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窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

どんな物にもヒビがある。だが光が差し込むのはそこからであるー第147回YMS

2023年02月09日 | YMS情報


 「どんな物にもヒビがある。だが光が差し込むのはそこからである」。表題にもあるこの言葉は、ナポレオン・ボナパルトが遺したものだと言われています(諸説あり)。陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず、古くから言われていることがまさに真理だと感じるお話しでした。

 2月8日、「夢・あいホール」にて第147回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。お話しいただくのは、株式会社ユサワフードシステム代表取締役、湯澤剛様。湯澤さんについては、以前当ブログ「食に人生あり-大船海鮮食堂 魚福(大船)」でもご紹介したことがあります。お話しのテーマは、「あきらめなければ道は拓ける。朝の来ない夜はない。~負債40億円からの挑戦~」。

序. コロナで売上が突然ゼロに

 湯澤さんは先代から45年、神奈川県下に海鮮系の居酒屋を展開していらっしゃいます。それでお分かりと思いますが、2020年新型コロナウィルスの世界的流行により、人々は外出自粛を余儀なくされ、飲食業界は大きな打撃を受けました。2020年4月7日に緊急事態宣言が発令されると、湯澤さんの会社は5月に至るまで売り上げが何と2019年比90%減という事態に見舞われました。

 「コロナはやがて終息する、しかしサラリーマンの宴会は戻らない。従業員の雇用を守るには新規出店しかない」、そう考えた湯澤さんは2021年6月「大船海鮮食堂 魚福」をオープン。ところが直後の7月、4回目の緊急事態宣言が発令され、9月は売上ゼロに。43名の従業員を抱えながら売上が全く立たないという苦しみは如何ばかりか…。しかし、これは湯澤さんが会社を継いで23年、潜り抜けてきた幾多の「夜」の一つに過ぎなかったのです。



1.サラリーマンから突然負債40億円の会社の社長に

 湯澤さんは大学卒業後、大手飲料メーカーで12年サラリーマンをされていました。ところが1999年1月、創業者であるご尊父の突然の死により、「株式会社湯佐和」(当時)を引き継がざるを得なくなります。その会社は当時33店舗を経営しており、年商が20億円ありましたが、有利子負債が年商の倍の40億円。単純計算でも完済に80年かかるという有様でした。

 長くサラリーマンをされていた湯澤さんに会社経営の経験はなく、元より父親の会社を継ぐつもりがなかったため、業界知識はおろか店舗に足を運んだことさえなかったそうです。では、社内に業務の分かる番頭さんがいたのかと言うと、ワンマン経営だったためそれもゼロ(正確に言えば、様々な問題でいなくなってしまっていた)。店には店長すらおらず、33店舗の店をわずか二人の社員で担当していました。そして各店は流しの板前と数名のパートで回していました。

 その上、3年前に不正経理で解雇された本部長が人材をごっそり引き抜き、競合店を始め、それが繁盛しているという有様でした。

 飲食店経営の経験はなく、頼れるベテラン社員もおらず、店舗は人手が足りない。それでも借金や請求の支払は待ってくれません。何から手を付ければよいか考える余裕もなく、金策に追われる日々が続きます。お詫び行脚の日々に心も遊んでいき、雨が降ると店の売上が落ちるので、天気予報を見るのが怖く吐いてしまうほど身体もボロボロでした。

 さらに悪いことに、金策に奔走するあまり店の方はほったらかしになり、売上が右肩下がりに下がっていきます。現場のモラルは低下し様々な問題が続出しますが、従業員に辞められては店が回らないので強く注意することもできず。

 そんなある日、地下鉄丸ノ内線のホームで、無意識のうちに電車に向かって飛び込もうとしている自分に気づき愕然とします。いくら苦しくても自殺など考えたこともないのに、身体が無意識のうちにリセットをかけようとするのです(余談ですが、これに近いことは僕も経験があります)。絶望の極み、まさに陰が極まった時、湯澤さんにひとつの覚悟が生まれます。

2.カラスと借り物の羽根

 その覚悟とは、80年などという途方もない時間を考えていたら絶望してしまうので、とにかく1827日間は全力を尽くそうというものでした。1827日というのは5年間のことです。そして、この先に起こりうる最悪の状況を「最終計画」として紙に書き出してみました。湯澤さんがおっしゃっていたのは、「不安や恐怖というものは、頭の中に置いておくと際限なく増幅する。ところが、紙に書き出して客観視してみると少しは冷静になり、一歩前に踏み出そうという気持ちになる」と言うことでした。これは以前、名古屋大学大学院情報学研究科准教授川合伸幸先生のお話を伺った時、怒りの感情をコントロールするにはその感情を客観視することが大切であり、手法の一つとして怒りの原因となった出来事を紙に書き出すのが良いとおっしゃっていましたが、それに通じると思います。

 そして「結果が絶望的な時は、結果ではなくプロセスに着目する」とも。

 さて、覚悟を決めた湯澤社長は八方塞がりの中から脱却するため、まずは小さな成功事例を作ることに集中し、それを拡げていく「一点突破、全面展開」に取り組み始めます。僕も学生の頃、組織を変革していくのに少数の触媒をまず作り、その影響力を拡げていくということをやった経験があるので、これは分かる気がします。具体的には、数ある店舗の中の1店舗を改装、メニューや接客も一新し、これまで中高年のサラリーマンが中心だった客層を若い女性やファミリー層にも広げていくというモデル店舗を作ることでした。そのモデル店舗を触媒として会社を変えていこうという狙いだったのです。

 ところがそのモデル店舗、リニューアル当初こそ売上が急上昇したものの、すぐに反転急降下してしまいます。それどころか、リニューアル前の古びた居酒屋のころの売上、利益すら下回る始末。新たなターゲットとして取り込みを狙った若い女性やファミリー層からは酷評され、根強く支持してくれていた中高年男性層の顧客まで店が変わってしまったことで離れていってしまいました。

 失敗の本質は、自分の弱点を補おうとして、自分でない何者かになろうとしたことにありました。まさに、クジャクの羽根をまとったカラスの寓話のように。しかし、弱点とはそもそも苦手だから弱点なのであって、その克服は容易なことではありません。不安な時ほど自分の長所ではなく短所ばかりに目が行き、足りていないものを補うことに血道を上げてしまう。個人でも起こりがちなことではないでしょうか?

3.違いに着目し、光が差し込む

 この反省を踏まえ、湯澤さんは弱みではなく、強みを伸ばす方針に切り替えました。しかし言うは易し、強みというものはそう簡単には見つかりません。そもそもそれだったらここまで絶望的な状況に陥っていないのです。ならば、と強みではなく「違い」に着目しました。というより、違いこそ「強み」だと考えたのです。「何をやるか」よりできないことを自覚し、「何をやらないか」を考える。再び顧客層を本来の支持層だった中高年男性に絞り込み、今度はそこに徹底した店づくりをしました。そして3ヶ月に1度のペースで各店舗を改装し、成功モデルを展開していく。その結果、売上は1.5倍、利益は2倍に大幅にアップ。長い暗闇の先にようやく差し込んだ一筋の光でした。

4.BSE問題でまたピンチに

 ところが、そんな矢先にまたしてもピンチが襲います。2001年頃から世界に広がったBSE(狂牛病)問題。報道の過熱や相次ぐ牛肉偽装事件などにより、牛丼チェーンの吉野家が2004年から2008年までの長期にわたり、牛丼の販売を停止しました。当時湯澤さんの会社では吉野家のFCを5店舗展開していましたが、これらの店舗からの利益が飛んでしまったのです。

 吉野家部門のロスを補うため、居酒屋部門は徹底した合理化を進めました。その結果、湯澤さんの会社は2006年に過去最高の利益を達成。しかし、そのしわ寄せは着実に居酒屋部門を蝕んでいたのです。

 2009年1月、ある店舗で食中毒が発生してしまいます。体調を崩していたスタッフが、店に迷惑はかけられないと無理して仕事をしたことが裏目に出た結果でした。2月には、長らく糖尿病を患っていたベテラン社員が他界してしまいます。さらに追い打ちをかけるように、3月にはまたある店舗が火事で全焼してしまいます。人手不足の中、かけた火が油まみれの換気ダクトに引火したのが原因でした。わずか3ヶ月の間に立て続けに起こった災難に、さしもの湯澤さんも心が折れたと言います。

5.何のために仕事をするのか?

 心が折れた湯澤さんは事業を辞めようと決意します。そして、会社を大手に売却することについてどう思うか、何気なく従業員に聞いてみました。湯澤さんは反対が出るとは思っていなかったのですが、彼らは本気で反対したそうです。

「ここで投げ出したくなる気持ちも分かりますけど、自分たちも人生賭けてますから」

 従業員たちの言葉に湯澤さんは救われたと言います。そしてこのように次々と問題が起こったのは、経営者に問題があったからだと気付いたそうです。たった3ヶ月の間に起こった大事件もつぶさに見れば、借金返済のためだったとはいえ、利益至上主義で現場に過度なしわ寄せが行ったことが原因でした。その原因を作ったのは?すべては経営者の責任、自分が源泉、それを神様が教えてくれたのだと。

 「自分が変わらない限り、問題はまた発生する」と考えた湯澤さんは、そもそも何のために仕事をしているのかを考えます。当時の答えは、「すべてはお客様と働く仲間の笑顔と喜びのために」でした。

6.我欲の経営者

 これが映画やドラマであったなら、ここから目覚めた経営者によるV字回復の物語が始まるのでしょう。映画『ロッキー』なら「ロッキーのテーマ」のファンファーレがこだまする場面、「英雄の旅」の「変容」の時です。しかし、負債は半減したとはいえまだ20億円。目の前のことに忙殺される中、決意したところでそう簡単に変われるものでもないというのが現実を生きる生身の人間ではないでしょうか?ある日突然莫大な借金を背負わされたトラウマ、数字・実績に縛られる毎日が、分かっていても利益優先・返済優先へと駆り立てます。湯澤さんは謙虚にそれを「我欲の経営者」とおっしゃっていますが、渦中にいるものからしてみれば、「なら、どうすればいいんだ?」と言いたくなるのが本音ではないかと思います。さらに返済に邁進し、負債はついに10億円になりました。そんなある日、10年以上会社の立て直しのため一緒に頑張ってきたベテラン社員が退職を申し出てきます。その社員にこう言われたそうです、

「この会社で働いて良かったと思っています。会社と社長、お客様には感謝しています。ですが、これをあと10年続けるのは無理です。だから辞めさせてください」

7.なぜここまで来られたのか?

 湯澤さんの会社は16年かけて40億円の負債を返済しました。コロナでまた少し負債が増えたとのことですが、会社の目的は借金の返済から理念の実現へと着実に歩みを変えています。その理念とは、

「人が輝き 地域を照らし 幸せの輪を拡げます」

 では、どうしてここまで来られたのか?最後に湯澤さんの言葉をまとめます。

① 当面策と根本策を並行する
→そのための時間と場所を分けないと、目の前のことに忙殺されてしまう。
② 折れない心
→状況に対する受け止め方を自分でコントロールする
→今時分にできることは何か?できないことは受け入れるしかない
→今ここから学べることは何か?
→すべては過ぎ去っていく
→目に入るもの、耳に入るものの影響に注意
③ 恨んでいた父親の日記
→他界した父親の苦しみを知った
④ 存在理由に立ち戻る
→物心の「モノ」については大企業に及ばないが、個々の「ココロ」に対しては中小企業の方にアドバンテージがある
→自分が社会に貢献している、必要とされている実感



 湯澤さんのお話しは、企業経営のみならず、個人が力強く幸せに生きていくために根本的に重要なことが示唆されていると感じました。そして、人の心を揺さぶるものは困難を潜り抜け成長を遂げた生身の人間の物語なのだと思いました。嫌なことや辛いことは避けられません、それでも人生は素晴らしい。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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さらに詳しくお知りになりたい方は。
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コロナ禍で得たもの、失ったものー第146回YMS

2023年01月16日 | YMS情報


 1月11日、13年目を迎える新年最初のYMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 今回の講師は、株式会社横濱屋の山本宗男社長。YMSで毎年大好評の夏のイベント、「ワインセミナー」は山本社長の多大なご協力で開催させていただいております。その意味で、YMSと大変縁の深い社長様です。

【過去のワインセミナーの様子】
2022年:真夏にガブ飲みできるスッキリ爽やかワイン
2019年:おうちで楽しめるテーブルワイン
2018年:ワインを飲んでいる時間を無駄な時間だと思うな。その時間にあなたの心は休養しているのだから
2017年:酷暑の中でさっぱり飲めるワイン特集
2016年:世界が認める勝沼甲州ワインを軸にした日本ワインとフレンチのマリアージュ
2015年:夏に合うワインと料理のマリアージュを楽しむ
2014年:注目のジャパニーズ・ワインを楽しむ
2013年:手ごろなワインと料理のマリアージュを楽しむ

 横濱屋さんは創業133年、横浜市内に食品スーパー5店舗、酒屋さん4店舗、「業務スーパー」のフランチャイズ1店舗を展開する業務用酒類販売の商社さんです。それでピンと来られる方もいらっしゃるかもしれませんが、今回のテーマは「コロナ禍で失ったもの、或いは得たもの」です。

