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Dynamic America~アメリカ旅行ファイナル

2006年02月28日 | Weblog
5:50に起床。数時間しか寝ていないが、わりと好調。相変わらず、あまりおいしいとはいえないパンで簡単に朝食を済ませる。

そして荷造り。そう、今日でアメリカとさようなら、日本へ帰る日なのだ。旅行の最終日ほどいやな日はない。しかし、必ず迎えてしまうものだ。

忘れ物が無いか、何度もチェックし、行きよりも重くなったスーツケースを引きながらロビーへと向かう。ロビーには同じく今日で帰国するツアーの人が待っていた。程なくしてバスへと案内される。アメリカで乗る最後のバスは・・・ちょっと小さめな観光バスであった。

バスに乗りものの20分でロサンゼルス空港に到着してしまった。快適な走行であった。大韓航空利用の人はターミナルが違うようで、ここでお別れ。昨晩一緒に部屋で話した人は大韓航空利用なので、ここでさよならを言った。

ターミナルに入ると、また別の係員が対応してくれる。チェックインをするが、これが画期的。自分のパスポートを機械に読み込ませると、予約内容を引き出すことができ、座席も自由に選べるのだ。画面の案内にしたがっていくだけで、簡単にチェックインが完了した。しばらく機械の前で待っていると、航空会社の係員がやってきて、スーツケースを預かってくれる。ここはさすがに人の手が必要になるようだ。ちなみに帰りの便もノースウェスト航空。1便の成田空港直行便だ。

旅行会社の係員と別れを告げ、セキュリティーチェックを受ける。ここでも靴を脱がされたりなど、厳重なチェックだったが、何も問題なく通り抜けることができた。運航乗務員や客室乗務員も同じようにチェックを受けていた。

さて、セキュリティチェックを受けあとは飛行機に乗るだけ、だがなんと出発時刻まで3時間ほど時間が余ってしまった。それほど大きくないターミナルで、特に見るものは無い。お土産店でバイト先の土産を買い、冷やかしつつしてもまだ時間が大量に余っていたので、アメリカらしくバーガーキングに入ることにする。胃の調子は睡眠不足のせいか、非常に悪かったが、ずっとぶらぶらしているわけにもいかない。朝のためメニューが制限されていたが、オレンジジュースだけを注文。しばし友人のデジカメをみながら、時間をつぶす。店をでて、恒例の小銭処理のために売店でお菓子類を買う。格好の自宅へのお土産となるのだ。お金がかからず、一番喜ばれる。小銭処理のはずが、ついつい買いすぎてしまい、お札まで出てしまった。

ニュージーランド航空の到着便をみていると、搭乗の時間がやってきた。座席番号の大きい人=座席が後部の人から順に乗り込む。日本にはないシステムである。

やっと機内に入れる。座席は31J、窓側。天気が朝から悪かったが、機体がタラップを離れたまさにその瞬間、雨が降り出した。今回の旅行で初めての雨。しかし、もう関係ない。

飛行機は順調に離陸した。

さよならアメリカ。。。。

旋回しながら上昇を続ける。相当眠かったが、離陸の瞬間だけは、となんとかこらえておきていた。

日本まで12時間。風の影響のためか、行きより3時間ほど飛行時間が長い。最初のうちは眠れたがよかったが、目がさえてしまうとかなり暇。音楽を聴こうにも、電気系統が故障しているらしく、何も聞こえない。同じく映像もだめ。そして天井の電気も、読書灯もつかない。なんだ、この飛行機は・・・。

本を読んだり、となりの友人とくだらないゲーム(”き”を言ってはいけないゲーム、とか横文字を言ってはいけないゲーム、とか)をしながら時間をやり過ごす。

相当暇であったが、なんとかまもなく着陸するとの案内。定刻より20分早い15:45に無事、成田国際空港に到着した。降りる際、電気系統の不具合の社謝罪のため、500マイルの券をくれた。なんとも微妙だが、もらえないよりましか。乗務員も行きの便よりはましであった。

さて、日本に到着!空港内を歩く。いつも思うが、なんと無機質な空港!日本に戻ってきた、という哀愁がさらに盛り上がってしまう。それでいてきれいな施設、いやでも日本に帰ってきたことを実感させられる。

入国審査に引っかかるはずも無く難なく通過。スーツケースを拾い、税関を通る。意外にも訪問国その他いくつかの質問を受けたが、こちらもすり抜けた。と、到着ロビーに出る。

・・・!!見覚えのある顔!!なんと高校時代の友人が到着ロビーにいるではないか。今日帰国すると伝えてはあったが、まさかわざわざ出迎えに来てくれるなんて・・・と思ったら彼は今日成田からタイへ出国するのだという。到着ロビーにわれわれが着くかなと思ってきたら、本当にばったり会ってしまったというのだ。

そんなこんなで少々立ち話。成田出国する際に購入した宝くじははずれ、今日出国する友人にも宝くじを買わせ・・・なんてしてたら友人は出国の時間となったようで、旅立っていってしまった。

われわれもそれぞれの方面のバスの乗車券を購入し、出発を待つ。自分の出発は一番最後なので見送る。それぞれ町田、新百合ヶ丘行きのバスに乗って帰ったが、どちらも相当な乗りで、ほぼ満席状態であった。40分間隔でだしているのに、この盛況ぶり、明らかに成田空港の他の路線と比べても優良路線であろう。

自分の乗るバスは18:05発のYCAT経由グランドインターコンチネンタルホテル(パシフィコ横浜)行き。ほとんどがYCAT行きだが、一日6便ほど、みなとみらい地区のホテルまで行ってくれる便があるのだ。

第1ターミナルから乗るが、すでにこの前の第2ターミナルで7割の座席が埋まっており、通路側の席しか取れなかった。

意外と眠くなることも無く、ずっとおきていた。バスは渋滞にはまることなく順調にみなとみらいランプで高速をおりる。見慣れた景色が広がる。YCATで大半の客が下車、車内には数名が残っただけであった。

自分はパンパシフィックホテルで下車。ここが一番家に近いのだが、ホテルのゲストに必ず勘違いされる。荷物を出口まで運んでくれる、という親切な対応をお断りし、クイーンズスクエアに抜けると、家まではもうすぐ。

こうして19:50、家に無事に着いた。旅を終えることができた。

本当に楽しいたびであった。大自然に大都会に、非常に内容が濃かった。思い出にしっかり残るたびである。一緒に旅した友人にも感謝である。一緒に行けて本当によかった。彼らがいたからこそ、今回の旅があった。

まだまだ海外旅行には行ってみたいところがたくさんある・・・。

Dynamic America~アメリカ旅行7

2006年02月26日 | Weblog
7:30に起床する。きょうはこれからユニバーサルスタジオハリウッド(以下USH)へ行くのだ。なるべく荷物を軽くしてホテルを出発。最寄の7thストリート駅まで歩く。日曜日の朝とあって車も人通りも少ない。気持ちのいい朝である。

10分ほど歩いて駅に到着。階段を下って券売機を目指す。操作方法がよくわからなかったが、なんとか片道1.25ドルの切符を買う事ができた。ロサンゼルスの地下鉄には驚く事に改札がない。だから切符を買わずとも地下鉄に乗れてしまうのだ。ただ、地下鉄車内で警察(?)による抜き打ちのチェックが行われるので運悪く当たってしまったときのために持っていないと危険だ。罰金250ドルをとられるらしい。

日本人観光客がただ乗りなどという大胆不敵な行動を取れるわけもなく、しっかり切符を握り締しめてホームへと向かう。時刻表は見当たらず、電光掲示板もない。少々暗い感じのする駅である。夜は少し怖いかも。今は休日の朝といってもそれなりに人が待っているので安心。日本人も見かけられるが、ひょっとして同じ目的地だろうか。最初に来た電車は目的地にいかないようなので、次のに乗る。車内は割と広くそこまで汚いといった感じはない。座席がさらっと埋まる感じの混雑具合。そして驚いた事に、白人の人がほとんど乗っていない。やはり所得の多い白人は地下鉄など使わず車を使って移動するのかもしれない。車をもてない低所得層のヒスパニック系は地下鉄が大切な足となるのだろう。地下鉄に乗るとここは本当にアメリカ?といった感じ。

30分も乗らないうちにユニバーサルシティ駅に到着。エスカレータを使い地上へ。少し迷ったが、USH行きの無料シャトル乗り場でシャトルを待つ。乗ってしまえばものの数分でUSHに到着。さっそく入園券を買う。割引券があったので1人48ドル。年間パスもあるようだ。

