窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

オキナワ・マネージャーズ・セミナー(OMS)、キックオフ-第161回YMS

2024年02月21日 | YMS情報


 2月20日、沖縄県中頭郡北谷町にて、第161回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。

【過去2回の沖縄開催】
2016年2月8日:第67回YMS
2019年5月17日:第108回YMS

 YMSの沖縄開催はこれで3回目になりますが、今回は公益財団法人沖縄県産業振興公社様の知的財産包括支援事業の一つであり、また、YMSの沖縄版とも言うべき、オキナワ・マネージャーズ・セミナー(OMS)の第1回開催でもあります。



 さらには、北谷町商工会様のご協力を得て、同会のホールを会場として使わせていただくことができました。この度の開催にあたり、さまざまなご支援を頂いた関係各位の皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。



 ということで、横浜からの参加者は宿泊地那覇よりバスで北谷町へ移動。



 僕はOMSの発起人たちと共に設営のため一足先に会場入りしました。



 中に入ると、地元の甲冑工房さんが制作された琉球の甲冑が展示されていました。本土と違い、沖縄の甲冑を目にすることはほとんどないので、興味深いですね。基本的に琉球の甲冑は本土の室町時代のものと同じだと聞いていますが、これは少し中国風のテイストが入っているようにも見えます。



 準備にあたりひとつ興味深かったのは、寒冷地でもないのに会場の窓が二重になっていたことです。聞いたところによると、沖縄は寒いからではなく、台風があるためこのようになっているのだそうです。



 さて、13時30分、4ヶ月の準備期間を経た第161回YMS(第1回OMS)が定刻通りに始まりました。



 テーマは『自社の知財を見つけるセミナー』、講師はYMSの発足母体となった2009年の「第4期みなとみらい次世代経営者スクール」および2011年1月12日開催の第4回YMSで講師をしていただいた、山本伸之先生です。



 さて、知的財産というと、特許権や商標権などいわゆる「産業財産権」が思い浮かびますが、知財の概念はそれよりはるかに広く、営業秘密やノウハウなども知財に含まれます。さらにそれを超えたところに人的資源や社外のネットワーク、経営理念などといた知的資産が存在ます。知的資産は企業が持つ「強み」と言い換えてもいいかもしれません。

 我々中小企業で特に特許や商標といった法的に保護してもらうような知的財産とは一見無縁と思われる企業でも上記の知的資産(強み)を掘り下げることにより、やがては知財に結び付くものが生まれるかもしれません。また中小企業の経営は経営者の属性と強く結びついていますから、組織だけでなく経営者個人の知的資産を掘り下げることが会社の知的資産、そして知的財産へと発展する可能性があります。



 そこで今回のセミナーでは、インタビューとディスカッションで参加者個人と会社が持つ価値観や強みなどを明らかにしていくワークを行いました。実感として得られたのは、質問されることによって自分の中で漠然としていた価値観や強みなどがより鮮明になったり、自分を他者の言葉で紹介してもらうことにより、自分の認識とは違った角度で価値観や強みを捉え直すことができるということでした。また、参加者の皆さんからは、「そもそもこういう思いや価値観、日ごろ抱いている課題などを誰かと共有できる場がなかった」、「自分で思っていたより深い認識を得ることができた」といった声が聞かれました。

 横浜、沖縄そして大阪から人が集まり、少なくともお互い半数は初対面から始まったセミナーでしたが、4時間という時間をかけて自己開示を行ったことにより、終盤には既に前から親密な間柄であったかのような雰囲気が生まれました。あっという間に時間が過ぎていった気がします。



 最後は、僕と先生との対談形式で、13年、160回続けてきたYMSの紹介をしました。発足したOMS、今後生まれるかもしれないその他の会のヒントになれば嬉しいです。



 そうした雰囲気の中で懇親会に移行。言うまでもなく大いに盛り上がり、その勢いは一部那覇に戻ってからも夜遅くまで続いたのでした。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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ひと口ごとに 大切なひととき-第160回YMS

2024年02月16日 | YMS情報


 2月14日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第160回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。

 今回の講師は、石川町で人気のかき氷店「小桃」を営んでいらっしゃる、川井まさ美様。3年前までパート主婦だったという川井さん。「進化し続ける『かき氷』について」と題し、わずか3年の間に人気店を育て、本も出版されるまでに至った経緯、現代のかき氷事情、そしてかき氷に対する思いなどをお話しいただきました。



1.かき氷店を開くまで

 まず意外なことに、川井さんがかき氷店を開いたのは、「かき氷を食べたことがなかったから」なのだそうです。かき氷の好きな友人がおり、彼女がインスタグラムに投稿するかき氷に惹かれて、食べてみたいと思うようになったとのこと。ところが当時は横浜にかき氷店がなく、「横浜にもかき氷店があればいいのに…」から、「だったら作っちゃえ!」へと夢が膨らみました。この話、社労士で5児の母、「保育所がなくて困るから、作ってしまった」第13回YMS講師、菊地加奈子さんと重なるものを感じます。

 そんな時、川井さんは友人が手伝っていた飲食店が昼間は営業しておらず、空いていることを知ります。そこでそのお店にパートとして入り、仕事をしながら信頼関係を築き、半年後オーナーにかき氷店の提案書、企画書を提出。その間、かき氷店開業講座を受講し、ビジネスとの向き合い方、考え方を学びました。その時、川井さんは晴れて初めてかき氷を食べることができました。インスタグラムによる完全予約制の集客でまずプレプレオープン。そして3日間のプレオープンを経てグランドオープン。たちまち人気店となりましたが、諸般の事情がありお店は2ヶ月で閉店することとなりました。

 失意の川井さんでしたが、この2ヶ月の間に来てくれたお客さんからの感謝や励ましのDMに力を得て、自前のお店を開くことを決心します。しかし、物件探しは難航。一方で2ヶ月とはいえ人気店を作り上げた経験と実績から、全くの個人にも拘らず日本政策金融公庫から融資を受けることができ、「かき氷店 小桃」をオープン。とはいえ、記憶に新しいところですが、折からの半導体不足で満足な冷蔵庫もガスコンロも揃わず。家庭用冷蔵庫でその日必要な分だけを用意して回すという苦難の船出でした。しかし、「その時のつらい経験が今の力になっている」と川井さんは言います。

2.現代のかき氷

 かき氷の歴史は、平安時代中期、『枕草子』に「けずりひ(削った氷)」の記述が見られるのが初出と言われています。当然のことながら、当時夏でも氷を保存しておくのは至難の業であり、かき氷は貴族だけが食べられる貴重品だったはずです。以前、韓国で「清道石氷庫」という17世紀末に造られた氷室を見物したことがありますが、氷室を持っているということ自体が権力の象徴であったことでしょう。

 その後時代は下り、明治2年(1869年)、横浜馬車道で町田房造が「氷水店」を開き、「氷水」と「あいすくりん」を発売しました。この「氷水」がかき氷にあたります。明治20年頃になると人工的に製氷できるようになり、かき氷が普及し始めました。一方で、下手をすると健康を害しかねないような粗悪な氷も出回るようになりました。これと似たような話として、日本が開国し、緑茶が主要な輸出品となる中、到底お茶とは呼べないような葉っぱに緑青で色をつけた、聞くだに恐ろしい粗悪品まで登場したという話を以前読んだことがあります。閑話休題、こうした動きに国も取り締まりに乗り出しました。「氷製造人並販売人取締規則」を発令し、国の衛生検査に合格した業者だけに氷の産地などを記した「氷旗」を掲げることを義務付けたのです。この名残が、今でもかき氷屋の軒先にぶら下がっている「氷」と書かれた旗です。さらに昭和に入ると削氷機が全国に普及するようになり、かき氷は日本の夏の風物詩となりました。



 ところで、70年代生まれの僕に限らず、今でもこれがかき氷の一般的なイメージだと思うのですが、上の写真のような粗削りの氷にシロップをかけた、美味しいけれども食べると頭が痛くなる、お祭りの屋台などでみかけるアレです。しかし、1990年以降、雪のようにふわっとした、頭の痛くならないかき氷が登場します。そういえば、先日フィリピンに出張した際、フィリピンのかき氷「ハロハロ」もふわっとしたのが人気なのだと言っていました。今度行ったら食べてみます。

 食べても頭が痛くならないのには秘密があります。かき氷に使う氷は「天然氷」と人工的な「純氷」とに大別されますが、純氷は純度の高い水を天然氷と同じように時間をかけ、ゆっくりと凍らせます。不純物が少なく結晶が整っているため、溶けにくいという特徴があります。この性質により、通常-20℃ある冷凍庫から-5℃程度にしても氷の状態を保つことができます。この温度差により、頭が痛くなりにくいという訳です。ちなみに「小桃」では、この温度を保つため、冷凍庫を二種類使用し、-20℃ある冷凍庫から使用前日に‐5℃の冷凍庫に移しています。この移すタイミングは、お店によってまちまちなのだそうです。

 次に、氷を削る削氷機について。業務用の削氷機は大きく、20kgs~30kgsぐらいあるのだそうです。削る際は刃ではなく氷の方を回転させます。刃はステンレスか鋼が主流。ステンレスは錆びにくく、刃の持ちが良いという特徴があります(交換までに100回くらい使える)。鋼は切れ味が良いものの錆びやすく刃の持ちが悪くなります(交換まで30回ほど)。ただし鋼の刃は研いで使うことができます。それでもステンレスに比べると安定して使用するには扱いが難しいのだそうです。氷の質を保つのは結構デリケートな作業なのだと想像はできます。氷は薄く削るほどふわふわになりますが、その分氷の状態を保つのが難しくなります。

