窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

これだけ身近なのに、知らなかったお米の世界

2024年09月25日 | レビュー(本・映画等)


 海外出張中に、奥歯が欠けていることに気づいた窪田です。帰国したらまた歯医者さんのお世話にならなければなりません。

 さて、行きの機内で芦垣裕さんの『米ビジネス』を読みました。アメリカのビジネスではなく、文字通りお米(ご飯)の話です。読み終わっての感想ですが、日本人の主食といわれ、これほどまでに身近な存在にもかかわらず、ほんのちょっとしたことさえ全く知らなかったのだなという、自身の無知を再認識させられました。

 本書は、僕のような素人でも楽しく読めるように書かれ、まるでお米の博物館を見学しているような気にさせられる、お米に関する豆知識、生活に役立つヒントの宝庫です。まず開くと、小さな字がびっしり。予想以上の充実した内容に驚きました。

1章:米ビジネスの概要
2章:品種について
3章:稲作について
4章:加工について
5章:流通について
6章:小売について
7章:炊き方について
8章:外食とお弁当について
9章:お米のこれからについて

 個人的な見解ですが、大まかに見て、お米は米単体として食べることを前提に「美味しいご飯」を追求した縦方向の発展と、加工の多様化といった横方向の展開があったように思います。前者の美味しいご飯の追求は、淡白な穀物であるお米の繊細な味や香りに深く拘る。それと付随して、美味しく炊けるお釜の開発も繊細な方向に深まっていく。結果として、そうしたことが日本の米食文化の特徴となっていくわけですが、そういう姿勢はこれからも失わないで欲しいなと思います。例えば、カレーライスのためのお米のブレンドとか、まったく驚きました。

 本書を通じて初めて知ったことですが、それぞれの品種に大まかな特徴がありつつも、気候、土壌、水、肥料、育て方などによって、違った味わいのお米になってしまう。安定した品質を出すためにお米をブレンドすることもあれば、1農家で個性的なお米を生産することもある。品種によって、合うおかずも異なる。これらのような特徴は、まるでワインやウィスキーのようであり、お茶碗に盛られた、見慣れた白いご飯に、それほどまでの繊細さ、奥深さがあろうとは本当に思いもよらぬことでした。こうしたことを知ると、これからのご飯の見え方が変わってきますし、本書がくれるちょっとしたヒントを頼りに、日々の食事がもっと楽しくなっていくと思います。

 現在、東南アジアにいますが、ここにはまた日本と異なるお米の文化があります。芦垣さんの本を読んだことで、異国のお米文化についても相対的に見えるようになると思いますし、それもまた楽しみです。



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分も良し、相手も良し、雰囲気も良しー第65回燮(やわらぎ)会

2024年09月22日 | 交渉アナリスト関係


 9月20日、オンラインで開催された、第65回燮会が開催されました。燮会は日本交渉協会が主催する交渉アナリスト1級会員のための勉強会です。



 二部構成で行われる今回の燮会の第Ⅰ部は、いつもの「交渉理論研究」第24回。「統合型交渉の理論(4)非協力的な相手」と題してお話ししました。統合型交渉の理論の最終回になります。



 これまでの議論は、双方の交渉者が「テンプレート」と呼ばれる表を作成し、そこで開示される各交渉問題の重要度、各問題で合意可能な選択肢に基づき、価値を交換するという方法で進められてきました。この、いわば完全情報を前提としたやり方をFOTE(Full Open True Exchange)と言います。しかし今回は、相手がテンプレートを作成せず、部分的にしか情報を開示しないPOTE(Partial Open True Exchange)と呼ばれる、より現実の交渉に近い想定で議論を進めます。

 この場合、自分(AAA)はテンプレートを作成するのは自由ですので、最初にテンプレートを作成し、自分自身の個々の問題に対する重要度、各問題の解決策に対する価値を明確にしておきます。また、この交渉で最低限獲得したい価値、すなわち留保点(RV)も決めておきます。この場合、留保点は各問題ごとではなく、各課題の合意の総体(契約)に対して設定します。なぜなら、各問題ごとに留保点を設定してしまうと、それが価値交換の足枷となるなるためです。



 最初の交渉。今回は情報を部分的にしか公開しないので、各問題の重要度は定性的にしか分からない(ここでは、高中低の3段階)ものとします。価値交換は、双方の価値に相違がある場合の方が容易であるため、まず10個の問題のうち、問題の重要度に差のある6個の問題を1セットとして交渉することとします。ここで重要なルールとして、交渉の結果得られた各問題の合意は、後で変更可能な「暫定合意」であることとします。

 こちらはテンプレートを作成しているため、交渉結果を定量的に評価することができます。交渉の結果、AAAは48点を獲得しました。留保点を52点と設定していたため、4つの課題を残して悪くない結果だと言えます。さて、残る4課題の交渉で4点を獲得すれば、AAAはとりあえず留保点に到達します。しかし、交渉はできるだけ野心的な目標を設定した方が良い結果に結びつくことが多いとAAAは知っているので、2回目の交渉に向け、より野心的な目標(アスピレーションレベル:AL)を目指すことにしました。

 AAAは考えます、仮に交渉相手(BBB)が獲得する価値がゼロで、自分が全ての価値を総取りできたとすれば、最大実現可能価値は100です。しかし、双方留保点以下では合意しませんので、実際の最大実現可能価値は100-RVb(BBBの留保点)となります。BBBの留保点がどこかは分からないので、AAAは最大実現可能価値を75点と仮定しました。AAAから見て、留保点に上乗せして実現できる価値の余剰は75-52=23点となります。