最初はUSHの日本版USJにはないスタジオツアーへ。トラムに乗り込み、映画の撮影セットをめぐるツアーだ。本物のような町並みなど映画で使われたセットを間近にみることができた。英語で解説してくれるが理解できない・・・。しかし15:30まで待てば日本語のツアーもあったようだ。

ジュラシックパークはほとんど日本のUSJのものとそっくり。最後の急降下は水しぶきが日本より凄いと聞いていたが、そこまでぬれる事はなかった。むしろ日本のほうが高さがあったような感じがする。

シュレック4Dは様々な小細工で観るものを楽しませてくれた。

ターミネーターも日本のものとそっくりそのまま。ただUSHのほうがすこし演出がはでなようなかんじがした。

バックトゥーザフューチャーも日本とまったく同じ。相変わらずの激しい揺れで疲れてしまう乗り物だ。

動物のショーもこれまたほとんど日本と同じネタ。かわいらしい動物の演技がほほえましい。豚がでてこなかったのは残念だが。

などなどと、なんと一日でほとんど全てのアトラクションを制覇できてしまった。なぜなら”すいているから”。日曜日なのにどのアトラクションも待ち時間はほとんどなし。まっても最大で20分並んだかどうか。非常に快適にまわることができた。日本ではあまりこういうことはないだろう。規模は日本のほうが大きいようだ。本場のUSHと期待してきたが、日本のほうが断然楽しめる。ショーの数も日本のほうが多いし、エンターテイメントの空間として日本のほうがうまく演出できている感じがした。日本では1日あってもすべてまわることは到底不可能である。しかし、さすがはアメリカ、”ノリ”が全然違う。日本ではショーはただ大人しくみているだけ、といった感じだがアメリカ人はみんな積極的にそれに参加しようとする。歓声をあげ、みんなで盛り上げようとする。国民性の違いだろうか。

そして早々と18時に閉園。その後は園のすぐ外にあるユニバーサルウォークに行く。こちらはけっこう人がいてにぎやかで楽しい。店もたくさんある。実は今夜が最後のアメリカの夜、最後の晩餐は何にしようか迷った挙句、キューバ料理の店にする事にした。鶏肉と焼いたバナナ、そしてまたもや豆ごはん。でもおいしかった。華やかなウォークともさよなら、最終のシャトルで駅まで向かう。

帰りの電車は床にごみがちらかっていた。7thストリート駅に到着。20時をまわっていたので治安が心配だったが、なんとかホテルまでたどりつくことができた。おなじみの近くのスーパーで最後の買い物。

部屋にもどる。同じツアーの人がガイドブックを返しに、たずねてくる。小一時間ほどいろいろ話しをし、あとは同行者とも酒を飲む。アメリカでは飲酒は21歳以上、買うときも身分証明書の提示を求められた。アメリカのほうが飲酒は厳しいようだ。

最後の夜、嗚呼旅行が終わる。寝ずに話しをするといっていたのに、ソファーの上でいつのまにか寝てしまっている。おきるかな、と3時くらいまでまってみたが起きる気配無し。つられてソファーの上で寝てしまった。ふと起きると起床まで1時間しかない。ベッドにもどり、寝ることにした。

Dynamic America~アメリカ旅行6

2006年02月25日 | Weblog
6:40に起床。今日はこれから海外旅行へ行くのだ。そう、メキシコヘ。海外旅行の海外旅行。昔香港に行ったときにも、同じようなことを経験した。中国のシンセンという街に行ったのだ。今日はアメリカからメキシコヘ、陸路で国境越えをする。

7:40.予定の時刻になっても迎えが来ない。10分以上待ったところで旅行会社に電話。日本から持ってきた自分の携帯を使う。AUのグローバルパスポート対応の機種なので、アメリカでもそのまま使える。日本からの着信もOKという優れものだ。日本からはそのまま普段の番号でかけられるので、旅行に来ていることを知らない友人から、時差の関係で、明け方に電話をもらう、ということが数回あった。もちろん、アメリカ内の電話へもかけられるので、発信してみる。営業時間外だから、でないかな、と思ったが、日本人女性が出た。少し遅れているので、そのまま10分ほど待ってくれとのこと。結局30分遅れの8:10、迎えがやってきた。この間ずっとホテルのロビーで待っていたが、通る宿泊客はほとんどが日本人。外国人のほうが少ないくらいだ。料金が安いので、旅行会社がよく手配するのかもしれない。

バス車内には女性グループが2組の4人の先客。ガイドはついておらず、ドライバーがすべて案内してくれるようだ。明石家さんまに酷似の関西人の40代くらいの男性。なんかどこかの家のお父さん的な雰囲気もかもし出している。これから、もう一軒ホテルに寄るとのこと。すぐにフリーウェイに乗る。このフリーウェイは、その名の通り料金所がない、という意味だそう。その昔、GMなどの車の大会社が道路建設を援助し、さらに沿線の鉄道を買い取り、その鉄道を最終的に廃止し、交通をすべて車に担わせようとしたらしい。この策は大成功し、確かに、車がないとどこへもいけないような車社会になった。こうなると儲けるのは当然車会社であるわけだが、昨今では日本でもたびたび報じられているように、ビッグスリーの経営はガタガタであり、アメリカの車社会の甘い汁を吸っているのはトヨタのどの日本の会社である・・・という話は昨日のガイドからも聞いた。30分ほど走り、ついたところはディズニーランドがあるアナハイム地区のシェラトンホテル。ついでだからお手洗いを拝借。ロビーまでは行かなかったが、きれいなホテルであった。ここでまた2名の女性グループを拾い、計9名でメキシコ観光へ行くことに。ここから1時間30分ほど走り、サンディエゴという街に入る。大きな橋の上からはサンディエゴの街を見渡せるが、高層ビルもちらほら見かけられ、そう小さい街ではないようだ。

さらに20分ほど走り、ついに国境付近にバスはついた。ここでいったんバスを降り、徒歩で国境に向かう。明石家さんまがしきりにパスポートは持っているかと念をおす。これがないとリアルに帰ってこられないそうだ。そしてついに国境・・・とそこには鉄格子でできた回転扉があるだけ、それを押しながら回転扉を通り抜けると、入国完了、そこはもうメキシコというなんともあっけないアメリカ出国、メキシコ入国であった。なんのチェックもなし。少し重い鉄格子をカラカランといわせながらまわすだけであった。メキシコに来たという実感があまりわかなかった。

が、少し進むと、タクシーの客引きがたくさんいるなど、やはりすこし雰囲気が変わった。そして、メキシコでのバスが来たが・・・UNBELIEVABLE!!見たことも聞いたことも、触ったことも、夢見たこともないような、やたら古いバス!!古い、とにかく古い。とてつもなく古い。詳しいメーカーなどは分かるわけもないが、とにかく古い。乗ってみると、赤茶色のシートがずらっと並んでいる。一応観光バスのような配列。座ってみると、そこまで乗り心地が悪いというわけでもない。が、座席によってはなぜか背もたれがやたら倒れているものもある。走り出した。エンジン音が大きい。まさに走らせている、という感じが伝わってくるような感じで、エンジン音が響く。マニュアル車のようだが、ギアがうまく入らない様子、なんども入れなおす。もう唖然。こんなバス、乗ったことない。そんなこんなだが、一応普通に走っている。速度はあまり出ないが、エンジンを唸らせ、しっかり走る。こんなバスに乗れるなんて。メキシコってすばらしい。メキシコにこられたことを心のそこから喜んだ。

夢のようなバスのドライブは10分ほどで終了してしまった。降りることを惜しみながらもまた帰りに乗れることを期待する。降り立ったところは、レボルシオン大通り。大通りといっても片側1~2車線ほどしかない。その両脇にずらっと店が並ぶ。1キロもないだろうか。最初に案内されたところはアステカという土産店。ここが集合場所となり、50分ほどの自由行動。通りをあるいてみることにした。「サイタマ!」いきなり日本語で話しかけられる。店の人の呼び込みだ。「チバ!」えっ!?店の人はわれわれ日本人を店の中に呼び込もうと、必死に日本語を話しかけてくる。どこの店の前にもいて、みな必死に呼び込む。意味は分かっていないのだろう、誰かが吹き込んだのか、はたまた自分でどこかで学んだのか、一人ひとりが話せる日本語の単語は僅かだが、みな話せる単語がいろいろ。「ミルダケタダ」「チョットマッテ」は結構聞かれたが、「タナカサン」「サトウサン」など日本人で多い苗字を呼ぶもの、「シャチョウサン」とみんなに話しかける人、そして挙句の果てには「スケベサン」。歩いているだけで面白い。少し行ってバスターミナルへ入る。残念ながら、バスは一台しか止まっていなかった。MEXICOACH。記念硬貨だけ買って、後にする。