 最後に仕上げ。小桃では、削った後、氷の流れに沿って表面を軽く抑えるようにしています。そうすることで形が整い、溶けにくくなるそうです。そしてシロップをかけますが、シロップの浸透具合によってフワフワ感が異なってくるので、全体に染み渡らせることが大事になります。しかし、シロップの種類によって新党の仕方が異なるので量の調整などを行います。川合さんの経験では、浸透しにくいシロップの場合には間に練乳を挟むと効果的と感じる時があるそうです。

3.進化し続けるかき氷

 小桃のかき氷は、「発掘系」と呼ぶ、氷を掘り進んだら中から何が出てくるか楽しみなかき氷。このように、屋台のかき氷しか知らない僕から見たら、驚くような進化をかき氷は遂げています。前回(第159回)YMS講師の寺澤さんが「かき氷2杯でお腹いっぱいになる」とおっしゃっていたのが最初分かりませんでしたが(何しろ溶けてしまえば水ですから)、その意味が分かりました。

 エスプーマ:「エスプーマ」とはスペイン語で泡のこと。その名の通り、泡立てたムース状のソースをかけたかき氷で、見た目が華やかで、ふわっとした氷が溶けにくいのも特徴です。

 お食事系:いわゆる甘味ではなく、食事として食べられるかき氷。オマール海老がのっているかき氷、ともろこしとウニのかき氷、お茶漬けかき氷、天丼かき氷、お好み焼きかき氷、グリーンカレーかき氷など、無数の種類があるようです。かき氷から入って、その元の料理の方に関心を持つようになる人もいるそうです。

 ケーキ型:文字通り、まるでホールケーキのような見た目のかき氷です。バリエーションとしてリング型などがあります。

 疑似型:他の食べ物をかき氷で再現したもの。

 演出系:メレンゲで固めた氷にアルコールをかけ、火をつける。バーナーであぶる。チーズやトリュフを目の前でかけるなど、演出を凝らしたかき氷です。

 コラボ:人気かき氷店同士、あるいは寿司屋など異業種とコラボレーションするパターン。

 催事・イベント系:かき氷店は集客力があるので、催事での出店が増えているそうです。かき氷のみの催事もあります。奈良県の氷室神社では2014年から毎年「ひむろしらゆき祭」というかき氷の祭典を催しており、奈良はかき氷の聖地と呼ばれているそうです。

 このような進化の背景には、インスタグラムのようなSNSの普及とも無縁ではない気がしますが、いずれにせよ、その多様化によってかき氷は今や夏だけに楽しむものではなくなっているのです。

4.かき氷への想い

 川井さんは48種類ものかき氷のメニューのイラストをご自身で描き続けているそうです。「発掘系」は食べ進めていくにつれて発見があり、変化が楽しめるのが特徴なので、その分イラストは複雑で簡単ではありません。それでも、お客様の反応を見ながら、ご自分の想像も膨らんでいくとおっしゃっていました。

 前述の「かき氷店開業講座」で、「かき氷を売りたいなら、かき氷を売るな」という教えがあったそうです。その心は、お客さんはどうしてかき氷を食べに来るのか、さらにはどうして「小桃」のかき氷を食べに来るのか?ということです。それを川井さんは「幸せな気持ちになりたいから」と考えました。さらに「どんな時に幸せになれるか?」と考えた時、「誰かに大切にしてもらえた時、大切にしたい何かがある時」だというのが川井さんの結論です。

 今日の進化したかき氷は決して安いものではありません。ちょっとした非日常の贅沢です。それでも敢えて幸せを感じるためにかき氷を選ぶのはなぜなのか?お客様が大切にしていることを、川井さんは最初の店舗の時に学んだと言います。それは、氷が持つ儚さ、1秒ごとに形を変えていく瞬間の貴重さ。二度と戻らぬ、その瞬間だけに感じられる喜び。それをお客様とともに大切にしたい…。こうして生まれたお店のコンセプトが「ひと口ごとに 大切なひとときを」です。

 かき氷にはまっているコアなファンはもちろんですが、3年前の自分と同じように、かき氷を食べたことがなく、食べてみたいけれどもどうしたら良いか分からないという方たちのため、小桃は完全予約制をとっていません。また、たくさんの人にお家で気軽に「発掘系かき氷」を楽しんでもらいたいが、小さな店舗と身一つでは限りがあるということで、本も執筆しました。これがわずか3年、しかもコロナ禍の3年の間に起こったことです。



 最後に。奈良の「ひむろしらゆき祭」は、和銅3年(710年)に春日野の氷を氷室に蓄え、平城京に献上するようになった歴史から、今日に至るまで氷室神社で毎年夏に純氷のかき氷の奉納を行っていることを活かした「かき氷の祭典」として、地域活性化に一役買っています。翻って、横浜はというと前述の通り、人口380万人を擁し、現在に連なるかき氷は横浜発祥であるにもかかわらず、3年前までかき氷店が1軒もありませんでした。市民の多くも馬車道がアイスクリーム発祥の地であることは知っていると思いますし、5月9日を「アイスクリームの日」としてアイスクリームを配ったり、イベントを開催したりしていますが。同時にかき氷も発祥であったことはほとんど知られていないと思います。今や季節を問わず親しまれるようになったかき氷は、もっと横浜のためにできることがあるのではないか?そんな小さな想いを大きな力に変えていきたいと川井さんはおっしゃっていました。

かき氷店 小桃

神奈川県横浜市中区石川町2-78-10 ビーカーサ石川町102



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2024年1月アクセスランキング

2024年02月01日 | 人気記事ランキング


 2024年もあっという間に1月が終わりました。アクセスの多かった記事トップ10のご紹介です。

 最初に定番記事からですが、奇しくも前月と同じ順位となりました。

2位:「Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子」(28ヶ月連続)
5位:「久村俊英さんの超能力を目撃してきました」(44ヶ月連続)
6位:「エコノミーとエコロジーの語源」(5ヶ月連続)

 3位は、「4年ぶり、2024年新年会を開催しました」。4年ぶりということもありますし、会場も新たに、今までとはまた違った新鮮なニューイヤーパーティになったと思います。9位:「カテゴリー(ウエスものがたり)」、これまで同カテゴリーの中の個別記事がランクインしたことはありましたが、「ウエスものがたり」としてランクインしたのは初めてではないかと思います。

 4位:「多彩な中国茶の世界を垣間見るー第159回YMS」は、身近なお茶の中でも中国茶の話。2月はかき氷の話に、沖縄北(↓)谷(↑)開催と、新たなYMSの取り組みが目白押しです。

 10位:「炭火焼ステーキ カルネ②-神戸三ノ宮」が、2023年10月、12月に続き、2024年1月もランクイン。何でだろうと思っていたのですが、先日お伺いしましたら、昨年林修先生が出演されている番組で紹介されたとのことでした。なるほど…。

1 トップページ
2 Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子
3 4年ぶり、2024年新年会を開催しました
4 多彩な中国茶の世界を垣間見るー第159回YMS
5 久村俊英さんの超能力を目撃してきました
6 エコノミーとエコロジーの語源
7 月別表示(2013年11月)
8 2024年の営業を開始しました(2023年12月アクセスランキング)
9 カテゴリー(ウエスものがたり)
10 炭火焼ステーキ カルネ②-神戸三ノ宮

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多彩な中国茶の世界を垣間見るー第159回YMS

2024年01月13日 | YMS情報


 1月10日、新たに貸会議室NATULUCK関内セルテ 801をお借りして、2024年最初の第159回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



 今回の講師は、寺澤孝史さん。実は今回講師をしていただくのは2回目で、前回は第106回YMS(2019年4月10日開催)「コーヒーは楽しい!〜まだまだ広がるコーヒーの楽しみ方〜」にて、コーヒーのお話をしていただきました。

 その時もご紹介しましたが、驚いたことに寺澤さんは元歯科医。学生中にコーヒーに目覚め、2003年に本物のエスプレッソを日本に広める会社に入社。10年間、スペシャリティ・コーヒーの普及に努められました。その後、銀座で台中(台湾)のコーヒーショップが期間限定で開いたお店で、コーヒーと中国茶を同時にドリップする手法に出会い、そこから中国茶の道へ。現在は横浜中華街で40年の歴史を持つ「悟空茶荘」にてお仕事をされながら中国茶の勉強に専念されています。

 ということで、今回は「中国茶を楽しむ」、お茶のお話しです。



 さて、後半の試飲に時間を割くため、講義の方は比較的簡単に(その代わり詳しい資料を頂きました)。日本ではお茶と言えば緑茶ですが、中国茶は発酵の度合いに応じて6種類(6大茶)に分類されるそうです。発酵の度合いが低い順に

 ①緑茶:まず発酵させていないのが緑茶です。日本茶は蒸しますが、中国の緑茶は釜炒り茶で炒ることによって発酵を止めます。お茶と言えば長江より南のイメージがありますが、中国全域で広く生産され、日本茶と比べ繊細な香りと甘さが特徴です。僕も先日中国のお客さんから「日照緑茶」というお茶を頂きましたが、それは北方の山東省のお茶でした。中国でも圧倒的に生産量の多いのは緑茶です。代表的なものとして、杭州の龍井茶があります。