 しかし、最大実現可能価値を本当に実現しようとすると、その結果はBBBにとって著しく不満足なものであり、交渉も必然的に分配型となってしまいます。いくら目標は野心的な方が良いとは言っても、恐らくこれでは交渉そのものが成立しないでしょう。そこで、AAAは余剰の60%を達成できれば十分野心的であると考えました。AAAのアスピレーションレベルは、52+0.6×23=65.8点となりました。



 2回目の交渉。残る4問題をまとめて交渉します。1回目の交渉で信頼が構築されたと考えたAAAは、BBBに対し、4問題についてはテンプレートで定量的に評価しませんかと提案しました。BBBは驚いた様子でしたが、合意しました。2回目の交渉で、AAAの獲得した価値は何と67.4点となり、アスピレーションレベルをも上回りました。BBBも満足そうであり、交渉は大成功に終わりました。



 さて、ここからさらに価値を創造する方法があります。ライファが提唱する「合意後の合意」という方法で、先ほどの合意そのものを暫定合意とし、それをBATNAとすることでオープンに交渉するというものです。この方法は、交渉結果が不服であればBATNAに戻ってそれを最終合意とすればよいので、より正直な情報交換を促します。「合意後の合意」の結果、双方最終合意に至り、AAAの価値は71点に達しました。最大実現可能価値を75点と想定していたことを考えれば、ほぼ理想に近い結果を得たのではないでしょうか?



 第Ⅱ部は、1級会員の高橋道生さんより、「交渉と心理的作用について」と題してお話しいただきました。高橋さんは、「心理交渉術スペシャリスト」と呼ばれる、交渉アナリストとは別の民間資格をお持ちで、今回はそちらの視点からお話しいただきました。
「相手も自分も納得いく結果を、良い雰囲気で達成できることを目標としているため交渉学を学んでいる」とおっしゃる高橋さんが、交渉時に効果的な心理対策として大切にされているポイントを順番に挙げていきます。

1.「好ましい人」だと思われたい

 「上機嫌」、「よく笑う」、「(他の人と一味違う)好ましい人柄の評判が立つ」ことが、交渉結果に良い影響をもたらすことが、実験で明らかになっているそうです。特に日本人は、「交渉が上手くいった要因」として、「相手を心地よくさせられたか」を挙げる人が、他国の人と比べ多かったそうです。

2.第一印象の大切さ

 初回の交渉での第一印象の影響は大きく、それを覆すのは容易ではないそうです。実験によると、最初の交渉で成功すると、次の交渉でも成功し、最初の交渉で失敗すると、次の交渉でも失敗する傾向があったそうです。

3.雑談

 前述の第一印象はもちろん、これから交渉を円滑に始めるためにも、アドリブでない、アイスブレイクとなる雑談は重要です。例えば、自己紹介の際、名前を覚えてもらうための工夫をしたり、高橋さんの場合、アメリカ留学時に、名前が「Michio」なので、ミッキーマウスのネクタイを着用して会話の取っ掛かりにすることもあったそうです。

4.しぐさから読み取る相手の心理状況

とは言え、自分本位ではなく、相手の心理状況に気を配ることが大切。そのためには、交渉前はもちろん、交渉中に現れる相手の非言語情報(しぐさ、表情など)を読み取り、相手の本当の感情や真意を汲み取る姿勢を見せます。

5.心を解きほぐす

 「好ましい人」だと思われるようにするのは、それが信頼を生むからです。信頼が生まれるようにするのは、それが交渉の良い結果につながるからです。他者からの好意を生む方法としては、上記に挙げた方法以外にも、単純接触効果(ザイアンス効果)、ミラーリング、We話法などがあります。

6.接触の取り方

  対面、電話、メールといったコミュニケーション手段の中で、対面が最も望ましいと言われますが、必ずそうであるとは限りません。状況や自他の性格に応じて使い分けるのが良いようです。例えば、相手に好かれているなら対面で、嫌われているならメールでと言うように。また、実験ではコミュニケーション手段に対する好みに男女差があることが分かっており、男性は対面を好ましいと感じていたのに対し、女性はメールなどの手段の方が好ましいと感じていたそうです。もちろん、全ての男女にこれがあてはまるというわけではありません。

7.頼みごとの承諾は、報酬と比例するのか?

 実験結果による結論から言うと、報酬による差はなかったそうです。金額よりも「報酬を渡す」という気持ちが大切なようです。

8.雰囲気作りが大切

 和やかな雰囲気は、安心感を与え、交渉に協力的な姿勢を引き出します。一言でいうと「身体を包み込むような優しさ」で、部屋の温度、温かい飲み物、甘いお菓子、良い香りなどに気を配ります。暖色、観葉植物、明るい照明なども影響を与えます。船舶関係のお仕事をされている高橋さんは、雨天での荷下ろしの際、積み荷を濡らさないよう、都度ハッチを閉めてもらうお願いをしていました。それは運送業者として当然のことなのですが、船員にとって大きな負担となるのも事実でした。そこで高橋さんは、そのようなお願いに行く際、必ず船長さんに温かい缶コーヒーを持って行っていたそうです。

9.主導権の取り方

 相手をさり気なく誘導していく方法です。あからさまに誘導しようとすると、人は操作されていると感じ、抵抗します。そこで、直接的に要求や提案をするのではなく、相手に意見を求めたり、考えさせたりする、あるいは選択肢を用意して選ばせることで、相手に「自分で選択した」と無意識に感じさせます。前者を「結論留保」、後者を「オプション法」と言います。

