窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

東進町 鳥銀-名古屋コーチン料理

2013年07月25日 | 食べ歩きデータベース


  当初予定していた店が休みだったため、慣れない名古屋の街をうろうろ。東進町というところに差し掛かると、一緒にいた弟は見知らぬ人たちから「フィリピンどう?」と次々に声を掛けられていました。

  そのフィリピンから帰国したばかりだというのに…

  そうこうしているうち、たまたま見つけて入ったお店がこちらの「東進町 鳥銀」さんです。



  店内はきれいですし、接客もよく、とても気持ちのいいお店でした。上の写真は新鮮な名古屋コーチンの刺身盛り合わせ。



  ハツ、ネギ間、シソ胸の串焼き。身は柔らかく、噛むほどに味が出てきます。



  湯引きの梅肉あえ。非常に暑い名古屋の夜ですが、これで元気が出ます。



  ハマグリの鳥スープ。



  右は「かぐや姫」という串。竹の子の間に鳥が挟んであるので、タケトリ→竹取→かぐや姫ということらしいです。

  全部はご紹介できませんので、フォトチャンネルにまとめました。



  また一つ、よいお店を見つけました。

東進町 鳥銀

愛知県名古屋市中区栄4丁目8-20



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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キックオフミーティング2013を開催しました

2013年07月24日 | リサイクル(しごと)の話


  2013年7月20日、毎年創業月に行っているキックオフミーティングを開催しました。今年で4回目、ナカノ株式会社の全社員が集うイベントです。



  さて、毎年第一部は集合研修を行いますが、今年は株式会社MANY ABILITIES代表の野原秀樹先生にお越しいただき、「ドラマチック・コミュニケーション研修」を行いました。野原先生は今年4月にYMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)にもおいで頂き、大変好評を博した先生です。プロのバレエ・ダンサーでもある野原先生の研修は、実際に体を動かしながら行うところに特徴があります。



  最初に、アイスブレイクとしてYMSでも行った「拍手あわせ」。これは掛け声などをかけたりすることなく、お互いの呼吸やリズムを読むことによって、1:1あるいは多数の間で拍子を合わせるというものです。以前も書きましたが、拍子が揃うと人は自然に「気持ちがよい」と感じ、かつ仲間に対する親近感も湧きます。波動やリズムが合うということは、互いの気持ちが通じ合うということであり、人は気持ちが通じたと感じると快感を覚えるようにできているのではないかと思います。これは、集団行動をとる人間が獲得した能力に由来するようです。



  つづいて、参加者の半数が参加しての「誕生日並び」というワーク。「話してはいけない」、「数字を直接示唆するようなゼスチャーは禁止」など様々な制約がある中で、33名の社員が誕生日順に一列に並ぶというものです。柔軟な発想力と協力行動が求められる難しいワークでした。



  三番目は、コミュニケーション系の研修でおなじみの「トランプ並べ」。2チームが背中合わせとなり、一方のチームの言葉だけによる指示によって、もう一方のチームがトランプで抽象的な図形を作成するというものです。10チームのうち、正確に並べられたのはわずかに1チームでしたが、各チームとも思いの外上手くできていたようです。それだけに、うまくいかなかった部分について、伝え方・受け方の難しさをより感じることができたようでした。



  四番目は「ストーリー・アレンジメント」。野原先生の研修の特徴でもある、演劇の要素を取り入れたワークで、3人一組になり、うち2名がある役割(例えば、先生と生徒など)を演じます。残りの一人は演技の進行を見計らい、全く脈絡のない単語を提示します。提示された二人は、即興でその単語を会話の文脈の中に取り入れて演技を続行するというものです。これにはとっさの判断力、柔軟な発想力、意思伝達能力など短い時間に様々な能力が要求されます。非常に内容の濃い、それでいて始終笑いの絶えない、大変盛り上がったワークでした。



  最後は、もう一度「誕生日並び」。前半のチームから得られた経験をもとに、残りの半数の社員で行いました。当然、進歩がみられましたが、やはりパーフェクトには遠かったようです。



  普段の仕事ではなかなか接する機会のない社員同士が入り混じり、協力活動を行う中で、皆それぞれ得られたものは大きかったのではないかと思います。設定された時間があっという間に過ぎてしまう、大変楽しい研修でした。学んだことを、早速社内のコミュニケーションに活かしていきたいと思います。

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愛嬌酒場えにし-また夏に合う日本酒を

2013年07月18日 | BAR&WHISKY etc.
 