 ②白茶:少しだけ発酵させた(微発酵茶)を白茶といいます。昔、缶紅茶で「ピコー」というのが売っていました。これは茶葉の芽の部分を意味する「白亳」に由来する「ペコ―」のことですが、僕は学生の頃、これが白茶なのだと誤解していました。白茶はビタミンが豊富で、現在化粧品に使われるなど美容業界で注目されています。種類として3種類ほどしかなく、非常に高級だそうです。白茶を寝かせて熟成させた「老茶」も人気があるようです。

 ③黄茶:もう少し発酵が進むと黄茶(弱発酵茶)となります。日本ではほとんど知られていませんが、元は皇帝への献上品(黄色は皇帝を表す色でもあります)で、製造が難しく貴重なお茶です。高値がついていますが、美味しいのかというと疑問符がつくとか。

 ④青茶:さらに進んで半発酵茶を青茶と言います。半発酵茶と言えば烏龍茶ですが、烏龍茶はこの青茶に分類されます。しかしながら、現在は青茶自体を指して烏龍茶と呼ばれているようです。烏龍茶は非常に幅が広く、台湾を代表する「凍頂烏龍茶」も色は緑茶に近いですが、青茶です。

 因みに、凍頂烏龍茶の産地である台湾の凍頂山はいかにも寒そうな高山を連想しますが、標高800mほどです。他の有名な産地である阿里山は2,663m、梨山は2,000mあります。これらのお茶は高山茶と呼ばれ、そんな高地でお茶が育つのかと感心してしまいますが、一般に高地ほど香りが良くなるのだそうです。ただし、高山茶を称した偽物も多いので、お土産を買う時にはご注意とのこと。

 烏龍茶の産地として最も有名なのは、何といってもサントリーが広めた「鉄観音」の福建省ではないでしょうか?鉄観音茶は岩場で栽培した「岩茶」の一つです。非常に力強いのが特徴で、栽培した木ごとに名乗れる名前が決まっているのだそうです。

 台湾、福建と並ぶ三大産地の残りの一つは広東省です。有名なのは鳳凰単叢「蜜蘭香」。鳳凰山で栽培され、単叢(たんそう)というのは、一つの木から栽培されたという意味です(ウィスキーでいう、「シングルカスク」のようなものかもしれませんね)。その名の通り、南国果実を思わせるフルーティーな香りと蜜のような甘い香りが特徴だそうです。

 ⑤紅茶:完全な発酵茶が紅茶です。よく紅茶は「ヨーロッパ人が緑茶を運んでいる間に発酵してできた」なんて通説がありますが、18世紀に福建省で青茶の発酵をさらに進めて誕生したものです。お茶を最初にヨーロッパに紹介したのは17世紀のオランダ人ですが、それは紅茶ではなく緑茶でした。因みに、学生の頃講演を聞いた、角山栄先生の『茶の世界史』によれば、当時のオランダ人は肝心のお茶の方を捨て、茶葉をバターで炒めて食べていたなんで書いてあった記憶があります。30年も前の話なので定かではありませんが。



 ⑥黒茶:紅茶までは茶葉に含まれる酸化酵素による発酵ですが、黒茶は麹菌を添加して発酵させます。なので「後発酵茶」と呼ばれます。よく知られているところでは、プアール茶が黒茶に分類されます。意外にも生産量が多く、2021年の中国茶統計によれば、緑茶、紅茶に次いで3位となっています。

 6大茶以外に、ジャスミン茶、菊花茶、薔薇茶、金木犀(佳花茶)のような花の香りを足したり、造形茶として花を足した「花茶」があります。北京ではジャスミン茶がポピュラーだそうですが、水質の良くない土地で匂い消しのためにジャスミンの香りをつけたというようなことがあるようです。また、造形茶の歴史は意外と浅く、1980年代ごろからだそうです。

 また、一般に発酵の度合いが低いものほど身体を冷ます作用があり、発酵が進むほど身体を温める作用があるそうです。寒冷のヨーロッパで紅茶が普及したのは、理に適っていたのかもしれません。



 さて、後半は試飲に移りました。中国茶の多彩さの一端に触れるため、先ほどの烏龍茶三大産地から3種類のお茶を味わってみました。



①四季春(台湾)
②白芽奇蘭(福建省)
③蜜蘭香(広東省)



 四季春。左は比較のための、サントリー烏龍茶(ペットボトル)です。台湾南投県で栽培されており、一年中茶葉が採れることから四季春と名付けられたのだそう。やさしくほのかな甘み。わずかにコーンのような香ばしい香りがします。



 続いて福建省の白芽奇蘭。四季春と色が全然違うのが分かりますね。その名の通り、花のような香りがするそうですが、僕は鼻がおかしいのか、海苔のような香りがしました。軽いタンニンを感じます。茶杯の残り香は、やはりコーン菓子のような香ばしさを感じます。



 そして先ほどお話しした広東省の蜜蘭香。まさに蜜のような甘い香り、色から連想されるイメージとは裏腹に渋みもなく、乾いた喉にすっと入ってくる優しさがありました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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4年ぶり、2024年新年会を開催しました

2024年01月12日 | リサイクル(しごと)の話


 1月5日、横浜ベイホテル東急にて弊社新年会を開催いたしました。新型コロナの影響で2020年を最後に開催を見送っておりましたが、会場も新たに4年ぶりに開催することができました。創立90周年を迎える今年、年始でご多用の折にもかかわらず、多くの皆様にご参加いただき心より感謝申し上げます。



 開催にあたり代表取締役社長、中野博恭より新年のご挨拶を申し上げました。



 乾杯の発声は、代表取締役会長、中野聰恭より。



 2011年からお願いしている、2011年国際バーテンダー協会主催カクテル世界大会総合優勝、「Bar Noble」の山田高史さんによるカクテル・ブースも復活!弊社の行動指針を表現した定番のオリジナル・カクテル「エコソフィー」(右)と、「ハーモニー」(左)。



 今年度入社した、新入社員のご紹介。



 弊社では5年に一度、社員公募でスローガンを掲げています。今年は2024年~28年の新スローガンを設定する年。毎年新年会のテーマは担当幹事が決めるのですが、今年は「スターウォーズ」だったようで、新スローガンの披露にあたり、僕がダースベイダーに扮して登壇することになりました。



 新スローガンは「心をつむぐ 未来をつくる」。見事採用された社員には、中野社長より記念品が贈られました。



 恒例のビンゴゲームも、3CPOとR2D2もどきがプレゼンターで登場。



 中締めは窪田からご挨拶。創業90周年を迎えるにあたり、ナカノ株式会社とは何だろうと考えた時、それはとりもなおさず、全てのステークホルダーの皆様からのご支援とその連続体に他ならないと思います。皆様にはこの場をお借りして感謝申し上げるとともに、これからも変わらぬご支援をお願い申し上げます。



 最後はおなじみの「ヨイヨイヨイショ!」で締め。改めて「ヨイヨイヨイショ!」ですが、これは創業事業である故繊維業において、数百キロにもなろうかという重い荷物を、人手による協働作業で担ぎ上げていた時代の掛け声が元となっております。そこには、先人の足跡に思いを致すと共に、困難をものともせず、共に力を合わせることで、家族、仲間、お取引先、そして地域社会に奉仕するという決意が込められています。

はじめに、自分と家族のために  よい! よい! よいしょ!!
つづいて、会社と仲間のために  よい! よい! よいしょ!!
もひとつ、お客様と地域のために よい! よい! よいしょ!!


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2024年の営業を開始しました(2023年12月アクセスランキング)

2024年01月05日 | 人気記事ランキング


 本日1月5日、ナカノ株式会社は創業90周年の節目となる2024年の営業を開始いたしました。元旦から能登半島沖の大地震、翌日には羽田空港での航空機火災と、被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。

 さて2023年12月にアクセスの多かった記事トップ10をご紹介します。まずは定番から。

2位:「Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子」(27ヶ月連続)
5位:「久村俊英さんの超能力を目撃してきました」(43ヶ月連続)
6位:「エコノミーとエコロジーの語源」(4ヶ月連続)

 前回5ヶ月ぶりに復活した「『上田和男さんバーテンダー歴50年を祝う会』に参加してきました」が、惜しくも12位でランク外となりました。

 4位:「炭火焼ステーキ カルネ②-神戸三ノ宮」。2023年10月に2012年3月以来のランクインを果たしたのですが、そこから1月おいて再びランクイン。昨年は1回しかお邪魔できませんでしたが、マスターご夫婦お達者でしょうか?

 3位:「2023年もありがとうございましたー第158回YMS」。実は僕は体調を崩し参加できなかったのですが、YMS忘年会の記事です。14年目のYMS、今年は2月にYMSとしては3回目となる沖縄開催を沖縄県北谷町で予定しています。意外と深いつながりのある沖縄と横浜、今回はそれを踏まえての過去にない規模での開催となる予定です。

 そして社内イベントとしては、10位:「スービック工場25周年-クリスマス・パーティ」がありました。昨年はスービック工場25周年のほか、いわき営業所30周年、富士営業所20周年でもありました。今年は本社90周年、郡山営業所10周年です。

1 トップページ
2 Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子
3 2023年もありがとうございましたー第158回YMS
4 炭火焼ステーキ カルネ②-神戸三ノ宮
5 久村俊英さんの超能力を目撃してきました
6 エコノミーとエコロジーの語源
7 交渉学の活用による紛争解決ー第62回燮(やわらぎ)会
8 記事一覧(3ページ)
9 2023年11月アクセスランキング
10 スービック工場25周年-クリスマス・パーティ

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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スービック工場25周年-クリスマス・パーティ

2023年12月22日 | リサイクル(しごと)の話


 12月20日、創業25周年を迎えた弊社スービック工場(Nakano Tonyeh International)のクリスマス・パーティーに出席しました。



 今回、7月のキックオフミーティングで登場した恐竜がフィリピンにも上陸。集まった工場スタッフたちと記念撮影をしたり、黄昏のビーチに現われたり、プールで泳いでいる子供たちと遊んだりしました。



 カトリックが83%を占めるフィリピンでは、クリスマスはとても大切な行事です。パーティーの開催に先立ち、クリスマスソングを歌うのですが、大の大人がみんなでマライア・キャリーの”All I Want For Christmas Is You”を熱唱しているのには、やはり宗教観の違いを感じます。ただのお楽しみ以上のものがあるのでしょう。



 それに、何を言っているのか分からないけれど、フィリピン工場のスタッフたちは本当に明るくて陽気。



 余興は毎年似ていますが、恒例なのはミス・コンテスト。



 ミスターもあります。スタッフは女性の方が圧倒的に多いので、ひょっとしたらこっちの方が盛り上がったのかも...。



 ダンスコンテスト。みんなこの日のために相当準備してきたことが伝わります。



 年間最優秀従業員賞の表彰式。



 さらに今年は25周年ということで、勤続25年の表彰式もありました。10周年20周年の時もやりましたが、創業時からずっと貢献してくれた16名のスタッフへ感謝状を贈らせていただきました。



 本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。”Maraming salamat. Inaasahan kong makatrabaho ka.”

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2023年もありがとうございましたー第158回YMS

2023年12月14日 | YMS情報


 12月13日、横浜中華街「菜香新館」にて、第158回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)忘年会を開催しました。菜香新館は過去14回の忘年会で昨年に続き通算5回目となり、定番でお世話になっています。

第41回YMS
第65回YMS
第115回YMS
第145回YMS



 初めに、会長の茂野光将よりご挨拶(何だか嬉しそうですね…)。



 乾杯のご発声は、今回初参加、テレビ神奈川の佐藤浩二よりいただきました。突然のお願い、ありがとうございました。

 158回の延べ参加者総数は2,850名。今年も以下のようなバラエティに富むセミナーを開催することができました。2年連続の大阪開催、来年は3回目となる沖縄も予定されています。

第146回:コロナ禍で失ったもの、或いは得たもの
第147回:あきらめなければ道は拓ける。朝の来ない夜はない。~負債40億円からの挑戦~
第148回:発達障害と運動発達の関係〜運動発達をさかのぼることで身心を整える〜
第149回:世界中の女性から愛されるベリーダンスとその魅力
第150回:産業スパイと戦う
第151回:『魚ビジネス』魚の教養を身につけて世界でも一目置かれる経営者になろう
第152回:地域の自立・自走を目指す伴走型支援
第153回:酷暑にこそ合わせたい!ワインと料理のマリアージュ
第154回:7つの習慣ⓇBusiness Ownership研修体験会~当事者意識を向上させる3つの要素とは?~
第155回:税務調査セミナー
第156回:不登校生・発達障害・起立性調節障害のための自分の居場所~留学という選択肢~
第157回:武道精神、空手の心構えを通して人を育てること

 現在2025年6月までのセミナーが既に決まっており、たくさんの興味深いテーマをご用意しておりますが、引き続き興味深い方々のご紹介をお待ちしております。来年もどうぞお気軽にご参加ください。今後ともYMSをよろしくお願いいたします。

過去のセミナーレポートはこちら

菜香新館



神奈川県横浜市中区山下町192

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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交渉学の活用による紛争解決ー第62回燮(やわらぎ)会

2023年12月06日 | 交渉アナリスト関係


 2023年12月1日、品川区の文化コミュニティ施設「きゅりあん」とオンラインとのハイブリッドで第61回燮会が開催されました。燮会は日本交渉協会が主催する交渉アナリスト1級会員のための勉強会です。今回も北は秋田から西は福岡まで大勢の1級会員の皆様にご参加いただきました。ありがとうございます。

 今回は篠原さんによる、「実践的交渉戦術と実例」はお休み。二部構成で、まず第Ⅰ部として僕から「第22回交渉理論研究」についてお話しさせていただきました。テーマは、「統合型交渉の理論(2)-テンプレート分析(パイの増大と切り分けについて)」。



 前回は「テンプレート」を用いることにより、異なる尺度を持つ価値をいかにして交換し、増大させていくかについてお話ししました。これは「価値交換」とよばれる「統合型交渉」における大きなテーマの一つです。今回はもう一つの大きなテーマである、「価値の増大とその分配について」。これを交渉学の世界ではしばしば「パイの増大と切り分け」と呼んだりします。



 分配型交渉において、合意可能範囲(ZOPA)は一次元の線形で表現されます。これに対して統合型交渉においては、ZOPAが二次元平面で表されます。なぜそうなるのか?まずはその過程についてお話ししました。



 次に、統合型交渉において増大させた価値をどのように分配するか、という問題。先のZOPAの図において、原点から遠い合意点(つまり、外縁の線上にある点)ほど価値が高いと考えることができますが、それが交渉当事者にとって公平かどうかは別の問題になります。例えば、ZOPAの外縁の線と縦軸との交点が合意点であったとすれば、それは当事者Aによる価値の総取りということになり、総価値としては高くても、著しく不公平ということになります。

 現実の交渉の場面では、交互に欲しいものを選ぶとか、じゃんけんをするとか、一方に分けさせ、もう一方に好きな方を選ばせるといった、双方を納得させるための様々な方法がありますが、規範的な分配の方法として、以下の3つを考えます。

合計最大基準(双方の価値の合計が一番大きくなる合意点を選ぶ)
最大最小基準(取り分が少ない方の価値が最大になる合意点を選ぶ)
ナッシュ交渉解(資源配分が最も効率的な合意点を選ぶ)

 ここでは、Excelで作成したテンプレートをソルバー機能で解析し、上記3つの基準に当てはまる価値の組み合わせを算出します。しかしながら、どの基準が正解かということはありません。どの基準にも一長一短があります。例えば、「合計最大(Max-Sum)基準」は価値の総計こそ最も大きくなるものの、分配の格差が大きくなる可能性があります。「最大最小(Max-Min)基準」は、混合戦略を許容すれば理論上両者の取り分は一致します。最後の「ナッシュ交渉解」は、価値の配分の効率(交渉学の世界ではよく「価値を交渉テーブルに残さない」といった言い方をします)の点で優れており、社会的に望ましいということができますが、やはり分配の格差が残る可能性があります。結局、どの基準を採用するかは当事者同士の問題になります。



 続いて第Ⅱ部。お話しいただいたのは、鮫島法律事務所、1級会員で弁護士の鮫島千尋さん。以前、同じく弁護士で1級会員の指宿昭一さんのお話しでもありましたが、交渉学で学ぶ極基本的な交渉用語を活用するだけで、現実の交渉が整理しやすくなり、良い結果に結びつくことがあります。今回は架空の事例から、交渉学が現実の交渉(ここでは紛争解決)にどのように活用できるのかについてお話しいただきました。

 事例は不倫発覚に伴い不倫相手の妻から慰謝料を請求されるという、よくある話です。ここからは交渉学で使われる基本的な用語を使いながら話を進めていきましょう。

1.出発点/留保点/目標点/ZOPA/BATNA

 仮に訴えている妻をA、訴えられている依頼人をBとしましょう。当初、Aの慰謝料請求額は300万円でした。これに対し、B側は「今すぐ払えるのは75万円が限界である」と回答します。この300万円と75万円が交渉のスタート地点です。従って、これらを「出発点」と言います。

 次に、Bは自分が払える限界の額を考えます。今は75万円しか払えませんが、数ヶ月後にボーナスが入れば、一括払いは無理でも、分割払いで225万円までなら何とか払えるかもしれません。しかし、できれば150万円ぐらいで納めたいと思っています。この支払限界の額、これより大きければ最早交渉できないので、交渉を留保するという意味で「留保点」と呼びます。そして、できれば150万円で納めたいというのはBの目標であるので、これを「目標点」と言います。

 同様に、相手方のAにも留保点と目標点があるはずです。しかし、BにはAの正確な留保点と目標点は分かりません。そこで同様の事案での相場を参考にします。相場はおおよそ150万円~180万円であることが分かりました。そこで下限の150万円をAの留保点と仮定します。また、目標点は相場の上限である180万円と出発点と仮の留保点との差額の中間点である225万円の間であろうと仮定しました。



 以上をまとめたものが上図です。青の棒グラフはAが交渉しようと考えているだろうと想定される範囲です。オレンジの棒グラフはBが交渉しようと考えている範囲です。この両者のグラフが重なり合っている範囲、つまりAとBの留保点の差額は、双方が合意しても良いと考えていると想定される範囲になります。これを「合意可能範囲(ZOPA)」と言います。

 もう一つ、「BATNA」と呼ばれる重要な概念があります。BATNAとは、一般的には当該交渉が決裂した場合の最善の代替案と考えられていますが、より正確には「当該交渉で合意するために利用できる最善の代替案」になります。いずれにせよ、当該交渉が決裂した場合はBATNAがとり得る選択肢となります。この場合、示談が成立しなければ裁判に移行する可能性が高いので、それが双方のBATNAです。

 なぜBATNAを考えるのが重要かというと、より有利なBATNAを持っていれば当該交渉における交渉力が高まるからです。しかしBさんの場合、ただでさえ状況が不利な上、裁判となればさらなる費用や時間がかかることになるので、残念ながらBATNAは弱いと言えそうです。

2.譲歩のダンス

 次に「譲歩のダンス」について説明します。交渉で合意するためには、交渉の過程で双方が歩み寄りながら、お互いの出発点の乖離を埋め、合意点を探らなければなりません。譲歩のダンスとは、この交渉過程で出された提案/対案の軌跡を言います(下図)。



 上のグラフのR1上の点がお互いの出発点、R4上の点が最終的な「合意点」を表しています。出発点の時点で、双方の金額には225万円の開きがあります。2回目の交渉で、Aは300万円を225万円に減額してきました。一気に25%もの減額です。これはどうしてでしょう?やはり目標点は225万円付近にあるのかもしれません。これに対し、Bも20%上乗せし、「数ヶ月後にボーナスが入れば90万円までなら払える」と対案を出しました。

 しかし、前述のようにBATNAはBの方が不利なのです。しかし、交渉過程でのやり取りから探ってみると依頼人のAはどうも早期解決を望んでいるようであるということが分かりました。つまり、金額以上に交渉を長引かせたくない理由がある、AのBATNAも思ったほど強くなさそうです。

 3回目の交渉で、Aはさらに20%、180万円まで減額してきました。これに対し、Bは「分割払いになってしまうが、105万円までなら払える」と対案を出し、態度を保留しました。ただし、今後不倫が物理的に起こらないような対策も提示し、Aへの配慮も見せています。最終的に、4回目の交渉で両者は105万円で合意しました。

 さて、改めて譲歩のダンスのグラフを見てみましょう。交渉学における譲歩の第一原則は、「いきなり大幅な譲歩をしないこと」、そして第二原則は「譲歩幅を徐々に狭くすること」です。前者の理由は、いきなり大幅に譲歩してしまうと相手に対して譲歩の余地が十分あるというシグナルとなってしまう可能性があるからであり、後者の理由は、譲歩幅を徐々に狭くすることで合意点に近づいているというシグナルとなるからです。しかしながら、今回の例を見ると、Aはいきなり大幅な譲歩をしてしまっています。実際それがシグナルとなり、Aが実は和解を急いでいるということが分かりました。そのため、Bは徐々に譲歩するという戦術をとることができたのです。また、この例のように、時間の制約は、交渉に大きな影響を及ぼす可能性があります。

3.留保点は変わる可能性がある



 さて、ここで一つの疑問が生じます。それは、両者が最初に想定したZOPAの外で合意しているという点です。もちろん、あくまでAの留保点は仮定ですので、想定していたZOPAが間違っていたと考えることもできます。しかし、Aには「交渉を長引かせたくない(そしてもちろん訴訟にも持ち込みたくない)」という事情(ひょっとすると金額よりこちらの方が主目的だったかもしれません)があり、留保点を超えてでも合意を優先した可能性が大いにあります。このように留保点は(したがって、ZOPAも)交渉過程で変化する可能性があるのです。

4.プリンシパル・エージェンシー問題

 エージェント(代理人)がプリンシパル(依頼人)の利益に反し、エージェント自身の利益を優先する行動をとってしまうことを経済学の用語で「プリンシパル・エージェンシー問題」と言います。事例からの推察にはなりますが、Aが留保点を超えてでも合意を急いだのには、AよりもA側弁護士、すなわちエージェントの思惑が働いた可能性もあります。例えば、本件がA側弁護士にとってあまり利益になるものではなかったとした場合、できるだけ早期に処理してしまいたいと考えていたかもしれません。

5.統合型交渉に向けて

 ここまでは交渉学の用語を用いて、事例を分析的に整理してきましたが、最後に鮫島さんがおっしゃっていた、より良い交渉のための大切なポイントをいくつかまとめます。

1.当事者双方のニーズを探求すること
2.当事者双方の交渉材料の把握と整理
3.ニーズの背景にある事情や思惑の把握
4.相手の想いや考えを尊重し、解決に向けた提案をする
5.自分の軸を見失わない
6.相手に判断を委ねる

 これらは、第Ⅰ部の用語を借りて言えば、価値交換によって一次元のZOPAを二次元にしていく、即ち分配型交渉から、より双方にとって望ましい統合型交渉へ移行していくためのポイントでもあります。ここでは金額のみに焦点を当てた、交渉の分配的側面を主に取り上げてきましたが、お話の中では金銭をめぐる立場の背後にある双方の様々な関心を掘り下げる過程が出てきました。紛争(コンフリクト)のより良い解決のために、交渉学をどのように活かすことができるのか、逆に交渉学を学ぶことによって現実の交渉をいかに効率的、効果的にできるかがよくわかる、学びの多いお話でした。

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2023年11月アクセスランキング

2023年12月01日 | 人気記事ランキング


 いよいよ2023年も年の瀬を迎えました。10月からネタはそれなりに溜まっているものの、結局投稿できず11月もほとんど更新しないまま終わってしまいました。なお、先月は別のブログへの寄稿(「実践型 パーパス経営ラボ」ブログ)がありましたので、よろしければそちらもご覧ください。

 とはいえ、2023年11月にアクセスの多かった記事トップ10をご紹介します。更新の少なかった月は定番記事が上位を占めることになるのですが、

3位:「Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子」(26ヶ月連続)
4位:「久村俊英さんの超能力を目撃してきました」(42ヶ月連続)
6位:「エコノミーとエコロジーの語源」(3ヶ月連続)
8位:「『上田和男さんバーテンダー歴50年を祝う会』に参加してきました」(5ヶ月ぶり)

「『上田和男さんバーテンダー歴50年を祝う会』に参加してきました」が5ヶ月ぶりに復活するなど、4記事揃い踏みとなりました。

 そんな中でも終始個別記事でトップを保ったのが、2位:「競技を極めた先にあるもの-第157回YMS」です。YMSのセミナーレポートですが、個人的にも思い入れのある回でした。また、YMSに関して言えば「YMS情報」がカテゴリとして上位に入りました。2年前の「3年ぶりワインセミナー復活!-第140回YMS」が5位に入っているのと、同じく「ワイン・日本酒・ビール」がカテゴリとしてランクインしていることから、YMSとしてなのか、ワインの話題としてアクセスが増えたのかは分かりません。両方ということもあり得ます。

1 トップページ
2 競技を極めた先にあるもの-第157回YMS
3 Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子
4 久村俊英さんの超能力を目撃してきました
5 3年ぶりワインセミナー復活!-第140回YMS
6 エコノミーとエコロジーの語源
7 カテゴリー(YMS情報)
8 「上田和男さんバーテンダー歴50年を祝う会」に参加してきました
9 2023年10月アクセスランキング
10 カテゴリー(ワイン・日本酒・ビール)

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競技を極めた先にあるもの-第157回YMS

2023年11月09日 | YMS情報


 11月8日、「夢・あいホール」にて第157回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



 今回の講師は、空手道世界選手権('82)優勝、全日本空手道選手権大会('83)優勝、空手ワールドカップ('84)優勝など、いわゆる世間では「伝統派」と呼ばれる空手道の世界において輝かしい実績を残された鈴木雄一様。



 実は僕も30年ほど前、空手をやっていた時期がありまして、同じく身体の小さい身として鈴木先生は憧れの存在でした。空手の組手がまだどっしりとした構えが主流だった時代に、フットワークを駆使し現在にまで連なる世界の組手の潮流を変えた風雲児です。



 上の動画の0:33-0:34の場面、右側ゼッケン31番の選手が鈴木先生です(1983年、第11回全日本空手道選手権大会)。



 因みに、上のDVDに収録されている1995年の全日本空手道選手権大会、榎戸哲也選手vs椎名志津男選手の決勝戦は日本武道館に観に行っていました。

 前置きが長くなってしまいましたが、その鈴木先生に「武道精神、空手の心構えを通して人を育てること」と題してお話しいただきました。

1.空手との出会い

 鈴木先生はタイの首都バンコクのお生まれで、そこで育ちました。お父様が船会社関係の仕事をされていて、ある時、騙されて身ぐるみはがされ途方に暮れる日本人たちと出会ったそうです。困った彼らを雇い仕事を与えていましたが、彼らは大学で空手、合気道、柔道など武道の心得のある人たちでした。時が経ち、日泰親善の課外活動の一環として錬武館という道場を設立。すると、ムエタイ(キックボクシングに似たタイの国技)の国であるにもかかわらず、多くの道場性が集まり、やがて空手道のタイ代表を送り出すほどに成長したそうです。そのような環境の中、先生は半ば有無を言わせぬ状況で空手を始めることになります。

 中学生の頃、ご両親の教育方針もあって単身日本へ帰国し、横浜にある全寮制の山手学院に入学。同校の空手部で文字通り空手づけの日々を送られました。当時(まさに僕の生まれた頃ですが)は、ブルース・リーのカンフー映画が社会現象になるほど人気を博していた時代。先生もブルース・リーに憧れ、寝ても覚めても空手に対する工夫をノートに書き留めていたそうです。空手にフットワークを持ち込んだ先生の斬新な組手スタイルは、ここにルーツがあったのかもしれません。いずれにせよ、卓越したスピードとバネで当時の高校選手権(現在のインターハイ)を連覇(第2回、3回)。大学は複数の選択肢があった中で、世界チャンピオンになるために師事したい名コーチが在籍していた東海大学へ進学されました。大学4年時にナショナルチームに選出され、1982年世界選手権初優勝。

2.世界選手権唯一の「フェアプレー賞」受賞

 話が前後しますが、社会人となった先生は仕事の傍ら空手の現役選手としてもプレーを続けました。現在のように企業がスポンサーについてくれるわけでもなく、完全に仕事と両立させたアマチュアです。1987年、先生は日本代表としてハンガリーで行われた空手ワールドカップに65㎏以下級と無差別級にエントリーしました。しかし、先に行われた無差別級の試合で相手選手のラフプレー(審判の「やめ」が入った後の上段蹴り)により意識を失い、病院へ運ばれることに。ドクターストップのため、65㎏以下級も棄権せざるを得なくなってしまいました。

 棄権は不戦敗を意味するのですが、それにもかかわらず先生は試合場のコートに立ち、自らドクターストップにより戦えないことを主審に告げ、不戦敗のコールを受けました。その大会の閉会式直前、先生は思いがけなくも呼ばれ、表彰を受けました。それは先生の堂々と敗戦の宣言を受けた態度を讃える特別賞でした。銀色のトロフィーには「For Fair Play」の文字が刻まれ、鈴木先生は歴戦の中でいくつも獲得してきた輝かしいトロフィーの中でも、このフェアプレーのトロフィーを最も大切にしているそうです。

3.「空手の頂点」その先にあるもの

 時計を戻し、大学を卒業された先生は、日本テレビに就職されました。空手競技の世界で頂点を極めたとしても、その栄光を社会に繰り越せるわけではありません。たとえ選手として一流であっても、それが社会で通用することとイコールではないからです。先生は、「社会人としても一流でありたい」という思いで大手マスコミの道に進まれたそうです。

 連日深夜まで及ぶ仕事。しかも空手の現役選手を続けていたため、深夜2時に帰宅してからのロードワーク。かと言って日中も休むことなく取材や番組の編集に奔走。そのような環境の中でも、トップアスリートとして3回の世界選手権に出場します。もちろんスポンサーがついているわけではないので、遠征も休暇扱いです。しかし、逆にセミプロのような環境でなかったから良い経験ができたということです。

 「仕事とは社会に参加して自分の役割を見つける場」、仕事を通じて空手のみならず格闘技の普及に貢献するため、1993年に第1回の大会が行われたK1(空手、キックボクシング等、立ち技系格闘技のイベント)の立ち上げにかかわりました。K1は人気を集め、やがて他の民放各局にも広がりました。その過程で、各局にいる格闘技経験者に声をかけ、格闘技普及のシンポジウム(という名の交流会)も行いました。

4.人づくりとしての武道精神

 ところで、剣道、柔道、空手道などいわゆる武道と野球やサッカーなどのスポーツとは何が違うのでしょう?どちらも少なくとも近代においては、心身を鍛える手段という意味において同じです。しかし、その中でも特に競技としての勝敗より「心のあり方」に重きを置くという点に、武道の特色があるように思えます。例えば、武道に限らず茶道、華道などいわゆる「道」と呼ばれる世界においては、「練習」とは言わず「稽古」と言います。稽とは「考える」、古とは「昔」という意味で、「昔のことを調べ、今どうしたらよいかを考える」、転じて「書物を通じて学ぶ」というのが元の意味です。ところが日本では、この稽古という言葉が中世以降特に技を磨く修練、それを通じて心を磨く意味で用いられるようになりました。このように、「道」のひとつである武道には日本の中で独自に発展した、「心を磨く」という概念が含まれています。

 鈴木先生は、社会に生かせる武道精神は「守破離」という言葉に集約されるだろうとおっしゃっています。「守破離」も元は能から生まれた言葉だと記憶していますが、武道独特ではなく「道」における概念です。つまり、

守:基本の型を守る段階
破:型を破り応用させる段階
離:型や応用から離れ独自性を発揮する段階

という、修養の段階を表しています。これは仕事においても、個人の人格形成においても同じことです。そして、常に必要な心構えが「残心」です。残心とは「心が途切れない」という意味で、技や動作を終えた後も常に心がそこにある、「今ここ」の状態を言います。今風に言うと、「マインドフルネス」の状態にあると言えるかもしれませんね。こうした心の状態を作り上げるため、またそれを日常生活に生かすために武道は役立ちます。鈴木先生も仕事をしながら、「いかなる時も『三分の余裕』を残さないと、自分を見失ってしまう」と部下を指導されていたそうです。

 日本テレビ関連会社の社長を務めておられた際の社是は「気概と熱意 明るさと前向きさ 人への思いやりと感謝の気持ち」。YMSという「マネージャーズ・セミナー」に向けて、現在の経営者に求められる姿勢を一言で伝えるとするなら、それは人に捧げることに徹する「サーバントシップ(同伴者精神)」だということです。また、「無用の用」を知ること。即ち、無駄な付き合いも必要、普段役に立たないと思われていた人間がいざという時役に立つと知ること。当世流行りの「コスパ」、「タイパ」とは真逆の考え方です。そう言えば僕も中学生の頃父親に「いじめられている子の味方にならないといけない、そういう子たちこそいざという時の味方になってくれる」と教えられた記憶があります。

 我々YMSもまさに「無用の用」を13年、157回も続けてきたのかもしれません。



 かつて空手に携わった経緯から、個人的に今回のセミナーには特別な想いがありました。懇親会ではついお願いして、先生から記念にサインをいただいてしまいました。



 こちらは25年以上前にいただいた、いずれも空手道で一時代を築いた村瀬一三生先生(左)、西村誠司先生(右)のサインです。

 なお、「夢・あいホール」でのYMSは今回が最後になります(次回は忘年会)。10ヶ月にわたり、大変お世話になりました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした


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2023年10月アクセスランキング

2023年11月06日 | 人気記事ランキング


 一昨日の11月4日は当ブログの開設記念日、「リサイクルライフ」は17年目のシーズンに入りました。

 さて、2023年にアクセスの多かった記事、トップ10です。まず定番記事から。

2位:「Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子」(25ヶ月連続)
6位:「エコノミーとエコロジーの語源」(2ヶ月連続)
8位:「久村俊英さんの超能力を目撃してきました」(41ヶ月連続)

ランキングがプロ野球シーズンの終わりを告げています。特異だったのは、月末近くになり、「炭火焼ステーキ カルネ②-神戸三ノ宮」のアクセスが急に伸び、10位に滑り込んだことです。ランク入りは10年以上前の2012年3月以来。しばらくご無沙汰してしまっているので、またお邪魔したいです。

 3、4、5位はいずれもセミナー・講演系の記事。10月は多彩な方面で色々とためになるお話を伺うことができました。岩出雅之氏の関連で言いますと、昨日行われた関東大学ラグビー対抗戦、早稲田大学vs帝京大学は、早稲田大学も後半一時3点差まで迫る健闘を見せたものの、終始帝京大学が地力の差を見せ21vs36で勝利しました。ホントに凄い帝京大学。

1 トップページ
2 Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子
3 心理的安全環境がもたらす自律型組織の作り方ー岩出雅之氏講演メモ
4 人生のターニングポイントー第156回YMS
5 実践型パーパス経営ラボ第9回勉強会に参加しましたー静岡県伊東市
6 エコノミーとエコロジーの語源
7 久村俊英さんの超能力を目撃してきました
8 大室山のパワーを浴びて-静岡県伊東市
9 2023年9月アクセスランキング
10 炭火焼ステーキ カルネ②-神戸三ノ宮

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心理的安全環境がもたらす自律型組織の作り方ー岩出雅之氏講演メモ

2023年10月21日 | その他


 10月19日、帝京大学スポーツ局長で帝京大学を前人未到の9連覇を含む10度の優勝に導いた元ラグビー部監督、岩出雅之氏のお話を拝聴する機会がありました。実が岩出氏は大学の後輩の叔父さんでもあり、秩父宮ラグビー場でもお見かけしたことがあったので、何となく親しみもあり、今回のお話を非常に楽しみにしていました。ご著書、『常勝集団のプリンシプル 自ら学び成長する人材が育つ「岩出式」心のマネジメント』も5年前に拝読しています。

 学生スポーツは毎年学年が入れ替わるため、連覇が難しいと言われています。大学ラグビーも例外ではなく、2009年に帝京大学が初優勝を成し遂げるまでの44年間、大学選手権を三連覇したのは1982年‐84年の同志社大学のみ。明治、早稲田、慶応といった創部100年を超える伝統校、90年代後半から2000年代にかけて一時代を築いた関東学院も三連覇はありません。そう考えると、帝京大学の9連覇というのがいかに偉業であったかが分かります。

 単に大学チームとして強いというばかりでなく、現在開催中のラグビーW杯フランス大会でも日本代表の内7名が帝京大学OB。そして社会人のリーグワンでも加入1年目、2年目の卒業生がキャプテンに抜擢されることも珍しくありません。こうした「人づくり」の側面は、かつて無名の関東学院大学を6度の大学王座に導いた春口廣元監督同様、ラグビーの監督である以前に教員であることが大きく影響しているのかもしれません。実際、岩出氏が行ってきたことは、大学卒業後に教員として勤務した中学校、高等学校での経験がベースとなっているそうです。ここでは伺ったお話の内容を、1.心理的安全性、2.サポートと育成、3.経験学習サイクルの3つに分けてまとめたいと思います。もちろん、これらは互いに強く関係しあっているので、3つの別々のテーマというよりは、いかにこれらが密接に結びつくことで「強い組織」を作り上げているのかに着目していただければと思います。

1.心理的安全性

 2015年、Googleの調査結果で「チームの生産性・パフォーマンスを高める最も重要な要素は、心理的安全性である」と発表されたことで、「心理的安全性」という言葉が一躍注目されるようになりました。心理的安全性とは、「組織や集団の中でも自然体の自分でいられる環境」のことを言います。しかし、岩出氏はそのような言葉が認知されるようになるはるか以前から、心理的安全性のある組織づくりに取り組んでいました。2015年時点では、既にそうした取り組みが実を結び、帝京大学は7連覇を達成していたのです。

 チームにとって個々のメンバーの有能性はもちろん大事ですが、協力関係はより重要な意味を持ちます。組織の風通しが良ければ、人間関係が改善し、個々の集中力が増し、パフォーマンスの増大につながります。そのために、遣り甲斐、成長、幸せを感じられる組織をいかにつくるか?

 帝京大学ラグビー部では、1年生の内から、試合や練習の場だけでなくあらゆる場で意見を出させ、能動的空気感をリーダーだけでなく全員で作り上げていきます。そうすると1年生も遠慮なく発言できるようになり、情報交換が増えることでチームの知識量が増え、多様な価値観からイノベーションが生まれます。ただし、心理的安全性とは環境要因であってそれ自体が目的ではありません。

 ラグビーという競技は、監督は原則スタンドにいて、試合中は選手に干渉できません。フィールド内では選手たちが自分たちで判断してプレーしなければなりません。また、フィールド内も広いので、15人のプレイヤー全員が意思疎通を図れる機会は事実上ほとんどありません。せいぜい近いポジションの2名ぐらいです。したがって、選手が自分で考え行動する自律性を養うことが不可欠であり、そのために150人いる部員一人一人と向き合います。人を育てるには時間がかかりますが、その秘訣は常に「何故なのか」を説明すること。人は納得すればその先に可能性を見るからだそうです。

2.サポートと育成

 帝京大学ラグビー部のチームスローガンは、「Enjoy&Team work」、理念として「ダブルゴール」を掲げています。「エンジョイ・ラグビー」と言えば、古くはTVドラマ「スクールウォーズ」でもそんなスローガンが出てきましたし、前述の春口廣元監督の著書にも同様の言葉が出てきたと記憶しています。岩出氏は、エンジョイ(enjoy)とは、「楽しむ」と訳されるが、元々の成り立ちはen(作る)+joy(喜び)、即ち「喜びを作る」ことだと言います。ラグビーを楽しむのみならず、その根底にある「喜び」を作り出すことが大切です。

 一方、ダブルゴールとは、大学時の目標と社会に出てからの目標を同時に設定させ進めていくという考え方です。つまり、大学選手権優勝などは短期の目標ではありますが、長期の目標から見れば通過点になります。また、その先のゴールから自身の目標を捉えることで、一見部活動としてのラグビーだけを見れば関係ないように思えることでも、意味のある物として捉えられるようになります。

 とはいうものの、150人の部員を抱えるラグビー部にあって、公式戦に出場できるのはAチーム、Bチームの一握りの部員たちです。Cチーム、Dチームになるとどうしても目標を見失い、焦り、諦めが出てくることもあります。そういう層の仲間たちに全員でどれだけ関わってあげられるか、サポートし、支援することができるかが極めて重要です。特にキャプテンには、自分からサポートし、支援するサーバントリーダーシップ(リーダーが部下に積極的に関わり、意見に耳を傾け、組織の進むべき方向を指し示し、奉仕することで人を導くリーダーシップ哲学のこと)が求められます。チーム愛とはその先に生まれるものであって、チーム愛を押し付けて部員を服従させるものではありません。

 こうした日々の習慣が繰り返され、組織文化(カルチャー)へと醸成されていきます。カルチャー(culture)とは「耕す」を意味するcultivateと同じ語源ですが、文字通り、カルチャーは組織という木を育てる土壌の役割を果たします。その喩えで言えば、心理的安全性とは木に降り注ぐ太陽のようなものと言えるでしょう。

 とりわけ現代は個と組織の関係が逆転し、若い世代は自分らしく、自己実現できる環境を求めています。これは内発的動機(自律性・有能感・関係性)に基づいた組織づくりという点で、むしろ真なのだと思います。岩出氏が1996年にラグビー部監督に就任して以降、心理的安全性のある環境づくりに取り組んできたのは、一つには教育者として強い組織を作るためにいわゆる「体育会系」のパラダイムを脱する必要を感じていたということがあると思いますが、もう一つには、ラグビー新興校としてそうする必要があったのだそうです。1996年監督就任時から初優勝する2009年までの期間は、大まかに言って早稲田と関東学院が覇を競っていた時代でした。1966年創部の帝京大学ラグビー部であっても、当時100年近い歴史を持っていた伝統校から見れば新興校であり、知名度は圧倒的に劣っていました。そのような環境の中で、優秀な高校生たちに帝京大学を選んでもらうためには、心理的安全性のある「脱体育会系」の魅力を打ち出す必要があったのだそうです。

 脱体育会系の最たる取り組みが、四年生を頂点とする、いわゆる体育会系ピラミッド型組織を逆転させたことです。帝京大学では、4年生が掃除や食事などの雑務をこなし、1年生にラグビーに専念できる環境を作ります。下級生も最初は戸惑いますが、そのような先輩の姿を尊敬するようになり、尊敬することで行動が変わってくるのだそうです。そうした下地があって、前述のような1年生も積極的に発言できる雰囲気が生まれます。さらに自分で考える自律型人間を育成するためのポイントとして、

①可視化…やってみせること。
②問いかけ…先輩が先回りして答えを言わない。下級生に考えさせる。
③最適難易度…一人一人の力量を見極める。

の3つがあります。これにより、下級生のみならずむしろ上級生の力量が高まります。例えば、僕も長年ラグビーを見てきて感心していましたが、帝京大学の主将は驚くほどスピーチが上手です。さらに、個々の力量を見極めることが習慣となることにより、試合の時に相手の力量も見極められるようになると言います。典型的な例として、3年生による1年生向けの新人研修があります。これは1年生のためであるのと同時に上級生になった3年生が学ぶ場でもあります。卒業生がリーグワンに行っても早くからキャプテンに選ばれ、また学年が入れ替わるが故に連覇が難しいとされる大学スポーツにおいて帝京大学が9連覇を成し遂げられたのは、この「勝つことではなく学び続ける姿勢」が受け継がれていくからではないかと思います。

 それから、人材育成に際して難しいことの一つとして「心」の問題があります。部員一人一人と向き合い、伴走したとしても「心」の変容は容易なことではありません。人の心というものは、その人の「特性」と「状態」と分けて考える必要があります。前者の心の特性は容易には変わりません、というより変えるのはムリなのです。大事なことは、心の「状態」に向き合い、その状態を作っている背景にアプローチしてあげることだそうです。例えば、ある選手のパフォーマンスの低下は、家庭での悩みが背景にあるかもしれません。心の状態の背後にあるものに踏み込むことができなければ、単純に「やる気がない」とか「たるんでいる」の一言で片づけてしまい、事態を悪化させることにもなりかねません。

 岩出氏が中学校教員時代に教わり、今でも大事にしている言葉に「子育て四訓」があるそうです。元はアメリカインディアンに伝わる子育ての名言と言われていますが、次のようなものです。

乳児は何があっても肌を離すな
幼児は肌を離せ、手を離すな
少年は手を離せ、目を離すな
青年は目を離せ、心を離すな

 これは子育てのみならず、「成人発達理論」における4つの発達段階、「利己的段階」、「他者依存段階」、「自己主導段階」、「自己変容段階」にも通じるサポートのあり方だと思います。また、これらの段階は、一つクリアすればその段階が消えてなくなるというものではなく、その人の心の状態が一時的にどの段階にあるかを知り、それに応じた適切なサポートをするための指標と考えることもできるでしょう。

 部員の成長を支援することで思いやりの文化が生まれ、クラブが好きになります。卒業していく先輩に恩返しをするのではなく、下級生に対して恩送りをしていくようになります。ラグビーにおいてボールを前に投げる「スローフォワード」は反則ですが、受けた恩を先へ送る「ペイフォワード」は大いに推奨されるべきことです。

3.経験学習サイクル

 日本能率マネジメントセンターによる意識調査によると、現代の若者は失敗を非常に恐れると言われています。したがって、挑戦を受け入れる関係が大事になってきます。たとえ失敗しても挑戦したプロセスを評価します。

 失敗は次の3種類に分けることができます。

①防ぐことができるもの
②複雑なもの
③知的なもの

 ①は回避可能だったものなので、次回改善すればよいということになります。②は複雑で予測が難しいものなので、単純化することで、少しずつクリアさせていきます。例えば、昨年の大学選手権決勝(忘れもしない、我が早稲田が73vs20という選手権最大の大差で敗れた試合です)で初出場の選手がいました。その選手は走攻守揃った非常に器用な選手でしたが、器用故に何が自分の強みなのかはっきりせず、パフォーマンスがどれも中途半端に終わっていました。大学生にとって最も重要な選手権決勝という国立競技場の大舞台、それも初出場という最も緊張する場面にあたり、その選手に求めるものを「ラン」1本に絞ったそうです。その結果、彼は大舞台で目覚ましい活躍をしました。③はイノベーションを起こすために生じたものであり、まさに「挑戦」です。これは失敗ではなく「未成功」と考えるのです。未成功と捉えることでさらなる挑戦を促し、挑戦の総量が増えることで心理的安全性に繋がります。

 そんな帝京大学も2018年シーズン、ついに連覇の途絶える時が訪れます。岩出氏曰く、「いつの間にかぬるい組織になっていた」と。そこで今一度、以下のような経験学習サイクルを徹底したそうです。経験学習サイクルとは、デイビッド・コルブが提唱したフレームワークで、一般に「経験、振り返り、概念化、実践」から成り立つサイクルを言いますが、内容はほぼ同じです。

①フィードフォワード(行動前の共通理解)
②リフレクション(内省、振り返り:自らの思い込みに気づき、行動を変容する)
③フィードバック(客観的事実を知る)

 とりわけ②リフレクションが重要なのですが、これができている組織は案外少ないのではないかとのこと。

 そして2021年シーズン、大学王座奪回をもって勇退。昨年から相馬監督に引き継がれ連覇。2023年シーズンの現在、関東大学ラグビー対抗戦も佳境に差し掛かっていますが、正直僕の目から見てですが、帝京大学が頭一つ、二つも抜きん出ており、再びの三連覇は堅いでしょう。構成する部員が毎年入れ替わっても学び続け、変わり続ける力。初優勝から14年経っても未だ他校がキャッチアップできない強さの本質。ひょっとすると伝統校はその「伝統」が頸木となっているのかもしれませんが、仮にそれが正しいとすれば、いかに本質的に重要なことを学び、そこから抜け出せるかがカギとなるでしょう。そして岩出氏のお話は、我々企業組織のあり方を再考する上でも大いに参考になるでしょう。



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人生のターニングポイントー第156回YMS

2023年10月12日 | YMS情報


 10月11日、「夢・あいホール」にて第156回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



 講師は、株式会社ターニングポイント代表取締役、赤井知一様。「不登校生・発達障害・起立性調節障害のための自分の居場所~留学という選択肢~」と題して、留学を通じて不登校問題と向き合うお話を伺いました。



 赤井さんが現在のお仕事にたどり着くには、実は伏線があります。それは高校時代、大学時代の留学経験です。今のような「不登校」という問題が恐らくなかったわけではなく、表面化していなかった時代。赤井さんもどちらかというと学校に行きたくないと思っていたタイプだったそうです。そんな赤井さんの最初の留学経験は高校1年生の時。心配した親御様のすすめで高校1年生の時2週間アメリカにホームステイに行きました。そこでとても自由を感じたそうです。そしてホームステイ先では身の回りのことは全部自分でやらなければならない。例えば朝食を作るというようなちょっとした成功体験の積み重ねから自信が生まれたそうです。全く分からなかった英語も、帰国する頃には相手の言っていることは何となくわかるようになっていました。一方で、自分の感謝の気持ちを伝えられないもどかしさから悔しい想いもされたそうです。

 二度目の留学経験は大学生の時。卒業を控えやりたいことも定まらなかった時に研究室の教授の勧めでオーストラリアへ2年半の本格的な留学に旅立ちました。その経験で、ご自身の性格も大きく変わったそうです。帰国後は理科系の学部でしたが、留学経験を活かし留学を支援する会社に就職されました。以降、留学を支援する事業に従事すること25年、これまで5,000人以上を留学に送り出してこられたそうです。

 そんな時、留学を希望しカウンセリングに訪れる人たちの中に、社会問題化していた不登校児や発達障害の方の相談が見られるようになりました。普通、そもそも留学がしたいという動機を持つ人は自主性があります。したがって、大抵の場合、留学前のサポートの後は知らない間に留学に行き、自分で帰ってきてしまいます。しかし、不登校の方や発達障害の方は事情が違います。現地で放っておくという訳にはいかないので、担当カウンセラーによる現地での手厚いサポートが必要になる。しかし、当時大手の留学支援ではそこまでの手厚いサポートはできませんでした。しかし、ご自身が学校に行きたくないと思っており、留学で人生が変わった経験をもつ赤井さんは、その様な方たちにこそ、人生を変える転機を掴んでいただくためのサポートが必要なのではないかと考えました。そして一念発起して起業した会社が、「ターニングポイント」。読んで字の如しです。

 現在、小中校で30日以上欠席した児童、いわゆる「不登校児」は30万人にも上り、かつ年々増加傾向にあるそうです。その原因は、先生、校則、身体の不調、生活のリズムの乱れ(ゲーム、スマホの存在も一因)、学業不振、友人関係など様々ですが、いずれにせよストレスから不登校になるケースが多いようです。この問題に文部科学省も支援予防策を打ち出してはいますが、「不登校特例校」が「学びの多様化学校」と呼び名を変えた学校が全国わずか24校といった現状です。

 決して日本の教育が間違っているとか、悪いという意味ではなく、それに適応できないという方たちの選択肢として「海外」というのがあるのではないかというのが、赤井さんのお考えです。自分を取り巻いている生活環境から離れることで、確かに環境が変わることのストレスもありますが、自立できる機会、一人でやり遂げる自信、(不得意の克服ではなく)得意を伸ばす教育が得られる可能性があります。実際、肌感覚ではありますが、日本で不登校だった子が、海外ではほぼ朝ちゃんと起きて学校へ行くそうです。

 「留学」と聞くと敷居が高そうですが、赤井さんの会社では不登校や発達障害の方々が安心して海外に旅立てるよう、様々な留学スタイルを用意しています。例えば、最短3泊4日からでも可能ですし、英語力はもちろん不問、引率付きのグループツアーもあります。勉強よりアクティビティを多く取り入れ、体験を重視したりといった工夫もあります。もちろん、本格的な留学も可能です。留学の結果、価値観の変容、日本の学校への復学、人間関係改善、規則正しい日常生活、やり遂げた自信など様々な成果が得られています。

 さらに、前述の通り、留学に至るまでのサポートも非常に充実させています。不登校や発達障害の方は周囲の大人に対して壁があるので、留学の準備過程でまず彼らとの信頼関係を築かなければなりません。そこで、それぞれの人に合った個別カリキュラムの作成、定期的カウンセリング、マンツーマン英語レッスン(10回)、国内ホームステイ(海外をイメージした研修施設で模擬留学)、1泊2日のテイクオフミーティング、出発空港でのチェックインサポート、帰国後の報告会など、きめ細やかな支援が用意されています。



 不登校や発達障害の方たちは人並み以上に留学というのは敷居の高いものだと思います。しかし、だからこそ人生を変えるパラダイムシフトが起こせる潜在能力が留学にはあるのだという逆転の発想が、留学という経験の意義そのものを大きくしているように感じました。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

過去のセミナーレポートはこちら
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大室山のパワーを浴びて-静岡県伊東市

2023年10月11日 | その他


 伊東に向かう途中、阿蘇の内輪山や霧島連山の御鉢を思わせるような、きれいな緑色の草に覆われた山が見えました。それが滞在先近くの大室山であるということが分かったので、昇ってみることにしました。

 行けば、小学校の卒業旅行で行った「伊豆シャボテン動物公園」のすぐ近く。ということは、38年前にここへ来たことがあるということになります。



 大室山は標高580mのスコリア丘で、山自体が国の天然記念物です。スコリア丘は、噴火活動によって地表にスコリア(岩滓)が放出され、それが火口の周りに堆積することで形成されたすり鉢状の丘を言います。上の写真はまさに御鉢の縁から火口を見下ろした景色になります。山全体が木ではなく草に覆われているのは、毎年春に山焼きが行われるためだそうです。この山焼きの伝統は700年くらい続いているのだとか。大室山ができたのは推定5,000年前で、最後の噴火は約4,000年前と言われています。山頂へはリフトで登り、現在徒歩での登山は認められていません。



 これがスコリアです。



 御鉢の縁はぐるりと一周できますが、とても素晴らしい眺望で気持ちがいいです。とても良い気、パワーをもらった気がしました。ちょうどからりとした青空、秋の夕方だったのも良かったのかもしれません。



 伊豆七島のうち、大島、利島、新島、神津島などが見えました。



 初冠雪が報じられたばかりの富士山も見えました。大勢いた外国人観光客の皆さんも喜んだと思います。改めて写真を見ても清々しい気分になりますね。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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