このターミナル内で友人はサッカーのユニフォームを購入。値札はついていなかった。最初店員は35という。高すぎ。何度か数字を言い合い、交渉した結果20くらいに。それにしてもずいぶんな吹っかけようだ。そして、戻る途中にさらにもう一軒、別の友人がとある土産店につかまった。メキシコの民族衣装っぽいものをかわされそうになっている。こちらも最初の提示額は65とかなりのもの。友人は頑張って値下げの交渉をし、結局40まで落としたところで、ハンマープライス、購入を決定。しかし、後に聞いた話では、この代物は20が相場とのこと。倍の値段で買わされてしまったのだ。別の人は8ドルのものを60で買わされたというから、日本人は格好のカモなのだろう。まさにみんな「シャチョウサン」である。

昼食はメキシコ料理。ブリトーと呼ばれるものやタコスなどで、それほど辛くなかった。最後にはプリンも出された。再び、自由行動で、また通りを歩いてみる。薬局や土産店が大部分で、あとは飲食店。日本でもおなじみのSUBWWAYもあった。建物はどれも2階建てくらいまで。はたしてしっかり建てられているのだろうか。相変わらずの客引き。メキシコの日給は2ドル、という。隣の経済大国アメリカとは大違いである。発展途上国で、下水道もしっかり整備されていないから水も飲めないという。アメリカにやってきたメキシコ人は飲み物の中の氷を取り出して飲んだ、というからまったくだめなのだろう。ここのレボルシオンどおりはまだ観光客が多くのお金を落としていくから生活はましなのかもしれないが、メキシコシティなどの都市部はどうなのだろう。少し気になる。観光地ではないので行くのは難しいだろうが、発展途上国の生の現場というものを見てみたくなった。

帰りのバスも期待通りあのバスであった。坂道もちゃんと登って、10分くらいの感動のドライブでまた国境に戻ってきた。メキシコ出国は車も人も大行列。結局1時間近く並んで待った。車も1台ずつ停止し、チェックを受けている。バスは1つのレーンに集められていたが、まったく動いていなかった。こんなに国と国との行き来が旺盛だとは。いったい皆はどのような目的で移動しているのだろう。入国審査の順番がやってきた。パスポートを提示し、何か買ったものはあるかと聞かれたが、過って何も、と答えてしまった。が、何の問題もなく、通過。日本では味わえない、陸路での国境越え。このような国境だと、国と国との境が日本のそれとは違った見方でみられそうである。

バスに戻り、サンディエゴを目指す。30分弱でシーポットヴィレッジに到着。シーサイドの公園のような場所で、のんびり過ごすことができた。地元の人たちも結構いて、にぎわっている。アメリカのはとの写真を撮って、バスへと戻る。行程表ではホテルコロナドにも立ち寄ることになっていたが、いつの間にか飛ばされてしまった。明石家さんまはフリーウェイもがんがんに飛ばし、アナハイムのホテルに立ち寄りつつ、ロサンゼルスのホテルには18:10に到着し、海外旅行は終了となった。

夕食はホテルの近くのタイ料理店へ。タイ風やきそばを頼むが、非常においしかった。タイのアイスティーも頼むがこれまたすごい甘さで、すごいおいしい。これで7ドルだから安い。愛想のいいおばちゃんの店員にI love L.A.とつげ、店を出た。途中で酒屋によって酒を買う。実はアメリカ、飲酒は21歳以上からと日本の制限より高い。そんなに厳しくないだろうと思ったが、店員はIDの提示を要求してきた。22歳とごまかし、何とか購入完了。

また近くのスーパーによって朝食を購入。パンがたくさんおいてあるので、毎日迷う。が、一部のパンにはカビらしきものが・・・・。

ホテルに戻り、くつろぐ。本当に快適な部屋である。夜はまた、連れの人と理系、文系について議論。そうして0:30くらいに寝た。

Dynamic Amweica~アメリカ旅行5

2006年02月24日 | Weblog
今日でラスベガスともさようなら。治安がよく、とても過ごしやすかった。迎えのバスは8:10ころやってきた。車内に入ると・・・仰天びっくり、シートがすべてロングシート、横向きのシートが前から後ろまでずっと続いているのだ。こんなバス乗ったことない。朝から感動である。新感覚の座席で空港を目指す。前回はリムジンと、なかなかよい送迎をしてくれる。途中いくつかのホテルで客を拾いながら、空港には8:40ころ到着。昨日でラスベガスで開かれていたコンベンション(このおかげで一泊5000円の追加料金を取られた)が終了ということで空港は非常に混雑。アメリカウエスト航空のカウンターの前にも長蛇の列。われわれの航空券はe-ticketと呼ばれるもので、自動チェックイン機が使えるそうだが、マイレージをカウンターで貯めてもらいたいので、そのまま並ぶ。チェックインは無事にすみ、出発ゲートに。ここも長い列。途中係員がいて、航空券をチェックする。と、われわれの航空券にはLANE9の文字。それを見た係員は一番左側の列に行けと指示する。飛行機の時間がぎりぎりなので、優先レーンに通されるのかと思い、LANE9に並ぶ。確かに一般とは違ったさらにあまり人の並んでいない左のレーンに通される。これはラッキーと思ったが・・・なぜかやたら進みが遅い。そしてなぜかほかのレーンにはないセキュリティーチェックの機械が置かれている。そう・・・セキュリティーチェック強化レーンであったのだ!一人ひとり順番に、機械に通される。空気砲みたいなのが身体の上から下まで吹き付けられる。異常なものを持っていないかチェックしているのだろうか。そして最後に手荷物検査。係員に荷物を預けると、中身を細かく検査する。なにやら丸いシートを取りだし、携帯電話などの電子機械をチェックしている。こうしているうちに、飛行機の出発時間は刻一刻と近づいている。やっと全員のチェックが終了。あわてて搭乗ゲートに駆け込み、なんとか間に合わせることができた。アメリカウエスト航空のチェックインカウンターの係員にかかれたLANE9、無作為抽出なのだろうが、日本人の学生が不審物をもっているわけがない!ほかに小さな子供連れの親子が選ばれていたりと、もう少し怪しげな人を選んでもいいのではないだろうかとおもってしまった。初日の成田空港に引き続き、またもやとんだVIP待遇をうけてしまった。

定刻より少し遅れて、ラスベガス空港を離陸。次のロサンゼルスには約1時間のフライトで到着。ロサンゼルス空港ではターンテーブルからは預けたスーツケースがなかなかでてこなかった。治安が悪いと聞いているロス、空港から自分の荷物に気を配る。迎えの車は、バン。ほか5人と2人のグループと同乗し、計10名でロサンゼルスの半日市内観光へ。ここはもうカリフォルニア州。人口はここも増加しているとのこと。新大陸発見時からの西部開拓精神がいまでも残っているのではないか。アメリカ全体の人口も増加傾向だが、これは白人が増えているのではなく、ヒスパニック系の人が増えているらしい。移民の国とは聞くが、このような実態はしらなかった。ロサンゼルスの人口も、メキシコとの国境が近いためもあって、白人が3~4割ほどしか住んでいないらしい。アメリカの東海岸のほうから来た人は驚くらしい。「英語が通じない」と。

最初の見学地はサンタモニカビーチ。ANAのCMでもやっていたが、白い砂浜がきれい。夏でも海水の水温はあまりあがらないらしく、風が涼しいという。今日は冬なので、もちろん誰も泳いでいるわけはなく、砂浜にいる人もまばら。日本の海岸のようにごみはほとんど落ちていない。波もそんなに高くなく、穏やかなビーチである。

次にシボレーヒルズ、センチュリーヒルズなどの高級住宅街を通りながら、ビバリーヒルズを車窓見学。確かに高級そうな店ばかりが軒を連ね、走っている車も明らかに高級車。日本の高級住宅街とは格が違って、金のつぎ込み方が半端ではなさそう。ここら辺は治安もよいだろう。