10.得する声

 「分かってはいるけど、そこまでの心の余裕が…」と高橋さんは謙虚におっしゃっていましたが、実験によれば、「魅力的」だと評価された人の声には、以下のような特徴があったそうです。

①言葉が明瞭である
②トーンは低め
③大きさは大きめ
④発音、発声が鼻にかからない

11.心理作戦はバレてしまったら逆効果

 当たり前のことですが、これまで挙げてきた心理テクニックは、さり気なく使うもので、操作されていると相手が感じれば、それは逆効果になってしまいます。僕が知っている例では、交渉が終わった後、手の内をSNS上で自慢気に晒している人がいました。笑いごとのようですが、今の時代、意外と落とし穴になっているかもしれません。

12.プレゼンテーション

 伝えたいことは左側に。文字は大きく、少なめに。訴求ポイントはさり気なく挿入しておくだけでも効果的。ロゴやキャッチコピーなど印象付けたいものは、数回(3回程度)登場させます。

 今回は以上ですが、高橋さんが交渉の心理的側面に関心を持たれたのは、交渉の際に、「いかに相手に自分の気持ちを伝え、仕事を達成することができるのか?」悩んでいたことからだったそうです。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近江八幡はしご酒②ーてまり(近江八幡)

2024年09月18日 | 食べ歩きデータベース


 「だんない」から直線で戻ること220m。今年3月にリニューアルオープンしたという、こちらも内装が新しいお店「てまり」は、魚でまとめました。前のお店に続き、ここでもビワマス(刺身)。

 

 新さんまが入ったというので、塩焼きと刺身を両方頼みました。驚いたのはお魚の鮮度。お店のHPに鮮度に自信ありとありましたが、いやまさに。まだ出始めのさんまですが、美味しかったです。

 

 そして、このヤリイカの活き作り。これだけ透明なイカは、福岡以外で初めて見ました。しかも、滋賀は海なし県です。下足は天ぷらにしてもらいました。



 締めは目に留まってしまった、潮ラーメン。

 なお、この2軒で飲んだお酒は、

●瀬古酒造 忍者…フルーティな辛口
●喜楽長 辛口 純米吟醸

など、滋賀県のお酒を中心にまとめました。

味処 てまり



滋賀県近江八幡市鷹飼町1547-1 Nハウス1F



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近江八幡はしご酒①ーだんない(近江八幡)

2024年09月17日 | 食べ歩きデータベース


 今日、明日お届けするのは、近江博物館見学の前日、9月5日近江八幡でのはしご酒です。ただし、お酒は登場しませんのでご了承ください。

 1軒目は近江八幡駅からほぼ直線550mほどのところにある、「だんない」。内装は新しくモダンな雰囲気で、個室の小上がりがあるのも嬉しいですね。お酒と近江牛を使った数々の料理がメインのお店ですが、翌日が肉だと分かっていたので、珍味でまとめました。次回は是非肉料理をいただこうと思います。まず冒頭の写真は、日本では琵琶湖のみに生息する固有亜種、ビワマスの握り。見た目よりはさっぱりとしていました。



 近江八幡名物、「赤こんにゃくのレバ刺し風」。見た目は本当にレバ刺しそっくり。三二酸化鉄で染めているために赤く、蒟蒻なのでカルシウムや食物繊維が豊富。レバーのヘルシーな代用品になりそうですが、味はやはり蒟蒻です。



 「近江牛いぶの天ぷら」。「いぶ」とは肺のことだそうです。牛に限らず、肺を食べるなんて初めてのことです。味はあまりなく、食感は何とも形容しがたいですが、スポンジとゴムの中間といった感じ。好き嫌いが分かれそうですが、近江八幡でもこのお店だけということで、珍しい経験でした。



 こちらも刺身として食べるのは恐らく初めてだと思いますが、「近江牛ハツ刺し」。もっと砂肝のような食感を予想していましたが、思いの外柔らかく、うま味がありました。



 「だんない特製牛刺し」。とてもトロっとして柔らかく、胃にももたれず。お酒に合わせるにはおすすめの逸品です。



 ランチは唐揚げ定食が名物だというので、最後は唐揚げで締めました。

DANnai<だんない> 近江八幡店



滋賀県近江八幡市桜宮町219-1



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

驚きの価格で近江牛食べ放題-MAWARI(近江八幡)

2024年09月13日 | 食べ歩きデータベース


 以前ブログで、牛はあまり食べないというようなことを書いた気がしますが、最近焼き肉の投稿が多くなっていますね。9月6日、近江八幡駅近くの「近江牛焼肉 MAWARI」さんへ行ってきました。食べ放題焼肉というと、質の面でちょっと…というイメージがあり、また量を志向する歳でもないので、まず行くことはなかったのですが、なかなかどうして質もよく、それでいてこれからご紹介しますが、これだけ食べても4,500円食べ放題という驚きの価格。しかも、今回ご紹介するのはお酒やサイドメニューをすべて省いた肉のみです(写真を撮り忘れましたが、「花咲カルビ」や「近江牛ホルモン」も頼んでいます)。

 では、早速参りましょう。まずは何といっても名物から、

 

 しゃぶしゃぶ肉のような、大きな薄切り肉の「近江牛大判カルビ」。薄いためあっという間に火が通るので、ほぼ片面焼きでも良いくらい。お店のたれが独特でおいしかったですが、ここはピンク岩塩がおすすめ。



 「ガリバタ上ハラミステーキ」。最近感じるのですが、バター系のグルメって多いですよね?鶴見の「三年目の浮気」でもガーリックバターのタンがありましたし、地元「大苑」には、イベリコ豚のガーリックバターフォンデュがあります。



 「近江牛肉寿司」は軽く炙った牛カルビと中トロ。普通のお寿司より一回り小さいので、一口でどんどん入ってしまいます。肉寿司だけでついお腹いっぱいになってしまわないよう、注意。

 

 「牛タン塩」。レモンはテーブルにありませんが、頼めば持ってきてくれます。

 

 厚切りの「上ハラミ」。



 「炙りすき焼きハラミ」。先ほどの上ハラミと違い、すき焼き風に薄切りにし、タレに付け込んだハラミ。以前ブログでご紹介した、「闇市酒場」の「壺漬けハラミ」のような感じです。



 「国産牛レアステーキユッケ」。卵も濃厚で、こだわりがあるのではないかと思います。「幸喜屋」のような、短冊状にカットしたタイプのユッケです。



 これも軽く火を入れた薄切り肉をタレに漬け込んだ、「国産牛レアステーキ」。焼き肉の後に少しさっぱり目にお肉を味わうことができます。

 これらに冒頭でも書いたように、写真を撮り忘れた「花咲カルビ」と「近江牛ホルモン」が加わります。これで4,500円食べ放題!早い時間からお店が賑わっているのも頷けます。

 二次会へ行く元気は残っていませんでした…。

近江牛焼肉 MAWARI 近江八幡店



滋賀県近江八幡市鷹飼町526-2



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生を変え、組織を変え、地域を変えるキャリアツーリズム®ー第168回YMS

2024年09月12日 | YMS情報


 9月11日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第166回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。今回は、株式会社せんのみなと 代表取締役社長 高崎澄香様より、「非日常の体験で人生を変える『キャリアツーリズム®』」と題してお話しいただきました。



 僕が「キャリアツーリズム®」について初めて聞いたのは、昨年3月にZOOMでの勉強会でお話しさせていただいた時です。その時参加されていた、同社共同代表の長嶺将也さんに「ぜひYMSでお話を」とお願いしたのが同年6月、それから1年3ヶ月を経てようやく実現の運びとなりました(YMSは大抵1年先までの講師が確定しているため、どうしてもお待たせしてしまうことになってしまいます)。遠く、千葉県香取市からお越しいただきありがとうございます(Googleマップで調べたところ、「せんのみなと」さんが出てきました)



 さて、高崎さんは2021年に千葉県香取市で株式会社せんのみなとを創業。築100年の古民家を改装し、「泊れるキャリア相談所」として活用されています。元々人材紹介会社でコンサルタントをされていた高崎さん、コロナ禍で恐らくメンタルの面で休職していく人が相次ぐ状況の中、「遊びながら、事業しながら、社会に役立つ」、人間らしい生き方、人間らしい世界を目指し、古民家から組織コンサルティング、キャリア支援、キャリアツーリズム®の研究・推進を行っておられます。

 そんなお二人は、会社のパーパス、『体験と会話で生業の可能性を拡げ「ここにいて良かった」と誇れる人・社会を共創すること』を非常に大切にされています。オンライン上とはいえ、僕が長嶺さんとお会いしたのも、自分のパーパス、企業のパーパスについて考える勉強会、「実践型パーパス経営ラボ」においてでした。このパーパスがどういうことなのか、後のお話で明らかになります。

 まず、「キャリアツーリズム®」に先立ち、なぜ都会から離れた古民家に宿泊して自身のキャリアについて考えるのか?ということについてですが、「日常から離れること」に大きな意味があります。非日常的な空間に身を置き、リラックスした環境で、時にはお酒を酌み交わしながら対話する。そうすることで、日常の思考の枠組みを外れ、より深く自己を見つめたり、環境のとらえ方が転換したりすることが期待できます。

 もう一つ、「キャリアツーリズム®」に連なる大きな出来事として、2022年に、「キャリア相談だけで日本一周できるか?」という、広報を兼ねたプロジェクトを実施されたそうです。それも相談料は任意の物々交換で。それこそ缶コーヒー1本という方もいらっしゃれば、数万円という方もいたそうです。この各地を回ったことが、全国の地域事業者とコミュニティづくりを推進するきっかけとなりました。

 いよいよ、「キャリアツーリズム®」についてのお話です。そもそも人はなぜ旅をするのか、その動機や目的はそれこそ十人十色の多様な価値観があると思いますが、キャリアツーリズム®は「旅」が持つ性質を利用して、「自身でキャリアを切り拓く力を身に着けること」を目的としています。キャリア相談に旅を結びつけることで、例えば次のようなことが期待できます。

1. 物理的な移動…一言でいえば「気分転換」ですが、日常から離れた環境に身を置くことは、精神的にリフレッシュすることが分かっており、これを「転地効果」と言います。リラックスした環境に身を置くことで、普段気づかなかった本音が浮かび上がってくることがあります。僕も閃きやパラダイムシフトは、海外出張した先のホテルで起こることが多かった気がします。
2. 第三者との対話…キャリアツーリズム®では、旅先で出会う、バックグラウンドの全く異なる第三者と対話することになります。そこでは、第三者からの「問い」を通じて自己理解を深め、潜在意識下に眠っていた価値観などを顕在化していきます。例えば、都会に暮らす農業とは全く縁のない相談者が、農家の人から発せられる予想外の切り口からの「問い」により、パラダイムシフトが促される可能性があります。
3. 異なる価値観と文化…キャリアツーリズム®は一種の越境学習ですが、異なる価値観と文化に触れることは自己理解や成長を促す効果が期待できます。
4. 目指す方向性…対話を通じて、自分と組織のパーパスを明らかにします。

 この他、そもそも既存の枠組みから外れる経験をすることで、想定外のことにチャレンジできるようになります。また、受け入れる地域の方も、外部から異なるバックグラウンドを持った人々と交流することにより刺激になるようです。近年、メディカルツーリズムやウェルネスツーリズムが世界的に盛んになっていますが、将来的に「自己理解と成長、そして共創」を目的として外国人が来日するようなことにも繋げていきたいとおっしゃっていました。

 キャリアツーリズム®は、下図のような個人の行動変容のメカニズムを刺激するものと言ってよいでしょう。



 なぜ今、キャリアツーリズム®なのか?それには、日本における働き方、キャリアの重ね方の変化が背景にあります。大雑把に言えば、企業が個人のキャリアを用意し、一つの組織の中で評価されることが社会的成功とイコールだった時代から、様々な場所で経験を積み、自分自身の成功のために自ら進む形への変化です。後者を「キャリア自律」と呼んでいます。キャリア自律型の時代は、決して組織と個人が対立関係にあるのではなく、むしろパーパスを共有しながら良い関係性を築いていくことが重要になります。

 なぜなら、キャリア自律型の人は、雇用の安定性や働く仲間との関係性(これらも重要ですが)よりも達成感やパーパスへの共感、成長を重視しているからであり、そうした個人で構成される組織は、むしろ成長しやすいという関係にあるからです(下図)。





 さて、ここでワークショップを行いました。最初に個人で、以下の問いについて考えます。

問.あなたが考える理想の町についてイメージしてみて下さい。

 次に、グループで次の問いについてディスカッションしました。

問.チームで理想の街をつくるとしたら、

・どんな雰囲気で どんな人がいるか?
・何を大事にしている町か?
・その町の中であなたは何をしている人か?
・その町でやっていけないことは何か?

 後で分かったことですが、これはキャリアツーリズムの疑似体験でした。これを物理的に離れた場所に身を置き、(YMSのような知己ではなく)第三者と対話し、時間をかけて行うとさらに深いものになるということです。

 現在、キャリアツーリズム®には以下のような様々なプログラムがあります。

 宮城県三陸…「復興から学ぶレジリエンス」
 和歌山県熊野…「歩く世界遺産 歩いて自分を見つめ歴史を学ぶ」
 千葉県香取…「伊能忠敬とリスキリング」

 キャリアツーリズム®を通じた交流は、コミュニティづくり、地域創生にもつながります。こうしたキャリアツーリズム®の特徴は、以下の5つにまとめられます。

1. 旅とキャリアの研究
2. 実践的なプログラム
3. 組織開発と採用の専門家
4. 地域事業者との連携
5. 地方創生、CSR

 地方との取り組みとしては、キャリアコンサルティングの他、大学でのキャリア講義、地域おこし協力隊のキャリア支援などを行っています。一つの例として、今年、地方のまちづくりや人材の確保、PRやビジネスを通じて地域経済を創発していく「Community Branding Japan」プロジェクトが始まりました。例えば、青森市で廃棄コスメを「ねぶた祭」の山車の染料として再利用するねぶた師の支援、北海道夕張郡長沼町で、本屋減少問題に立ち向かう主婦が立ち上げた、町の小さな本屋さん「KIBAKO」の支援、空き家問題を抱える鳥取県湯梨浜町で古民家を改装したサウナを手掛ける会社のPRおよびブランディング支援などです。

 キャリア支援を行ってきた高崎さんは、その過程で培ったチーム作りの手法は、基本的にまちづくり、仕事づくり、コミュニティづくりでも同じだとおっしゃっていました。YMSも過去何度か、まちづくり、地域創生に携わる人をお招きし、お話を伺ってきました。そうした方々が有機的につながり、さらに大きな力となるといいですね。

【参考:地域づくりをテーマにした過去のYMS】
第162回:「日本の田舎をどうにかしようと思ったら、東南アジアでホテル経営をしていた件」
第152回:「地域の自立・自走を目指す伴走型支援」
第143回:「主力サービスのピボットと社名変更に至る道のり~地方創生の現状と私たちが目指す地域活性化~」
第108回:「沖縄の演劇、芸能活動を通じた地域振興の取り組みについて」

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

過去のセミナーレポートはこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国登録有形文化財の旧商家でランチー近江商人亭(愛知郡愛荘町)

2024年09月11日 | 食べ歩きデータベース


 7月に日野商人の商家を改装した「石挽そば 守貞」をご紹介しました。大城神社参拝の後、ランチに寄ったのは、国登録有形文化財にも指定されている愛知川(えちがわ)の麻織物商の別邸を改装した、「近江商人亭」です。

 お店のHPによれば、1892年(明治25年)に南土蔵を再利用し、1919年(大正8年)に主屋を新築。いずれにしても100年以上の歴史がある建物です。旧中山道に沿ったこの辺りは、かつて愛知川宿と呼ばれた宿場町でした。



 玄関を入ると、土間に井戸、奥に土蔵が見えます。

  

 食事は、広い庭を見渡せる大広間で、静かにゆったりと楽しめます。



 お昼は松花堂弁当。滋賀の名物、赤こんにゃく煮やホンモロコの佃煮もあり、お昼としてはかなりのボリュームで大満足でした。

近江商人亭



滋賀県愛知郡愛荘町中宿51



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大城神社(東近江市五個荘)

2024年09月10日 | 史跡めぐり


 近江商人博物館を見学し、今も近江商人屋敷の残るこの地であれば、必ず近江商人が祈願しただろう神社があるはずだと思い、博物館で案内してくれた方に聞いたところ、すぐ近くにありました。大城神社というところで、テレビを見ないので知りませんでしたが、少し前の朝の連ドラ『カムカムエヴリバディ』(2021年~2022年)で重要な舞台となった神社だそうです。



 大城神社の由緒は古く、621年(推古天皇29年)に厩戸皇子(聖徳太子)が金堂寺を建立し、その護法鎮護のため、この大城の地に社殿を造ったのが始まりとされます。現在も町名を金堂町と言います。1170年(嘉応2年)、現在の場所に社殿を改造し、天満天神(菅原道真公の神霊)、大梵天王、八幡大神を合祀し、五個荘の産土神(土地の守護神)としました。それにより、この頃から天満宮と称されるようになりました。1869年(明治3年)、恐らく前年の神仏分離令により、現在の大城神社という名称になりました。



 ここは、観音寺城から見て北東にあたります。北東は日本の風水で「鬼門」、つまり邪気が入ってくる方角とされたため、その方角を守る城の守護神として、室町時代の近江守護であった佐々木六角氏からは特に崇敬されました。しかし、1568年(永禄11年)、箕作城の戦い(観音寺城の戦い)に伴う佐々木六角氏の没落により、社殿記録等が失われました。

 1831年(天保2年)、大梵天王を五箇神社分祀。1855年(安政2年)、八幡宮を結神社に分祀。残るは天神様で、境内には太宰府天満宮にもある御神牛の青銅像が3体ありました。写真を撮り忘れてしまったのですが、御神牛は必ず座った姿勢の「臥牛」です。これは菅原道真公が亡くなった際、遺言により御遺骸を牛車に曳かせたところ、牛が座り込んで動かなくなり、その場所に埋葬されたという言い伝えによります(その場所が、現在の太宰府天満宮になりました)。



 かつては表鳥居から、御旅所(神社の祭礼で、神が休憩する、つまり神輿を鎮座する場所)に至る2丁(1丁は109.09m)ほどを桜馬場と言い、両側に桜を植えた小堤があったそうです。しかし、その桜は1860年(万延元年)に曳山車(ひきやま)を造るにため伐採されたとのこと。現在は見る限り、桜はなさそうですね。



 楼門。最後は、参拝して終えました。

大城神社



滋賀県東近江市五個荘金堂町66



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近江商人博物館(東近江市五個荘)

2024年09月09日 | その他


 9月6日、近江商人について学ぶため、近江商人発祥の地、五個荘にある「近江商人博物館」へ行ってきました。近江商人については、『てんびんの詩』のDVDと漫画、それに『近江商人学入門 改訂版: CSRの源流 三方よし』が分かりやすかったですが、やはり現地に足を運んでビジュアル的に感じたい思いは以前からありました。





 残念ながら館内は撮影禁止だったため、画像はありませんが、見学した展示物に沿って要点をまとめたいと思います。

1.古代

 五個荘は古代から交通の要衝でした。近江は三角縁神獣鏡などが出土するなど、弥生時代、古墳時代より出雲など周辺地域と交易があったことが分かっています。



 古代、五個荘付近は、現在の京都に至る東山道と伊勢に至る東風街道が分岐する位置にあり、地図を見てもまさに東西を結ぶ要衝地であったことが分かります。現在の地図で見ると、より琵琶湖沿岸の土地の方が通りやすそうですが、現在安土城址や八幡山城址があるあたりは、昭和の初めに干拓された土地で、それまでは大中の湖、伊庭内湖、弁天内湖といった琵琶湖の内湖でした。安土城が築かれた安土山と、観音寺城が築かれた繖(きぬがさ)山の間に彦根街道が整備されるのは江戸時代になってからであり、それを考えると、この土地の重要性が分かります。中世、近江守護の佐々木六角氏が観音寺城を居城としたのもまさにこの理由によります。

2.中世・近世

 さて、室町時代に入ると貨幣の流通で商業が発展しました。この頃の商業地は、市庭(いちば)または座と呼ばれる定期市で、座商人と呼ばれる、貴族や寺社などに金銭を払って営業特権を得た商人が商売をしていました。現在も二日市、五日市、八日市、十日市、廿日市といった地名が全国いたるところにみられますが、これらはこの定期市の名残です。やがて、戦国大名がこの特権を廃し、楽市または楽座が開かれるようになります。楽市・楽座というと、織田信長が岐阜や安土で施行したものが有名ですが、佐々木六角氏は信長に先駆け、観音寺城下で楽市を行っています。

 そうした座商人に、五個荘を拠点する小幡商人が登場します。彼らは若狭から伊勢にかけて手広く活躍しました。彼らは、鈴鹿山脈を越え伊勢方面と取引したので、山越商人とも呼ばれています。この山越えは、今でも車で通ると感じますが、難所の上、山賊にも遭遇しねない命がけの仕事だったようです。しかし、やがて伊勢方面へ通商を行っていた四本商人(小幡・保内・沓掛・石塔)の一角である保内商人との争いが激化。小幡商人は安土城下へ移り、継いで八幡山城下へと移ります。小幡商人は、五個荘商人、そして近江商人の一つに数えられる八幡商人のルーツとなりました。



