※閉眼していたので、目を描き足しています。
3月13日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第162回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。
YMSも14年目となり、メンバーの年齢もそれなりに上がってきた中、今回から7月まで、比較的若手の経営者シリーズです。
先頭バッターは、キャラバン合同会社代表の海老名栄人様。「日本の田舎をどうにかしようと思ったら、東南アジアでホテル経営をしていた件」と題し、「できない」を「できる」に変える逆転ビジネスについてお話しいただきました。
お話の始まりは海老名さんが20代の頃、2000年代初頭に遡ります。学生時代、バックパッカーとしてアジアを中心に世界中を旅してきた海老名さんは、「自分は会社勤めには向いていない」と悟り、学生起業します。事業内容は何と刺青の彫師。特に刺青に関心があったわけではなく、コストを賭けず手に職をつけられるものということで選んだのだそうです。彫師の修行も、師匠の彫師が弟子をとらない方針だったため、傍で見学して覚えたのだとか。加えて、バンドをやっていた関係から、当時黎明期にあったSNSを活用してライブハウスにバンドを連れてくる仕事も手掛けるようになります。ライブハウスに来る人達はタトゥーを入れる人もそれなりにいるため、この仕事は刺青の仕事と相乗効果も生みました。のっけから破天荒なお話ですが、このようなある物とある物を掛け合わせて価値を高める発想はすでに海老名さんに備わっていたようです。この仕事は上手くいき、お金が貯まるとまた海外へ旅に出ていたそうです。
ところが、2011年に発生した東日本大震災により、イベントというイベントが自粛ムード。さらには節電の風潮もあり、イベント業務が暗礁に乗り上げてしまいました。そこで海老名さんは、当時普及し始めていたスマートフォンに目をつけ、スマートフォンや光回線を販売する業務を始めます。この仕事は時代の潮流に乗り大ヒット、青森県に初めて5Gの電波塔を設置したのは、海老名さんなのだそうです。
そして7年前の2017年、高齢の父親と祖母の介助のため、故郷の青森に戻ることになりました。
2020年、世界が新型コロナウィルスによるパンデミックの波に覆われます。スマートフォンの事業はそれなりに順調でしたが、既にスマホは一般化し、海老名さんにとって遣り甲斐が失われていました。そんな中、目に入ったのは、「自然豊かで産物も多く、観光資源もある。さらに人は勤勉で腕も良い」にもかかわらず、衰退する一方の故郷(青森県五所川原市)でした。そしてその姿は、多くの発展途上国を見て歩いてきた海老名さんの目に、発展しつつも未だ40年前の内戦の後遺症が残るカンボジアと重なって映りました。培ってきた経験を故郷に何か還元できないのか…?
ここで青森県について簡単に振り返ってみます。県人口、約124万人。月平均最高気温は28.4度 と日本一涼しい都道府県です。三方を海に囲まれ、中心部は山、さらには複雑な海岸線といった地形の特色もあって産物は豊富。青森といえばリンゴ、ニンニク、マグロなどが有名ですが、その他にもホタテ、ゴボウ、アンズ、カシス、ブラックベリー、イカ、鮭、白魚、豚など多くの名産があります。馬肉もあり、他県のそれと比べて肉質が柔らかいのだとか。公衆浴場の数も日本一で、しかも温泉です。文化としてはねぶた祭が有名ですが、五所川原市は「立ちねぶた」といって、高さ20m、重さ16トンにもなる巨大な山車が特徴で、「青森三大佞武多」に数えられています。このように豊富な産物、観光資源がありながら、宿泊施設が少なく、活かしきれていない、と海老名さんには映りました。
