトの割引券提示)あり。
場所:港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウンガレリア3階
交通:都営地下鉄大江戸線六本木駅出口8より直結。東京メトロ日比谷線六本木駅より地下通路にて直結。東京メトロ千代田線乃木坂駅出口3より徒歩3分

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。作品は全て京都・醍醐寺蔵。
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「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」 練馬区立美術館

練馬区立美術館
「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」
8/5~9/24



練馬区立美術館で開催中の「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」の特別鑑賞会に参加して来ました。

幕末・明治の浮世絵師、月岡芳年は、武者絵、美人画、さらには歴史画、風俗画などを描く、師の国芳の「唯一無比の継承者」(解説より)として活躍しました。

世界屈指の芳年コレクションが練馬区立美術館へとやって来ました。いずれも日本画家、西井正氣氏の所蔵する作品で、計250点超にも及んでいました。なお、西井氏の芳年コレクションがまとめて公開されるのは、おおよそ15年ぶりのことでもあります。

天保10年、江戸の商家に生まれた芳年は、12歳にして国芳に弟子入りし、師を思わせるスペクタクルな武者絵を描きました。また美人画や役者絵、戯画を手がけ、多様に浮世絵を制作しました。


「那智山之大滝にて荒行図」 安政6〜万延元年(1859〜60)

初期の「文治元年平家の一門亡海中落入図」は、潮が左右へ流れる中、中央にヒーローを配していて、早くも国芳譲りのスピード感を得ることが出来ました。また、平家物語に着想を得た「那智山之大滝にて荒行図」でも、白い飛沫が滝壷の全体に広がり、ダイナミックな表現が見られました。


右上:「美勇水滸伝 藤波由縁之助」 慶応3年(1867)

「美勇水滸伝」は、師の国芳の描いた連作を継ぐべく、全50枚の揃いで描かれました。タイトルに反し、水滸伝の豪傑が登場せず、芝居や物語のヒーロやヒロインを、善悪取り混ぜて表しました。


「江戸の花子供遊の図」 安政5年(1858)

「江戸の花子供遊の図」も臨場感のある作品でした。無数に集まる町火消しの姿を表していて、纏や梯子を手にした男たちは、掛け声をしながら歩いてのか、大きく口を開けていました。この作品の制作された安政5年は、特に江戸で大火が多い年であり、世相を反映した作品と言えるかもしれません。


「魁題百撰相 鳥井彦右衛門元忠」 明治元年頃(c.1868)

いわゆる血みどろ絵、無惨絵も見逃せません。芳年は、慶応4年、彰義隊と新政府軍による上野戦争を取材して、登場人物を過去の武将に見立てた「魁題百撰相」を描きました。そもそも師の国芳も、芝居の殺戮シーンなどを表しましたが、芳年は戦争を目の当たりにしていて、リアルな光景を作品に落とし込みました。実際に弟子とともに、死屍累々の上野へ赴いては、傷ついた兵士や死者の写生を行ったと伝えられています。


「魁題百撰相 駒木根八兵衛」 明治元年(1868)

それゆえの作品と言えるかもしれません。「魁題百撰相 駒木根八兵衛」は、真に迫っているのではないでしょうか。島原の乱に加わった砲術の名人を主題にしていますが、銃を構える若者は、彰義隊の姿そのもので、眼光も鋭く、何とも言い難い緊迫感を覚えてなりませんでした。


右:「英明二十八衆句 遠城喜八郎」 慶応3年(1867)

このように芳年は、一連の無惨絵において、戦場の切迫感や、時に人々の苦しみなども表しました。実のところ、芳年が血生臭い作品を手がけたのは一時期に過ぎず、何も殊更に残酷な場面ばかりを好んでいたわけではありませんでした。


「郵便報知新聞」 明治8年(1875)

明治5年末に神経の病を発した芳年は、約1年を経て回復し、今度は「郵便報知新聞」で錦絵を描くなど、新聞挿絵においても人気絵師の座を確立しました。また西南戦争に主題した時事的な作品ともに、「大日本史略図会」などの歴史画や、「徳川治跡年間紀事」のような懐古的な作品も手がけました。この頃に、人に劇的な動きを与えた、言わば芳年のスタイルも確立したとされています。号も一魁斎に代わり、大蘇を用いるようになりました。


「大日本史略図会 第八十代安徳天皇」 明治13年(1880)