まもなくして、チャイニーズシアターに到着。建物前には、ハリウッド映画スターたちのサインと手形や足形が敷き詰められている。中にはドナルドダックの足形も。最初はミッキーで試してみたが、実際足形をとってみるとただの丸になってしまったため、急遽ドナルドダックが抜擢されたという。隣にはコダックシアター。アカデミー賞が行われる会場で、ちょうど数週間後にアカデミー賞が行われるとの事で、少し準備が進められていた。柱には、各年度のアカデミー賞の映画タイトルがはめ込まれているが、なんと数十年先までの枠が設けられている。そこまでアカデミー賞は続けられるのだろう。コダックシアター近くの広場からはあの山の「HOLLYWOOD」の白い巨大な文字が遠めに見える。ハリウッドに来たことを実感するが、少し遠すぎる・・・。

ここで遅めの昼食にガイドお勧めのモンゴル風焼きそばを食べることに。飲み物と白米がついて8ドル。皿を渡されて、肉や野菜を自分の好きな量だけ取る。取り放題。最後に店員にその皿を渡し、焼いてもらう。味はなかなかおいしい。なぜこんなところで、モンゴル、と思ったが。ここにはおなじみのDFSが入っていたが、いつもどおりなにも買わない。免税といっても高いものしかおいていないからだ。

チャイニーズシアターでの観光を終え、ホテルに向かう。予定していたKAWADAホテルがスプリンクラーの誤作動で水浸し、使用不可、とのことだったので急遽変更、メイフェアーホテルに宿泊することに。ダウンタウンの7thストリート付近。なぜこんなところに、と嘆きたくなるような場所にホテルはあった。なんでもアーノルドシュワルツネッガーのトゥルーライズの映画に使われたという。自分も観たことある映画だが、どこが使われたのか分からなかった。

部屋に入るとびっくり、広い。もともとはツインとシングルの部屋だったのだろう、中のドアでくっつけられていて、ひとつの部屋として使われている。シングルの部屋にはソファーとテレビが備え付けられていて、快適に夜が過ごせそう。バストイレも二つある。なんとも贅沢な部屋に当たったものだ。と、感動していると、内線。ツアーでロスから一緒になった人からで、これから隣のコインランドリーに行かないか?とのこと。

したのロビーで待ち合わせて、コインランドリーに行く。大規模なコインランドリーで、地元の人たちで込み合っている。が、白人が見当たらない。全員有色人種。低所得で、洗濯機が自宅にないのかもしれない。使い方がわからないので、近くのおばちゃんに尋ねると笑顔で答えてくれる。隣のスーパーでカードを購入の上、そのカードに1ドル単位で機械でチャージ、各洗濯機、乾燥機に通すというシステムだった。カードはICチップつき。無事にあいてる洗濯機を見つけ、洗濯物を放り込む。26分との表示。その時間にダウンタウン方面に歩いてみることに。フリーウェイの橋を超えるとダウンタウンのオフィス街に出た。一気に雰囲気が変わる。白人も見られるようになり、車の通りも多くなった。10分ほどしか歩いていないのに、この変化に少しびっくり。地下鉄の駅を、アジア系の人に尋ねて確認してから、また戻る。ちょうど洗濯が終わっていて、次は乾燥機。25セントだった。相変わらずの賑わいぶりで、子供も多く見受けられた。

隣のスーパーで買出し。夕食は部屋で・・・とのことでカップラーメンとパンを買うことに。カップラーメン、でかい。そして香草の香りが結構する。味は日本とは少し違っているが塩風味、まずくもなく特においしくもなく。パンはぱさぱさしていて、日本のパンとはこれまた少し違う。小麦粉を食べていることがよりリアルに伝わるパンであった。また飲み物にストロベリージュース。甘い。とてつもなく。日本ではあまり飲んだことのない味。と、貧相な食事を終え、寝ることに。とその前の、快適な、ソファーがある部屋で連れの人との会話が楽しかった。


Dynamic America~アメリカ旅行4

2006年02月23日 | Weblog
6時ちょうどに起床。今日の予定はデスバレー一日観光。前日に電話を入れたらあっさり催行決定。まだ座席に余裕があったのだろう・・・と、迎えのガイドが来てびっくり、参加者はなんとわれわれ3人だけであった。大きなバスが来ることを期待していたが、乗り込んだのはオデッセイを一回り大きくしたような感じの普通の車。ドライバー兼案内人含め計4名でのツアーとなった。車は朝のラスベガス市街を走る。朝からかなりの交通量。ドライバーは日本人で関西の人という。30代くらいの、お話好きな感じのする人だ。われわれだけなので、堅苦しいガイドをするというわけではなく、会話しながら車はデスバレーへ向け郊外へと向かう。聞いて驚いたが、ラスベガスは人口が急増しており、一ヶ月あたりなんと6000もの人がラスベガスに引っ越してくるという。一日に200人・・・ものすごい数で疑いたくなる。想像できない数字だ。それに伴い、住宅もどんどん外に向け開発が続けられており、しかも大量の需要に応えるため、一つ一つの家が画一的で似たり寄ったりなつくりになっている。建売が基本なようだ。今後もこの傾向が続くと、市街の外にある自然破壊にもつながりかねない、とドライバー氏。「どこかで制限が必要なのかもしれない」。
 30分も走るとそれでも家は見当たらなくなり、自然の世界が広がった。道路も一直線、先が見えないほどどこまでも本当にまっすぐに続いている。これぞアメリカの道路といった感じ。飛行機が離陸できそうである。車も100キロ以上出して快走、それでも追い越してくる車もいる。さらに30分ほど走ると街が見えてきた。なんとこの街では売春が合法化されているという。一昔前は日本人もよくラスベガスから訪れたという。「病気に対する策はちゃんととられているんでしょうね」などとくだらない会話が飛び交いながら、ガソリンスタンドに立ち寄り小休止。アメリカのガソリンスタンドにはかならずコンビニのような店が併設されているという。ガソリンの値段は破格、1ガロンで2ドル後半にもいかない。これでも値上がりしたそうだから日本と比べてかなりの安値だ。
 車は再び走り出し、街を抜け出すと、一気に車が減り、まったく対向車が見当たらなくなってしまった。「ドライバー泣かせ」と嘆くのも納得の(眠気に襲われる)、相変わらずの一直線の道をひたすら進む。州はネバダを抜け、カリフォルニアに突入。とそれまできれいに舗装してあったが道路の状態が急に悪くなった。州の管轄が変わるとこうなるという。しかしそもそもよくもこんなに長い道路を作り上げたものである。途中やっとT字路にあたり、右折。ひだりに見える山に「DV」と刈り込まれた文字がみえる。Death Valleyの入り口だ。道の脇にはすぐ山が迫っている。山といってもそんなに高いものではなく、木も一切生えておらず、つちがむきだしになっている。崩れてきそうでこわい。「こんなに遠かったけかな・・・」とドライバー氏。デスバレーに来るのは一年ぶりだという。久々のデスバレーに自身も楽しみだというが、大丈夫なのだろうか・・・。途中、デスバレー国立公園の看板の前で記念撮影。われわれだけだから非常に融通が利く。ツアーも貸し切り出し、あたりに人も車もあらず、自然も貸しきり状態である。
 ラスベガスをでて、3時間ほど走ったところで、最初の見学地BAD WATERに到着。塩水湖が干上がってできた塩平原で、あたり一面が白い。全部塩。車を降りて、その上を実際に歩いてみる。塩の上を。広大な平原で、とても静か。気温もちょうどよく気持ちがいい。湧き出ている水をなめてみると塩辛いらしい。塩の平原をあるくという人生初めての経験を終え、車に戻ってみると靴の裏が塩で真っ白になっていた。
 車に乗ってさらに10分、メインの道路からはずれ、未舗装の道路を行くと、Devil’s Golf Courseという塩の結晶が盛り上がってできた見学地に着いた。先ほどの平坦な平原とはうって変わって、さんご礁のような感じの、ちいさな突起がいっぱいついている岩塩が広がっている。一歩一歩が大変、足の踏み場もないほどである。確かに塩がかたまってできているようだ。これができた経緯はわからないが、自然も面白いものを作り上げたものだ。悪魔だったらゴルフをするだろう、ということからの名前らしいが、あくまでも到底ゴルフはできなさそうである。書き忘れたが、ここまでくる途中に、野生のコヨーテに遭遇。した。
 次の見学地には20分ほど走って到着、Artists Paletteというところ。パレットという名前からわかるように、ミネラルの成分が地表に様々な色を出しながらあらわれているのだ。黄色、ピンク、青・・・まわりが灰色や茶色の山々なのできれいに写る。数年前デスバレーは記録的な豪雨に見舞われたらしく、相当被害が出たらしい。実際、このあたりも地すべりしたようなあとが残っている。道が埋まり、復旧まで相当な時間を要したという。今は全面的に開通しているが、それでも沿道の岩は、たしかに今にも崩れそうで、また大雨でも降ったらアブなさそうである。メインの道路に出るまでは、細い道、アップダウンやカーブが続き、さながらジェットコースターのよう。
通りに出て10分ほど走り、ヴィジッターセンターみたいなところに立ち寄る。土産店があり、ポストカードを購入。ドライバー氏もTシャツを買っていた。前からほしかったそうだ。建物はわりときれいで、自然の中に文明のものがあると、なんとなく落ち着いてしまった。「文明の中」で暮らしているのだと。本当はここは昼食後による予定だったが、迷い込んでしまい順序が入れ替わるとのこと。久々で忘れてしまったらしい。昼食はバフェ、日本で言うところのバイキング。店内にはわずかな客しかいない。内容としてはサラダ類やミネストローネ、チャーハンやポテト、肉類、魚・・・と思ったらこれも肉であった。飲み物もついている。アメリカに来てどうも腹の調子がいまいちなので量を抑えておく。

