9月20日、オンラインで開催された、第65回燮会が開催されました。燮会は日本交渉協会が主催する
交渉アナリスト1級会員のための勉強会です。
二部構成で行われる今回の燮会の第Ⅰ部は、いつもの「交渉理論研究」第24回。「統合型交渉の理論(4)非協力的な相手」と題してお話ししました。統合型交渉の理論の最終回になります。
これまでの議論は、双方の交渉者が「テンプレート」と呼ばれる表を作成し、そこで開示される各交渉問題の重要度、各問題で合意可能な選択肢に基づき、価値を交換するという方法で進められてきました。この、いわば完全情報を前提としたやり方をFOTE(Full Open True Exchange)と言います。しかし今回は、相手がテンプレートを作成せず、部分的にしか情報を開示しないPOTE(Partial Open True Exchange)と呼ばれる、より現実の交渉に近い想定で議論を進めます。
この場合、自分(AAA)はテンプレートを作成するのは自由ですので、最初にテンプレートを作成し、自分自身の個々の問題に対する重要度、各問題の解決策に対する価値を明確にしておきます。また、この交渉で最低限獲得したい価値、すなわち留保点(RV)も決めておきます。この場合、留保点は各問題ごとではなく、各課題の合意の総体(契約)に対して設定します。なぜなら、各問題ごとに留保点を設定してしまうと、それが価値交換の足枷となるなるためです。
最初の交渉。今回は情報を部分的にしか公開しないので、各問題の重要度は定性的にしか分からない(ここでは、高中低の3段階)ものとします。価値交換は、双方の価値に相違がある場合の方が容易であるため、まず10個の問題のうち、問題の重要度に差のある6個の問題を1セットとして交渉することとします。ここで重要なルールとして、交渉の結果得られた各問題の合意は、後で変更可能な「暫定合意」であることとします。
こちらはテンプレートを作成しているため、交渉結果を定量的に評価することができます。交渉の結果、AAAは48点を獲得しました。留保点を52点と設定していたため、4つの課題を残して悪くない結果だと言えます。さて、残る4課題の交渉で4点を獲得すれば、AAAはとりあえず留保点に到達します。しかし、交渉はできるだけ野心的な目標を設定した方が良い結果に結びつくことが多いとAAAは知っているので、2回目の交渉に向け、より野心的な目標(アスピレーションレベル:AL)を目指すことにしました。
AAAは考えます、仮に交渉相手(BBB)が獲得する価値がゼロで、自分が全ての価値を総取りできたとすれば、最大実現可能価値は100です。しかし、双方留保点以下では合意しませんので、実際の最大実現可能価値は100-RVb(BBBの留保点)となります。BBBの留保点がどこかは分からないので、AAAは最大実現可能価値を75点と仮定しました。AAAから見て、留保点に上乗せして実現できる価値の余剰は75-52=23点となります。
しかし、最大実現可能価値を本当に実現しようとすると、その結果はBBBにとって著しく不満足なものであり、交渉も必然的に分配型となってしまいます。いくら目標は野心的な方が良いとは言っても、恐らくこれでは交渉そのものが成立しないでしょう。そこで、AAAは余剰の60%を達成できれば十分野心的であると考えました。AAAのアスピレーションレベルは、52+0.6×23=65.8点となりました。
2回目の交渉。残る4問題をまとめて交渉します。1回目の交渉で信頼が構築されたと考えたAAAは、BBBに対し、4問題についてはテンプレートで定量的に評価しませんかと提案しました。BBBは驚いた様子でしたが、合意しました。2回目の交渉で、AAAの獲得した価値は何と67.4点となり、アスピレーションレベルをも上回りました。BBBも満足そうであり、交渉は大成功に終わりました。
さて、ここからさらに価値を創造する方法があります。ライファが提唱する「合意後の合意」という方法で、先ほどの合意そのものを暫定合意とし、それをBATNAとすることでオープンに交渉するというものです。この方法は、交渉結果が不服であればBATNAに戻ってそれを最終合意とすればよいので、より正直な情報交換を促します。「合意後の合意」の結果、双方最終合意に至り、AAAの価値は71点に達しました。最大実現可能価値を75点と想定していたことを考えれば、ほぼ理想に近い結果を得たのではないでしょうか?