  連日本当に暑いですね。

  こうも暑い日が続きますと、やはり辛口の日本酒と新鮮なお魚が食べたいということで、関内にある愛嬌酒場えにしさんにお邪魔してきました。



  大好きなサザエに始まり、まず三重県(早川酒造)の早春・純米生酒・中取り。喉越しはすっきりとした辛口。ほどよい甘みと酸味があり、フルーティーで白ワインを思わせます。汗を引かせる一杯。



  水茄子に、神奈川県(大矢孝酒造)の残草蓬莱・山廃純米・超限定品。乳酸飲料のような発泡した感じの酸味を感じさせ、爽やかで、暑い夏にぴったり。

 

  お店の熊本さんと、山口県(中島屋酒造場)のカネナカ・生酒。非常にすっきりとして飲みやすく、すいすいと杯が進みます。

 

  鯵をはじめとする刺身盛り合わせに、秋田県(両関酒造)の花邑・純米吟醸。先ほどのカネナカより余韻はさらに短いですが、口に含んだ瞬間の甘みとうま味が強く、ぎゅっと凝縮された感じがします。



  仕上げはカネナカと同じ山口県(中島屋酒造場)の中島屋・純米無濾過生原酒。まろやかで重厚なコクがありながらもキレもあり、非常に力強いお酒です。

  その後、まだ日本酒に体が慣れてない僕は沈没…

愛嬌酒場えにし

横浜市中区常盤町3-34和風ビル1F



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【WBN】天荒を破る経営

2013年07月15日 | WBN情報


  7月13日、早稲田ビジネスネット横浜稲門会(WBN)の総会があり、その中で、三木佑二郎先輩のご講演を拝聴する機会がありました。三木さんは、早稲田大学応援歌「コンバットマーチ」の作曲者であり、WBNの発起人でもあります。僕は以前も中華料理屋でご一緒し、お話を伺う機会があったのですが、何しろ破天荒なエピソードの連続とテンポの良い話し方に、引き込まれっぱなしだった記憶があります。

  今回は小豆島国際ホテル再建のお話でした。小豆島は1954年(昭和29年)の映画「二十四の瞳」の舞台となったことで、一時ブームとなるも、その後は衰退。三木さんが1998年(平成10年)に買取った小豆島国際ホテルも昭和40年代に造られた老朽化したホテルだったそうです。

  7年連続で赤字という同ホテルの再建にあたり、三木さんが最初に取り組んだのが従業員の意識改革。①笑顔、②窓を拭く、③3回以内に受話器を取る、この三つを徹底と聞けば、当時どんな経営状況にあり、前途多難な船出であったか察しがつきます。

  次に施設の改装。老朽化した施設ではお客が呼べないのは当然ですが、多額の負債を抱え、赤字が続くホテルには改装費がありません。しかし、三木さんはこの「金がない」ということを逆手に取り、驚くような発想の連続で露天風呂の新設、床や壁紙などの改装を成し遂げます。そればかりか、改装後のランニングコスト削減まで同時に達成してしまうという徹底振り。詳しい内容はここで書くことができませんが、「金がないからでいない」ではなく「金がないからどうする」という発想で貫かれているように思います。

  第三にお客さんをどう呼ぶかという営業改革。以前、旅行会社の方から伺ったことがありますが、日本の地方にある旅館やホテルは、今日の旅行のニーズが個人主体であるにも関わらず、昭和40年代までの団体旅行者向けに造られたものがほとんどだそうです。これを個人旅行者向けに変えられれば簡単なのですが、多くの旅館やホテルはそんな資金的余裕がありません。こうしたことが観光産業の問題の一つとなっているそうなのですが、小豆島国際ホテルもその例に漏れない状況でした。

  ここで三木さんの面白いところは「本当に団体旅行客がいないのか?」という視点で市場を調査し、さらにターゲットを絞ったら、彼らが同ホテルに来る仕組みやサービスを整えたという点です。多額の投資をすることなく、想像力で補っていく。この柔軟性には驚くばかりです。

