「どんな物にもヒビがある。だが光が差し込むのはそこからである」。表題にもあるこの言葉は、ナポレオン・ボナパルトが遺したものだと言われています(諸説あり)。陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず、古くから言われていることがまさに真理だと感じるお話しでした。
2月8日、「夢・あいホール」にて第147回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。お話しいただくのは、株式会社ユサワフードシステム代表取締役、湯澤剛様。湯澤さんについては、以前当ブログ「食に人生あり-大船海鮮食堂 魚福(大船)」でもご紹介したことがあります。お話しのテーマは、「あきらめなければ道は拓ける。朝の来ない夜はない。~負債40億円からの挑戦~」。
序. コロナで売上が突然ゼロに
湯澤さんは先代から45年、神奈川県下に海鮮系の居酒屋を展開していらっしゃいます。それでお分かりと思いますが、2020年新型コロナウィルスの世界的流行により、人々は外出自粛を余儀なくされ、飲食業界は大きな打撃を受けました。2020年4月7日に緊急事態宣言が発令されると、湯澤さんの会社は5月に至るまで売り上げが何と2019年比90%減という事態に見舞われました。
「コロナはやがて終息する、しかしサラリーマンの宴会は戻らない。従業員の雇用を守るには新規出店しかない」、そう考えた湯澤さんは2021年6月「大船海鮮食堂 魚福」をオープン。ところが直後の7月、4回目の緊急事態宣言が発令され、9月は売上ゼロに。43名の従業員を抱えながら売上が全く立たないという苦しみは如何ばかりか…。しかし、これは湯澤さんが会社を継いで23年、潜り抜けてきた幾多の「夜」の一つに過ぎなかったのです。
1.サラリーマンから突然負債40億円の会社の社長に
湯澤さんは大学卒業後、大手飲料メーカーで12年サラリーマンをされていました。ところが1999年1月、創業者であるご尊父の突然の死により、「株式会社湯佐和」(当時)を引き継がざるを得なくなります。その会社は当時33店舗を経営しており、年商が20億円ありましたが、有利子負債が年商の倍の40億円。単純計算でも完済に80年かかるという有様でした。
長くサラリーマンをされていた湯澤さんに会社経営の経験はなく、元より父親の会社を継ぐつもりがなかったため、業界知識はおろか店舗に足を運んだことさえなかったそうです。では、社内に業務の分かる番頭さんがいたのかと言うと、ワンマン経営だったためそれもゼロ(正確に言えば、様々な問題でいなくなってしまっていた)。店には店長すらおらず、33店舗の店をわずか二人の社員で担当していました。そして各店は流しの板前と数名のパートで回していました。
その上、3年前に不正経理で解雇された本部長が人材をごっそり引き抜き、競合店を始め、それが繁盛しているという有様でした。
飲食店経営の経験はなく、頼れるベテラン社員もおらず、店舗は人手が足りない。それでも借金や請求の支払は待ってくれません。何から手を付ければよいか考える余裕もなく、金策に追われる日々が続きます。お詫び行脚の日々に心も遊んでいき、雨が降ると店の売上が落ちるので、天気予報を見るのが怖く吐いてしまうほど身体もボロボロでした。
さらに悪いことに、金策に奔走するあまり店の方はほったらかしになり、売上が右肩下がりに下がっていきます。現場のモラルは低下し様々な問題が続出しますが、従業員に辞められては店が回らないので強く注意することもできず。
そんなある日、地下鉄丸ノ内線のホームで、無意識のうちに電車に向かって飛び込もうとしている自分に気づき愕然とします。いくら苦しくても自殺など考えたこともないのに、身体が無意識のうちにリセットをかけようとするのです(余談ですが、これに近いことは僕も経験があります)。絶望の極み、まさに陰が極まった時、湯澤さんにひとつの覚悟が生まれます。
2.カラスと借り物の羽根
その覚悟とは、80年などという途方もない時間を考えていたら絶望してしまうので、とにかく1827日間は全力を尽くそうというものでした。1827日というのは5年間のことです。そして、この先に起こりうる最悪の状況を「最終計画」として紙に書き出してみました。湯澤さんがおっしゃっていたのは、「不安や恐怖というものは、頭の中に置いておくと際限なく増幅する。ところが、紙に書き出して客観視してみると少しは冷静になり、一歩前に踏み出そうという気持ちになる」と言うことでした。これは以前、名古屋大学大学院情報学研究科准教授川合伸幸先生のお話を伺った時、怒りの感情をコントロールするにはその感情を客観視することが大切であり、手法の一つとして怒りの原因となった出来事を紙に書き出すのが良いとおっしゃっていましたが、それに通じると思います。
そして「結果が絶望的な時は、結果ではなくプロセスに着目する」とも。
さて、覚悟を決めた湯澤社長は八方塞がりの中から脱却するため、まずは小さな成功事例を作ることに集中し、それを拡げていく「一点突破、全面展開」に取り組み始めます。僕も学生の頃、組織を変革していくのに少数の触媒をまず作り、その影響力を拡げていくということをやった経験があるので、これは分かる気がします。具体的には、数ある店舗の中の1店舗を改装、メニューや接客も一新し、これまで中高年のサラリーマンが中心だった客層を若い女性やファミリー層にも広げていくというモデル店舗を作ることでした。そのモデル店舗を触媒として会社を変えていこうという狙いだったのです。
ところがそのモデル店舗、リニューアル当初こそ売上が急上昇したものの、すぐに反転急降下してしまいます。それどころか、リニューアル前の古びた居酒屋のころの売上、利益すら下回る始末。新たなターゲットとして取り込みを狙った若い女性やファミリー層からは酷評され、根強く支持してくれていた中高年男性層の顧客まで店が変わってしまったことで離れていってしまいました。
失敗の本質は、自分の弱点を補おうとして、自分でない何者かになろうとしたことにありました。まさに、クジャクの羽根をまとったカラスの寓話のように。しかし、弱点とはそもそも苦手だから弱点なのであって、その克服は容易なことではありません。不安な時ほど自分の長所ではなく短所ばかりに目が行き、足りていないものを補うことに血道を上げてしまう。個人でも起こりがちなことではないでしょうか?
3.違いに着目し、光が差し込む
この反省を踏まえ、湯澤さんは弱みではなく、強みを伸ばす方針に切り替えました。しかし言うは易し、強みというものはそう簡単には見つかりません。そもそもそれだったらここまで絶望的な状況に陥っていないのです。ならば、と強みではなく「違い」に着目しました。というより、違いこそ「強み」だと考えたのです。「何をやるか」よりできないことを自覚し、「何をやらないか」を考える。再び顧客層を本来の支持層だった中高年男性に絞り込み、今度はそこに徹底した店づくりをしました。そして3ヶ月に1度のペースで各店舗を改装し、成功モデルを展開していく。その結果、売上は1.5倍、利益は2倍に大幅にアップ。長い暗闇の先にようやく差し込んだ一筋の光でした。
4.BSE問題でまたピンチに
ところが、そんな矢先にまたしてもピンチが襲います。2001年頃から世界に広がったBSE(狂牛病)問題。報道の過熱や相次ぐ牛肉偽装事件などにより、牛丼チェーンの吉野家が2004年から2008年までの長期にわたり、牛丼の販売を停止しました。当時湯澤さんの会社では吉野家のFCを5店舗展開していましたが、これらの店舗からの利益が飛んでしまったのです。
吉野家部門のロスを補うため、居酒屋部門は徹底した合理化を進めました。その結果、湯澤さんの会社は2006年に過去最高の利益を達成。しかし、そのしわ寄せは着実に居酒屋部門を蝕んでいたのです。
2009年1月、ある店舗で食中毒が発生してしまいます。体調を崩していたスタッフが、店に迷惑はかけられないと無理して仕事をしたことが裏目に出た結果でした。2月には、長らく糖尿病を患っていたベテラン社員が他界してしまいます。さらに追い打ちをかけるように、3月にはまたある店舗が火事で全焼してしまいます。人手不足の中、かけた火が油まみれの換気ダクトに引火したのが原因でした。わずか3ヶ月の間に立て続けに起こった災難に、さしもの湯澤さんも心が折れたと言います。
5.何のために仕事をするのか?
心が折れた湯澤さんは事業を辞めようと決意します。そして、会社を大手に売却することについてどう思うか、何気なく従業員に聞いてみました。湯澤さんは反対が出るとは思っていなかったのですが、彼らは本気で反対したそうです。
「ここで投げ出したくなる気持ちも分かりますけど、自分たちも人生賭けてますから」
従業員たちの言葉に湯澤さんは救われたと言います。そしてこのように次々と問題が起こったのは、経営者に問題があったからだと気付いたそうです。たった3ヶ月の間に起こった大事件もつぶさに見れば、借金返済のためだったとはいえ、利益至上主義で現場に過度なしわ寄せが行ったことが原因でした。その原因を作ったのは?すべては経営者の責任、自分が源泉、それを神様が教えてくれたのだと。
「自分が変わらない限り、問題はまた発生する」と考えた湯澤さんは、そもそも何のために仕事をしているのかを考えます。当時の答えは、「すべてはお客様と働く仲間の笑顔と喜びのために」でした。
6.我欲の経営者
これが映画やドラマであったなら、ここから目覚めた経営者によるV字回復の物語が始まるのでしょう。映画『ロッキー』なら「ロッキーのテーマ」のファンファーレがこだまする場面、「英雄の旅」の「変容」の時です。しかし、負債は半減したとはいえまだ20億円。目の前のことに忙殺される中、決意したところでそう簡単に変われるものでもないというのが現実を生きる生身の人間ではないでしょうか?ある日突然莫大な借金を背負わされたトラウマ、数字・実績に縛られる毎日が、分かっていても利益優先・返済優先へと駆り立てます。湯澤さんは謙虚にそれを「我欲の経営者」とおっしゃっていますが、渦中にいるものからしてみれば、「なら、どうすればいいんだ?」と言いたくなるのが本音ではないかと思います。さらに返済に邁進し、負債はついに10億円になりました。そんなある日、10年以上会社の立て直しのため一緒に頑張ってきたベテラン社員が退職を申し出てきます。その社員にこう言われたそうです、
「この会社で働いて良かったと思っています。会社と社長、お客様には感謝しています。ですが、これをあと10年続けるのは無理です。だから辞めさせてください」
7.なぜここまで来られたのか?
湯澤さんの会社は16年かけて40億円の負債を返済しました。コロナでまた少し負債が増えたとのことですが、会社の目的は借金の返済から理念の実現へと着実に歩みを変えています。その理念とは、
「人が輝き 地域を照らし 幸せの輪を拡げます」
では、どうしてここまで来られたのか?最後に湯澤さんの言葉をまとめます。
① 当面策と根本策を並行する
→そのための時間と場所を分けないと、目の前のことに忙殺されてしまう。
② 折れない心
→状況に対する受け止め方を自分でコントロールする
→今時分にできることは何か?できないことは受け入れるしかない
→今ここから学べることは何か?
→すべては過ぎ去っていく
→目に入るもの、耳に入るものの影響に注意
③ 恨んでいた父親の日記
→他界した父親の苦しみを知った
④ 存在理由に立ち戻る
→物心の「モノ」については大企業に及ばないが、個々の「ココロ」に対しては中小企業の方にアドバンテージがある
→自分が社会に貢献している、必要とされている実感
湯澤さんのお話しは、企業経営のみならず、個人が力強く幸せに生きていくために根本的に重要なことが示唆されていると感じました。そして、人の心を揺さぶるものは困難を潜り抜け成長を遂げた生身の人間の物語なのだと思いました。嫌なことや辛いことは避けられません、それでも人生は素晴らしい。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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