 前述の通り、横濱屋さんは1889年(明治22年)3月に現在の横浜市南区宮元町(当時は区制前)で「山本屋」として創業されました。余談ですが、僕は南区新川町の生まれですので、1㎞ほどしか離れていない地元になります。元は近くの弘明寺観音へ参拝する人々や、鎌倉街道を往来する人々に向けてお茶屋を作ったのが始まりだそうです。その後次第に萬屋化していき、1978年(昭和53年)にはスーパーを開店。1990年(平成2年)に老舗の井藤酒舗と合併し、株式会社横濱屋と改組してから業務が拡大していったそうです。



 一方、山本社長自身は1993年に横濱屋に入社。当時社長だった叔父さんから業務のイロハを教えていただいたとおっしゃっていました。

「業務用酒販は百人百様の営業をしなければならない」
「全勝する必要はない、(相撲も)8勝7敗すれば上に上がれる」

というのは叔父さんの教えだそうです。

 しかし、その叔父さんが2017年に他界。代わって社長に就任しますが、今度は会長であるお父さんが2019年に他界。そして数字をご覧になってお分かりと思いますが、直後に新型コロナが襲います。特に横浜は港にダイヤモンドプリンセス号が停泊していたことから、いち早くコロナによるネガティブな影響を受けた地域です。その後、酒類販売を主とする飲食店が大変な困難に見舞われたのは記憶に新しいところ。

 社長に就任して日も浅く、会社の基礎を築かれた先代二人を失ってのコロナ禍。その後苦労は並大抵のものではなかっただろうと思います。2020年には酒類の売上が1/4に落ち込みました。幸い、食品スーパーとの二本柱で事業を行っていたため、全体の売上が1/4に落ち込むことにはなりませんでしたが、逆に売上減に伴う給付金も受けられず。

 「会社経営とはバトンランナーである。バトンをつなぐことが一番重要」というのは、お父様の言葉だそうですが、このような激変する環境に起死回生の一手などなく、いかに会社を守るかが至上命令でした。

 仕事が減ってしまった業務系酒販事業の人員を、お客様へのサービスレベルを落とさないよう配慮しながらスーパー事業へ回すことで雇用を確保。2020年度、2021年度と連続の赤字に見舞われましたが、2022年度は何とか黒字回復できそうだとのことでした。



 このように、コロナによって失ったものもある代わりに、得たものもあると山本社長はおっしゃいます。一つには、業務系酒販事業の人員がスーパー事業を経験することにより、今まで知らなかった別事業の苦労をお互いに理解する契機となったこと。また組織としても柔軟に対応する風土も生まれました。さらには、お客様との絆。特に非常に苦労されている飲食店様にスーパー事業の強みを活かして当時不足していたマスクを提供したことは、大変喜ばれたそうです。四つ目として、仕事環境が激変することにより、目の前の仕事に忙殺されてきた日常から少し距離を置くことができたこと。それがそれまで当たり前と思ってきた業務を見直す良い時間となったそうです。まとめて言えば、本業により深く向き合えるようになったと。

「総じてみれば失ったものより得たものの方が大きい」

と、山本社長はおっしゃっていました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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2022年もありがとうございましたー第145回YMS

2022年12月15日 | YMS情報


 12月14日、横浜中華街「菜香新館」にて、第145回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)忘年会を開催しました。菜香新館は過去13回の忘年会で4回目となります。

第41回YMS
第65回YMS
第115回YMS

 145回の延べ参加者総数は1,603名。今年は以下のようなセミナーを開催しました。2019年(沖縄)以来の地方開催も再開することができました。

1月:願望とモチベーションープラス思考の落とし穴
2月:リスク管理の課題とヒント
3月:自社を守り強くする。人事労務に役立つ!誰でも簡単に学べる!身につく!『刑事スキル7つの法則』
4月:元刑事が見た発達障害と身体知 自傷・他害・パニックを防ぐ90日アクションプログラム
5月:なぜ関わり方って必要なのか?社員を活かすも殺すもあなた次第
6月:私のきもの革命!日本のきものを未来へつなぐために
7月:働きがいある組織づくり~自組織のやりがい環境を考える~
8月:真夏にガブ飲みできるスッキリ爽やかワイン
8月:大阪「オオサカジン」様との交流会(大阪開催)
9月:母子世帯の貧困とシングルマザーの自立について
10月:主力サービスのピボットと社名変更に至る道のり~地方創生の現状と私たちが目指す地域活性化~
11月:三菱重工グループのものづくりと、みなとみらいの変遷



 来年も定例のセミナーは既に決まっており、たくさんの興味深いテーマをご用意しておりますが、地方開催もより増やしていきたいとも思っております。みなさまお誘いあわせの上、来年もどうぞお気軽にご参加ください。今後ともYMSをよろしくお願いいたします。

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菜香新館



神奈川県横浜市中区山下町192



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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大人の社会科見学-第144回YMS

2022年11月10日 | YMS情報


 11月9日、13年目に突入したYMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)初の試みとして、いつものセミナー会場を飛び出した大人の社会科見学、「三菱みなとみらい技術館」見学ツアーを開催しました。実はこの企画、当初は2020年3月に実施する予定だったのですが、コロナの影響で延期。その後再延期を経てようやく実現しました。



 講師の三菱みなとみらい技術館営業・連携/広報グループ長、佐野麻季様、ご協力いただいた三菱重工様にはこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。





 さて、館内に入ると最初にHⅡ-Aロケットの1/10模型と回収されたフェアリング(ロケットの先端部)の実物が出迎えます。HⅡ-Aロケットは直径4m、全長53mありますので、1/10スケールでもキリンより大きいのです。早くもワクワクしてきます。



 初めに、全幅が15mもある大型スクリーンで、ロケットの製造から打ち上げまでの流れを見ました。1年半かけ技術の粋を集めて製造されるロケットも、打ち上げ後のミッションはわずか十数分。儚い気もしますが、それだけ宇宙に出ていくというのは簡単ではないということですね。因みに、ロケットが地球の重力に抗して宇宙に出ていくには、秒速11.2㎞以上の速度が必要です。つまり、289トンあるロケットをわずか47秒で東京から大阪まで(約500㎞)運べるほどのパワーが必要になるのです。



 したがって、ロケットはなるべく軽く、しかも丈夫に作らなければなりません。上の写真は、アルミ合金製の燃料タンクの一部です。軽量化と強度を両立させるため、内側が正三角形のリブで補強されています。これを「アイソグリッド構造」と言うそうです。しかもリブは、プレスや溶接ではなく厚板を削り出して作るのだとか。アイソグリッド構造は、缶チューハイ「氷結」や缶コーヒー「FIRE」などの「ダイヤモンドカット缶」にも応用されています。この話は子供より大人の方が感心するかもしれません。