  しかし、実は、一見型破りに見える行動にも、三木さんはその背後にある会計的視点を非常に重視しておられます。これは以前お話を伺ったときもそうでした。今回の例で言えば、季節性が激しいホテル業にあって、損益分岐点分析を細分化することによって、価格設定を変えていく手法などがそれに当たると思います。

  冒頭で三木さんのことを「破天荒」と形容させていただきました。「破天荒」というと、現在では「豪快で大胆」というような意味に誤用されがちです。確かにその意味でも三木さんは「破天荒」であるのですが、それだけではありません。三木さんの場合は、目的達成のため、「常山の蛇」の如く自在に変化する豊かな発想力と、それを裏付ける緻密な会計的視点が車の両輪となって常に補完しあっているのでした。このようであってこそ、本当の意味で「天荒を破る」経営が可能になるのではないかと思いました。

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第36回YMSを開催しました

2013年07月12日 | YMS情報


  梅雨明けと同時に記録的な猛暑日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

  さて、去る7月10日、mass×mass関内フューチャーセンターにて第36回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。今回はYMSでは既におなじみ、臨床心理士の竹田葉留美さんに「旅にでたい!~観光地の選好と記憶の心理学~」と題してご講義頂きました。

  「観光」は「Tourism」の訳語で、その語源は『易経』の「国の光を観る。用て王に賓たるに利し」に由来します。現在では「余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行うさまざまな活動であって、触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの」と定義されていますが、それに「国の光を観る」を充てるとは、昔の人は凄いものだとつくづく思います。それはさておき、観光心理学はこの定義に基づくさまざまな行動・認知・感情を分析する学問だそうです。



  当ブログでも「史跡めぐり」のカテゴリにこれまで訪ね歩いた様々な史跡を掲載していますが、果たして僕自身は何故こうした場所を観光として選択し、旅に出るのだろうと考えてみたときに、やはり「脱日常・歴史的連続性・内観・学習」などのキーワードが浮かんできました。

  次に、旅と記憶との関わりですが、ひとりひとりの心の中にある原風景について想起し、共有するというワークを行いました。幼児期の良き思い出、心を澄ましてみると、今目の前で起こっているかのようにありありと思い起こすことができるのですが、それにもかかわらず感情の抑揚がない、どこか醒めて物事を見ている自分がいました。ただ分かったのは、そこに幸せと思うことの原点があったのではないかということ。こういう機会は今までなかったので、新鮮で不思議な体験でした。



  日常に追われている中にも、たまには心を澄ましてみる、旅という脱日常の空間で自分と向き合ってみるのも大切なことなのではないかと思いました。

  次回は納涼会になります。

  過去のYMS情報はこちら

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南禅寺③

2013年07月05日 | 史跡めぐり


  最後は天授庵。天授庵は無関普門禅師を奉祀する南禅寺の開山塔で、山内でも最も由緒ある寺院とされています。



  1336年(暦応2年)、『元亨釈書』で有名な南禅寺第十五世、虎関師錬が光厳天皇に願い出て、翌年に開創しました。現存の天授庵は、1602年(慶長7年)に復興したものです。



  本堂前庭(東庭)。枯山水庭園ですが、幾何学模様の石畳に緑苔を配した珍しい造りになっています。



  書院南庭。鎌倉末期から南北朝時代の様式であり、開創当時に作庭されたものと考えられています。



  ちょうど睡蓮が開花しており、見頃でした。

南禅寺

京都府京都市左京区南禅寺福地町



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南禅寺②

2013年07月04日 | 史跡めぐり


 本坊(写真左)。本坊とは、住職の住む僧坊のことです。写真右は、南禅寺第八代管長、嶋田菊僊による「瑞龍」の書。「瑞龍」とは南禅寺の山号です。



  予約すれば「滝の間」で清涼の滝を眺めながら抹茶を頂くことができるそうです。



  本坊の左側には方丈へと続く唐破風の大玄関があります。



  国宝でもある方丈。1611年(慶長16年)に内裏の清涼殿を移築して再建されたものと伝えられています。残念ながら撮影不可でしたが、内部は再現された狩野派による豪華な襖絵で彩られていました。方丈庭園は小堀遠州の作とされ、江戸時代初期の代表的な枯山水庭園です。



  寒山拾得(かんざんじっとく)像。「寒山」も「拾得」も唐代の僧の名前です。奇行で知られ、中国の臨済宗の寺、寒山寺に伝わる二人の伝承を元に絵画などの題材に使われることが多いそうです。左側の絵巻物を開いているのが寒山、右側が拾得です。



 方丈の奥は小方丈となっており、こちらは伏見城からの移築と伝えられています。小方丈には昭和40年代に作庭された庭園が数多くあります。上の写真は如心庭。解脱した心を表す庭で、「心」の字形に石を配置しています。



  1967年(昭和42年)作庭の六道(りくどう)庭。六道輪廻の戒めの庭です。六道とは「六道珍皇寺」でも述べたとおり、仏教で衆生(しゅうじょう:生きとし生けるもの)が死後に赴くとされる6つの世界「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界」のことです。



  蓬莱神仙庭。蓬莱は仙人が住むとされる霊山のことです。南禅寺の地も古くから神仙佳境の地とされてきたそうですが、それはここが「脱殺穴」の穴であることと関係があるのかもしれません。



 鳴滝庭。



 華厳の庭。南禅寺垣と呼ばれる竹垣で有名です。



 『風水パワースポット紀行』で著者が特に良いと述べていた龍吟庭。



  茶席、不識庵(写真左)と窮心亭(写真右)。不識庵は1954年(昭和29年)、亀山法皇の650年御忌の際、茶道宗�衆流八世宗有宗匠から寄進されたもの。窮心亭は1968年(昭和43年)に宗�衆流一門から寄進されたものです。

  「不識」とは、その昔、達磨大師が梁の武帝(在位502年~549年)と対面した際、「私の前にいるのは誰か」と問われ「識らず」と応えたという故事に因むものです。即ち、真の自分を言葉で説明しつくすことはできず、真の自分を知るためには心を窮めていかなければならないという、いかにも禅らしい話です。



 還源庭。

<つづく>

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南禅寺①

2013年07月03日 | 史跡めぐり


  京都・山科にある南禅寺は、1289年(正応4年)、亀山法皇の求めに応じて無関普門禅師によって開山された、日本最初の勅願禅寺です。別格として京都五山、鎌倉五山の上位に位置する格式をもつ臨済宗の禅寺として有名です。

  応仁の乱(1467年)によって伽藍を焼失しましたが、天海と並び徳川家康の懐刀といわれた崇伝が1605年(慶長10年)入山したことによって再建が進みました。



  「高島/宝当(ほうとう)神社」や「鷲林寺(じゅうりんじ)」でもご紹介した山道帰一氏の『風水パワースポット紀行』によると、南禅寺は風水で「脱殺穴」という地形の、気が集まる「穴」に位置しています(上写真。クリックすると拡大します)。脱殺穴には「心身脱落」という意味があり、まさに日本最高の格式を持つ禅寺に相応しい立地といえます。南禅寺を京都五山の第一位としたのは後醍醐天皇、さらに別格としたのは足利義満ですが、昔の人は今よりも風水を重んじたでしょうから、こうしたことを十分理解していたのかもしれません。

風水パワースポット紀行
クリエーター情報なし
メディア総合研究所




  さて、冒頭の写真は中門、その左隣が勅使門です。中門を潜るとほどなくして巨大な三門が見えてきます(写真上)。この三門は、藤堂高虎によって1628年(寛永5年)に寄進されたものです。



  三門を潜り、直進して突き当たるのが法堂。現在の法堂は1909年(明治27年)に再建されたものです。



  須弥壇の中央が釈迦如来像、右側が文殊菩薩像、左側が普賢菩薩像です。天井には、日本画家、今尾景年作と伝えられる幡龍が描かれています。



  法堂から右手に進むと、煉瓦造りの水道橋、「水路閣」が見えてきます。水路閣は1881年(明治18年)に当時の京都府知事北垣国道の発案により、工学博士田辺朔郎を康司主任として起工、1890年(明治23年)に竣工しました。