「大日本史略図会」は、大判三枚続きのワイド画面に、神代から中世にかけての天皇に関した逸話などを描きました。壇ノ浦の戦いを舞台にした「安徳天皇」では、燃え上がる炎や荒れた波などを躍動感のある描写で示していて、まるで映像のワンシーンを切り取ったかのような動きがありました。


「見立多以尽 手があらひたい」 明治11年(1878)

またこの時期には美人画も手がけていて、「新柳二十四時」では、新橋と柳橋の芸者の生活を表現しました。「見立多以尽 手があらひたい」は、隅田川で屋形船に乗る芸者をモデルとしていて、涼しげに身を乗り出す女性の口元には、赤い縁取りの西洋のハンカチがくわえられていました。江戸時代に由来する伝統的な舟遊びにも、文明開化の気配を見ることが出来ました。

明治15年、芳年は、当時としては破格の月給で「絵入自由新聞社」の挿絵師になり、ヒット作を次々と世に送り出しました。この頃から、40代は半ばで没するまでの10年の間、芳年の画業の絶頂期を迎えました。


「芳年武者无類 源牛若丸 熊坂長範」 明治16年(1883)

自らの名を冠した「芳年武者无類」は、神話の時代から戦国時代までの武者をモチーフとしていて、平将門をはじめ、平安時代の伝説上の盗賊などを、半ば決めポーズとも言うべきドラマティックな構図で表していました。


「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」 明治21年(1888)

芳年は構図の魔術師と呼べるかもしれません。「奥州安達がはらひとつ家の図」や「芳流閣両雄動」では、縦長の構図に、まるで上下で舞台が交互に展開するように物語を表していました。「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」も斬新で、稲光の轟く中、鬼と渡辺綱が上下の対角線で対峙していました。まさに劇的な構図と言えるのではないでしょうか。


「風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間 妻君之風俗」 明治21年(1888)

最晩年に達した美人画の最高峰とも言えるのが、「風俗三十二相」で、寛政から明治時代までの女性たちの様々な姿を表しました。立場に応じた女性の装いと、題名にちなむ言葉の取り合わせも絶妙で、絵画の美しさのみならず、芳年ならではのウィットを同時に楽しめるような連作でした。ジェケットやリボンなどの洋装が現れるのも、時代を反映しているかもしれません。

芳年を代表し得る連作である「月百姿」も一揃いに展示されていました。「月」をテーマに、和漢の物語や謡曲、漢詩などを題材にしていて、明治18年から没年の25年へ至る、約8年の歳月を経て作られました。


「月百姿 玉兎 孫悟空」 明治22年(1889)

私も芳年で最も惹かれるのが、一連の「月百姿」で、「孫悟空」や「弁慶」など、いずれにも甲乙付け難い魅力が存在しています。


「富士山」 明治18年頃(c.1885) ほか

ほかにも肉筆画や画稿、それに下絵や、筆の動きが直に伝わる素描も出展されています。絵師の業績を顕彰するのには、質量ともに不足がありません。まさに芳年の回顧展の決定版と言えそうです。


「看虚百覧怪 累」(画稿) 明治13年(1880)

最後に展示替えの情報です。会期は2期制で、既に一部の作品が入れ替わり、後期へと入りました。以降の展示替えはありません。

前期:8月5日(日)~8月26日(日)
後期:8月28日(火)~9月24日(月・休)

【芳年ー激動の時代を生きた鬼才浮世絵師 巡回スケジュール】
高知県立美術館:2018年10月28日(日)~2019年1月6日(日)


「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」会場風景

なお本展は、一昨年末の島根県立石見美術館にはじまり、美術館「えき」KYOTO、札幌芸術の森美術館、神戸ファッション美術館、山梨県立博物館を経て、練馬区立美術館へと巡回して来ました。最後の巡回先は高知県立美術館です。よって東日本では最後の開催地となります。


9月24日まで開催されています。ご紹介が遅くなりましたが、おすすめします。

「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」 練馬区立美術館@nerima_museum)
会期:8月5日(日)~9月24日(月)
休館:月曜日。但し9月17日(月・祝)は開館、18日(火)は休館。
時間:10:00~18:00 *入館は閉館の30分前まで
料金:大人1000(800)円、大・高校生・65~74歳800(700)円、中学生以下・75歳以上無料
 *( )は20名以上の団体料金。
 *ぐるっとパス利用で500円。
住所:練馬区貫井1-36-16
交通:西武池袋線中村橋駅より徒歩3分。

注)写真は特別鑑賞会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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