 HⅡ-Aロケットのエンジン(LE-7A)。実際に燃焼実験に使われたものが展示されており、ところどころ焼けただれているのが分かります。隣には前身のHⅡロケットのエンジン(LE-7)も展示されおり、LE-7Aの方が小型化されているのが分かります。液体水素と液体酸素を燃焼させ、温度は3,000度にも達するそうです(HⅡ-Aの“H”は水素を表しています)。このエンジンを搭載しているロケットの第一段が使われるのは、打ち上げ後わずか6~7分のことですが、燃焼実験ではスカート部が30分まで耐えられる基準を課しているそうです。なお、3,000度の高温にスカート部が耐えられるのは、内側の溝の部分に液体水素を送り込んで冷却しているからだそうです。この部分に僅かなチリでも入ると爆発の恐れがあるため、非常に厳しいクリーンルームで製造されます。



 右からHⅡ-A、HⅡ-B、HⅢの1/25模型。HⅡ-Aは2023年に退役し、後継機HⅢに引き継がれる予定でしたが、延期となっているとのこと。



 宇宙ステーションに水や食料、実験装置などの物資を届ける、宇宙ステーション補給機(こうのとり)の模型。



 国際宇宙ステーションの日本の実験モジュール「きぼう」の内部様子を体験できる模型。ここに通常は2名で作業をするそうです。



 三菱スペースジェットの模型。元々は三菱リージョナルジェット(MRJ)として知られていましたが、2019年に名称変更したそうです。YS-11以来の国産旅客機であり、日本初のジェット旅客機でしたが2020年に事実上の開発凍結となりました。非常に残念で、ぜひ復活して欲しいです。



 宇宙、空ときて、今度は海へ。有人深海調査船「しんかい6500」の模型です。僕が子供の頃は「しんかい2000」の時代でしたが(2004年引退)、しんかい6500は1989年に就航、現在世界で2番目に深く潜れる潜水調査船だそうです。6,500mまで潜るには2.5時間必要で、帰りも同じくらいだとすれば往復だけで5時間、運用時間が規定で8時間となっているため、実質の作業時間は3時間となります。全長9.7m、幅2.7m、高さ3.2m(コックピットは直径2mの球体)、この狭い空間に2名~3名で8時間。かなり過酷な任務と言えます(トイレも当然食堂もありません)。ただこのコックピットみたいなカプセルホテルがあったらぜひ泊まってみたいです。



 ここみなとみらい地区はかつて三菱重工横浜造船所でした。上の写真は造船所二号ドックで使われていた石だそうです。こんな立派な石が使われていたとは知りませんでした。なお、二号ドックは現在ランドマークタワーの麓のドックヤードガーデンとして生まれ変わっています。



 最後に。2025年に大阪万博が開かれますが、こちらは1970年の大阪万博の際、三菱未来館が予想した50年後、すなわち一昨年2020年の世界だそうです。

・労働時間1日4時間、肉体労働は姿を消す
・ガン克服
・うなぎの完全人工養殖
・台風の制圧
・蛇口から牛乳、料理は自動
・人気のスポーツはグライダーと海底散歩
・住宅は筒形でゆっくりと回転する
・壁掛けテレビや電子頭脳が普及
・仕事は完全自動化

 どうして蛇口から牛乳が出るようになると思ったのでしょうね…。



 社会科見学、遠足と言えばお楽しみはお弁当の時間。それが大人になるとお酒になります。

三菱みなとみらい技術館



神奈川県横浜市西区みなとみらい3-3-1



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山に登れば次の山が見えるー第143回YMS

2022年10月13日 | YMS情報


 YMSはこの10月で丸12年を迎え、13年目に入りました。これまで講師をしていただいた108名の皆さま、ご参加いただいたのべ2,569名の皆さまに心より御礼申し上げます。そして去る10月12日、スマートレンタルスペースbelle関内601にて第143回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催いたしました。



 今回の講師は、ローカルパワーエンジン株式会社代表取締役、曽根田太郎様。「主力サービスのピボットと社名変更に至る道のり~地方創生の現状と私たちが目指す地域活性化~」と題してお話しいただきました。

 お話しは今日の事業内容に至る経緯から始まりました。曾根田さんは初め会計系コンサルティング会社に就職され、その後大手不動産ポータルサイト運営会社で新築分譲戸建事業会社向け営業をご経験。さらに、不動産・住宅業界のネット集客のコンサルティング会社で経験を積まれました。2015年に現在の会社の前身となる株式会社追客力を設立、ネット反響の歩留まりを向上させる追客支援ツールの提供を始められました。

 変化のきっかけは、たまたま同時期に親の介護のため退職された女性、介護職を辞め事務職に転職された妹さん、そして奥様のお仕事についてと、3人の女性の転機に遭遇するにあたり、男女の所得格差を痛感されたこと。さらには、大手マーケティング・オートメーションサービスが次々と市場参入する中で、当初は画期的だった追客支援ツールにも陰りが見えていたことから、「このままでいいのか?」という問題意識を持たれたことにあったそうです。

 そこでこれまでの経験からご自身の強みを見直した結果、WEBマーケティングと不動産・住宅業界に対する造詣、ニュースレターの継続力の三つが浮かび上がってきたそうです。これら強みを鍵とすれば、錠である不動産・住宅業界には、全てではないにせよ当時コツコツと積み上げていく地味な仕事が苦手、WEBにはあまり強くない、売上至上主義という特徴がありました。この鍵と錠を掛け合わせた結果、コツコツとした積み上げ型仕事の代行、顧客第一主義の見える化と浸透、女性のスキルアップおよび所得向上支援という可能性が開きました。そうして誕生したのが今日のテーマである「地方創生」に連なる、地元密着型の不動産・住宅会社に代わって地元の魅力を紹介する記事を作成・発信する「地元紹介丸投げパック」です。ここでは地元の女性ライターがブログ形式(一部Instagramも活用)で情報を発信していきます。このサービスの良いところは、クライアントは集客、顧客フォロー、地域活性の姿勢を打ち出したブランディングにつながり、ライターは収入とスキルアップに加えて、地元愛の向上にも寄与し、閲覧者はお店の集客や定住者の増加、おなじく地元愛の向上などが期待できるという点です。

 そしてこれが本日のテーマに繋がる二つ目のきっかけは、3年前、ある人から「これは『地域活性化』そのものではないか?」と言われたことだそうです。ちょうど、2014年に発足した第二次安倍内閣が、東京一極集中の是正、地方の人口減少阻止、日本全体の活力向上を目的とした「地方創生」を政策の柱の一つとして掲げ、数年が経過した頃でした。

 さて、その目玉政策の一つである地方創生ですが、既にさまざまな失敗事例が明るみになっていました。自治体主導の地方創生事業の典型は箱モノづくり、イベント開催、第六次産業化推進、ふるさと納税促進などですが、計画がずさんであったり、効果が限定的か一過性のものであったり、ノウハウがないためコンサルに丸投げであったり、上手くいかない要因は様々です。また、地方創生を掲げる民間企業も数多くありますが、補助金ビジネス化している面も否めません。

 一方で成功している事例もあります。成功事例の特徴をまとめると次のようなことが浮かび上がってきました。

1.民間主導の場合が多いこと
2.地元のリーダーが推進役を担っていること
3.地域独自の資源を活用していること

 一言で言えば、地元の人間が当事者となり自らを活かしているということです。

 それならば、地元のリソースを結び付け地域活性化するために「地元紹介丸投げパック」が活かせるのではないか?そこから、社名を現在のローカルパワーエンジン株式会社に変更するに至りました。今年4月のことです。新しい会社のロゴは、地元企業、地域住民を結び付け地域活性する意味を象徴しています。つまり、地元紹介丸投げパックを媒介にして、地域内発的に新事業創生、既存事業活性、雇用創出へとつなげていこうというモデルです。さらに最近では、自社で培った採用ノウハウを活かし、採用オウンドメディア運用代行へとサービスを広げています。

 今回のお話をまとめると、全ては「このままでいいのか…」という問題意識から始まりました。その上で、自らの強みとそれを活かせる市場について、広く深く洞察していきます。そしてやるべきことが見えたなら、不確実な要素が残っていても動くこと。「山を登ると次の山が見える」とおっしゃっていましたが、最初は行く先が見えていなくても一歩を踏み出すということです。こうしたことは、いかなる業種に身をおく者であっても当てはまるのではないかと思いました。


 
 我々YMSも12年で143回を数え、紹介のリレーで繋いできた講師だけでも108名になります。この蓄積をまだまだ活かしきっていないように思います。そこで、あらためて12年前の設立趣旨を振り返ってみましょう。

<YMSの価値観>

 1859年に開港する前、横浜はわずか100軒足らずの小さな漁村に過ぎませんでした。しかし、それから150年を経て、現在では350万都市にまで成長しています。その原動力をわたしたちは、横浜が未知なる世界に進んで飛び込む自立心と好奇心をもち、常に流れ込んでくる新しい文化や人に対して心を開きつつも、地域に人一倍の愛着を持ってつながりを大切にする気風をもった人々が集い、和洋折衷した独自の文化を創造してきたことにあったのではないかと考えています。

 わたしたちは、20年の長きにわたって閉塞感漂うわが国を再び前向きにするものこそ、この横浜が育んだ気風であると考え、こうした気風をもつ人を出自によることなく”濱っ子”と呼び、特に事業活動に携わる”濱っ子”を”濱っ子マネージャー”と呼ぶことにしました。

 ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー(YMS)は、”濱っ子マネージャー”が集い、切磋琢磨できる場を提供することで、”濱っ子”の気風を広め、社会に貢献することを目指します。

<YMSの活動内容>

・YMSは、”濱っ子マネージャー”や”濱っ子マネージャー”を志す人が低負担で、頻繁に交流できる「活力ある場」を提供します。
・YMSは、”濱っ子経営”注)を学ぶ勉強会を主催します。参加者は各々の嗜好に応じ、参加を自発的に選択することができます。
・YMSは、これら交流の場や勉強会を参加者の主体性によってつくりあげます。

注)”濱っ子経営”とは、上記の価値観に基づき、社会の活性化を志す経営のことです。

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寛恕の心と無意識のバイアスー第142回YMS

2022年09月18日 | YMS情報


 こんな問いがあります。

「アメリカで、車に乗っていた父子が事故に遭った。父親は即死、子供は一命をとりとめたが脳に損傷を受けた。子供はヘリで救急搬送された。幸い、その日は脳外科の世界的権威が当直だった。その外科医は早速手術に取り掛かったが、子供の顔を見るなりこう言った。『おお、息子よ!』
 この子供と外科医はどういう関係だったのだろうか?」

 9月14日、mass×mass関内フューチャーセンターにて、第142回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。因みに、mass×mass関内フューチャーセンターでの開催は今回が最後になります。mass×massの皆様には、2013年6月12日の第35回YMS以降、9年余りにわたり大変お世話になりました。この場を借りてYMS一同、心より御礼申し上げます。

 さて、冒頭の問いですが、答えは「その外科医は子供の『母親』だった」です。ある特定の社会の中で生きている以上、人の心の中には「無意識のバイアス」と呼ばれる、悪意があるか否かに関わりなく存在する偏見があります。上の問いで言えば、「脳外科の世界的権威=男性」という思い込みです。女性の社会進出が進んでいるといわれるスウェーデンでも結果は同じだったそうで、ご自身が脳神経外科の世界的権威である藤田医科大学ばんたね病院の加藤庸子先生さえも、この外科医を「男性」だと思ったという話を聞いたことがあります。大事なのは「悪意はなく無意識である」という点と、「誰にでもある」という点です。どのようなものであれ、こうしたバイアスは我々一人一人の中にあり、判断に影響を与えているのだということを受け入れ、思い出すことです。これが、これから展開する今回のお話しにとって重要なポイントとなります。

 前置きが長くなりましたが、今回の講師は一般社団法人ルータス代表理事の大原康子様。ご自身も事故で夫を亡くされ、三児を育てるシングルマザーでいらっしゃいますが、「母子世帯の貧困とシングルマザーの自立について」と題してお話しいただきました。

 初めに、2014年9月24日に起きた、「銚子市母子心中事件」という痛ましい事件のお話がありました。事件の詳しい内容については「DIAMOND ONLINE」の記事をリンクしておきますが、今回のテーマである母子世帯の貧困の問題が象徴的に表れたショックな出来事でした。



 わが国の相対的貧困率は15.4%(2019年)に達するといわれています。生活に必要な物を購入できる最低限の収入を表す「貧困線」は127万円(2018年)とされていますが、母子世帯の実に13.3%がこの貧困線の50%にも満たない「ディープ・プア」の状態にあるそうです。この貧困の背景には、世代間連鎖 雇用慣行 高齢化 自己責任論 金融教育の不足 ジェンダーバイアス 清貧思想など様々な要因があります。

 母子世帯の正確な数は分かっていませんが、約123万世帯いるとされ、うち8割が離婚(死別は8%)です。離婚の理由も様々であり、女性の場合一番多い理由は「性格の不一致」で57.6%ですが、次に多いのが「精神的な暴力」で29.8%を占めます。これに「身体的暴力」、「経済的暴力」、「子供への虐待」を含めると、実に7割にも達します。いわゆるDVの場合、とにかくそこから逃れるため、慰謝料や養育費などの取り決めができないままということも多く、これが貧困に向かう大きな要因となっていると思われます。

 日本ではシングルマザーの就業率は80%(OECD平均は70%)と高いのですが、50%が貧困(OECD平均は30%)と言われています。つまり、就労する意欲が高いにもかかわらず、貧困の割合も高いという実態が見えてきます。また、養育費を受け取る取り決めをしている割合は42.9%ありますが、実際に受け取れているのは24.3%とのこと。この養育費については2020年に法改正がなされ、不払いに対して刑事罰が科されるようになりましたが、これもシングルマザーの側から訴えを起こすことが条件です。ただでさえお金がない上、就労と同時に同時に家事育児も抱えているシングルマザーにとって、訴えを起こすことは容易なことではありません。中には明石市のように行政が養育費を先払いし、取り立てを代行する独自の取り組みをしている自治体もあるようですが、まだまだ一般的とは言えません。

 総じていうと、⽇本のシングルマザーはワーキングプアの状況にあり、家事育児との板挟みにあり、元夫からの⽀援が薄く、世間からはシングルマザーになったのは⾃⼰責任とみなされ、孤⽴しているというのが主流ということが言えます。特に最後の「世間の目」というのは、冒頭に述べた我々に内在している「無意識のバイアス」が少なからず関係しているのです。

 さて、大原さんが代表を務める一般社団法人ルータスでは、シングルマザーの経済的自立を支援するため、シングルマザーのためのコレクティブハウス(家事や育児などを共同で行うことを前提にしてつくられた都市型の集合住宅)構想を進めていらっしゃるそうです。これはまさに貧困の類型として挙げられる、経済、居住、関係、時間の問題にアプローチしたものと言えます。かつそこから女性の自立、キャリアアップ、目標の実現、収入の増加の達成を目指しています。



 20年ほど前、里親にコミュニティを提供するとともに、退職した高齢者が隣人として、メンターとして里親や子供の力になる”Hope Meadows”と呼ばれる施設がアメリカ・イリノイ州にあるという話を聞いたことがありますが、今でもあるようですね。高齢者の孤独や貧困も問題となっている中、世代を超えて助け合えるような「新しい下町」が育っていくと良いなと思いました。

過去のセミナーレポートはこちら

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3年ぶり出張YMS、大阪交流会-第141回YMS

2022年08月25日 | YMS情報


 2022年8月23日、第67回(2016年2月:沖縄)、第108回(2019年5月:沖縄)以来、3年ぶり3回目となる地方交流会を開催しました。今回は、地域ポータルサイト 「オオサカジン」で取り上げられた、大阪の社長の皆さまとYMSとの合同勉強会&交流となりました。



 開会にあたり、今回の会を主催いただいたジェイライン株式会社代表取締役、野上尚繁様よりご挨拶をいただきました。



 続いて、勉強会。テーマは「INSTAGRAMを用いたマーケティング戦略-ユーザーの心を掴むIT戦略」。中学生から大学生まで約3,000名の学生から成るコミュニティ「舞空キャンパス」様よりお話しいただきました。講師は何と中学生、35年前の自分と比べると驚きを禁じ得ません。

 僕個人に関して言えば、INSTAGRAMはアカウントを持っているという程度でほとんど使っていないのですが、同SNSの特徴とユーザーの属性、そして機能を踏まえてオーソドックスなマーケティング・アプローチを当てはめていく。そうすることで、企業や個人が提供するサービスの内容によっては大きな可能性があると感じました。皆さん真剣に聞き入っておられ、時間が足りなくなるほど質問が飛び交っていたのが印象的でした。



 第二部は名刺交換会ですが、その前に僕からYMSの活動について簡単にご紹介させていただきました。
YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)の概要や過去のセミナーレポート(文末にリンクがあります)については、ぞれぞれのリンクからご覧ください。



 そして怒涛の名刺交換会。時間の制約上、この場では深い交流とまでは叶いませんでしたが、その後の懇親会にて十二分に補うことができました。



 YMSとしては、今後もこのような横浜を出た交流の場を増やしていきたいと考えております。

過去のセミナーレポートはこちら

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3年ぶりワインセミナー復活!-第140回YMS

2022年08月12日 | YMS情報


 8月10日、2013年から毎年ご好評いただいていたYMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)の馬車道十番館ワインセミナーが、3年ぶりに戻ってきました!



 テーマは、「真夏にガブ飲みできるスッキリ爽やかワイン」 。今回は感染症対策としてテーブル着座形式となり、ワインも好きなものを自由に飲んでいた従来のやり方から、サーブする形式に変わりました。しかし、ワインセミナーという趣旨からすればむしろこの方が良かったのではないかと思います。

【過去のワインセミナーの様子】
2019年:おうちで楽しめるテーブルワイン
2018年:ワインを飲んでいる時間を無駄な時間だと思うな。その時間にあなたの心は休養しているのだから
2017年:酷暑の中でさっぱり飲めるワイン特集
2016年:世界が認める勝沼甲州ワインを軸にした日本ワインとフレンチのマリアージュ
2015年:夏に合うワインと料理のマリアージュを楽しむ
2014年:注目のジャパニーズ・ワインを楽しむ
2013年:手ごろなワインと料理のマリアージュを楽しむ



 早速始めましょう。最初は、オーストラリアの「ジェイコブス・クリーク江戸切子スパークリング」。伝統工芸士根本達也氏とのコラボレーションによる日本限定販売の辛口スパークリングワイン。ブドウ品種はシャルドネを主体に、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、瓶内二次発酵で造られています。爽快感があり、まさにこの蒸し暑い季節にぴったり。



 ワインとのマリアージュを意識したメニューは、オードブルの盛り合わせから。



 続いて、フランスの辛口白、「バロン・ベルナール ミュスカデ 2019年」。ロワール地方、ペイ・ナント地区のワインです。バランスの良いほど良い果実味とシトラス系の香り。先ほどのオードブル盛り合わせと良く合います。

 右手の赤は、フランス・ルーション地方の「カノン・デュ・マレシャル ルージュ 2020年」。ベリー系の果実味と酸味。程よいタンニンがあり力強さも感じます。ブドウ品種はビオディナミ(自然農法)で造られたワインシラーとグルナッシュ。今回の赤の中では僕はこちらの方が好きです。



 魚料理は、真鯛のソテー、ラヴィゴットソースとアサリのア・ラ・クレーム、パイの包み焼きパプリカソース。



 次はイタリアのワイン。左は「タヴェルネッロ オルガニコ ベッロ トレッビアーノ シャルドネ」。その名の通りオーガニックワインで、甘く先ほどのラヴィゴットソースとアサリのア・ラ・クレームと良く合います。

 右も「タヴェルネッロ オルガニコ ベッロ」のサンジョヴェーゼ。先ほどのカノン・デュ・マレシャル ルージュと比べると酸味がなく、果実味が前面に出ています。やや重めで甘く飲みやすいですが、味の立体感に欠けます。



 そんな赤ワインに合わせて出てきたのが、オーストラリア産牛フィレ肉の開化風。このマリア―ジュでバランスが取れました。



 最終組はポルトガルのワイン。この2本は皆さんの評判が良かったです。世界一売れているヴィーニョ・ヴェルデの造り手と言われるアヴェレーダの「カザル・ガルシア・ブランコ」(左)。ヴィーニョ・ヴェルデとは、スペインとの国境付近にあるミーニョ川周辺地域で造られるワインのことをいい、「緑のワイン」という意味です。その理由は、完熟前のブドウを早めに収穫し(つまり、糖度が低め)、長期熟成させないワインがほのかな若草色をしているからという説があります。

 ヴィーニョ・ヴェルデの赤は主にポルトガル国内向けだそうですが、ロゼならあります(右)。見た目も美しいですし、爽やかでフルーティ。



 今回は種類こそ控えめでしたが、1本につき最低2杯は飲めましたので、結構な量飲みました。

 第140回という節目であると同時に、無事ワイン会を再開できたことを嬉しく思います。

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組織のやりがい環境を考えるー第139回YMS

2022年07月15日 | YMS情報


 2022年7月13日、mass×mass関内フューチャーセンターにて第139回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。因みに今回、YMSの累計参加者数が2,500名を超えました。ありがとうございます。



 今回の講師は、LIVE&WORLD 代表の長谷川晃大様。長谷川さんは2005年〜2011年まで人材育成の会社で勤務、2011年〜2020年まで組織開発コンサルティング会社勤務された後、独立。現在「オンラインパートナーシップ」と呼ぶ、完全オンラインでのコンサルティング、コーチングで中長期的な変化変容に向けたクライアントとの伴走を得意とされています。今回は、「働きがいある組織づくり~自組織のやりがい環境を考える~」と題してお話しいただきました。

 本題に入る前に、まず意外だったことがあります。人の行動変容を促したり組織風土改革を行うにあたっては、何よりも直接触れあい、熱を共有することが大切なことのように思われます。しかし、長谷川さんが現在提供されているサービスは完全オンラインなのです。何とこの日のYMSが独立後初めての対面セミナーだとおっしゃっていました。

 少しずつ対面自粛ムードが緩和される中で、僕自身もあらためて「やっぱり対面は大事だよね」と感じるこの頃です。確か第136回YMSのレポートでもそのようなことを書きました。それなのに何故あえてオンラインなのか?この点について不思議に思い、セミナー終了後の懇親会で伺ったところ「対面ではできないオンラインならではの良さ」を掘り下げていらっしゃるとのことでした。そう思うようになったきっかけは、長谷川さんがコーチングのトレーニングを受けられていた時、弱視のコーチの方とSkypeで出会ったことだったそうです(それも音声のみ)。その方は視覚にハンディを持っていらっしゃったものの、その分を「人の話を聴く力」、「受け止める感受性」、それを「相手の心に響くような形で表現する言葉の力」で補い、余りあったとのことでした。

 言われてみれば対面で感じられる非言語情報が十分には得られないからこそ、相手に伝わるようにするために言語情報を逞しくしなければなりません。一方、受け手も限定的な視覚情報や聴覚情報を自身の経験に照らし、想像力を働かせて主体的にイメージを構築し、補う必要があります。つまり、個人的解釈ですが、この時点で受け手は能動的に脳を働かせ、自分で自分を納得させているのです。まさに「制約は創造の母」、なるほどと思いました。

 さて、2017年にギャラップ社が行った調査によれば、日本企業で熱意のある社員の割合はわずか6%で、139ヶ国中132位だったそうです。昨年10月、品川駅のディスプレイに映し出された「今日の仕事は、楽しみですか?」という広告がSNS上で炎上するといったことがありました。このようなことが多くの人々の許容の範囲を超え、怒りを呼び起こすということ自体が、現代の日本企業が抱えている問題を如実に表しているのではないかと長谷川さんは言います。

 現在はいわゆる90年代までのモーレツ組織から、ウェルビーング、キャリア自律、ダイバーシティ、インクルージョンといったキーワードが飛び交う協創する組織(持続可能な組織)への移行期にあると長谷川さんは見ておられますが、実際にコンサルティングを行う中で、上手くいかないところは同じ組織の中でも世代間で意識の温度差、ムラを感じるそうです。すなわち、どの世代にも一定数は組織づくりや風土をよりよくしていこうとする人がいるにもかかわらず、社員一人一人のエンゲージメントを高めることについて、



といった世代間のギャップがあり、結果的にどの世代もどうすれば良いか分からない中で、全体のモチベーションが下がります。その結果が先のギャラップ社の調査にも現れているのではないかということです。

 しかし、SDG’sの項目8に「働きがいも経済成長も」とある通り、世界は確実に「働き甲斐」と結果としての「成長」の両方を志向しています。「人的資本経営」が注目されるようになり、経済産業省は2020年に「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書」(いわゆる人材版伊藤レポート)を発表しています(この辺については第131回YMSのレポートで触れていますので、そちらをご覧ください)。



 これが、長谷川さんがお手伝いしている「組織開発」と「エンゲージメントを高める」ことが必要だと考える理由です。組織開発とは、「人や関係性に働きかけ、組織全体のパフォーマンスを上げること」。人の気持ちや関係性の問題は目に見えにくいにも関わらず、組織のパフォーマンスに大きな影響を与えています。故に、見えていないものを見える化し、組織の効果性と健全性を高めていこうというのが狙いです。もう一つのエンゲージメントは、個人と組織の繋がりの強度を表す指標であり、いわば組織開発の効果測定となるものです。ただし、現在の状態を知ることが目的であり、できているかいないかといった評価を下すものではありません。

 因みに、個人のエンゲージメント状態を定量化できる「Wevox」というアプリケーションがあるそうです。



 そのアプローチは、下の図にあるようなピラミッドの下層から着手します。よくある失敗は下の土台を無視して、いきなり頂点の「ありたい姿、チャレンジ(成長と目標設定)」に焦点を当ててしまうことだそうです。



 相互理解とは、「継続的な対話習慣が根付いていること」、貢献実感とは、「承認とチャレンジが定期的にあること」、メンバー個々の強みの自覚とやり甲斐の醸成とは、「多様なやり甲斐が実感できる仕組みがあること」、ありたい姿、チャレンジとは、「未来の自分を自由に描く対話の場があること」です。つまり、組織開発とは組織文化を創り出すことだとも言えます。

 さて、これまで「働き甲斐」や「やり甲斐」といったキーワードが出てきました。セミナーのタイトルに「「働きがいある組織づくり~自組織のやりがい環境を考える~」とある通り、今回のお話しはこの「やり甲斐」がテーマです。ところで、我々はどんな時にやり甲斐を感じるのでしょう?人それぞれだと思いますが、例えば、第133回YMSでお話しいただいたボクシングジムの会長さんは、

「生徒が試合に勝ち、その親御さんが喜んでいるのを見た時」

だとおっしゃっていました。ご自身が教えた本人への貢献だけでなく、周りにいる関係者からも喜び、感謝を得られることが大きかったのでしょうね。すなわち、「やり甲斐」とは、

やり(行動)+甲斐(内的報酬)

自分の行動の結果得られる内的報酬のことであると言えます。



 アメリカの心理学者エドワードL.デシは、1971年の実験で、人は報酬などの外発的動機より自分の内面から来る内発的動機の方が強いということを明らかにし、1975年に人間は「自律性」、「関係性」、「有能感」という3つの根源的欲求を満たすために行動する、すなわち動機づけられるという「内発的動機づけ理論」を唱えました。

 これらの根源的欲求は常に同時かつ相互作用しながら存在しています。上の図を前述の二つ目のピラミッドと比較してみるとピラミッドの各階層はこれらの根源的欲求への働きかけであることが分かります。ゆえにそれぞれの階層も密接なつながりがあるのであり、下の階層を無視して上の階層だけを求めるのは難しいのです。

 さて、先ほど人のやり甲斐は十人十色だと言いましたが、長谷川さんは内発的動機付けを踏まえ、「成長-貢献」を縦軸、「非成果-成果」を横軸にして、人々が感じる「やり甲斐」を次の四種類に分類しています。



 のりこえ甲斐に必要なのは「ひとりひとりが成果を実感できる環境」、役立ち甲斐は「自分の役割と貢献が実感できる環境」、のび甲斐は「ひとりひとりが成長を実感できる環境」、思い甲斐は「ひとりひとりが仕事の価値を実感できる環境」になります。

 この図で分類すると、個々人が何に重きを置いて「やり甲斐」と感じているのかが分かります。もちろん、複数にまたがる人もいます。長谷川さんの経験では、若い世代には「伸び甲斐」を重視している人が多く、世代が上になるにつれ「思い甲斐」や「役立ち甲斐」が増える印象があるということです。組織や上司が部下のモチベーションを上げようとしても、このやり甲斐のズレに気づかなければ効果が低減するか、逆効果となってしまうことさえあるでしょう。メンバーがどの象限をやり甲斐と思っているかを把握すること、組織階層間のギャップを知ることが大切であり、何よりもいかなる場合であれフィードバックがあることが大切だそうです。



 最後に「やり甲斐を生み出す環境チェック」という、自分の組織がどの象限に働きかけた環境になっているのかをチェックするワークを行いました。

 このように、「やり甲斐の源泉」を知り、自分の組織の「やり甲斐環境」をチェックし、そこから重点課題を割り出し重点的に取り組んでいくのが組織開発の基本的アプローチだということでした。

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私のきもの革命!日本のきものを未来へつなぐためにー第138回YMS

2022年06月09日 | YMS情報


 2022年6月8日、mass×mass関内フューチャーセンターにて第138回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



 今回は、3年前の第114回YMS以来となる着物のお話しです。講師は、創業103年の着物専門店おがわ屋の小川淳様。小川様は今回のタイトルに「私のきもの革命!日本のきものを未来へつなぐために」とある通り、「きもので日本を元気にする!」、「きもので世界中の人々を幸せにする!」をミッションに掲げ、着物パーティ開催、着付け講座、オリジナル小物制作、きもの研究会、粋人倶楽部(男性着物倶楽部)等を主宰するなど、民族衣装「着物」を広め伝えるため活躍していらっしゃいます。

 さて、現在に至る着物の原型は平安時代に遡ると言われます。遣唐使廃止などで、日本独自の文化が花開くようになった時代です。その後、鎌倉時代にはほぼ現在の着物に近くなり、江戸時代の元禄期に着物文化は頂点に達しました。当時もちろん写真は存在しませんが、浮世絵から当時の特に女性の着物が実に多様であったことを伺い知ることができます。残念ながらここに掲載することはできませんが、今では見たこともないような図柄、技法は、当時の日本人がいかに衣装に情熱を傾けていたか、またそれを可能にする富の蓄積がなされていたかを現在に伝えています。ご興味がおありの方は、下記のサイトなどが面白いかもしれません。

日本服飾史
きものの文様の歴史

 面白かったのは、江戸の豪商石川六兵衛の妻と京の難波屋十右衛門の妻の東西衣装対決のエピソード。今で言えばセレブによるファッション対決ですが、それ位ファッションに対するブームが過熱していたということですね。さてこの対決、緋繻子(ひじゅす)に洛中図をあしらった小袖の十右衛門の妻に対し、六兵衛の妻は、黒羽二重南天柄。一見すると派手なのは十右衛門の妻だったのですが、何と六兵衛の妻の南天は一つ一つ珊瑚を縫い付けたものだったそうです。勝負は石川六兵衛の妻に軍配が上がりました。因みに、この石川六兵衛の妻は豪奢が行き過ぎたために将軍綱吉の逆鱗に触れ、財産没収の上、遠島を命じられました。

 その後、幕政改革で度々奢侈禁止令が出されました。その結果、「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」と言われるように、地味な色の種類がやたらと増えることになりました。即ち、庶民が着ることを許される着物の色が茶・鼠・藍に制限されたので、許される範囲での新色が次々と登場したというわけです。また、表地は取り締まられているので、裏地に凝るといったことも行われたようです。

 なお、庶民の間では古着としての着物、今でいうリユースが盛んにおこなわれたようです。この辺は以前当ブログで「江戸の古着屋」としてまとめていますので、そちらをご覧ください。

 それほどまでに当時の日本人が情熱を傾けた着物ですが、現在は技法もデザインもカジュアル化。そして着物市場は全盛期の1/10にまでなってしまったそうです。当然、作り手が疲弊してしまうわけですが、着物は分業制の進んだ産業であるため、工程の一部が失われてしまうだけでも、全体の技術が衰えてしまいます。一方で工業的に量産された着物もありますが、着物に対する美意識、感性は失われるばかりです。

 現代日本人が着物を着なくなった理由としては、着る機会がない、どこで買えばよいか分からない、高い、手入れの方法が分からない、着方が分からない、保管場所がない等、様々あるようですが、小川さんがおっしゃるには、着物を着る場面は何も冠婚葬祭に限定する必要はないということです。むしろ着物不可という場面はほとんどなく、大抵の場合好意的に受け止めてもらえるそうです。

 シリコンバレーで事業を営んでおられる男性で、敢えてビジネスシーンで着物を着るという方がいらっしゃるそうです。理由は、グローバル化した世界だからこそ、自分が何者なのかをハッキリさせる必要があるから。着物は日本人であることのメッセージそのものだと言えます。現在、着物を着るのは9割が女性。小川さんは、男性にもっと着物を着てもらえるよう、「3分で着れるオトコのきもの」を開発し、普及に努めていらっしゃいます。

 僕自身、思えば12年前の九条館での煎茶会以来、着物から遠ざかっています。来年には50歳を迎えるにあたり、そろそろ着物もいいかなと思いました。

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