昼食後、次に向かったのがZABRISKIE POINT。小高い丘になっており、あたりが見渡せる。相変わらず植物は見かけないが、景色は距離的にあまり離れていないのに各ポイントでそれぞれまったく異なった姿を見せてくれる。デスバレーは非常に表情が豊かだ。それも日本では味わえないものばかりで、新鮮。しかし、自然、なんの違和感もなく思いっきり堪能することができる。これが日本とは異質な町並み、とかだったらあるいはなにか落ち着かない、異質な感じがするなどといった感情を抱くかもしれないが、自然をみるにあたってはそんなことは一切ない。昼食後であり、風も気持ちよく、気温もちょうどよい、昼寝ができれば最高であろう。ここのポイントでは日本人の家族連れとであった。子供はまだ幼稚園ぐらいだろうか。在米の方なのかもしれない。

次は、本日最後の見学地、DANTES VIEW。車で一気に坂道を上り、今度は結構高いポイントで展望台のような感じ。眼下には先ほどの塩田が広がっている。少し歩いてみると、人影が見えなくなる。立ち止まってふと気づくと風の音しか聞こえない。そして、その風もやんでしまうと・・・無音。本当になにも聞こえない。車の音も、人の声も、ほかの生物の声も。普段都会の雑然とした空間の中で生活している身にとっては非常に貴重な体験である。そとに出れば騒々しい町の音、家にいても必ず冷蔵庫の音くらいは聞こえている。それがなにもかも排除された空間、その無音の時間を不思議に感じながらも、非常に楽しむことができた。と、連れが一人いない。見渡してみると、一人で歩き出し、一段高い山に向かっている。頂点を極めないと気がすまないのだろうか。頂上まで登るとかなり小さく見える。よくやったものだ。

14:30、すべての見学を終え、ラスベガスに帰ることに。途中ドライバー氏は何回か地図で道を確認する。来た道とは途中まで別の道を通る。帰りもやはり直線の道が続き、ラスベガスに向け、ひたすら走り続ける。ドライバー氏はCDを持ってきており、それをかける。洋楽かと思ったら邦楽、デスバレーのど真ん中で井上陽水の少年時代というものすごいちぐはぐに戸惑いながら、せっかく案内してくれているのだから、と踏ん張って起きる。途中力尽き30分ほど寝てしまったが、そうこうしているうちに交通量が増え、まもなくラスベガスであることがうかがえる。大自然の中から大都会へ戻ってきた。グランドキャニオンのときも感じたが、このギャップがなんともたまらない。自然と人間のまったく対照的な世界である。メインどおりのストリップに入ると大渋滞。遅々として動かない。この後ダウンタウンに行きたい旨を伝えると、バスに乗ったほうが早い、といわれ、途中のバス停で降ろしてもらうことに。礼を言って別れを告げる。デスバレー、とてもよかった。貸切で回れた上、見所が多く、自然と非常に近い場所で接することができた。

バスはすぐに来たので2ドルの一回分の運賃を支払い乗り込む。2階席はまだ十分空席がある。それにしても、ひどい渋滞。片側5車線くらいあるのに少し動いては止まって・・・の繰り返し。15分でダウンタウンまでいけるとガイドブックに書いてあるのに結局50分かかってダウンタウンに到着。バスも連なって到着しており、団子状態。どのような運行体制になっているのかまったく想像がつかないがご苦労様である。

ダウンタウンに来たのは「フリーモントエクスペリエンス」のショーを見るためである。日本でもニュースで取り上げられているのをみたことある。450メートルにわたって続くアーケードの天井に1250万個もの発光ダイオードが設置されていて毎正時になると音楽とともに映像が駆け抜けていく、というものである。バスがついたのはあいにく18:10、次の19時まで待たねばならなかった。適当にぶらぶらして時間をつぶし、待機していると、19時、アーケードの店のあかりが消え、ショーが始まる。電子的な音楽とともに、ダイオードが非常にたくさんの色を出し、模様を作り上げる。アーケードの長さをいかして、縦に長い数本の線の模様がうねったり、丸い模様がでてきたりする。わずか5分であったが、ダイオードが織り成す模様に見入った。色の種類が多く、すごくきれいであった。毎回違う画像が流れるとのこと、ほかのも気になった。

ホテルに戻るためにまたバスに乗る。サーカスサーカスの前のバス停で折り、ちょうどサーカスのショーが始まる時間に合いそうだったので、中に入ってみるが、こちらもあいにくガイドブックの情報と食い違っていて、みることができなかった。ホテルのなかをまわってみると、東京フレンドパークのアトラクションっぽいものがあったり、スーパーボールすくいっぽいものがあったりとなんとなく縁日みたいな雰囲気になっていた。

夕食は自分たちのホテル内のフードコートで中華を注文。なかなかおいしかった。こちらはパンダエクスプレスなど、中華を扱う店が意外と多かった。ホテル内のABCストアで買い物をしたあと、部屋へもどる。連れが買った、スペルは確かでないがTWIZZLERというお菓子がまだ残っている。チョコのようだがまったく甘くなく、「ゴムみたい」という表現がちょうど当てはまる。はっきりいってまずいが、すすめてくるので、仕方なしに食べるが、それにしても量が多い・・・。

Dynamic America~アメリカ旅行3

2006年02月22日 | Weblog
感動の夜からあけて、今朝も早起き。まだ暗い中、メイン棟まで歩く。サンライズツアーに参加するのだ。もうバスは来ていた。車内には結構ひとが乗っている。走り出すとともにドライバー兼ガイドのおじさんが英語でなにやら話しているが、朝も早くから神経を尖らせて英語を聞くことはできない。少し走って、最初のビューポイントに到着。まだ太陽は昇っていない。薄明かりの中、グランドキャニオンを眺める。ほとんどなにも動かない。静かにまた大自然を堪能する。昨日の昼にみたグランドキャニオンとはまた少し違って見える。バスに戻ったところ、太陽が突如顔をあらわした。サンライズツアーという名前からして、太陽がのぼった瞬間をみんなで歓声で迎えるのかと思ったら、いつの間にか勝手に太陽がのぼってしまった。あわててバスを降り、写真を撮る。

次のビューポイントに移動。もう太陽は完全に昇りきって、グランドキャニオンを照らす。自然と自然の共演が、すばらしい景色を生み出す。ここのビューポイントでは、ガイドが崖ぎりぎりまで案内してくれ、崖から眼下をのぞむことができた。高いところは得意なほうなので、怖さは感じない。柵もなにもないところから見下ろす。落ちたら致命的だろう。

最後のビューポイントでもグランドキャニオンを一面に眺めることができた。地層が本当にくっきりみることができる。いつまでみても飽きることはない。川が流れているのが見える。川が侵食していった様子が如実にわかる。人類が滅びてもこの雄大な景色は決して滅びることはないだろう。わずか2時間のツアーだったがすごく楽しむことができた。

ホテルに戻り、しばし休憩。10:30にバスが迎えに来る。グランドキャニオンとラスベガスでは州が違い、時差が1時間ある。間違えないように、とガイドに言われていた。空港まで走り、ラスベガス行きは12時出発と伝えられる。空港にはツアー客ばかりで、日本人の団体もいた。さすがにセスナにも慣れ、あっという間のフライトでラスベガスに到着。大自然と大都市とのギャップがものすごい。バスに乗り込み、初日に泊まったホテルへ。ホテルでのチェックインについては何も言われていなかったので、係員がいるのかと思ったが、出迎えなし。仕方なしに現地事務所に問い合わせの電話を入れると、名前だけでいいとのこと。ちゃんときいておけばよかった。フロントのおばちゃんにチェックインを依頼、部屋の電話を使ったときのため、とクレジットカードの提示を求められる。アメリカではクレジットカードを所持していることが経済的な保証になるという。

無事にチェックインをすませ、今度は大都会のホテルを見学するため、ストリップにでかけることにした。その前に、気づいてみると昼食を食べていなかった。チェックインに手間取りすっかりわすれていた。通りの向かいにあるマクドナルドに入る。日本と同じような店内とカウンター。ただし、メニューは違っていて何を頼めばいいか悩む。結局ハンバーガーセットを注文。できたら名前を呼んでくれるのだが、これが大変。まず自分の名前がうまく伝わらない。日本の名前がまったくわからないようだ。一文字一文字をゆっくり伝え、相手も英語で書き取るが、それを相手が読み上げることができない。ローマ字読みができないのか。それらしき名前が呼ばれ、受け取る。相手も笑っていた。日本のマックと違うところはドリンク。空のコップが渡され、あとはドリンクバーがありセルフサービス。何回つぎにいってもよいそうだが、そうすると、ドリンクのサイズのS,M,Lの違い、どうなるのだろう・・・。一応値段は違っていたが、Sを頼んで何度もとりに行ったほうが得である。

昼食後、ストリップの一番空港より、南側までバスで移動する。ストリップを走るバス、どうやら最近再編されたようで、ガイドブックに載っている路線はなく、すべてDUECEと呼ばれる二階建てダブルデッカーによる運行になっていた。一回2ドル、一日券5ドル。この一日券は購入時から24時間有効であるところが面白い。バス停には長蛇の列。時刻表はなく、いつ来るかわからない。それでも、それほど待つことなく、バスがやってきたが、非常に込み合っている。乗降に時間がとられているうちに、次のバスが見えてきたので、一本目を見送る。が、次のバスもこんでいた。仕方なく乗り込む。車内の機械で一日券を買う。お釣りはでないとのこと。近い将来ICカードも関東一円で共通につかえる日本のバスとは大違い。二階建てバスは重そうに走り出す。もちろんオートマ。各バス停に止まるがそれぞれかなりの乗降があり、時間が非常にかかる。特に乗車時の支払いがスムーズではないようだ。途中、車椅子の客が降りていく。ノンステップの二階建ては乗りやすいだろう。車内放送はすべて運転士による肉声案内。バス停を読み上げていく。一番南側までやってくると客も少なくなってきた。適当に目星をつけて場所で降りてみる。

最初のホテルはルクソール。古代エジプトを再現したホテルで、建物自体がピラミッドの形。館内は吹き抜けになっていて、すごい造り。巨大だ。ルクソールから無料のモノレールに乗りエクスカリバーホテルに移動。このホテルは中世がモチーフのおとぎの国がコンセプト。右手に緑色に輝くMGMグランドをみながら、ニューヨーク・ニューヨークという、その名の通りニューヨークをテーマにしたホテルに行く。自由の女神もちゃんとおいてある。ニューヨークに来た記念に写真撮影も忘れない。館内もニューヨークの町並みを再現しおり、ラスベガスにいながらニューヨーク観光ができてしまった。通りを渡り、ワールドオブコカコーラに入館。コカコーラに関するグッズが店内にたくさん並べられている。グラスや栓抜き、キャップ・・・。日本ではみたことのないものばかり。そして、ちゃんとコーラも売っている。瓶詰めされて1ドル。場所のせいか、おいしく感じる。次に日本でもおなじみのM&M‘Sのチョコレートに関する建物に行く。こちらもM&M’Sに関するグッズが売られている。チョコレートの量り売りもあった。M&M‘Sが有名映画のポスターを模しているのが面白い。幼心にとても楽しめてしまった。

日は落ちてしまった。北側にさらに歩き、アラジンというホテルに入る。いろんな店がたくさん入っていて楽しい。そのお隣のパリスというホテルはその名の通り、パリがテーマ。驚いたことに、凱旋門、エッフェル塔もきちんと建てられている。中に入ると、エッフェル塔に上れることが判明。9ドルに悩むも上ってみることに・・・、とラスベガスの夜景、すばらしすぎた。香港の100万ドルの夜景は目じゃない。1億ドルの価値はありそう。地平線まであかりが、四方八方どこまでも続いているのだ。暗い部分がない。眩いばかりの夜景。見たことのない夜景に非常に、非常に感激。ここまで街が広がっているとは思わなかった。まわりに高層ビルもなく、本当に一面にちらばる明かりの夜景を楽しむことができた。おまけに目の前のヴェラッジオホテルの噴水のショーまで真上からみることができた。音楽に合わせ、噴水が吹き上げる。かなりの高さ。ライトの効果も加わり、きれいだった。

さらに北上し、ミラージュのホテルで火山噴火のショーをみることに。ガイドブックには15分間隔と出ていたが、実際は1時間おき。結局30分以上待ち、ショーをみることに。実際に炎が上がるなど、こった演出。ショーの後、また二階建てバスでホテルに戻る。隣に座った人が、日本語を3つだけ知っているという。写真、とだけ日本語で言っていたが残り二つはなんだったのだろうか。ちなみにこの帰りのDUECEのバスは黒人ドライバー、非常に愛想がよく、日本語でありがとうといってくれたのが印象的。車内アナウンスもとても楽しそうだった。

ホテルに帰る前にスーパーで買出し。またドーナッツを購入。ホテルに帰ってから途中で買ったウーロン茶と緑茶を飲んでみる。期待はしなかったが、やはりどちらもいまひとつ。味がうすい。渋みがあまりないのだ。明日も早いので、健康的に早々と寝た。

Dynamic America~アメリカ旅行2

2006年02月21日 | Weblog
4:30起床。時差ぼけはほとんど影響ないが、やはり眠い。前日に買ってあったセブンイレブンのドーナッツで手早く朝ごはんを済ませる。なかなか美味。5:20頃に部屋を出てロビーでバスのピックアップを待つ。今日はこれからグランドキャニオンに出かけるのだ。集合時間より少々遅れてバスドライバーが迎えに来てくれる。アメリカ独特な形のバスに乗り込む。車内にはまだ誰もいない。通り向かいのサーカス・サーカスホテルにも立ち寄るが、なにやら客が見当たらない様子。ここをパスして次のホテルに向かうが、やはりまたサーカスサーカスまで戻ってきて、客を拾った。シーニックエアラインという会社のツアーであるが、おばさん二人組み、男女のカップル、中年の男性二人組み、アラスカからの(?)おばさんひとりとわれわれなど総計10数名が集った。

バスはグランドキャニオン空港まで飛ばす。到着するとそこはシーニックエアライン専用のカウンターがあり、荷物を預けたりなど、チェックインを済ませる。体重計で体重を計ったが、セスナ全体の重さのバランスを取るためだろうか。そう、グランドキャニオンにはセスナで向かうのだ。生まれて初めての搭乗。

7:00、機内へと案内される。19名定員の機内はものすごく、狭い。頭を低くしながら歩かなくてはならないし、席も幼稚園のものかと思うほど小さい。エンジンのテストをしながら滑走路へと向かう。プロペラがすぐに見えるが、すでにものすごい音。滑走路に入り、プロペラは轟音を伴いながら回転数をあげ、セスナが加速する。なんかものすごく怖い。飛行機の離陸には慣れたが、セスナは小さすぎて、すべてがよりリアルに感じる。プロペラ二つで果たして本当に飛べるのだろうか・・・、との不安とは裏腹にセスナはふんわり地面から離れ、高度を上げていく。ラスベガスの市街を上から眺めることができたが、ストリップから離れても意外と家が立ち並んでいる。しかもかなり整然と立ち並んでいる。同じような町並み、家々が並んでいるのだ。

その町並みも、10分くらいすると一気に大自然へと化した。家のすぐ隣に砂の山が隣接している。住民は怖くないのだろうか。途中左手にフーバーダムが見えた。上から見ると大きさは感じられなかったがきっと、とても大きいのだろう。本当に自然。道路が一本見えるだけで、ほかは人間の手がまったく加わっていない。見渡す限り。ここで墜落したら・・・と不安にかられる。右手には低い緑の植物が見られるが、左手にはまったく見当たらない。左右でぜんぜん違う景色。1時間ほどでセスナはグランドキャニオン空港に到着した。着陸も心配したほど揺れはなく、なめらかなものだった。セスナから降り、歩いて建物へと向かう。空港の建物の外を歩くなんてなんか新鮮な感じ。

すぐにバスへと案内される。アメリカのバスに関してはまったくの無知だが、見た目からもすごく古いと思われるバス。でもアメ車とだけあって非常に大きい。おそらく日本では違法な長さ。アメリカらしいシートに座ると、座席が動く。ブレーキがかかるたびにずれるのだ。それでも今旅初の大型バスに感激する。

ゲートをくぐると、そこはもうグランドキャニオン国立公園。10分ほど走って、最初の見学地ブライトエンジェルポイントに到着。グランドキャニオンの眺めはいかに・・・と、やはり素晴らしい!言葉ではどんな表現を使ってよいのか分からない。目の前に無限に広がるグランドキャニオン特有の地形。緑はほとんどなく、20億年累積した地層の岩肌が無機質にあらわになっている。ビューポイントはとても高い位置にあり、広大な景色を堪能することができる。自然の営みに無条件に感動するのみ。日本にはない景色、世界でもここだけであろう大自然の景色にはただ「すごい」と言葉がでるだけであった。ここの標高は2000メートルを超えているとの事、たしかに早歩きをすると息が切れる。気温も低く、寒い。それでも空気が非常にすんでいて、すがすがしい。

バスへと戻り、再び空港へと向かう。またセスナに乗り、次はモニュメントバレーに向かうのだ。ラスベガスから来たときは、セスナはほとんどまったく揺れなかった。今度も余裕だろう、と思ったら、なぜか上下にずっとゆれる。今までに体験したことのないゆれで、ふわっと上に体が持ち上がったかと思うと、また下がる。最初は楽しいとさえ感じたこの揺れ、20分ほど続くとだんだんと気持ち悪くなり始めた・・・。乗り物で酔うとは何年ぶりだろう。これ以上おきていると、本当にやばい、と目を閉じ、眠りに入る。途中パウエル湖という人造湖の上を飛んだが、写真をそこそこに撮り、すぐにまた眠る。青い水が非常に印象的であったが、この気持ち悪さでは感動も薄れる。

やっと1時間後、モニュメントバレー空港に着陸。空港・・?なんと、完全に舗装されていない。土の上に車輪は着陸したのだ。途中から舗装され始めたが、驚いた。われわれのセスナしかいなく、適当に停車した。どこでもいいって感じで。建物もなにもなく、広大な自然のなかに、ぽっと一部分まっすぐな舗装をしただけといった感じ。すぐにバス・・・というかなんとも言いようのない変哲な乗り物に乗りこむ。もう空港に降り立ったときからまたまたものすごいことになっている。モニュメントバレーの広大な平坦な土地が続き、ところどころに岩が立ちそびえている。体験したことのない空間に身がおかれ、ただただ感動。身体がこの自然の中でどう対応すればいいのか少し困っているようにも感じる。とんでもないところに来てしまったものだ。

バスは5分ほどで昼食の場所へ。ナバホタコスをいただく。ひょっとして口に合わないかも・・・との心配は吹き飛び、なかなかおいしい。うまく表現できないが、いままでに食べたことのあるような、ないような。それにしてもきれいな建物、自然とはアンバランスなほど。電気や水道もしっかり整備されているようだ。土産店にはパソコンまで置かれていた。

ふたたびバスに乗り込み、モニュメントバレー観光にでかける。ほとんど道には車は走っていいない。映画でしか見たことのない、まっすぐなどこまでも続く道を走り、途中から舗装されていない道に入り込むと、聳え立つ茶色の岩が間近に見えてくる。ビューポイントでバスを降りる。茶色の地面や岩と、真っ青な空のコントラストに魅せられる。グランドキャニオンとはまったく違った景色。こちらもまったく人間の手が加えられていない。ところどころにある岩にはすべてその形からスリーシスターズなどというように名前がつけられているという。見上げると結構大きい。あとは平坦な土地がずーーーと続いている。こんな自然の中では人間はそれに逆らうことはできまい。共生するしかないだろう。いくら文明が発達しようと、ここの自然は永久保存されるだろう。

このモニュメントバレーにはナバホ族がすんでいるという。アメリカでも最大の部族で、独自の言語も持つが英語も教育されるという。発電機を買ってくれば衛星放送も見れるというが、それでもこの自然との生活、どんなものだろうかと想像してもなかなか難しいものがある。

モニュメントバレー空港から再びセスナに乗り、またまたゆれる機内、それでも少しは慣れてしまい、グランドキャニオン空港まであっといまのフライトだった。バスでホテルに送迎される。ホテルといってもロッジ形式で、棟がいくつか並んでいる。こぎれいなホテルで、室内はとても暖かい。夕食はメイン棟のなかでピザ。日本人もちらほら見かけられた。そして、夕食後、宿泊棟までの歩いているときふと上を見上げると・・・おびただしい数の星!見たことのない数。オリオン座がはっきりとわかった。空にはこんなにたくさんの星があるとは。星がまばたくとはこういうことか。首が痛くなるまで見続けた。

大自然に感動しっぱなしの一日であった。本日のホテル、ベッドが二つしかない。われわれは3人・・・感動の夜を過ごした。

Dynamic America~アメリカ旅行1

2006年02月20日 | Weblog
来たバスは最新鋭だった。9:30、YCAT発のバスは30名ほどの乗客を乗せ、成田空港へ向け定刻に出発。湾岸線、東関東自動車道を順調に走行する。隣の車線を同じリムジンバスが追い越して行く。遅れているのだろうか。こちらは相変わらず落ち着いた走行で11時ちょっとすぎに成田空港第一ターミナルに到着した。

時間があるので、スーツケースを500円で預ける。高い。身軽になって第二ターミナルにシャトルバスで行く。成田空港へ来たときの恒例行事。時間に余裕を持って空港に行き、ターミナルを回る。旅行気分を高めてくれる。シャトルバスは途中東成田駅で2名降ろしながら、5分ほどで第二ターミナル到着階に到着。町田、新百合ヶ丘行きのバスがちょうど出発するところだったので見送るが、それぞれ10名に満たない乗客。双方開業当初から増便を繰り返す優良路線だが時間帯によっては利用が少ないようだ。出発階に上がると結構人が多い。と、携帯に電話。同行する友人からだったが、バスが早く着き、もう第一ターミナルにいるとのこと。あわててシャトルバスに乗り、第一ターミナルに戻る。もう一人の友人もついており、三人合流して、昼食をとることにした。フードコートで、ローソンで買ったおにぎりとパンを食べる。日本の食事ともしばらくさよならである。

昼食を終え、旅行会社の指定するカウンターに行く。行程表に記載されている飛行機の出発時間より、実際は20分早い時間が出発案内板に出ている。それにあわせ、集合場所にも20分早く行く。カウンターに入る前に、スーツケースのセキュリティーチェック。ここで係員に「ご出発はどちらですか?」「アメリカです」と答えると、ではこちらへ・・・と誘導され、スーツケースを開けるよう要求される。しかし、友人たちはそのままスルー。無作為抽出で検査しているという。素直にスーツケースをあけると、「これは何ですか?」「お菓子の袋です」などと一通りすべてチェックされる。もちろん怪しいものなど見つかるはずもなく、検査終了。いきなりとんだVIP待遇を受けてしまった。


旅行会社のカウンターでチェックイン。マイレージの登録も行ってもらう。先ほどの飛行機の時間が違っている旨を指摘するとなにやらわけのわからない説明で間違えを認めなかった。マクドナルドで飲み物を飲んでから、出国審査へ。機械的にハンコを押され、すぐに通過。ゲートは26。今日の飛行機は15:20発ノースウェスト航空28便サンフランシスコ行き。バンコクからの経由便。20分ほど前に搭乗し、席に着く。2-4-2の座席配列でわれわれは右側の2列。自分は他人と相席になる。席に着くとすぐに眠気に襲われ、離陸に気づくことなくおきたら空の上だった。あの浮上にも目が覚めないとは・・・。

サービスがよくないと評判のノースウェスト、確かに客室乗務員は笑顔ひとつ見せることなく、淡々と業務をこなしていく。機内食もまずまずといったところ。しかし、機材は新しいらしく、エコノミー席でも各座席にパーソナルテレビが備え付けられている。オンデマンド方式でいつでも自分の好きな時間に、映画や音楽が楽しめる。種類もかなり豊富で、映画はプライドと偏見やニモなどをみることができた。自分は音楽を聴きながら、ガイドブックで、アメリカの予習をする。まったく飽きないフライトで、現地時間の午前8時、ほぼ定刻にサンフランシスコに到着。

ここからが、最初の難関、乗継である。時間が1時間30分しかない。セキュリティーチェックが強化されていることなどを考えると、けっして余裕はない。さっさと降りて、入国審査の列に並ぶ。多少緊張しながら、審査官にパスポートと入国カードを渡す。滞在期間や、訪問の目的、なぜか何を勉強しているのかまで質問され、入国完了。その際、顔写真を撮られ指紋も採取される。犯罪者扱い。
 
スーツケースを拾い、急ぎ足で乗り継ぎを目指す。と、友人が一人おじさんに呼び止められている。ユニセフの寄付のお願いのようだ。そんな呼びかけにもめげず、乗り継ぐ会社であるアメリカウエストのカウンターを発見。チェックインしてもらい、そこでゲートを知らされる。なんとも手探り状態の乗継だったが、意外とすんなりことが運び、余裕を持って乗り継ぐことができた。9:36発予定のアメリカウエスト航空はなかなか搭乗が始まらない。結局少し遅れて離陸。ラスベガスを目指す。機内では飲み物が振舞われる。1時間のフライトはほとんど寝通してしまった。ラスベガスは11:11に到着!ついに目的地に着いた。それほど長い行程には感じなかった。Baggage Claimの看板にひたすら従い、スーツケースをピックアップ。荷物が出てきて一安心。現地係員もすぐに見つかり、女性2名のグループと5名で送迎の車へと案内される。

建物を出ると日本と同じような気温。少し寒いかな、と感じるくらい。駐車場にはリムジンが並び、さすがはラスベガス、いったいどんなアッパークラスな人たちが乗れるんだろう・・と思ったらガイドがリムジンの中の一台の前で止まる。なんと、ホテルまでの送迎、リムジンにわれわれが乗ることができたのだ。一瞬、間違ったガイドについてきてしまったのではないかと疑ってしまった。車内に入るとなんとまあ、グラスがちゃんと置かれている。シートも本革っぽい。乗り心地もさすが、人生の中で一番よい気がする。非常に滑らかな走り。ガイドにどこのメーカかたずねるとリンカーン、との返答。恐れ入った。学生の身分でいいのだろうか、と思いながらも満喫する。おそらく一生乗ることはできないだろう。

ホテルはラスベガスの目抜き通り、ストリップの一番北側にあるホテルリビエラ。ガイドがチェックインを済ませてくれる。部屋は掃除がまだされていないが、先に入っていてもいいとのこと。ガイドに別れを告げ、部屋に入る。確かにまだ清掃がされていないが、荷物の整理をしたかったので、入れたのはありがたかった。少しして、清掃員が来たので、外出することにした。ところで、アメリカと日本の時差はマイナス16時間。つまり、20日に日本を出発しても、まだアメリカは20日。それもお昼ぐらい。とてつもなく長い2月20日を過ごすことになるのだ。飛行機の中で多少寝たとはいえ、日本から通算すると徹夜状態に突入、とても眠い。
 
外に出てみると、日差しが異様に強い。目を開けるのがやっと。空気は冷たいのだが、太陽が暖かく、それほど寒さは感じない。とりあえず、ストリップの南を目指して歩き出す。特になんの目的もないが、明々後日のデスバレーへのツアーをさがすために、HISとJTBのカウンターをまわるがどちらもだめであった。フォーラムショップスなどのショッピングセンターに寄るがどこもきれい。大規模な店内は、それほど込み合ってもいない。

次に、ヴェネチアンというホテルにいく。ラスベガスには、超大型な高級ホテルが立ち並ぶが、このヴェネチアンもそのひとつ。なんと全室スイートルームというから驚きである。部屋数も4000を越すという馬鹿でかさ。ホテルはイタリアをモチーフにしてあり、館内と館外でそれぞれゴンドラに乗ることができる。なんともすごいものを作ってしまったものだ。内装も金色に輝く。ヴェネチアンからは疲れてしまったのでタクシーで観光案内所に向かう。10分ほど乗って8ドル。ちなみにこのときのレートは1ドル120円。ドライバーに9ドルを渡し、降りる。

デスバレーへのツアーを探すために立ち寄ったのだが、親切なおばさんが対応してくれるもこちらもだめ。今日はアメリカでは祝日らしく、旅行会社がやっていないのだ。おばさんはいろいろ英語で話してくれるのだが、理解できない部分が多い。こちらが話せることも非常に限られている。英会話がもう少しできれば・・・と痛感する。おばさんに別れを告げ、ホテルまで歩く。部屋に戻ると清掃は終わっていて、限界に来ていたため、仮眠をとることに。1

7:30におき、夕食を食べに外に出ることに。日本でもおなじみのデニーズに入る。メニューはまったく違っているが、チキンバーガーらしきものを注文。飲み物を頼まなかったら水を持ってきてくれた。店員は非常に丁寧に対応してくれ、何度かテーブルに様子をうかがいに来てくれた。伝票がテーブルに運ばれてくる。合計の下にチップの欄があり、まだ勝手が分からないゆえ自分で3ドルと書き込み、それを加え出口のレジにお金を渡す。店員は怪訝そうな顔をし、その3ドルを返してきた。こちらも困った顔をすると、チップだと理解してくれたようで受け取ってくれた。テーブルの上においてくるのが正解だったようである。


ホテルに戻る途中でセブンイレブンにより、明日の朝食を調達する。もちろんおにぎりなどおいてあるはずもなくドーナッツを買う。前の人がカードで支払っている。さすがキャッシュレス社会だ。部屋に戻り、時差と明日の朝は非常に早いため早めに寝た。こうしてとてつも長かった2月20日は幕を閉じた。

合宿考察。

2006年02月13日 | Weblog
今回の合宿、2年が幹事学年であり、個人的にはその中でも結構深く合宿にかかわってきた。旅行会社との数度の打ち合わせに参加し、旅行代金の振込みをし、交通手段を確保し、参加者をすべて把握した。宿との交渉も率先して引き受け、前日には挨拶の電話をし、当日もなにかと宿の人と話しをする事が多かった。

夏合宿でもほぼ同じ内容の仕事をした。参加者が多く、はじめての貸しきりバスを手配したり、宴会がうるさいとのクレームにも対応した。宿の人と密に接する事により、それなりの信頼関係を築くことができた。非常に有意義で楽しい仕事であった。

さて、自分の仕事はどのように周りに感じられているのだろうか。仕事は事務全般が多い。仕切ることはまったくできていない。極端な表現だが、カリスマ性に欠けている、ことは痛いほど知っている。仕切るのはすべて他人の力を借りる。目立ちたいわけではないが、存在感が薄い、とみられるのはあまりいい気分ではない。

合宿参加者に、すこしでも合宿について詳細な情報をしってもらおうと、初めて行程表を作成し、公表してもらった。しかし、一部の人はまったく目を通してくれなかったり、果たしてどこまで役に立ったのかもわからない。誰もプリントアウトしてこなかったところをみると、有用性に欠け、あってもなくてもどっちでもいい、といった代物だったのかもしれない。

途中参加者には、少しでも単独で来る不安を解消してもらおうと、行き方や、時刻などを詳細にメールで送り確認をとった。しつこい案内だと感じ取られたかもしれない。もうがきではないのだ。

仕事をすべて1人で抱え込む癖がある。振り分けるのが下手なのと、自分でなんとかできると考えてしまうからだ。ごみの片付けなど、もっと指示しろよ、といった感じで言われた。

自分では精一杯やっているつもりである。合宿をすこしでも楽しいものにし、会計もわかりやすいものにしようと。でもそれは「つもり」で終わっているのだろう。領収書を切っても「またゴミ書いてるの」とか、伝えておいたはずのゴミの処理の仕方を「ちゃんと分かっている人が起きていてくれなきゃ」とまるで早く寝た自分をせめるような言い方、何かの拍子に言われた冗談かもしれないが「お前は使えないから。」といった言葉、「やるべき順番が違っている事があるよね」まですべてが自分を鋭利に切り刻む。

愚痴を言いたいとか、なぐさめを求めているとかではない。純粋に悩んだ。夏合宿から大幅に人数が減ってしまった。他の何を差し置いてでも参加したい合宿、はすでに夏合宿では作られなかったのである。自分の非はどこにあったのか考えるが、わからない。わからないとこわい。今回も総じて”優秀な”仕事をできなかったようである.自分の無能さにあきれ返るのみである。