第Ⅱ部は、1級会員の高橋道生さんより、「交渉と心理的作用について」と題してお話しいただきました。高橋さんは、「心理交渉術スペシャリスト」と呼ばれる、交渉アナリストとは別の民間資格をお持ちで、今回はそちらの視点からお話しいただきました。
「相手も自分も納得いく結果を、良い雰囲気で達成できることを目標としているため交渉学を学んでいる」とおっしゃる高橋さんが、交渉時に効果的な心理対策として大切にされているポイントを順番に挙げていきます。
1.「好ましい人」だと思われたい
「上機嫌」、「よく笑う」、「(他の人と一味違う)好ましい人柄の評判が立つ」ことが、交渉結果に良い影響をもたらすことが、実験で明らかになっているそうです。特に日本人は、「交渉が上手くいった要因」として、「相手を心地よくさせられたか」を挙げる人が、他国の人と比べ多かったそうです。
2.第一印象の大切さ
初回の交渉での第一印象の影響は大きく、それを覆すのは容易ではないそうです。実験によると、最初の交渉で成功すると、次の交渉でも成功し、最初の交渉で失敗すると、次の交渉でも失敗する傾向があったそうです。
3.雑談
前述の第一印象はもちろん、これから交渉を円滑に始めるためにも、アドリブでない、アイスブレイクとなる雑談は重要です。例えば、自己紹介の際、名前を覚えてもらうための工夫をしたり、高橋さんの場合、アメリカ留学時に、名前が「Michio」なので、ミッキーマウスのネクタイを着用して会話の取っ掛かりにすることもあったそうです。
4.しぐさから読み取る相手の心理状況
とは言え、自分本位ではなく、相手の心理状況に気を配ることが大切。そのためには、交渉前はもちろん、交渉中に現れる相手の非言語情報(しぐさ、表情など)を読み取り、相手の本当の感情や真意を汲み取る姿勢を見せます。
5.心を解きほぐす
「好ましい人」だと思われるようにするのは、それが信頼を生むからです。信頼が生まれるようにするのは、それが交渉の良い結果につながるからです。他者からの好意を生む方法としては、上記に挙げた方法以外にも、単純接触効果(ザイアンス効果)、ミラーリング、We話法などがあります。
6.接触の取り方
対面、電話、メールといったコミュニケーション手段の中で、対面が最も望ましいと言われますが、必ずそうであるとは限りません。状況や自他の性格に応じて使い分けるのが良いようです。例えば、相手に好かれているなら対面で、嫌われているならメールでと言うように。また、実験ではコミュニケーション手段に対する好みに男女差があることが分かっており、男性は対面を好ましいと感じていたのに対し、女性はメールなどの手段の方が好ましいと感じていたそうです。もちろん、全ての男女にこれがあてはまるというわけではありません。
7.頼みごとの承諾は、報酬と比例するのか?
実験結果による結論から言うと、報酬による差はなかったそうです。金額よりも「報酬を渡す」という気持ちが大切なようです。
8.雰囲気作りが大切
和やかな雰囲気は、安心感を与え、交渉に協力的な姿勢を引き出します。一言でいうと「身体を包み込むような優しさ」で、部屋の温度、温かい飲み物、甘いお菓子、良い香りなどに気を配ります。暖色、観葉植物、明るい照明なども影響を与えます。船舶関係のお仕事をされている高橋さんは、雨天での荷下ろしの際、積み荷を濡らさないよう、都度ハッチを閉めてもらうお願いをしていました。それは運送業者として当然のことなのですが、船員にとって大きな負担となるのも事実でした。そこで高橋さんは、そのようなお願いに行く際、必ず船長さんに温かい缶コーヒーを持って行っていたそうです。
9.主導権の取り方
相手をさり気なく誘導していく方法です。あからさまに誘導しようとすると、人は操作されていると感じ、抵抗します。そこで、直接的に要求や提案をするのではなく、相手に意見を求めたり、考えさせたりする、あるいは選択肢を用意して選ばせることで、相手に「自分で選択した」と無意識に感じさせます。前者を「結論留保」、後者を「オプション法」と言います。
10.得する声
「分かってはいるけど、そこまでの心の余裕が…」と高橋さんは謙虚におっしゃっていましたが、実験によれば、「魅力的」だと評価された人の声には、以下のような特徴があったそうです。
①言葉が明瞭である
②トーンは低め
③大きさは大きめ
④発音、発声が鼻にかからない
11.心理作戦はバレてしまったら逆効果
当たり前のことですが、これまで挙げてきた心理テクニックは、さり気なく使うもので、操作されていると相手が感じれば、それは逆効果になってしまいます。僕が知っている例では、交渉が終わった後、手の内をSNS上で自慢気に晒している人がいました。笑いごとのようですが、今の時代、意外と落とし穴になっているかもしれません。
12.プレゼンテーション
伝えたいことは左側に。文字は大きく、少なめに。訴求ポイントはさり気なく挿入しておくだけでも効果的。ロゴやキャッチコピーなど印象付けたいものは、数回(3回程度)登場させます。
今回は以上ですが、高橋さんが交渉の心理的側面に関心を持たれたのは、交渉の際に、「いかに相手に自分の気持ちを伝え、仕事を達成することができるのか?」悩んでいたことからだったそうです。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした