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「平成」から「令和」へ

2019年05月02日 | Weblog

新元号の幕開けだ。もっとも、その瞬間は10連休とはいえ生活リズムを崩すまいと、さっさと寝てしまっていた。
5月1日は6時に起きて、ニュースを見入る。こんな日は今後数十年間はないだろうから。
それにしても、やはり「戦争」のなかった平成日本を過ごすことができたのは、大変に喜ばしいことである。

平成は、まさに自分の人生と重なる期間である。幼少期から、小中高大学生、そして社会人(2社)。
幼稚園は、妹の影響を受けて、男の子と遊ぶより女の子と遊ぶ機会の方が多かったと記憶している。好きな色もピンク。
小学校1年の時にお引越し。近所の友人と遊ぶ機会に恵まれながらも、4年生のころから少数派の受験組となり、塾通いのため地元の友人とは限られた交際に。
結果合格した中高一貫校は男子校。中学時代は所属するグループを間違え、友だち作りに苦労したが、高校からはようやく適温なメンバーに恵まれた。特に、生徒会を通じて他校の生徒との交流を経験したことから、人と時間を過ごすことに面白みを覚えた気がする。
大学時代は、バイト・サークル・旅行と月並みな内容も、どれも卒業後にも色濃く影響を残すほどに。
社会人になって、人生で初めての挫折というか苦痛を味わう。何とか耐え忍んだものの、転職を決意した。

それにしても、本来ベースとなる家庭の崩壊具合たるや。物心ついたころから崩壊していたため、それが普通であると思っていて、あっさりそのことを周りに話すと周りに驚かれることに驚いた。そんなに異常なことなのか。確かに家族全員で笑ったことなど一度もない。私の人格形成に少なからず影響を与えたであろう。すなわち、平穏を願うあまりに、自分を抑え、周囲に極力合わせようと過度に努力してきた。自分を見失い、いつか本当にいなくなってしまうのではないか、と心配になる。そして、私は人を愛したり、愛されたりということ経験が出来ずに平成を過ごしてしまった。ふつうは家庭の中で感じられるものだったのだろうか。

それでも、唯一自分を特徴付けたのは、バスであろう。あまりほめられた趣味ではないため、ある程度親しくなった限られた人にしか話さないようにしているが、バスに乗ったり見たりすることはとても楽しく、喜びを感じる瞬間であった。しかし、最近はそのバスもコモディティ化が進み、果たして生涯の趣味として成立するか、大変に不安である。

そうすると、生きていくこと自体が不安になる。ある時まで、2009年初までは、そう、死んでしまいたい、などと軽く思ったりもしたが、今はそうは思わないようにしている。平成で、もっとも悲しい出来事であった。死んでしまうことほど、悲しいことはなく、取り返しのつかないことはない。しかし、自分も最期を迎えるときには、ついにまた再会できるのかもしれない、と思うと、いつか来るその日もまた悪くはないとも感じられるのは何とも不思議な体験である。

さて、令和、まずは愛せる人を見つけられるか。誰かに愛される人になれるか。そして、今の仕事を全うできるか。善良な市民でいられるか。簡単なようで難しい。新元号となった今だからこそ、気持ちを新たにしておきたい。

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