  琵琶湖疏水事業の一環として造られたもので、延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mあります。明治維新からわずか20年ほどの時期に日本人のみによって設計・施行された近代水道橋として、土木技術史の点から見ても大変貴重な遺物なのだそうです。



  南禅院。亀山法皇が南禅寺開山の際に寄進した離宮の跡で、いわば南禅寺発祥の地です。



  亀山法皇作庭と伝えられる庭園は鎌倉時代末期の面影を残しており、静寂で落ち着いた雰囲気です。



  方丈は1703年(元禄16年)、桂昌院の寄進により再建されたもので、中央に亀山法皇御木像が安置されています。襖絵の水墨画は狩野養朴と如川隋川によるものだそうです。



  庭園の東隅には、亀山法皇の御廟があります。

<つづく>

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2013年6月アクセスランキング

2013年07月02日 | 人気記事ランキング
  2013年6月にアクセスの多かった記事、ベスト10です。

  当月のベスト10は2位の「エコノミーとエコロジーの語源」を除き、全て月内にアップした記事となりました。

  YMS関連の記事が群を抜いて1位、3位の「ch249420 大相撲千秋楽 表彰式」は記事そのものは5位でしたが、フォトチャンネルにより多くのアクセスが集まりました。フォトチャンネルの方が微妙にアップが早かったというのもあるかと思います。

  6位の「韓国プロ野球2013 斗山vsロッテ6回戦」はマイナーな話題だと思っていたのですが、意外と多くのアクセスが集まりました。そういう点では、更新後間もないにもかかわらず「2013 パールボウルトーナメント決勝 鹿島vs富士通」も同様です。

  マイナーな話題という点では、8位、9位に入った「西生浦倭城」、「機張倭城」も意外に多くのアクセスがありました。

1 第35回YMSを開催しました
2 エコノミーとエコロジーの語源
3 ch249420 大相撲千秋楽 表彰式
4 總持寺(横浜市鶴見区)
5 大相撲5月場所千秋楽(2013)
6 韓国プロ野球2013 斗山vsロッテ6回戦
7 2013 パールボウルトーナメント決勝 鹿島vs富士通
8 西生浦倭城
9 機張倭城
10 筆跡心理学と交流分析との照合

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鷲林寺(じゅうりんじ)

2013年07月01日 | 史跡めぐり


  阪急夙川駅からバスで17分、鷲林寺バス停から曲がりくねった急な坂道を約10分。六甲山地の麓に真言宗・六甲山鷲林寺はあります。飲み過ぎで運動不足の体にはちょうど良い浄化となりました。

  鷲林寺は833年(天長10年)、空海(弘法大師)によって創建されました。お寺に掲示されていた「鷲林寺縁起」によると、観音道場を開くための地を求めていた弘法大師が廣田神社に宿泊されていた時、夢枕に仙人が現れ、この地を教示されたそうです。それに従い大師が入山したところ、「ソランジン」と呼ばれる大鷲が現れ、大師の邪魔をしました。大師は加持を行い、大鷲を桜の木に封じ込めました。その経緯から「鷲林寺」と名づけられたのだそうです。



  1578年(天正8年)に荒木村重の乱が起こると、織田信長により焼き払われ、昭和に入ってようやく復興されました。そのため、現在の建物はみな新しいものです。



多宝塔。



八大龍王。



弁財天池。



  七重石塔。13世紀終わりから14世紀頃に造られたとされる石塔で、武田信玄が得度した際、毛髪をここに埋めたと伝えられています。



  さて、山道帰一氏の『風水パワースポット紀行』によると、鷲林寺をとりまく地形は風水でいう四神相応という好適地に当たるのだそうです(上の写真をクリックすると拡大します)。すなわち、玄武に当たる六甲山から流れてくる気の溜まる明堂という位置に鷲林寺があり、ここがちょうどパワースポットとなるわけです。弘法大師が鷲林寺を開いた時の伝説も何かこの地が持つエネルギーと関係があるのかもしれません。



  さらにその先には、甲山が案山となって、気が流出するのを防いでいます。理由は分かりませんが、何となく気になって撮影した上の写真、これが甲山です。

鷲林寺

兵庫県西宮市鷲林寺町4-8



風水パワースポット紀行
山道 帰一
メディア総合研究所


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