3.近江商人の活躍

 近江商人とは、江戸時代から明治にかけ、近江に本拠を置き、他国で行商を行った商人のことを指します(意外なことですが、近江国内限定で商売をしていた商人は、近江商人に含まれません)。五個荘、八幡、日野などから特に多く輩出されました。湖西の高島を含める場合もあります。近江商人は、日本の近世、近代の商業発展に大きく貢献しました。現在に至る、名だたる大企業が近江商人にルーツを持っています。

 その発祥と言われる五個荘商人は、呉服や綿、絹織物など繊維を主に扱いました。「諸国産物廻し」といって、近江商人たちは各地のニーズの違い、そこから起こる価格差に目をつけ(例えば、京の古着は東北で重宝され、高く売れたそうです)、関西から関東など地方への「持ち下り荷」、地方から関西や江戸に向けた「登せ荷」を廻して利益を上げました(「鋸商売」とも呼ばれます)。

4.商人教育

 展示物を見ていて特に印象的だったのは、江戸時代の商人教育の水準の高さです。江戸時代の初等教育といえば寺子屋ですが、五個荘は人口の割に寺子屋が多かったようです。10ヶ所あった寺子屋のうち、7ヶ所で読み・書き・算盤を教えていました。識字率の高さだけでなく、算術の普及も全国平均を大きく上回っていたようです。博物館には、四書五経(論語・大学・中庸・孟子、易経・詩経・書経・礼記・春秋)、小学といった儒教経典の他、江戸時代の算術の教科書である塵劫記も展示されていました。これは、寺子屋教育が子供だけに行われたものではないことを示しています。代表的な寺子屋に、医師であった中村義通が五個荘町宮荘村に開いた時習斎があります。

 女子教育についても、寺子屋に通う女子の比率は全国平均より高かったようです。近江商人はその本質が他国での行商にあるので、主人はほとんど家におらず、商家の妻は「関東後家」と呼ばれていたそうです。その分、留守を預かるものとして、家政のみならず丁稚の教育など店の運営にも大きな役割を担っていました。現在の相撲部屋の女将さんに似ていますね。したがって、女性にも高い教養と人格が求められたことは言うまでもありません。近江商人の女子は、寺子屋から汐踏みといって、他の商家での行儀見習い奉公へ進み、上女中を経て商家の妻となります。近江商人の理念として「三方よし」と並び、「始末して気張る(倹約して努力する)」が有名ですが、女子の見習いの家庭でも、例えば余った布や糸を大事に使う「始末のかたち」が教えられました。また、上女中となった女子が嫁入りする際、嫁入りの支度は育て上げた商家が自分の娘として行い、送り出したそうです。

5.石田梅岩と商人道徳

 こうした高い教育水準を背景に、江戸時代中期には石田梅岩(1685年-1744年)を開祖とする石門心学と呼ばれる倫理学が商人や農村にも広がりました。農村においては、「分度」と「推譲」を基本として全国600ヶ所以上の荒廃した農村を再建した、二宮尊徳(1787年-1856年)が有名です。一方、儒教(朱子学)を倫理の中心に据えていた江戸時代にあって、『論語』の「君子は義に喩り、小人は利に喩る」という言葉が偏狭に解釈された故か、当時の商人は道徳的に卑しめられていました。これに異を唱え、「商人が利益を得るのは天の理にかなったことである」として彼らの道徳的地位を高めることに貢献したのが、石田梅岩とその後の門下生たちだったのです。これは何と、ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(1864年〜1920年)が、著書『プロスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、勤勉、倹約、貯蓄といったプロテスタントの精神が資本主義と適合性を持っていると主張する200年も前のことです。

 梅岩の唱える商人道徳について、質問や批判に答える形で説明した問答集、『都鄙問答』では、「客に誠を尽くし、支払う対価以上の満足を人々に与え、そのことによって社会に貢献すること」が商人の使命であり、あわせて事業の合理化に努めること(これを「倹約」といいます)が説かれています。また、梅岩は仕入先に圧力をかける一方で、売値を吊り上げるようなことをして得た利益を「正当でない利益」として退けました。なぜなら、このような利益は人々に幸福をもたらした対価ではなく、人々からの収奪によって得られたものだからです。

 商人はそうした社会貢献によって初めて自らの持続的発展が可能になります。当時の商人にとって、最も重要なのは当主の繁栄ではなく家業の永続でした。したがって、家業永続のために目先の欲心で信用を失うようなことがあってはならないと梅岩は説いたのです。ちなみに、家業永続という目的に関しては、後継者の能力が足らないと判断された場合、血縁以外の有能な者を後継者としたり、もし当主が能力不足でれば、従業員の総意で当主を引退させるというケースもあったようです。同様のことは嫡子相続が絶対と思われがちな武家社会にさえあり、笠谷和比古氏によると、主君が諫言を聞き入れず暴政を止めない場合、家老達が主君を監禁して隠居させるという「押込」と呼ばれる慣行が江戸時代にはあったそうです。

 このような商人道徳は、その後の日本企業の経営に大きな影響を及ぼしました。







6.近江商人の家訓

 博物館には、近江商人、(二代目)中村治兵衛宗岸が四代目宗哲に遺した2mに及ぶ書置(遺言状)が展示されていました。これは近江商人の精神を表す言葉として有名な、「三方よし(「売り手によし、買い手によし、世間によし」)」の原典であると言われています。展示で見えている第八条には、次のような意味のことが書かれていました。