一方、カンボジアです。一言でいうと、赤土と密林の国。アジア最貧国の一つでありながら、国民幸福度はトップクラス。僕のブログにもいくつか掲載していますが(下記参照)、観光資源と水資源が豊富です。米の生産も多いので、貧困層もお金はありませんが、飢えてはいません。現在、首都のプノンペンなどは急速な発展を遂げています。理由はいくつかありますが、ドルが流通しており、外国人が参入しやすいこと、安く豊富な労働力、若年人口が多いといったことが挙げられます。また、日本は内戦後のカンボジアの復興、地雷除去や遺跡の修復などに大きく貢献したため、カンボジアは親日国でもあります。しかしながら、近年の日本の衰退により、発展途上国の人たちにとって日本が出稼ぎの地として魅力が低下しているのも事実です。
片や人口が減り衰退の一途をたどる故郷、片や日本に親しみを持ち、働きたいとも思っている沢山のカンボジアの人たち。「日本が再び選ばれる国になるために、今のうちに両国に強力な導線を引いておく必要がある」、そう考えた海老名さんは、新型コロナの影響で閉鎖が相次いでいた、カンボジアの一大観光地シェムリアップで2022年、DEN HOTELを創業します。さらには、職業訓練のためのDEN SCHOOLが来月開校予定です。因みに下の写真は、カンボジアの生胡椒です。そのまま、つまみのように食べられます。
「アンコール・ワット」
「アンコール遺跡の壁画①-マハーバーラタ」
「アンコール遺跡の壁画②-ラーマヤナ」
「アンコール遺跡の壁画③-乳海攪拌」
「アンコール遺跡の壁画④-チャンパ王国との戦闘」
「アンコール遺跡の壁画⑤-凱旋祝宴の様子」
「タ・プローム」
「バヨン寺院」
「アプサラ-カンボジア伝統舞踊」
「カンボジアの踊り」
「カンボジア・カルチャー・ヴィレッジ」
故郷にあっては、2023年、「もったいない」を「ありがたい」に変える会社、キャラバン合同会社を設立。農業、飲食、クラフトを三大基幹事業とし、かつそれぞれを有機的に組み合わせることで、地方創生とアジアビジネスの融合を目指しています。
事業は基本的に地元が抱える課題そのもの。例えば農業部門においては、県の食材を生産・販売しています。具体的には養鶏・養鹿の他、有害鳥獣駆除とその副産物として生まれるジビエ肉の解体処理と卸など。肉は東京にある中華料理の名店に卸しているそうです。僕の事業である衣類のリサイクルも同じですが、ジビエを作ることが目的ではなく、それがきちんと消費されることが大事です。そうでなければ持続することができません。
飲食部門は、農業部門が生産した食材やクラフト部門で作られたお酒を販売します。また、販売するお店は、クラフト部門が建物の解体などで発生した建材を活用しています。さらに、飲食で発生した食品残渣は、農業部門に還って家畜の飼料として活かされます。
クラフト部門は、前述のように廃墟を改装・解体するなどして活かす仕事です。青森県では人口減少に伴い、住む人のいない廃墟が問題となっています。驚いたのは、ある廃墟を海老名さんが自力で解体したということ。
このように、ローカルの事業はそれぞれが互いに補完し機能しています。これをローカルの循環とすれば、今後、カンボジアの事業と青森の事業が補完し、グローバルの循環も生まれていくことでしょう。例えば、カンボジアで育成した人材が青森で活躍したり、青森の産物が遠くカンボジアで消費されたりというように。これを海老名さんは協調と調和、「Looserのいないビジネス」と呼んでおられました。
「どうせ誰もやらないし、近所からグローカルしていく」、「地元をどうにかしようと思ったら、カンボジアでホテルを経営していた」、こうした海老名さんのお話は、横浜でできるところから人と人の縁を繋ぎ、さらにそれを地域と地域で繋いで全体を活性化していくYMSの趣旨とも通じるものがあると思いました。何より、思い付きのやりっ放しではなく、全てを有機的に機能させていく発想と取り組みが素晴らしいと感じました。
最後に。以前このブログで、食を通じて青森の良さを伝える、神楽坂の素敵なバル「Aotaimatsu」をご紹介しました。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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