 たとえ他国へ行商に出かけても、自分が持参した商品を、その国の人々が皆気分よく着用してもらえるように心掛け、自分のことばかりを思うのではなく、まずお客のためを思って、一挙に高利を望まず、何事も天道の恵み次第であると謙虚に身を処し、ひたすら行商先の人々のことを大切に思って、商売をしなければならない。そうすれば、天道にかない心身ともに健康に暮らすことができる。自分の心に悪い心が生じないように、神仏への信心を忘れないこと。地方へ行商に出かけるときは、以上のような心構えが一番大事なことである。このことをよく心掛けることが一番である(引用元)。

 この他、近江商人の家訓または座右の銘として、次のような言葉がありました。

●奢者必不久(奢れる者かならず久しからず)…五個荘商人松居遊見の座右の銘
●好富施其徳(富を好しとし、其の徳を施せ)…八幡商人西川利右衛門の家訓

 こうしたところに、心学の影響が見て取れます。商才に長けた近江商人や倹約家で有名な伊勢商人は、「近江泥棒、伊勢乞食」と揶揄されることもありました。そうしたやっかみもありながら、地元を離れ、他国で商売をして成功した近江商人だからこそ、長期的スパンで信用を得ることの重みを一層身に染みて感じていたのかもしれません。

近江商人博物館



滋賀県東近江市五個荘竜田町583



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初のキックボクシング観戦②-RISE181(後楽園ホール)

2024年09月05日 | スポーツ観戦記


 第7試合、スーパーフェザー級(-60㎏)小出龍哉選手vs近藤大晟選手。近藤選手は道着を着ての入場だったので、フルコンタクト空手の出身なのでしょう。やや後屈立ちの構え。1R早々、プッシュ気味のパンチに見えましたが、ダウンを奪います。9㎝の身長差ということもありましたが、パンチ、キック共に近藤選手が優勢。2R、近藤選手のミドルキックが効きましたが、ダウンとはならず。小出選手も後ろ廻し蹴りや胴廻し回転蹴りを見せますが、強引な印象は否めません。3R、前のラウンドの近藤選手のミドルキックが効いているように見えました。小出選手も気持ちの強さを見せますが、膝蹴りでついにダウン。その後、小出選手のガードが下がり、再び膝蹴りでダウン。結果は判定3-0で近藤選手の勝利。



 第8試合、スーパーフェザー級(-60㎏)勝次選手vsSEIDO選手。この試合で何と80戦目という勝次選手と今年40歳を迎えるSEIDO選手の超ベテラン対決(それでも僕よりは10歳以上若いのですが…)。やはり若い人と比べるとスピード、キレともに落ちますが、それは仕方のないことです。1R、SEIDO選手がバランス良く、よく相手を見てパンチとローキックを上下打ち分けます。途中、勝次選手がふらつく場面、コーナーに追い詰められる場面も。2RもSEIDO選手の間合い。ラスト30から強烈なミドルキックが入りました。勝次選手はその後、左瞼をカット。3R、勝次選手がラッシュをかけます。SEIDO選手もローキックで応戦。両者疲れが見えましたが、最後まで打ち合い、結果は判定2-1でSEIDO選手の勝利。



 第9試合、-52㎏契約、松本天志選手vsJIN選手。1R、JIN選手は相手をよく見て間合いを図ります。序盤彼の間合いだと思ったのですが、松本選手が一気にコーナーに詰めると、ショートフック一閃。一瞬のKOでした。JIN選手は立ち上がることができず、ストレッチャーで運ばれることに。心配です。



 第10試合、RISEバンタム級(-55㎏)タイトルマッチ、初防衛の大崎孔稀選手vs挑戦者大森隆之介選手。タイトルマッチは5R無制限延長Rで行われます。身長差10㎝、1Rは慎重に背丈でハンディのあるチャンピオンが様子を見ているように見えました。初防衛ということで、多少ナーバスになっていたかもしれません。しかし、広い背中、スピードとパワーを兼ね備えたチャンピオンが終了間際、強烈なワンツーでダウンを奪います。2R、攻めなければならない大森選手ですが、なかなか手数が出ません。チャンピオンのパンチの強さがそれを封じているということもあるのでしょう。さらに、偶然のバッティングによって大森選手、左瞼を大きくカットしてしまいます。出血もひどく、たびたび中断する展開に。時折、大森選手もよいミドルキックを返すのですが、大崎選手が手数と有効打で上回ります。3Rに入ると、有利に試合を進めている大崎選手がスパートをかけます。大森選手はなかなか手数が出ません。接近してからの首相撲までいかないギリギリのところで大森選手の頭を押さえる大崎選手の巧みさもありました(1度ホールディングの注意をとられましたが)。そしてラウンド終盤でパンチをまとめてくるところも試合巧者です。5Rになると、さすがにチャンピオンもクリンチに逃れる場面が見られました。最後、大森選手は果敢に攻めましたが、判定3-0(49-47、50-47、50-46)で大崎選手が初防衛を達成。何とも残念でしたが、チャンピオンが上手でした。

 キックボクシングは初めて生観戦しましたが、想像以上に接近して戦う印象です。当然ですが、生半可な気持ちでやれる競技ではなく、詳しいことはわからなくとも、選手それぞれの背中に背負っているものが感じられました。自分も怠惰な中年やっている場合ではないと思いました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする